125話 夏の始まり
初夏。
青上月も過ぎ、青下月にもなると新緑の季節となる。
今年は南方の諸家が幾つか東部に領地替えしたこともあってごたついていたのが、ようやく落ち着き始めた。
騒がしさが落ち着くと早速動き始めるのが政治というものであり、特に陞爵した家は外交関係に大きな変化があったことから、精力的に動く。一つ動けば、関連して三つ四つは物事が動く。婚姻政策にしても、陞爵した家は格が上がっただけに今までの婚約や見込みは破棄される。或いは新しく結ばれる。そうなると、今まで見込んでいた家はそれに対応しなければならない。一つの動きは、いくつもの家に連鎖していく。
影響の波及は、ドミノ式というよりもネズミ算に近い。一事が万事この調子だ。婚姻・通商・軍事・催事等々、ありとあらゆる事に変化があった。
こうなってくると、大人しくしておきたいところであっても、止む無く巻き込まれて動かざるを得ない。
それは、モルテールン家でも同じこと。
「新茶の試飲会?」
つい先ほど届けられた一通の招待状。送り主は良く見知った人物。
「そうだ。レーテシュ家からの招待状だ。どうする?」
「行かないわけにもいきませんが、僕が行くとまた面倒なことになるでしょうね」
「やはりそう思うか。私もそう思った。さてどうするか。私が行くのも変な話だな。若者の催しに私が出向くと笑われてしまう」
「ここは、姉様にお任せしてはどうでしょう」
先ごろ決闘騒動があったばかりではあるが、南部閥を取りまとめるレーテシュ伯家としては、モルテールン家を疎外するわけにもいかず。
一応は、両家とも友好関係にあるというのが建前なので、腹の中はどうあれ催しごとには招待しないわけにはいかないし、参加しないわけにもいかない。
問題は人選で、レーテシュ家がペイスを取り込みたがっているのは最早周知の事実であり、そんな中にペイスがノコノコと出向けば何処に落とし穴が掘られているか分かったものではない。妊娠騒動の時に知らずとタダ働きさせられていたように、油断は出来ない相手だ。
もっとも、お互いにお互いのことをそう思っているかもしれないが、対等というのはそういうことだ。お互いが裏で罵り合うぐらいでなければ、貴族家の友好関係なんてのは成り立たない。
さてその場合、出来ることなら対外的にも問題ない形で穏便に済ませたいわけだが、ペイスでは都合が悪いとなるとジョゼが出向くのが良いという結論になる。
見た目だけは美少女の参加者が増えるのだ。若い男連中が喜ぶことだろう。
「私もそれが良いと思っていた。だがなあ……」
「何か心配事が?」
「恐らく、ボンビーノ子爵も呼ばれているはずなのだ。ジョゼと会わせて良いものかどうか」
ボンビーノ子爵家は南部閥NO.2。海上交易ではレーテシュ家に次ぐ権益を持ち、陸上交易にも巨大な利権を有する大家。
そこの当主がペイスと同い年のウランタであり、彼がジョゼにご執心なのもまた明らかな事実。
モルテールン家にとっても、レーテシュ家に対抗しうる保険として、仲良くしておきたい家ではあるのだが、まだまだ娘を差し出すほどには信用しきれない。
ジョゼだけで相手をさせるのは、少し荷が重いかもしれず。カセロールも悩みどころだ。
「護衛を付けるという名目で、誰かを後ろに立たせて補佐させて、睨みを利かせますか?」
「誰が居る?」
「……コアンなんてどうです?」
「コアンか。なるほど、悪くないな」
コアントロー=ドロバは、モルテールン家でも古株。従士長のシイツに次ぐ重臣。傭兵引退後にモルテールン家に仕えるようになった生粋の武闘派であり、現在は領内の治安維持を担う。
そんじょそこらの坊ちゃんならば、ひと睨みで竦みあがるような貫禄がある。
「しかし、仕事は大丈夫なのか?」
「コロちゃんが上手くやっているようですよ」
「その呼び名はどうなんだ? 本人が嫌がるだろう」
「村の子供たちに広まっちゃいましたから。もう本人は諦めてるみたいですよ。もとより他領から来た彼女は、生真面目な性格もあるので馴染みにくいかもしれないと危惧していたところです。仕事が仕事ですし、親しみやすさをアピールするのにも良い手だからと、納得させました」
最近はコアンにも部下が一人増えた。コローナ=ミル=ハースキヴィ。彼女もまた腕に覚えのある武人で、超が付くほど真面目な性格も含めて治安維持にはうってつけの人材と言われている。最初の内は女だからと舐められていたが、喧嘩の仲裁に入った折、大の男二人を同時に相手をしながら軽く蹴散らしたことがあった。おまけにコアンと違って手加減が下手で気が短い。だからだろうが、今では怒らせるような真似をする人間はほとんど居ない。スケベなジョアンぐらいなものだ。
おかげでコアントローの負担は大分軽減され、最近はそれ相応のゆとりも出来てきた。
ここらで一つ、護衛任務を任せるのも悪くない選択肢である。
「よし、コアンに決めるか」
「それじゃあ、姉様とコアンを呼んで来ます」
「そうだな。話をしておいた方がよかろう」
今の時間ならばジョゼは絵画鑑賞のレッスンを受けている時間。鑑賞マナーのレクチャーに始まり、有名な画家の見分け方であったり、それぞれのタッチの特徴。或いは、色使いと共にインテリアとしての意味なども学ぶ。
絵からは三歩ほど離れて見るなどは常識的なマナーで、近づいてマジマジと見るようなのはお下品。絵には必ず署名があるので、それで作者を知る事。額縁を手に取るときには手袋をすること。日の当たる所に飾っては絵が痛むこと、等々。習うことはいっぱいある。
上流階級のお嬢様として、芸術にも基礎教養が必要だ、という嫁入り修行の一環。飾ってある絵をみて、何がどう素晴らしいのかを言えなければ、貴族令嬢として恥をかくわけだ。特に、芸術家のパトロンをしている家などにお邪魔するときには、この手の教養は必須。
現代日本であっても、モナリザの微笑みを見てピカソの絵だ、などと言えば無学の馬鹿と笑われるだろう。そんなことも知らないのか、と。ダビンチすら知らない人間が、高等学問を知るとは思われ難い。
馬鹿と思われれば、いざ重要な時に何か意見を言っても“どうせ馬鹿の言う事だ”と軽んじられる。算数も知らない人間が政治を語っていれば笑われるように、絵画の基礎すら知らない人間が軍事を語れば笑われる。それが貴族社会。
最低限の知識というのは学ばなければ身に付かないし、そういった教養を身につけるからこその上流階級。男爵家令嬢として育ったアニエスは、自分の学んできたことが今のモルテールン家に相応しいということで張り切って教育している。自分と同じ男爵令嬢として、相応しい淑女にするとジョゼを鍛えていた。
もっとも、退屈過ぎて死にそうというのがジョゼの言葉であり、ペイスが呼びに行けば喜んでレッスンを放り投げて執務室に来るはずである。
「父様、お呼びと聞きましたが入っても宜しいですか」
「うむ」
案の定、ペイスが呼びに行くや、母親が呆れて溜息をつくぐらいの果断即決で執務室に駆けだした。流石は神出鬼没、疾風迅雷のカセロールの娘。迷いが一切なかった。
呼びに来たペイスを置き去りにして先に行くのだから、御淑やかさなんて言葉からは真逆に有る。
部屋に入ってきた彼女は思わず見惚れるぐらいの素敵な笑顔であったが、それが嫁入り修行から逃げる口実が出来たからだということは、父親もよく知っている。
「ジョゼ、今ペイスがコアンを呼びに行っているところだ。少し待っていなさい」
「は~い」
「語尾を伸ばすな。言葉遣いは御淑やかに」
「はいはい」
言っても聞かない我儘娘に、はあ、と溜息をつくカセロール。
どうして我が家の子は、どの子も大人しさから縁遠いのかと、自嘲したからだ。年々アニエスに似て来るジョゼに、血の繋がりを感じざるを得ない。
そのうち、モルテールン家を飛び出して駆け落ちするかもしれん、と思いあたり、慌てて想像を振り切った。
「父様、コアンを連れてきました!!」
「ペイス、ノックと同時にドアを開けるなと、何度言えば分かる」
「ノックをするだけマシと思って下さい。早速話をしましょう」
「はぁ」
親の苦労を欠片も気にすることなく、ペイスは説明を始めた。
「新茶の試飲会の案内が、レーテシュ伯から来ました」
「……なるほど。ペイスが行きづらいから、私が行くのね。コアンが一緒に行くの?」
「姉様は相変わらず話が早くて助かります。ボンビーノ子爵がジョゼ姉様に近づきすぎる懸念があるので、それを防ぐ意味もあってコアンを補佐にします。名目は護衛ですが」
「ウランタが? あの子の家もうちに目を付けてるのか。レーテシュ家と両挟みね。そこら辺が気になるのかしら」
ジョゼは聡い子ではあるが、こと自分の色恋沙汰には疎いようだ。
ボンビーノ子爵家がジョゼに近づくのを、レーテシュ家に対抗する政治的思惑からだと考えた。
間違っては居ないのだが、父親と弟が懸念していることとは、少し的が外れている。
「まあそう思っていても構いません。コアン、そういう事情ですから、姉様に近づく男に警戒するように。手でも握ろうものなら抜剣を許可します。二度と姉様に近づけないぐらいに脅しつけてやれば……」
「こらこらペイス。勝手にそんな許可を出すな。コアン、出来る限り穏便に、ジョゼを補佐してほしい。もし問題が起きそうなら、私が事前に早引けする用事を言いつけていたという言い訳で、ジョゼを会場から連れ出して構わない。ジョゼが用事を思い出したと言うよりも、お前が諫める形をとった方が角が立たん」
「承知しました」
「うむ。では改めて、ジョゼの肌に触れる輩が居たら、抜剣を許可する」
息子を諫めたときの父親らしさは何だったのか。
「父様……」
「ペイスが勝手に許可を出すのがいかんのだ。私が出すなら何の問題も無い」
親馬鹿なカセロールはともかく、コアンはジョゼの性格も良く知っているので、サポートは任せてほしいと請け負った。
「準備をして、当日に備えてくれ。では下がっていい」
「早速、着ていく衣装を決めなくちゃ」
以前であれば、準男爵令嬢としての参加だった。今回は男爵令嬢としての参加だ。
服装もある程度変わるし、見窄らしい恰好はモルテールン家の沽券にかかわるとジョゼは張り切っている。
かなり強かな少女なので、これ幸いと母親の目を衣装選びに逸らせ、お勉強から逃げる手に使うつもりなのだろう。
ジョゼとコアンが出ていった後。
執務室にはまた新たな来客があった。
「カセロール様、ガラガンっす。ご相談があるんすけど、入っても良いっすか?」
「構わん」
「失礼します。って若様も居るじゃないっすか。丁度良かった」
「丁度良い?」
ガラガンがペイスを見るなりそういった。
何かにつけて面倒を起こすペイスをみてそういうのだから、十中八九厄介ごとであろう。
「まあ座れ」
「あ、立ったままで良いっす」
「そうか。それで、相談とは何だ」
「森のことです」
ニセアカシアを基本とするモルテールンの森。
水を溜めている貯水池の近くに作ったことで順調に生育が進み、今では色々と雑多な植生が生まれてきているとも報告を受けていた。そろそろ土壌も出来てきているので、広葉樹も植えようかとの話も出ている。
その森でのこととなれば、森林管理を担当するガラガンの役目なのは確かだ。
「暑くなってきて、花もぼちぼち咲き始めたんで、若様が希望されていたハチミツ作りを始めたんすよ」
「ほう、それは良い」
「ところが、やってみると結構問題が多くて」
「そうだろうな」
物事、最初から最後まで計画通りに順調に進むなどという、都合の良い話は中々ない。特に、今までやったことも無いことを手探りでやろうというのだ。問題が起きて当然と言える。
「前に、ハチクイを駆除したじゃないっすか」
「ええ。覚えてます」
「どうも、ハチクイが前より増えてるみたいで、手に負えないんす。蜂の巣箱の周りが荒らされてるみたいで、群れの二割ほどをやられた巣箱もあるらしいっす。ご老体の話を聞いて、俺も確認しましたが間違いないっすね」
「そうですか。それは確かに問題です」
蜂蜜づくりに際し、養蜂の経験のある人間を伝手を使って呼んだ。既に隠居して家業を孫の世代に任せているほどの老人だが、孫はカドレチェク家の従士に雇われている。
ひ孫が生まれるのに祝いをしてやりたいとかで、二年こっきりの契約で養蜂技術をモルテールン家の人間に教えているのだ。
必要な道具やそのメンテナンスの仕方、女王蜂の扱い方、群れの扱い方、蜂の増やし方、越冬のさせ方等々。ガラガンも一生懸命に技術を学んでいる途中。
「蜂の対処ならご老体に聞けば良いんすけど、外敵となると人手が要るんで、ご相談ってわけです」
「話は分かりました。父様、この件は僕に任せてもらって構いませんか?」
「ふむ、別に問題ない」
「なら、二十人程を動員します。どこの人間を使いますか?」
「新村でよかろう。今年の労務奉仕を終えてない家が幾つかあったはずだ。グラスが使いたがっていたから調整しておけよ。ニコロにも話は通しておけ」
「分かりました。それでは早速」
「うむ」
勤勉な息子と言うのは頼もしいものである。
自らが率先して領内の問題を解決しようというペイスに、カセロールが眦を下げた。
そして、執務室を出たペイスの顔。
横に居たガラガンが、一瞬怯んだ。
「むふふ、蜂蜜ですか。また一つ、お菓子の材料が揃いますね。むふふふふ」
独り言を言いながらニヤけるペイスの顔は、それはそれは気持ち悪いものだった。





