124話 婚約破棄には焼き菓子を
喜色満面の男が居た。
豪華な椅子に腰かけながらも、上機嫌を露わにする。
「陛下、如何でしたか。レーテシュ家とモルテールン家の諍いは解決しましたか」
「おう、面白かったぞ。無事決着も付いたし、お前も来れば良かったのだ」
「臣は陛下御不在の中、自分の責務をこなしておりました」
「そうか。ご苦労」
カリソンの目の前には、重臣たるジーベルト侯爵が居る。
国王不在の間、これ幸いと無理難題を陳情しに来たものも多かったのだろう。侯爵の額から上が、更に輝かしくなっている。いや、額の面積が増えている。
内務尚書は内務に関わる全般の諸事を扱い、国王へ奏上する役職。
貴族は各尚書に二通の同じ文書を奏上する権利がある。一通は各担当の尚書が確認し、問題が無ければ国王に残りの一通を奉じる。問題があれば問題点の指摘と共に差し戻す。
財務に関わる事なら財務尚書。軍務に関わる事なら軍務尚書だ。内務尚書は財務でもよし工部でもよし民部でもよし、とにかく担当範囲が広大。
戦時以外なら仕事が一番忙しい部門と言われ、ストレスの多い職場である。
当然、モルテールン家とレーテシュ家の諍いについても、どうなったかは聞いておきたいところ。
「して、結果は?」
「モルテールンの勝ちとしてきた。あのレーテシュ伯が感情を露わに呆けるところを見れただけでも、行った価値があったというものだ」
「……勝負の決め手は何だったのでしょうか。臣も人づてに噂は集めておりましたが、とてもモルテールン家に勝ち目があるようには思えなかったのです。陛下が公明正大であらせられることは十分承知の上ですが、得心がいきません」
「納得できぬと?」
「はい。不敬は承知しておりますが、臣の迷妄を覚ます御賢断をお教え賜りたく存じ上げます」
ジーベルト侯爵が情報を集めていた限りでは、レーテシュ伯圧倒的有利とのことだった。そもそも基礎体力が違う上に、レーテシュ家は貿易を抑えているのだ。勝てる見込みなどそうそうなかったはず。
何が決め手だったのか。疑問に思うのは当然。
慇懃に頭を下げるジーベルト侯爵。
それをみながら、カリソンは小さくふむと頷いた。
「一言で言うなら、レーテシュ伯は政治家として極めて優秀だった。だから負けたということだろうな」
「はい?」
「モルテールン家は料理人として普通だった。政治家と料理人が料理で競えば、料理人が勝つのが当然だとは思わんか?」
「それは何となく分かりますが……」
言っている言葉の意味は分かるが、もっとかみ砕いて説明が欲しいと侯爵は言う。
「今回の勝負。俺に献上するデザートを作る勝負だった。ここまでは良いか?」
「はい」
「ならば、よりデザートに相応しいもの。デザートとして優れたものを作った方を勝ちとせねばならない。これも分かるな?」
「ええ、分かります」
デザート勝負なのだから、良いデザートを作った方が勝つ。それは当然だろう。
「レーテシュ伯は極めて優秀な為政者だ。政治家として重要なのは、物事を大局的見地から見る高い見識と、正確で冷静な判断。戦場で勝ちを拾うのではなく、勝ってから戦う発想。レーテシュ伯が政治家として優秀だというのは、今回の件でも明らかだった」
「確かに、彼女はそのようにしておりました」
例えば、政治を血の出ない闘いと捉えるなら、政治家は指揮官。レーテシュ伯の立場を軍事的に考えるならば、戦術指揮官ではなく戦略指揮官だ。それも極めて優秀な指揮官。
小さな戦場の戦術的な勝ち負けに拘らず、もっと大きな枠組みで有利な状況を作り、味方の優勢を整えてから戦いに挑む。
兵站と戦略は戦争の基本だが、政治の基本でもある。兵站を十二分に整え、敵よりもより多くの戦力を用意し、敵の戦力を減らし、分断し、その上で戦いに臨む。
戦略的敗北を戦術的勝利で覆すのが極めて困難であるように、今回もレーテシュ伯は圧倒的に有利な状況を用意して、戦いに臨んだ。この点、侯爵としても異を唱えることもない。
「しかし、勝負はデザートとして優れているかどうかだ。俺は立場柄、宮廷のフルコースもよく食すが、あれを毎日食べるのも辛いぞ? 前菜四品、スープ二種、魚料理二品、肉料理が二品、焼きものか野菜がきて、腹もパンパンになってる頃に出されるのがデザートだ」
「はあ」
「そんな状況を想像してみろ。レーテシュ家のデザートなら、山のように積み重なった甘ったるい菓子や、蜂蜜でこれでもかと言うほど甘ったるくなった果物。果ては、タルトが一ホール丸々置かれて食べろと言われるんだ。拷問かと思うぞ」
「確かに。私も年ですから、それは辛そうです」
「その点、モルテールン家のデザートは食べやすく、味も穏やかであった」
レーテシュ伯の敗因を上げるとするなら、やはり目線が高すぎたことだろう。
目線が高く、高位貴族として俯瞰して物事を見る癖。そこに、ペイスが付け込んだともいえる。
「味の良し悪しでは無い部分で勝負は決まったのだ。レーテシュ家の菓子は、確かに素晴らしいものだった。非の打ちどころの無い料理で、見栄えも良く、味も至高だ。一つの料理としてみるならば、あれ以上は無いと思えるもの」
「しかし、モルテールン家の方がデザートとして優れていたと?」
「そういうことだ。肉や魚をタップリ食べた後なら、あの甘さを抑えた生姜のクッキーは実に良い。腹を落ち着けるし、お茶にも合う。何より、俺への献上品だぞ? 自分の妻の手作りというのも真心を感じるだろう」
「なるほど。ようやく得心がいきました。レーテシュ伯も悔しがって居られたことでしょう」
「おう、珍しいものを見れた」
勝負の後、国王の説明にレーテシュ伯は地団太を踏んで悔しがった。自信満々で勝ちを確信していたのが全て裏目だったことに、ショックだったのもある。
「しかしなあ」
だが、決してモルテールン家も良いことだけだったわけじゃないと言う。
「賭けに負けた連中や、腹いっぱいの後のデザートというのが想像出来ない連中が荒れてな」
「それはそうでしょうな。日頃の食事にも悩む人間に、腹いっぱいの後に何か食べるという発想はし難いものでしょう」
「止む無く、息子の方が騒動を抑えに回った。大会で出したジンジャークッキーを、無料で振る舞ったらしい」
「それは豪儀な。折角の儲けを吐き出すような真似をするとは」
「おまけに、レーテシュ家の作った菓子をそのまま再現しやがったぞ。あれで、モルテールン家が技術不足という批判も封じた。流石は【転写】の魔法使いだけある。そっくりそのまま再現したものだから、レーテシュ家は良い踏み台にされた」
「なんと……」
大会後すぐにペイスがレーテシュ家のお菓子を再現し、下手すればそれ以上に美味しいとなれば、レーテシュ家のメンツは丸つぶれである。
技術が無かったのではなく、有ったのにあえて使わなかったのだ、と雄弁に語るそれらの菓子も、勿論無料で振る舞われた。
「作った端から消えていくものだから、その日一日はカセロールの息子が掛かり切りになった。あれだけの男を菓子作りに忙殺させるんだ。モルテールン家も大変だっただろうな」
しみじみと呟くカリソン。
ペイスが菓子作りを自分から嬉々としてやっていることを知らないので、さぞや重労働で大変だったろうと哀れみすらする。
実はペイスをその場から引き剥がそうと、モルテールン家上層部やレーテシュ家が料理人による交代要員を申し出たにも関わらず、ヤダ、の一言ですげなく断ってクッキー造りをしていたことを、国王は知らない。
「何にせよ、良い気晴らしが出来た」
国王は笑顔で頷く。
それはようございました、と言いつつ、仕事を積みあげ始める侯爵には目を背けながら。
◇◇◇◇◇
大会から数日後のモルテールン家。
喜色満面の男が居た。
「ふんふん~るるる~ららら~」
「今日もまたご機嫌ですね若様」
「久しぶりに思いっきりお菓子作りが出来ましたからね。ストレスが大分発散できました」
鼻歌を歌い、酷くご機嫌な少年に、不機嫌そうな青年がしかめっ面をする。
「おかげで俺は大変だったんですよ?」
「ニコロは当日は休んでたじゃないですか」
「その後っすよ。ジンジャークッキーを売ってくれと押しかける連中の相手が全部俺のところに」
「ジョアンが休暇なんですから、仕方がありません。当日はジョアンに頑張ってもらったので、休むなとも言えませんし」
お菓子対決の決闘の後。
騒動は収まる気配を一向に見せなかった。
元々焼き菓子と言うのは、日持ちさせる為に焼いたのが始まりと言われる。果物などに比べると可食期間が長く、多湿な日本とは違って乾燥しがちな南大陸ならばカビも生えにくい。
となると、行商人たちが見逃すはずも無かった。屋台で稼いだ行商人たちが、空荷で帰りたくないからとクッキーの買い取りまでやっていた。
「そもそも何で大会の後に無料で配ったりしたんです。あれが無ければ、自分も寄越せと言いに来る連中が来ることも無かったのに。当日だけのサービスだと追い返しましたけど、大変だったんですよ?」
「あれは宣伝も兼ねてましたから。丁度都合よく人が集まったんですから、利用しない手はありません。口コミで美味しさを広めてくれるなら、お金を払ってもお釣りが来ます」
マスコミの存在しない世界。一番確実な情報伝達手段は、一次体験者に直接聞くことだ。
戦場のことを聞くなら実際に戦った戦士に聞くのが一番だし、恋愛のノウハウを聞くなら実際に意中の相手を射止めた人間に聞くのが一番。
逆に言えば、体験者を増やせば、情報はそれだけ広く伝わるということだ。
賭けで負けた人間が、せめて少しでも損を取り返せとばかりに食べた菓子だ。大金を賭けていた者ほど、代償行為の精神作用が働く。その味はより美味しく感じたことだろう。
自分が賭けた金並みの価値があるのだと自分を納得させるだろうし、話を吹聴するときには金貨十枚の価値はあった、などと言いふらすことになる。
賭けをする人間は、自分が損をしたという話をしたがらないもの。勝手に誇大宣伝をしてくれる。
「なら、行商人に販売したのは何故です? 当日だけのお祭りにしておけば良かったのに」
「今後も利益になる見込みがあるからですよ」
「ただのクッキーが?」
焼き菓子などは、神王国でも珍しくは無い。それを売ると言ったところで、どれほどの儲けがあるのかと、ニコロは疑問符を頭に浮かべる。
「ただのクッキーではありませんよ。リコリス印のクッキーです」
「はあ。何か意味があるんですか?」
「当たり前です。普通のクッキーではない証拠になるじゃないですか」
「クッキーなんて誰が焼いても大して変わらないでしょう?」
「誰が焼いても大して変わらないからこそ、イメージが大事なのですよ」
そう、ペイスがしたのは現代であれば極普通のブランド戦略。
衆人の目の前で、美少女が手作りしたクッキー。目にも鮮やかでインパクトのあるレーテシュ家のお菓子に勝利し、国王からお墨付きまでもらえたという意義は大きい。
これを捨て置くペイスではない。王室御用達、世界一のクッキー、美少女の愛の結晶、八百レット以上の価値、大逆転勝利の御利益、必勝祈願、モルテールン銘菓、今だけの限定、等々。色々な売り文句と共に、クッキーにリコリスの似顔絵とモルテールン家の紋章を焼き印し、包装も拘ってブランド化に成功した。
モルテールン家の紋章はモルテールン家の人間以外には使えないので、全く同じものは作れない。作ればお菓子警察の少年が文字通り飛んでくる。
仮に将来、真似をして似たようなクッキーを作る家があったとしても、モルテールン家以上の箔が付いたクッキーはあり得ないだろう。
高級クッキーとして、一袋で金貨が儲かるレベルの利益。それでいて作る人間が限られる為に供給が限られ、作る端から売れるのだから品切れが常態化。品薄な状況がまた高級化に拍車をかけるという有様。
後になって全ての絵図面に気付いたレーテシュ伯などは、自分が良いように利用されていたことに、お気に入りのティーカップを割ってしまうほど悔しがった。可哀想なのは投げ散らかされた机上の置物たちと、宥め役に回った旦那である。
更に悔しいことに、ペイスからリコリス印のクッキーが“御礼”として贈られたのだからたまらない。ハンカチを食いちぎらんばかりに噛みしめ、次こそ絶対にペイスをぎゃふんと言わせてやるとリベンジを誓ったという。一度や二度で懲りないのは流石と言うべきだろうが、しばらくは大人しくせざるを得ない。
意外なところで評判が上がったのは、レーテシュ家料理人代表のファリエルだ。負けたとはいえ、その技術の高さを評価され、王家からも引き抜きの話があった。
それを断り、何故かモルテールン家に雇われることになったのだから、人生とは分からないものである。
彼曰く、自分は料理の何たるかを見失っていた。もう一度修行しなおす為にも、是非モルテールン家で働きたい、だそうだ。
丁度お菓子作りの出来る人材を欲していたこともあり、カセロールの同意を経て、ペイスの部下として料理を学びなおしている。
リコリスを“師匠”と呼ぶことだけは何とかしてほしいと、当のリコリスから苦情が上がってきているのを除けば、良い拾いものだったと概ね好評。
「ふんふん~さあ、焼き上がりましたよ!!」
「お、待ってました」
大盤振る舞いを取り返すほどの大儲けを達成したモルテールン家。
ここまで上手く運んだ以上はと、ペイスは小遣い増額を勝ち取った。
それを使い、早速お菓子作りに勤しんでいたわけだが、今日作ったのは勿論ジンジャークッキー。
「ほふほう」
「焼きたてで熱いので気を付けて下さい」
「ほふ、先に言ってくださいよ。火傷するかと思った」
「慌てて食べるからです」
やがて、匂いに釣られてモルテールン家の暇人たちも集まってくる。
「良い香りねペイス」
「姉様、嫁入り修行は良いんですか?」
「母様がリコちゃんに付きっ切りだから、こっちに来たの。母様は頑張り屋さんが好きだから」
「姉様も頑張りましょうよ」
「これを食べてからね……ん~やっぱり美味しい!!」
遠慮の欠片も無くバクバクとクッキーを貪る年ごろの少女。
リコリスの問題は片付いたのに、ジョゼの嫁入りはまだまだ先のことになりそうだと、男たちは溜息をつくのだった。
13章結
次章「ハネムーンに浮かされて」
お楽しみに





