123話 呆然
火が踊っていた。
原始の文明の起こりそのもののように、創造の源としての火が踊る。
「おおっと、ファリエル氏が豪快に炎を巻き上げた!! 流石は炎の料理人。ボンカを焦がすにも際立つ技術ぅぅ!!」
果物に熱を通す。
こうすれば、食感や風味に変化も生まれ、生で食すのとは違った味わいになる。
料理をする人間ならば誰だって知る常識ではあるが、その手法は様々。
焼く、蒸す、煮る、揚げる、茹でる、そして炙る。
どれにしたところで奥が深い調理法であり、食材の変化もそれぞれに特徴があるのだが、一瞬たりとも気を抜けない調理法と言うなら、炙りだろう。
僅かでも熱を与え過ぎれば焼ける。或いは焦げる。熱が少なすぎれば生のまま。炙る為には強い火力でなくてはならないが、強い火力はコントロールが難しい。全力投球のボールをきっちりストライクゾーンのインハイに投げるぐらい。或いは、全力疾走のタイムを自己ベストきっちりで走るぐらいの難易度。素人が適当に炙るのとはわけが違う。
難しい調理法であり、職人の技術と経験が要る調理法。
そして、レーテシュ家を代表する料理人は、当たり前の如く難しい調理法にも熟達していた。
炙りを使いこなすのに、火が吹き上がるほどに燃やす必要は無いが、司会実況の煽りに気持ちが昂り、いつも以上にど派手なパフォーマンスを披露してしまうレーテシュ家厨房番ファリエル。
日頃は一切活躍が表に出ることが無い裏方の仕事だが、堅実に高めてきた技術を大勢の前で披露し、ペイスが称賛するのだ。気も大きくなるし、調子もどんどん上がってくる。
「対する美少女パティシエールは、未だに生地をこねています。これはダマが出来ないように混ぜるのが難しいんですが、非常に上手くこねていますね。丁寧な仕事ぶりに、生地も期待が膨らみます。誰ですか? 生地になりたいとか叫んだのは。舞台裏にご招待しますよ?」
時折入るペイスの軽妙なトークと冗談に、会場は笑いながらも盛り上がる。
料理の現場というのは、意外と地味なものだ。
物を切る、計る、混ぜる、形を整える。どれにしたところで、派手な動きは無い。そんなことをしていれば、料理しながら疲れてしまうだろう。
だからこそ、調理者が今、何のために何をしているのか。何がどう凄いのか。観客に分かりやすく伝え、かつ盛り上げるのには、お菓子作りそのものに深く精通していなければならない。
その点で、ペイスを司会役にしたのは正解だっただろう。
「おっと、ここでモルテールン側に動きがありました。オーブンを使う模様です。一体何が焼き上がるのか!!」
リコリスは真剣だった。
この勝負に、自分の想いが掛かっているからだ。
昔から、リコリスは双子の姉ペトラと比べられて生きてきた。生まれた時から、一刻も違うことなくずっと。それは違いを際立たせることに繋がる。
まず性格が違う。内向的で大人しく自己主張の少ないリコリスに対し、ペトラは積極性があって明るく外向的。容姿はよく似ていても、笑顔の多いペトラに対し、リコリスはうつむくことの方が多い。
お姉ちゃんであるという自覚が早くから芽生え、自立心を養ってきたペトラは優秀だ。否応なく一歩引いてしまうリコリスは、劣等感が重なっていく。
初めは、ほんの些細な違いだったのかもしれない。お姉ちゃんだから、と頑張ったペトラが褒められる。段々と、少しづつそれが増えていけば、姉が褒められることが当然だと思うようになる。積み重なり、続くうちに、姉は自信をつけて積極的になり、妹はそれを見て自分に自信を無くす。
双子であるがゆえに、常に自分が「ペトラの妹」と呼ばれるようになり、姉の添え物のような扱いが続けば、社交的になれと言われても無理があるだろう。
そんな中、姉では無い自分を真っすぐ見つめ、生まれて初めてともいえる好意を向けてくれた男の子がペイスだ。
自分の不甲斐なさも、頼りなさも、内気な性格も、全てを許容し、包み込めるだけの器の大きな少年。
リコリスは、一人の人間としてペイスを尊敬しているし、一人の男性として好いても居る。
そんな、初恋とも呼べる相手と結婚出来たことは、生まれて初めて姉に対して素直に自慢できることだった。良い旦那さんね、と言って貰えるのが、とても嬉しいことだったのだ。
最近は、笑顔も増えてきたと言われるようになった。
義姉や義母との語らいでも、自分から会話を進めるようになってきてもいる。
心地よい空間。暖かい家庭。素敵な家族。
自分がその一員になれた時、どうしても失いたくない物が出来たのだ。
ペイスは、リコリスにも今回の状況を詳しく説明していた。今後起こり得る可能性も含めて、包み隠さず全てを。
もし、モルテールン家が何も手を打たなければ、恐らくレーテシュ家か、或いは他の有力な貴族から側室が押し付けられるだろう。そして、リコリスをモルテールン家と疎遠にすることで、正室を有名無実化し、側室を実質的な正妻にしてしまう。或いはどこかのタイミングで正側逆転を謀る。それを狙ってきている家があるのだと。
座視するつもりは無いが、外交に負けた時の覚悟はしておいて欲しいと。
この話を聞いた時、リコリスは強いショックを受けた。
貴族家の妻として、家を、家族を守るという意味が初めて目の前に置かれたのだ。モルテールン家の嫁としての最初の試練。
ペイスの妻として、自分の立場は自分で守る。
そう、心に決めて今に至る。
「どうやら、両家とも時間を僅かに残して完成したようです」
自分の渾身を込めて作ったお菓子。
リコリスは、大丈夫かと不安に思いながら、出来た作品を決められた場所に置く。
ふと、ペイスと目が合った。
にこりと笑いながら頷いたペイスを見て、不思議と不安が消えていく。
大丈夫。そう信じて離れた場所に戻る。
「毒見も終わりました。それでは、陛下による実食です。全員一歩下がってください」
食事中というのは割と無防備になり易いので護衛が周りを囲みながらも、国王が試食を始めた。
威厳タップリに、頷きながら。
「ふむ……これは見事」
まず国王が褒めたのは、レーテシュ家側。
彼らは、四品の作品を並べていた。
一つはタルト・タタン。
それもペイスが広めたレシピから、もう一段の工夫も加えてある一品。神王国人の貴人の舌に合うように改良が施されており、オリジナルを知る国王カリソンに対してこそ、真価を発揮するスイーツ。あえて炙ったボンカを使うことで、風味が際立ちよりアクセントがはっきりする。
ボンカ独特の酸味が、パイらしい食感と共に口に広がる見事な一品。
一つはクロカンブッシュ。
これはペイスがレシピを隠していたはずなのだが、現物を受け取ったレーテシュ家がスパイまで使って再現したもの。
しかも、人の背丈以上に積み上げているために見栄えが凄いことになっている。一言で言うなら山。
圧巻の存在感で詰みあがったシュークリームが、等間隔で綺麗に並んでいる様は一種の幾何学的な様式美がある。
レーテシュ家にとって自分たちの結婚式でモルテールン家から受け取った秘蔵の品。子孫繁栄を願う縁起の良さもあり、モルテールン家はこれで勝負を掛けて来る可能性があると考え、ぶつけてきたのだ。対モルテールン用の武器ともいえる。
レシピの再現に相当の試行錯誤をした上での製菓。もとい成果。
流石にこれにはペイスも驚きを隠せない。
一つは果物の蜂蜜漬け。
レーテシュ家の財力を惜しみなく使い、海洋交易の利点をフルに活かして手に入れた珍しいフルーツの数々を、たっぷりと蜂蜜に漬けて飾る見た目重視の飾りスイーツ。
モルテールン家では手に入れることがほとんど不可能な珍味珍品が積まれるだけで、遠目からもはっきりとそのカラフルさが分かる。
これぞ、ザ・貴族というような豪華さに溢れた果物盛りに、観客は熱狂をもって歓声を上げた。
そして最後の一つが飾り菓子。
完全なデコレーション用のお菓子で、味を二の次にしてインパクトと豪華さを追求したスイーツ。
材料は小麦粉、デンプン、砂糖、アーモンドペースト、各色の食紅などであり、羽の一枚一枚を精巧に再現したカザリドリが鎮座する。
今にも飛び立って行きそうな躍動感のあるポージングを、練っておおざっぱに形作った材料から削り出して作る職人技。
よく限られた時間で作り上げられたものだと感心するほどの出来だが、これほど食べるのが勿体なくなるスイーツも滅多にないだろう。
「見事なり」
カリソンの言葉は真実、心がこもった呟きだった。
どれにしたところで、一つとして手抜きが無い。神王国屈指の大家としての権勢を、まざまざと見せつけて来る逸品ばかり。
さても見事なのは、これほどの手間暇と金を掛けてでも、モルテールン家のペイスを取り込もうとする熱意である。
凡百の男であれば、ここまでして自分を欲しがってくれる家に、心惹かれても不思議は無い。
カリソンはそう考えて、頭の中で真っ先に否定した。あのカセロールの薫陶篤き息子である。多少の厚遇などは屁とも思わず蹴とばして、惚れた相手に尽くすのは親子そっくり。あの親にしてこの子あり。
逆に、ここまで破格の接遇をしても尚、芯を通して揺らがない男だからこそ、余計に欲しくなるものなのだ。
カリソンとて、ペイスについて落ち着いていられるのは、いずれカセロールの跡を継いで自分の直臣になってくれる予定だからだ。そうでも無ければ、国に縛り付ける為に無茶の一つもしたかもしれない。
「味も素晴らしいな。どれにしても最高だ。一口食べただけでこの美味さ。特にこのタルトは絶妙だ。以前カドレチェク公爵に食わせてもらった時とはかなり違う」
国王が特に気に入ったのはタルト・タタン。
ペイスがカドレチェク公爵の孫を諭した時に作り方を伝授してあり、国王も招待された時に食したことがあった。焼かれたボンカの風味が実に美味しいと評判だったのだが、今日のはそれにも増して甘みが強い。
美食に慣れている国王は、その理由にも気付く。相当に良い材料を使ったのだろうが、恐らくボンカそのものが最高級品で新鮮な完熟品を使ったのだろう。それ故に甘みが強く出ている。
一口づつ、全てのスイーツを味わったカリソンは、続いてモルテールン家の菓子に目を向ける。
国王の耳にすら届く異端児が監修したであろうメニュー。何を作らせたのかは興味をそそるではないか。
「うむ、では……ん? これだけか?」
「は、はい」
いきなりの下問に、リコリスは慌てて頷いた。
「どうにも、パッとしないな」
そう言いながら、カリソンはリコリスの菓子を、親指と人差し指で挟むようにして摘まんだ。
さくり、と食べたのは、焼き菓子。
リコリスがペイスから直伝され、唯一まともに作れるもの。クッキーだ。
国王が指摘した様に、リコリスの作ったクッキーはパッとしない。少なくともレーテシュ家のお菓子と比べれば見栄えが格段に悪い。
一応、皿の上に並べる時に綺麗に並べたり、焦げ過ぎたものを除いたりしてはいるが、見た目だけではどうあっても劣る。
「ん? ほう、思ったほど甘くないな。何か混ぜ込んだのか?」
「生姜を少し……」
リコリスが作ったのはジンジャークッキー。
ジンジャークッキーは、ジンジャービスケットやジンジャースナップなどと混同されることもあるが、要は生姜を入れたクッキーだ。
歴史は大変古いもので、十世紀には既にヨーロッパに伝わっていたと言われている。主に教会を中心に広がっていったもので、魔除けや薬として生姜が重宝されていた。
小麦粉、砂糖、卵、バター、生姜などのハーブやスパイス、蜂蜜を使って作った、純モルテールン産の焼き菓子だ。
サクリ、サクリと何枚も食べ進めるカリソンの様子は、ポーカーフェイス。
喜怒哀楽を隠すに長けた為政者の顔であり、それだけ真剣に審査をしているということなのだろう。
「まあまあだな」
食べ終えたところで、カリソンはそう呟いた。
実際、味については凄い美味しいという訳でもなく、素人感の残る出来栄え。
少なくとも、贅を凝らし、技巧の限りを尽くして作られたレーテシュ家のスイーツとは比べるまでも無い。
両家の菓子を試食し終え、カリソンは両家の間に立つ。
「それでは陛下に御裁定を願います」
ペイスの言葉に、一同が耳を澄ませる。
誰しも、勝ちは既に決まっている、分かり切っていると思っているが、それでも最後の最後まで勝負は分からない。
賭けのレートは一対五十六という圧倒的レートでレーテシュ伯家有利。鉄板勝負に大金を賭けた者などは、目が血走るほど真剣。
衆目の中、カリソンは声を張り上げる。
「勝者、モルテールン!!」
わあ、と一斉に盛り上がる中。
何があったのかと呆けるのは、レーテシュ伯ブリオシュ。
そして、同じように呆けるリコリスの姿があった。
勝負を決めたポイントは次回。