013話 足りないものはなんですか?
南大陸の中央部に位置するプラウリッヒ神王国は、大陸でも有数の大国である。
戦争の絶えることの無い南大陸にあって、十三代目を数える現国王。名をカリソン=ペクタレフ=ハズブノワ=ミル=ラウド=プラウリッヒという。
親しい貴族はラウド陛下と呼ぶが、更に親しい友人等はカリソンと呼ぶ。一般ではプラウリッヒ国王陛下と呼ぶのが正式呼称。
彼の治政は善政と評価されており、また大した争乱も起こさぬ外交姿勢は近隣諸領の評価も高い。
後世の歴史家が彼のことを記すなら名君と評するところではあるが、そんな現国王が即位する直前。丁度二十年前には、実は国家存亡の寸前にまでなったことがある。
当時、まだ成人したばかりのカリソン第一王子と、幼い王子・王女を残し、十二代国王が崩御。
この機に乗ぜよと、隣国三ヶ国が互いに同盟を組んで襲い掛かってきたのだ。
若いを通り越し、幼いとまで表現された第一王子では、国内が上手く纏まる訳もなく、また、当時の大貴族であり公爵位を持っていた十二代国王の弟。王子からすれば叔父に当たる人物までが外国と手を結んで謀反。
国家の重鎮まで敵方に付いた上での、三方からの侵攻。何度か迎撃を試みるも全て失敗に終わり、王都のすぐ近くまで敵軍勢が襲い掛かってきた。
敵軍総数二万を超える大軍勢を、王都近郊の平原で迎え撃つことになったのだが、その時の王軍総数は千にも満たなかったという。
この時、騎士爵家の従士として王軍側に居たのが、カセロール=ベニエ。当時十九歳の貴族号も持たない若者。
敵軍が夜に寝静まった頃合いを見計らって、夜襲を単独で敢行。事前の超遠方からの観測を基に将軍宿舎のみを襲い、大将首に加えて将軍首を四つという大手柄をたてる。
いきなり上級指揮官の大半を失った敵軍は混乱。それを見逃さずに急襲を掛けたカリソン王子の決断は、今でも英雄譚で語られる武勇伝である。
更に驚くべきは、敵方に付いていた筈の自国貴族を王子はその場で吸収し、逆侵攻を敢行。
襲撃した側も、主力が留守の上に突然の反攻に対処も出来ず、結局襲ってきた三ヶ国とは、やや神王国有利な条件で講和となった。
かくして敵の侵略を退けた王子は神王国の王位に就いて戴冠。
誰もが認める功労者であったカセロール=ベニエに対して、騎士爵位の貴族位と、敵から講和で奪ったモルテールン地方を領地として与えた。
山脈と山脈の間の、盆地のような土地であり、山脈を国境線として講和した為に領有権は曖昧であるが、だからこそ戦争での英雄を配することで、これ以上ないほどの抑止効果を持たせる意味があった。
しかし、このモルテールン領はとかく土地が貧しい。
ある意味でここを治めろと言われたのは懲罰とも取られかねないわけで、それを良しとしない王は、戦後の空っぽの金庫を絞る様にして大金を与える。
プラウリッヒ金貨にして千枚という大金であり、一般の戦後報奨金が子爵でも金貨二十枚であったことを鑑みれば破格である。
この報奨金を元手に、モルテールン領の開発は始まった。
石くれを根気よく除き、岩の如く固まった地面を掘り返し、収穫の見込めない最初の数年は全て報奨金からの持ち出し。苦労の連続であったであろうことは、誰の目にも明らかだった。
何年か後に、モルテールン領の経営が軌道に乗り始めた、との報告を聞いた国王は、ことのほか喜んだと言う。
しかし、如何に大金といえども、使えば減るという原則は変わらない。
世の中では回り持ちの金であっても、手元から出て行けば無いのと同じ。
世間とは、かくも世知辛く出来ている。
とりわけ、戦争などをやった時には出て行くものは極めて大きい。敵から回収できるものがあればよいが、そうでなければ出ていく一方である。
現状、モルテールン領の金庫は季節よりも一足早く冬の様相を呈していた。
「金が無い」
「大将、それはさっきから言ってる事です。それをどうしようかって話し合いでしょう」
モルテールン領の中で、最も大きな村はザースデン。領内の人間は本村と呼ぶ村であり、現状の人口はおよそ130人強。西の村と呼ばれているコッヒェンの村と、東の村と呼ばれているキルヒェンの人口を丸抱えしているからだ。
本村そのものの人口は、およそ50人強。人数が曖昧なのは、戸籍管理がザルであるためだ。徴税単位が家毎なので、各家に何人居るかというのが非常に流動的なのだ。これはどこの領地でも同じで、モルテールン領はまだ戸籍管理がしっかりしている方だ。
その本村で最も大きい屋敷、と言えるのが、モルテールン領主館。
カセロールやペイスが住む家であり、実はシイツの部屋もこの館に一室設けてある。部屋数だけは無駄に余っている為だ。
そんな館に、領内では珍しく、ソファが設置されている部屋がある。
俗に執務室と言われている部屋であり、騎士領内の面倒事は、大抵がこの部屋の中で話し合われる。
現在、この部屋に居るのは三人。
領主たるカセロール、領主補佐の腹心である従士長のシイツ、そして次期領主となるペイストリーの三人。
世間一般で比較したとしても、彼ら三人は賢い部類の人間に入る。
文字の読み書きと算術の加減算でも出来れば博識とされる世間にあって、彼らは軍学から経済論まで議論できる。
三人寄れば文殊の知恵とも言う。領内外には日々問題事が発生している訳だが、三人が議論を深めれば、大抵の問題は解決の糸口程度は掴めるもの。
少なくとも今まではそうだった。
だが、今回の問題は解決の糸口すら見つからずにいた。
すなわち、賊襲撃に伴う支出の捻出、という問題である。
とりわけ今回は、二つの村を閉鎖している。
埋めた井戸を掘り返すのにも人手と手間と金が要るし、潰した家を建て直すのにも費用と時間が掛かる。領内に木材資源が乏しい為、外から輸入しなければならないこともコストプッシュ要因だ。
畑が無事だった本村はともかく、他の東西二村の住民には冬を越す食料を用意してやらねばならないし、改めて畑の補修もせねばならない。
金が幾らあっても足りないとは、今のような状況を指す。
「返す返すも、賊の頭目を逃がしてしまったのが痛い」
「それを言っても始まらんが、確かに捕まえていれば話は違っていたな」
他領の領主や外国が相手の戦争であれば、講和時に賠償金を取ったり、捕まえた騎士や貴族の身代金等で戦費を捻出できたりすることは多い。戦争は、勝てば儲かる。
費用対効果が抜群の魔法使いなら、それだけでひと財産の稼ぎになることも珍しくない。
だが、今回は盗賊との争いであった為に、その手は使えない。
盗賊退治の場合、戦費の回収方法は大きく三つある。
盗品回収、懸賞金、治安回復効果の波及だ。
盗品の回収は、素人目にも分かりやすい戦利品だろう。
盗賊が溜めこんでいる財宝であったり、身に着けている鎧兜であったり、集めた馬やロバ等の家畜であったり、奴隷に堕ちる賊の販売金あったりという、即物的な金品を手に入れるわけだ。
ペイスなどが知っている現代日本のおとぎ話でも類例に事欠かない。
桃太郎が鬼が島から分捕りものを持ち帰っていたり、アラビアンナイトに出てくる四十人の盗賊が、開けゴマの合言葉と共に金銀財宝を隠していたりといった話だ。
これは短期的かつ即効性のある経済効果と言える。
しかし今回の賊は、一度伯爵領で放逐された上での迎撃である。
仮に盗賊どもが財宝をしこたま溜めこんでいたであろうと仮定した所で、その財宝は伯爵領に隠してあったはずである。大半の財産は、すでに伯爵の懐に入っている。
逃げ出した賊共は、大した財産を持っていたわけでも無く、鎧やら剣やらは、即褒賞として下賜されてしまっている。
懸賞金というのは、賊の首に懸かる賞金のことである。
盗賊に家族や友人を殺された人間が懸けたり、被害に遭っている村人や町民が領主を頼らずに対策しようとしたり、或いは諸事情から手が回らない領主がコストを掛けてでも何とかしようと考えたりした場合に懸けられる。
この世界などでは、これを稼ぎの柱として生計をたてる連中が居たりもする。賞金稼ぎと呼ばれる傭兵の一種で、少人数の集団でこれらの賞金を稼いで回る。その大半は腕利きであり、魔法使いであることも多いと言われる。
今回の賊に関しても、サルグレット男爵とブールバック男爵の跡目からは、仇討ちの意味もあって高額の懸賞金が掛けられている。
首検め等の手続きに長ければ半年近くの時間が掛かるため、即効性という面は乏しいが、短中期的にまとまった額が手に入るとなれば、馬鹿に出来ない経済効果がある。
だが、先だって頭目を逃がしてしまったのが痛恨事だ。
懸賞金などは首領の首に懸かる場合がほとんどで、今回捕まえた賊の身柄などでは精々がまとめて銀貨一枚になるかどうか。
もし逃がさずに居られたならば、レーテシュ金貨200枚ぐらいは期待できた。プラウ金貨でも100は期待できたはずであり、逃がした魚はとびっきりにでかかったわけだ。
治安の回復、というのは長期的視点からの経済効果になる。
盗賊が荒らしまわっていた被害が無くなるというのは、治安と言う面でもかなりの効果が見込める。必然、安心安全な領地に一歩近づく。
治安の安定した領地であれば、農民は安心して畑を耕せるし、商人は心置きなく商売に邁進できる。
落ち着いた環境というのは、人が増える要因。人が増えれば人手も増える。人手が増えれば、領内の生産力は増大する。
結果、その領地はより豊かになっていくだろう。
しかし、今現在モルテールン領が直面しているのは、将来貧しくなる危険では無い。
今、手元に金が無い、という問題である。
将来たらふく食える事よりも、目の前に芋の一つでもある方が嬉しい状況なのである。
何を置いても先立つものがなければ、早晩モルテールン家とその領民は揃って干上がってしまう。
「借金をするわけにはいかないか?」
「貸し手が居ないのが問題だな。ここら辺の近領は、軒並み冷害に苦しんだ。余裕のある領地など無いし、隣などは賊に手酷くやられてうちにまで借金の申し込みをしてきたぐらいだ。とても借りられん。遠方の貴族となればツテが無い」
「王都の宮廷貴族共に借りに行くというのは?」
「あいつらこそ金に汚い連中だ。借りた金貨一枚に百枚の利息が付くぞ。今は何とかなったとしても、いずれ破綻する。悪手だな」
宮廷貴族とは、王家から役職に任じられている貴族を指す。一応は領地も持ってはいるが、所領として私有を認められている領地貴族と違い、その大半が王家所有地や王領の代官職に付随する領地である。
収入の大半が所有地からの税収入である領地貴族に対し、宮廷貴族は預かる領地からの収入は無い。代わりに役職に応じた給金が支給されるが、その額はとても領地貴族には及ばない。
中には大領を持つ領地貴族が役職を兼任することもあるが、総じて金に汚いとされている。
元々は領地貴族で領地を継げない子弟の有効活用という意味があったのだが、世襲を重ねるうちに利権化し、中には公然と売買されることもあった。
「母様のご実家や、父様のご実家にお力をお借りするわけにはいかないのですか?」
「私らは、既にどちらの実家とも縁を切っているからなあ」
カセロールの実家はベニエ騎士爵家。王都からはそれなりの距離があるが、小さな領地を預かる、由緒正しい貴族家である。
先代の。つまりはペイストリーの祖父が存命であった時であれば、力を貸してくれたであろうことは疑いようが無い。カセロールは戦功を挙げ、名を馳せた自慢の息子である。事実、モルテールン領開拓初期には、有形無形の援助をしてくれた。
だが、先代も亡くなり、代が代わってから後が酷かった。
カセロールからすれば腹違いの兄。ペイスからすれば伯父にあたる当代ベニエ騎士領主は、援助であったはずの支援を、法外な利息を付けた上で返すように通告してきたのだ。
結局は貰った分のみを返すことで決着が付いたのだが、そこに至るまでのすったもんだは、縁切りを決断するのに十分すぎるものであった。
金を貸せと言いに行ったところで、聞く耳など持っていないだろう。
ペイストリーの母アニエスの実家とも、既に縁を切って長い。
貧乏を通り越して不毛な領地に娘を嫁がせたい親は居らず、カセロールとの結婚には猛反対された。
駆け落ち同然に結婚したものであるから、アニエスの実家とは疎遠になって十五年以上経つ。孫の顔すら碌に見せていないのに、今更カセロール達が顔を見せた所で、内容が金の無心であれば追い払われるのが関の山であろう。
「とりあえずは、伝手からの借財に、賊の身ぐるみと身柄を売り払うことで糊口は凌げますが……」
「出来るだけ早めに、金策を見つけねばならない、か。まあ、あまり考えすぎても始まらん。一度頭を冷やせば良い方策を思いつくかもしれんし、今日はこのぐらいにしておこう。ペイスはもう下がって良い」
「はい父様。それでは失礼します」
結局、有効な金策も思いつかないまま、議題は次の話に移っていった。
◇◇◇◇◇
ペイストリーが小さい時から続けている日課が二つある。
一つは当然ながら菓子の研究とその実践。
もう一つは、剣術の稽古である。
命のやり取りが現代日本よりも身近にある世界において、身を守る術を持たない者はかなり弱い立場に立たされる。
現代でも視力の弱い人間が、眼鏡やコンタクトと言った不便を甘受せねばならないのと同じで、この世界で自衛手段を持たない者は、護衛か、或いは引きこもる不便を甘受せねばならない。
経済的な負担を始め、行動の制約は大きい。
それ故、剣を鍛えることは、自由な行動には必須の条件であり、ペイスもまた日課にしている。
だが、まだまだ体が成長途上の七歳児。
剣を振る事よりも、まず先にしなければならないのが基礎体力作り。
その一環として、次期領主の少年が好んでいるのがランニングだ。
本村の周りを、自分のペースで一時間ほど走る。
「若様ぁ、今日もご精が出ますね」
「御婆ちゃんも、腰を痛めないようにね」
「何の、まだまだ若いのには負けませんよ。へぇっへぇっへ」
今日の彼のコースは、西から時計回りに走るルート。選んだ理由は、視察の意味もあるからだ。
途中、何度となく声を掛けられるのは、少年がそれだけ頻繁に顔を見せているという事でもあるし、慕われている証でもある。
走り出してまず見えてくるのが、広大な畑。見渡す限り、と言えるほどに広々としている。
村の周囲にある畑は、大きく三つの区分別けが成されており、その内の一つ。
今は豆を刈り取った後の寒々とした光景が広がっていた。
モルテールン領は、昔はこの時期であれば土地を休ませるか、秋麦を撒いていた。
土地を春小麦、休閑地、秋麦、休閑地、と繰り返す、他領と比べるといささか非効率なローテーションで回していたのだ。
偏に雨が少なく、土地が痩せ気味であった為ではあるが、ペイスが色々と試してみた結果、今では春に大麦や燕麦、秋に豆、休閑地に稗やエノコログサを撒いて鶏等の家畜を飼う、というローテーションになっている。
一昔前に比べて食料の生産量は二倍弱になっているのだから、ペイスの目指す豊かでお菓子作りに専念できる環境づくりは着々と進行中と言える。
豆を育てるようになったのは、土地を肥えさせる為である。大豆に似た豆を育てているが、下手に痩せた土地で麦を育てるよりも、遥かに収穫倍率が良い。寒さに強い分暑さには弱いが、冬麦の代替としては役に立つ。
何より、この豆は低木に分類されるものであり、精々が親指ほどの太さとはいえ、麦とは違って収穫後は薪になる。
森林資源が乏しい領地にあって、貴重な燃料として生活に役立つようになってきた。
食料の増産と、薪の輸入問題を解決した豆作の導入は、モルテールン領の収支改善に大きく役に立った。
ペイスは、豆畑を走りながら、何か良い金儲けのアイデアは無いものか、と考える。
薪の代金を浮かせる豆作のアイデアも、こうして走っている時に思いついた。
それ故、淡い期待を込めて考えながら走っている。
しかし、世の中そうそう甘いものでは無い。
そう簡単に金儲けのアイデアが思いつくのであれば、今頃モルテールン領は大金持ちの集団になっているはずだ。
「お~い、ペイス~」
何も思いつかないまま一時間弱ほど。
ランニング中のペイスを呼び止める声がした。
「マルク、頑張っているみたいですね」
先日の落ち込みから立ち直ったマルクは、ペイスから改めて剣を貰った。
いつか従士になって役に立てるようにと、熱心に剣を練習する様になっている。
今日も今日とて、一生懸命に剣を練習していたらしい。
走ってきた少年と同じぐらいの汗を、呼び止めた少年も額に浮かべている。それが何よりも熱意を表している。
「今日はお嫁さんの方は居ないんですね」
「俺とルミはまだそんなんじゃねえ!!」
「誰もルミの事だとは言っていませんよ。ふっふっふ」
「ぐわ~性格悪ぃ」
「生まれる前からこの性格ですからね」
先日の一件以来、いつも一緒に居た悪ガキーズはバラバラに行動することが増えた。
無論、揃えば仲良く悪戯っ子の面目躍如の働きをするのだが、頻度は目に見えて減ってきている。
ペイスは、友人達の成長を嬉しく思う反面、著しい成長を見せる二人に嫉妬も覚える。苦難を乗り越え、一皮剥けたと表現するべきなのだろう。
「お前も走り込みは終わりだろ? 村の様子はどうよ。何もないよな?」
「ええまあ、豆木の刈込も進んでいるようでしたし、本村には問題なさそうですね」
友人ともなれば、走り込みの日課については承知しているらしい。
ランニングコースまで分かっているのは、流石である。
友達の気楽な問いに、ペイスも軽めに聞こえるよう気遣って答えた。
マルクはペイスよりも年上とはいえ、まだ十歳そこそこ。
実は金策で困っています、などとは言えるわけもないのだ。
本村には、という曖昧な答えになったのは、その表れといえる。
「じゃあ手は空いているよな。ちょっと相手してくれよ」
マルクが最近特に剣術に熱心なのは周知の事。
従士の地位を継ぐと公言しているので、周りの大人もそれを応援していた。
いざ戦争となれば主要戦力となる従士の立場。剣が使えて得になりこそすれ、損になりはしない。
本来は父である従士のコアントローから教わるのだが、今現在彼は閉鎖した村の復興作業の陣頭指揮を任されている為、隣村に出張中だ。従士の肩書があるものは領内に三人しか居ないとはいえ、正式な従士である以上、こういう時にはとにかく忙しい。マルクが一人で素振りをしていたのはそれが理由でもある。
素振りだけでは飽きが出てくるのは、子供であれば当たり前のこと。丁度良い相手が来れば、手合せでもしようじゃないかと誘うのは無理もないことだ。
「良いですよ。ちょっとだけならですけど」
「よし、そいじゃあそれ使えよ」
ペイスが目線を移せば、そこには手作りの木剣。
細い板切れのようなものに、持ち手の所だけを削るようにして作った練習用の剣だ。領内ではやや貴重品でもある。
ペイスがカセロールから剣を習うときは刃のある真剣を使い、稽古をしている。
これは、ペイスの技量が十分実戦に使えるレベルであるのも理由の一つではあるが、カセロールの教育方針も理由の一つである。真剣を使った技量は真剣をもって初めて学べる、と考えるスパルタ教育を行っているのだ。
剣道を真剣で教えるようなものであり、指導する側が卓越した技量を持っていなければ、練習で死にかねない荒行。掠るだけでも怪我をするわけで、特訓の名前は伊達ではない。
そんな虐待に近い修行をする親は例外中の例外であり、普通は、子供のうちは大怪我をしないように気遣った練習から始める。
木剣や、刃引きをした剣を振るうのも、その練習の一環だ。
「っすりゃ!!」
ペイスが剣を手にしようと身を屈めた瞬間。
いきなりマルクが剣を振り下ろす。
清々しいほどに不意を突いた奇襲である。
これは、マルクの父コアントローの教育方針。
騎士の家系であるペイスは、騎士として王道の正統派剣術を習っているが、マルクは違う。
より実戦派というべき剣術。というより、剣も使う総合戦闘術、と呼べるものを叩きこまれているのだ。
従士として幾多の戦場へ参戦したコアントロー。それによって磨かれた、戦場の為の剣である。
その教えの一つ。
常在戦場。不意打ちは、される方が悪い、というものがあった。
不意打ちが汚いだのなんだの言ったところで、されてしまって殺されてからでは文句も言えない。
どうすれば不意打ちを狙えるか。それをしっかり自分でも考えれば、逆に相手がしてきそうな不意打ちも分かってくる。故に、練習であれば不意打ちだろうがなんだろうが、一本入れた者勝ち、というのがこの場における手合せのルール。
「甘いですよっ」
カン、と剣の当たる音。
ペイスの手元にあったのは、短い豆の木だった。
軽くマルクの木剣を受け流し、改めて木剣を拾った銀髪の少年。
その顔には、軽く笑みが浮かんでいた。
「っち、汚えぞ、剣以外を使うなんて」
「不意打ちしてきたマルクに言われたくありませんよねぇ」
不意打ちだろうが、目つぶしだろうが、金的だろうが、闇討ちだろうが何でもアリの組手。
この取っ組み合いは、ペイスにとっても新鮮で、かつ勉強になるものであり、好んでいる。
正統な剣術の試合では、ペイスの方に一日の長がある。
事実、面と向かって礼から始まる剣術の試合では、ペイスはマルクに負けたことが無い。
しかし、この手の実戦手合いは、一本取られたことが両手で足りないほどある。
小さい子を利用した罠、砂を握りこんでの打ち合いと目つぶし、暗器のようなものまで利用したことがあった。
根っからの悪戯坊主の悪餓鬼であるマルクは、発想がとても柔軟であり、何かしでかす度に驚かされるのはペイスの方だ。してやられたと思ったことも多い。
ある意味でマルクも天才と言える。方向性が悪戯に向いているのがとことん惜しいが、思考の柔軟性と発想の面白さは天性のものだ。
「いくぜっ」
幼いながらも雄々しい気合と共に、真っ直ぐに突っ込むマルク。
そこには工夫も技術もない愚直さのみ。
不意打ちをした後での、考えなしの吶喊。これに違和感を持たない人間はいない。
何か企んでいる。
そうペイスが考えるのも当たり前と言えば当たり前。
マルクは、何度か突きを払われながら、尚も執拗に真っ直ぐな突きと突進を繰り返す。
四度目、或いは五度目だったか。くり返しの単調作業で、もう一度また剣が払われた。その瞬間。
「なっ、剣が」
「勝機だぜ!!」
ペイスの手に持っていた木剣。それが持ち手の根元から折れた。
払おうとしていた矢先にそれである。体勢は見事に崩れている。
恐らく、木剣に仕込がしてあったに違いない。
が、それを卑怯だと罵った所で始まらない。
戦場では、剣が折れるなどよくあること。手元から剣が離れた際、落ちている剣を拾って使うなどごく当たり前の行動であり、その剣が折れたところで敵が待ってくれるはずもないのだ。
ここが勝負どころだったのだろう。
マルカルロはさっきまでよりも一段強い踏込みの後、捨て身の突っ込みを敢行する。
渾身の一撃。どうあってもペイスに避ける手段は無く、受ける術は無い。そうマルクが確信したのは正しい。
明らかに崩れた体勢。手元には折れた武器。それで体重を乗せた突きを避けられるわけがない。
だが、ペイスが咄嗟に取った行動は期待を裏切った。
「【転写】!!」
ペイスが魔法を使った。その須臾、マルクの剣が根元から折れる。
軽く流されるままに、あさっての方向に飛んでいく剣先。くるくると回りながら飛んでいくそれを横目に、マルクは手元を見る。
残されていたのは、握っていた柄だけだった。渾身の突きは、見事に躱されてしまった。
呆然としたマルクに、ペイスが声を掛ける。
「傷の転写が武器にも使えると分かったのは、良い感じですね」
「やっぱり、魔法を使うのはずるくないか?」
「戦場では、何があるか分からないものですよ」
「ちぇ、今日は一本取れると思ったんだけどな」
「良い線でしたが、引き分けですね」
一応は剣術の勝負ということになっている。なので、最後は必ず剣で相手を攻撃しなくてはならないのが二人のルール。
木剣がお互いに折れてしまった以上、今日の所は引き分けにせざるを得ない。
「マルクも強くなりました。特に最後の突きは見事です」
「だろ、俺もさ、相当に筋が良いってこないだお館様に褒められたんだぜ」
「父様に?」
「ああ、父ちゃんの代わりにちょっと見てやるって言われて、剣を見て貰った。見てろよ、いつかお前から、正々堂々一本とってやる」
「期待していますよ。っと?」
やや離れた場所から、ペイストリーとマルカルロを呼ぶ声がする。
遠くからでも良く通る声だが、声変わりとは縁遠いその声を、二人が聞き間違えることは無い。
「ペイス~、マルク~、二人して何してるんだよ~」
「ルミ、走ったりして、傷はもう大丈夫なのですか?」
駆け寄って来たのは、一人の少女。
服装から、髪型から、言葉づかいから、日頃のイタズラまで。何処からどう見ても男の子ではあるが、顔立ちそのものはれっきとした女の子のルミニート。
将来は美人になると、もっぱらの噂である。
「もう動いても良いって爺ちゃんも言ってたから遊びに出てきた」
「そうですか。それは何よ……っ」
何よりです、と言いかけたペイスの目線に、映ったのは剣だった。
報奨で貰った剣のはずで、それを持っている事自体はおかしくない。が、その柄に手をさりげなくかけている様子が不自然。
いや、そんな理屈よりも先に、第六感が警鐘を鳴らした。
「ペイス、避けろ!!」
マルクの悲痛な叫び声。
その声と、少女が抜刀するタイミングは、驚くほどに揃っていた。
「ぐはっ」
そしてペイスは、意識を失った。