129話 姉
「ねえ父様、飼っても良いでしょう?」
「駄目だ」
「ちゃんとお世話もするし、躾もするからぁ」
「不許可だ。人を恐れない熊など、危険極まりない。猛獣を飼うなど論外のことだ」
娘の可愛い(?)おねだり。
カセロールとしては許可してやりたいという欲求も多少は有るのだが、それでもペイスから人に慣れた猛獣が成長した時に起こす害をレクチャーされているので、首を縦に振ることは無い。
親馬鹿でも領主なのだ。うるうるとした目の娘におろおろとした態度になっていても、守るべき一線は守る意思が感じられる。
この手でいつもおねだりを通してきたジョゼは、今回ばかりはいつもと様子が違うと察した。
「う~……ペイスからも何とか言ってよ」
「僕も父様と同意見です。我が家は熊を育てるメリットがありません。育った猛獣が、まかり間違って領民や我が家の人間を襲う可能性を考えるなら、デメリットしかない」
「メリットなら有るわよ!! こんなに可愛いのに」
「愛玩動物を飼いたいなら、他に幾らでも候補は有るでしょう。この間生まれたばかりの子ヤギなんてどうです?」
「そんなありきたりな動物じゃ、自慢できないじゃない!!」
「自慢する為に危険をしょい込むのは、姉様とも思えない短慮愚考ですよ」
口で言い負かせるほどペイスはぬるくないので、ジョゼと言えども劣勢である。
「折角名前まで考えたのに」
「捨てる熊に名前を付けてどうするんですか」
今、渦中の熊は屋敷の裏手に繋がれている。
領境から他領に放流するか、いっそ絞めて毛皮にしてしまう予定。
それに強硬な待ったを掛けているのがジョゼだ。
どうしても飼いたいと、粘りに粘っている。
そしてジョゼもモルテールン家の子。朱に交われば赤くなり、モルテールンに交われば腹が黒くなる。
身内の弱点などは、遠慮なく利用するのも道理。
「じゃあ、代わりにペイスをペットにしても良いの? 毎日一緒に寝て、体も洗ってあげるわ。御着替えもさせてあげる」
「……父様、飼っても良いのではないでしょうか」
「こらこら。洒落にならんことをするな」
姉の非常識な手に、屈しそうになるペイスだったが、カセロールは苦笑いでそれを受け流す。
熊を生贄に自分の身を守ろうとする程度には要領が良い息子である。
「冗談はさておいて父様、飼うのはやはり問題が多いと思います」
「私もそう思う。この家の主として、熊を飼うのは却下する。これは最終決定だ」
家長の決めたことに、家人は従わなければならない。反するならば、家を追い出されることを甘受すべき。
これが神王国の常識である。
カセロールがこうと決めたからには、幾らわがまま娘でも覆すことは出来ない。不満たらたらで、全身で不機嫌オーラを醸し出す程度の抵抗しかできない。
しかし、忘れてはならないのはカセロールの性質である。人に大笑いされるほどの親馬鹿の親父なのだ。可愛い末娘の悲しそうな顔などは、心にクルものがある。
「……うちでは無理だが、飼ってくれる家を探すぐらいは出来るかもしれんな」
「え!?」
父親の妥協に、娘は一縷の希望を見出す。
「我が家には無用の長物だが、飼う利点を見出す家もあるだろう。例えば武威を示す必要がある家ならば、猛獣を飼いならすというのは分かりやすい威だ」
モルテールン家で言うならば、カセロールの英雄像のようなもの。あの家は凄いというのを、客観的にアピールできる宣伝効果が、時には必要になる。
例えば企業が技術力をアピールするとき、ノーベル賞受賞者の科学者でも居れば、その会社の研究開発の凄さが素人でも分かりやすい。それが無いなら、二足歩行ロボットか完全自動運転車でも作ればアピールにはなる。うちの会社はこんな凄いことをしてるんです、という分かりやすいアピール。カセロールが威と言うのは、凄い、と他人から思って貰える力のこと。
この手の無形のイメージというのは、企業ならば採用活動や営業活動で有利になるように、貴族家としてはありとあらゆる面で有利に働く。
軍事力ならノーベル賞受賞者より英雄が分かりやすく、ロボットよりは飼いならした猛獣だ。猛獣を飼いならして傍に侍らせる。何とも凄く強そうなイメージではないか。
先の通りモルテールン家にはカセロールが居るから不要だが、英雄の居ない家には分かりやすいアピールを必要とする場合もあるだろう。
「父様、それはそうかもしれませんが、熊が大きくなった時に危険でしょう。他所に押し付ける形になります」
「我々がやろうとしていたように、大きくなったところで野に放すだろう。そうだな、国境沿いの壁に使うというのはどうだ。境の森にでも放逐すれば、熊の居る森ということである意味不可侵の非武装領域を作れる」
「……ハースキヴィ家ですね」
「ペイスは察しが良いな」
今現在、他家に対する威圧としての武威を至急に欲しているのは、領地替えしたばかりで他国貴族と接するようになった、陞爵したばかりで舐められやすい家。
それも、当主が若ければ尚更。
「ビビ姉様のところ? 領地替えがあったのよね?」
「そうだ。国境を守る領地に変わったのだ。今でこそ手ひどく叩いた影響でサイリ王国も大人しいが、いずれ領地を取り返そうと蠢動するに決まっている。ハースキヴィ家としても、使える手札は多い方が良かろう。猛獣というのは人を襲うから危険なわけだが、敵に対してなら使い様もある。餌代程度なら援助も構わない」
「姉様のところで飼うなら、私も偶にはくーちゃんに会いに行っても良いのよね!!」
「くーちゃん?」
「あの子の名前。可愛いでしょ?」
「姉様のネーミングセンスが良く分かる名前ですね」
結局、カセロールの思い付き的な妥協の産物で、モルテールン家では飼わないものの、親戚の家に預けるという案が可決した。ジョゼも会いに行けるという点で双方の妥協が成立。
そして今回の交渉担当は、何故かペイスである。
「頼んだぞ」
「……分かりました」
無茶振りはモルテールン家の家風である。
早速次の日。
ジョゼの期待を背負い、一度フバーレク領を経由して、新ハースキヴィ領を訪れるペイス。
お供に居るのは、新人の若手二人。ハースキヴィ家出身のコローナと、手の空いていたバッチレー。
どちらも良い家柄出身なので、まだまだ礼儀作法の勉強が不十分な幾人かに比べると、まだ安心して連れ出せるというもの。ジョームやビオのように村の平民階級の出身者は、能力的な部分はともかく、礼儀作法や貴族的常識に疎い。貴族にもため口でしゃべりかねない怖さがあった。
その点、貴族家出身のコローナや、従士家出身のバッチレーは少なくとも粗相をしない程度の貴族的常識を持ち合わせている。
そんな御供を従えて入った新ハースキヴィ領は、緑豊かな土地だった。
大きな森が幾つも点在するような領地で、旧ルトルート領の時代は殆ど手付かずの未開地だった場所なのだそうだ。
元々森沿いに領地があり、森林警護は得意だろうという理由からハースキヴィ家に任された土地。
「いい景色ですね」
バッチの言葉に、ペイスも頷く。
「土地が豊かであるのは羨ましいです。この分だと降水量も問題ないでしょうし、農業には向いているようです。うちとは大違い」
「当家も農業生産は上向いているではないですか」
「水を全て貯水池で賄うのも限界がある。いずれ頭打ちにはなるでしょう。東部側を重点農業地域、本土を工業地域として分業体制を作るのが良いかもしれないと考えてます」
「へえ」
バッチはどちらかといえば内務に適性があったようで、農政担当兼家畜番のスラヴォミールの下について仕事を学び始めたところ。
興味の方向性も農政に偏っているのは、経験がそこに偏っているせいだろう。
ペイスも将来の若手を育てる為に、これからの施政方針を語って聞かせる。
旧リプタウアー領。これは現在ではモルテールン領に編入されていて、家中では東部地域と呼称している。山脈を越えれば環境も変わるもので、ここは旧モルテールン領に比べると降雨量にも恵まれているし、川も流れているので農業は比較的行いやすい。
そこで、この地域全体を一つの街。行政区域とみなして大規模な直営農場を開墾してモルテールン家の食料庫とし、旧モルテールン領の本土は製糖、酒造、製菓を始めとする商工業主体の街づくりを行うようにしてはどうかとの意見が出ているのだ。主にペイスから。
領地内分業の試み。上手くいくかどうかは現在影響を調査中である。
「攻めにくそうな土地ですね。守りやすいとも言えますが」
「領の境に砦を築きたいと考えているそうですが、維持を考えると大変だと家中でも揉めているらしいです。今までと違って外敵にも対処する分、軍事負担は相当に増えたようですね。守りやすい土地でもなければ、早々に破たんしかねない」
「はあ」
「軍事力を支えるのは経済力です。コロちゃんは、軍事的な視点だけでなく、経済的な目線も持つよう学んでください。コアンはその点したたかですよ?」
コローナは軍家出身の軍人だけに、見る目線が軍事にひどく偏っている。上司であるコアントローはシイツと同じように元傭兵で、割と思考も融通が利いて柔軟な所があるのだが、コローナにそれを求めるのも難しい。金が無くて侘しい思いをした経験などは無い方が良いのだが、それはそれで経済的な視点を持つという意味では貴重な経験でもあるのだ。シイツやコアンにはそれがある。しかし、だからといってわざと貧乏になれとも言えない。
目の保養になりそうな新緑も、彼女の目から見れば火計を仕掛け難い土地で、隠れられると攻めづらい土地、として映る。
こういう堅苦しい考え方を柔らかくしてほしいとモルテールン家に預けられたのだから、これからまだまだ要勉強である。
新ハースキヴィ領の領都、アンドルトン。
旧ハースキヴィ領からの移住者を集めた村で、人口はざっと六十人程。半数以上がハースキヴィ家の親族や身内なので、ペイス達が村に入った途端、ペイスやコローナの顔に見覚えのある連中が騒ぎだす。
「コローナ久しぶり」
「よく来た!! 表情が堅いぞ、もっと笑顔だ」
数メートル置きぐらいで、親し気に声を掛けられる。何せ婚約者をぶちのめした悪名も含めて、コローナはハースキヴィ家の有名人。
むしろペイスがおまけ扱いという、ある意味珍しい光景が見られた。
空気扱いのバッチは、その様子に新鮮な気持ちを抱いて、思ったことを素直に口にする。
「コロちゃん大人気だ。すごいね」
「やかましいぞバッチ。コロちゃんと呼ぶな」
あからさまに嫌そうな顔をしたコローナを、ペイスが笑った。
「今更ですね。コロちゃんの愛称は当家では既に市民権を得た。なにせ父様公認ですよ?」
「ペイストリー様、せめて、せめてハースキヴィ家の中だけはその呼び名を収めて頂けないでしょうか」
「コロちゃんがもっと気楽な態度を取れるなら、構いませんよ?」
「はっ、可能な限り善処いたします」
「……無理っぽいですね」
やがてその騒動が伝わったのか、村の中ほどにあるお屋敷から見慣れた顔が出迎えに出てきた。
「ペイストリー殿、よく来てくれた。歓迎しよう。わざわざ訪ねてきてくれて嬉しいよ」
「義兄上もお変わりなく。急な来訪になり、ご迷惑をお掛けします」
両手を大きく広げ、屋敷の前の玄関口でペイスを迎えるのは、ハースキヴィ家当主ハンス。
その後ろには護衛なのか、何度かペイスも見たことがある従士らしき人物が数名立っていた。
幾ら親族とはいえ、他家の人間が来るなら護衛の一つもしておかねば万が一があるということ。正しい対応だ。
モルテールン家の場合は護衛される人間が一番強いという理不尽だったので、あまりその手の風習が根付いていないのだが。しかも二代続けて。
「何の、モルテールン家の人間ならばいつだって大歓迎だよ。コローナも元気そうだね」
「はい、お久しぶりです」
血の繋がった関係で、コローナとハンスは雰囲気が似ている。
背が平均より高いというのもそうだし、身内でも一定の距離感で接するところも良く似ていた。
なによりの共通点を挙げるならば、二人とも全く同じ位置に同じような剣ダコが出来ていることだろう。何をかいわんや。
「こんなところで立ち話も失礼だろうから、中へどうぞ」
「じゃあ、お邪魔します」
ペイス達が屋敷に入ると、まだ真新しい匂いがした。
聞けば完成して間が無いらしく、モルテールン家は新築して二番目のお客なのだそうだ。
「一番目は何方だったんですか?」
「それは今は言えないな。だが、ペイストリー殿も知っている人だ」
「ほう」
ハースキヴィ家もいっぱしの貴族。訪れる客というのが内密に話をしたいというケースも多々あるので、客について秘密にする場合は聞き出すのにもテクニックが要る。例えば表面上は敵対する派閥の人間が来ていた、なんて情報が得られれば、外交的には相当な成果。ハンスの口も堅いはずだ。
自分達よりも前にハースキヴィ家の新築にお邪魔した人間が誰なのか。ペイスとしては気になったが、それを聞きだす前に応接室に通される。
「まあ座ってゆっくりしてくれ。引っ越しのせいであまり良いお茶は出せないが」
「お気遣いは無用です義兄上。今日は提案があって来たのですから」
「ふむ、モルテールン家の提案ね。正直、聞かずにすむならそれが一番の平和なのだが」
「まあそうおっしゃらず。損はさせませんから」
モルテールン家は初代カセロールから含めても何かと騒がしくトラブルの多い家。それを“身をもって”理解している恐妻家のハンスとしては、わざわざ騒動に首を突っ込むより、領地替えの鎮撫に力を注ぎたいところ。
「それで、今日の用件は何だろう」
「単刀直入に言います。義兄上、ハースキヴィ家で用心棒を雇いませんか?」
「用心棒?」
「ええ。給料も要らず、衣食住の保障だけで雇えます。普通の人間よりも遥かに強く、大抵の人間なら腰を抜かして逃げ出すほどの用心棒です」
ペイスの提案に、不思議そうな顔をしたハースキヴィ準男爵。
それもそうだろう。金も掛けずに雇える凄腕の用心棒の話など、胡散臭いことこの上ない。
「それはどういう……」
詳しい話を聞こうと、ハンスが話し始めた時だった。
急に慌ただしく部屋の扉がノックされる。
何事かと訝しむ男達。
ドアを開けたところで立っていたのは二人の女性。
「ビビ姉様、それに……シビ姉様?」
ペイスの姉が二人、そこに居た。
ヴィルヴェとジョゼフィーネ以外の姉は初出かな?
上から(カッコ内はペイスの呼び方)
ヴィルヴェ(ビビ姉さま)、シルヴィエーラ(シビ姉さま)、ソイレ(ソー姉さま)、リリアナ(リリ姉さま)、ジョゼフィーネ(ジョゼ姉さま)。
その下が長男坊で末っ子のペイストリー。