121話 穏やかな戦い
「拙いわね」
「何がだ?」
「モルテールン家にフバーレク家との離間工作がバレたわ」
「……だから止めておけと言っただろう」
レーテシュ夫妻の朝は、夫婦揃っての執務から始まる。
今日の執務は、部下からの嫌な報告から。いま何かと騒がしい東部に張っていた情報網に、モルテールンが動き出したという情報が引っかかったのだ。捨て置けない情報だ。
「何か報復してくるか?」
「まだ大丈夫よ。私はただ単に、気落ちしている女の子を慰めて、落ち着かせようとしただけだから。親が死んだら、しばらくは家族の元で居るほうが自然でしょう?」
レーテシュ伯ブリオシュは、さらっと言ってのける。実際、今のところは何とでも言い繕えるレベルであり、精々が「一度実家でゆっくりしたら?」と勧めたレベルだ。老婆心、もとい親切心からの助言であるといえばそれまで。
だから何の問題も無いと、彼女は自信満々に言い放った。この胆の太さが、彼女をして不世出の才女と言わしめる所以である。
「それはそうだが、露骨すぎる。リオは何でそんなに焦ってるんだ」
「……焦りもするわよ。今しかないもの」
対し、旦那のセルジャンはそこまで楽観視できない。政務には若干疎いということもあるが、誰よりもモルテールン家の凄さを知るからである。
狐と狸の化かし合いほどに狡猾になり切れない。割り切りの良さと正々堂々に拘る姿勢。仲間と敵の二択で考える発想。仲間であるが工作を謀るというグレーな状況が苦手。ある意味で武人としての長所の裏返しだろう。
「あの坊やを身内に出来るのは今だけか」
「そう。フバーレク家の屋台骨がぐらついていて、うちに独身の娘が居る今。この時しかないのよ。後三年早く娘が産まれてたらと思うと、悔しい気もするわ」
「無理にあの少年に拘る必要はあるのか? いや、モルテールン家のあの少年が優秀なのは分かる。しかし、無理に手を出して火傷するぐらいなら、別の妥協策でもよかろう。これから将来がどうなるかも分からないのだから、先々にもっと違ったチャンスがあるかもしれん」
セルジャンの言う意見は常識論。
モルテールン家が恐らく嫌がるであろう離間工作をしてまで謀るよりは、実直な姿勢のままチャンスを待つ方が良い。
正論だ。誰もがその通りと言うような正論ではあるが、希望的観測が過ぎるのも事実。幸運の女神には前髪しかないと言われるように、次のチャンスとやらがあるとは限らない。レーテシュ伯もその点は強かで狡猾な人間である。この件に関していえば、不確かな次のチャンスを待つぐらいなら、確実に今の機会を逃さぬよう動く。それが出来るからこその伯爵家当主。
それに、ペイストリーでなければならない理由もあった。
「私は、今までモルテールン男爵のことを親馬鹿と笑っていたのよ」
「ほう」
「でも、自分が親になってみると分かるわ。子供を自慢したがる気持ちも、子供により良いものを与えてやりたい気持ちも、お金目当てや権力狙いでうちの子に寄ってくる連中の気持ち悪さも」
「……それは分かるが」
「私は、レーテシュ伯爵家当主として結婚に妥協出来なかった。正直、結婚出来ないことも覚悟していた。娘にはそんな想いはさせたくないから、出来るだけ早くに最良の結婚相手を見つけてあげたいと思うのは、おかしいこと?」
「いや」
レーテシュ伯は、十年以上。下手すれば二十年近く、伴侶が見つからずに苦労した。行かず後家街道を爆走していた。結婚と後継者を誰からも強く望まれながら、応えられないもどかしさ。悪夢でうなされるぐらいには精神的な苦痛となっていたのだ。この苦労と心労は、セルジャンには分からない。理解は出来ても実感が無い。
王家に次ぐ豊かさを誇るレーテシュ伯爵家の財産を、意地汚く狙う悪党や小者は幾らでも居る。伯爵が結婚相手を無事見つけられた以上、次に狙われるのが娘三人になるのは間違いない。実際、生まれる前から揉み手で寄ってくる連中まで居たのだ。
彼女たちもまた当代のレーテシュ家当主が悩んできた問題を、いずれ抱える。そうなる前に先手を打っておきたいと考えるのは、当たり前の心の動き。
苦労が人一倍だったからこそ、子供にはそんな苦労の無い様にしてやりたい親心。
「ならば、適当なところで妥協すればいい。リオの時には一人だったから失敗出来なかったわけだが、娘は三人居る。三人のうち誰かが当たりであれば良いぐらいに思えば、妥協も出来るだろう」
「その妥協の中に、あの坊や以上が居る? 家の格とかは抜きにして、当人の能力的に」
「……居ないな」
ペイス以上に政務に長け、軍事に明るく、経済に強く、発想が柔軟で、魔法のような特技がある人間。居るわけが無い。魔法を使える時点で数万人に一人の逸材だ。ペイスのように文武に長けた魔法使いなど、十年に一人、いや百年に一人と言ってもいいほどの確率だろう。
「私は娘が可愛いの。最高の婿を探してやりたい」
「それは同感だ。変な男を連れてきたなら、相手の男をこの手で叩き斬るところだ」
「私の場合は、政治を私が担って軍事をあなたが担う分業を確立できたけど、娘たちに私ほどの政治が出来るかは不確か。いえ、出来ない可能性の方が高いでしょう。政治と軍事の両方が任せられて、レーテシュ伯家の財産に興味が薄く、おまけに見た目も良いのよ。魔法はさておいても、あの坊やが最適。娘の為にも、どんな手を使ってもうちに引き入れたい」
レーテシュ伯爵家は海を隔てて外国勢力と対峙する家柄。地続きで外敵と接する他の辺境伯家とは事情が違うが、それでも軍事的に緊張している部分はある。
女性という点でどうしても舐められてしまう以上、婿には一軍を率いる才覚が欲しい。
これだけでもペイスが最適である。他の追随を許さない大功。他国にまで聞こえはじめた武名。王家の信任も篤く、個人的技量と将の器を兼ね備える逸材。
レーテシュ家に迎えられるなら、彼の少年の力を存分に発揮できる。それこそレーテシュ家にとっても、またペイスにとっても良いこと。WinWinの関係。そうレーテシュ伯は考えている。
恋愛的な感情面を抜きにするなら正論でもあるだけに始末が悪い。
「どんな手を使っても、か」
「そう。娘の為にも、家の為にも。何が何でも、あの坊やをうちに囲いたい」
「……そこまで他の男に執着するのを見ていると、夫としては複雑な気分になるな」
「あら、焼きもち?」
「焼いちゃいかんか?」
「いいえぇ」
語尾を伸ばすような、茶化すような夫婦の会話に、お互い軽く笑い合う。
さて、と気を取り直すにしても、前フバーレク伯の死去にかこつけたフバーレク家令嬢の実家召喚は失敗しそうな気配。
ならば次はどういう手を使うか、と議論し始めた矢先。
レーテシュ家の従士長コアトンが、ペイスの来訪を予告してきた。
「一鐘後?」
「それで駄目なようなら日を改めるそうですが」
「構わないわ。応接室の準備をさせておいてね。待遇は最上位待遇。今年の新茶も出してあげて」
先ぶれとして一鐘後を提示してきたことから、急ぎの用件らしいと察する。日を改めさせても良いが、モルテールン家相手に時間稼ぎなどは余り意味が無いことは常識だ。
王家は別にしても、他の四伯が来たとき並みに扱えと指示を出し、早速用件について思案を巡らせる。
「何しに来たのかしら」
「そりゃ今話していたことだろう。余計な口出しするなと釘を刺しに来たんじゃないか?」
「普通に考えればそうなんだけど、あの坊やが来て普通だった例がないのよね。せめて何か相手に対抗できる準備をしておかないと」
「なら、先だってうちの領内でノッテンガイヤー商会相手に暴れた件を持ち出そう。向こうが此方に非難を向けて来れば、こちらも相手を非難し返す」
「合法だったと言って来たら?」
「こちらの件も合法だと言い返せばいい。それで今回の件は相殺できる。後は、一旦手を引くということで手打ちは可能だろう。どのみち失敗したのだから痛手も無い」
「そうね、いい考えだわ」
レーテシュ伯は頷く。
仮にペイスが今回リコリスと離されそうになったことを不満に思ったとしても、レーテシュ家としてもモルテールン家にしてやられたことがあるのだ。適当に言い合って、お互いさまだと折り合いを付けることは可能と見る。
家と家のやり取りならば、相手が非難してきた時に対抗できるカードをどれだけ多く持っておくかが肝心。これが無いと、宥めるのに出費が必要になるからだ。一方的に謝ることを避けるのは外交の常識。
ある程度の準備と打ち合わせが終われば、一鐘の時間はすぐ過ぎる。
応接室には、既にペイスがお茶を飲みながら待っていた。
「お待たせしたかしら」
「いえ。席を勧めて頂いたばかりですから、今来たところです」
「そう、良かった。今年の新茶はどうかしら? お口に合って?」
「今年は出来が良いですね」
「新茶の試飲会もあるから、それまでは御内密に。貴方だから特別にお出ししたのよ」
「お心遣い痛み入ります」
ペイスの対面に夫婦で座りながら、早速とばかりに先制攻撃だ。
特別の好待遇をしているならば、露骨な非難もし難くなるというやり取り。これぐらいは躱してくるだろうと、ペイスを見やるレーテシュ伯。お互い見事な笑顔で向かい合う。
「さて、今日お伺いしたのは他でもない。フバーレク家と当家の婚約についてお話がありまして」
「あらあら、惚気話を聞かされるのかしら」
レーテシュ伯は笑顔のままでで内心舌打ちをした。
やはりちょっとやそっとの小手先では誤魔化されてはくれなかったかと。
「聞けば、レーテシュ閣下にもリコリス嬢に対して“過分な”ご配慮を頂いたとか。実家での静養を勧めたそうですね?」
「そうね。私も父を亡くした時には悲しかったから。女の子が悲しんでいる時は、家族と居るのが一番だと思ったのよ」
「そうですか。ご参考までに、僕が母から同じように聞きましたところ、親しい人を亡くして悲しい時には“心許せる相手”と居るのが良いとのことでした。家族もそうでしょうが、恋人と居るのも良いとか。その点、レーテシュ閣下は御事情が違っていたのでしょう」
「……そうね」
ペイスも大概イタズラ好きなので、レーテシュ伯をからかう。
リコリスには自分と言う恋人が居るが、誰かさんは当時も恋人が出来ずに御一人様だったから、事情が違うだろうと。
この皮肉は強烈だったし、自分の傍にセルジャンが居るのは誰のおかげだと思ってるのか、という念押しでもある。一つ押せば三つぐらい押し返してくる手強さに、女狐と呼ばれる女性であっても気が抜けない。
「そのような事情もありまして、リコリスは実家では無く僕の傍で傷心を癒した方が良いだろうと、新しいフバーレク辺境伯ともお話をしました。今も彼女は当家に居ます。色々とご心配頂いたようなので、リコリスに代わりまして御礼を申し上げます」
「そう。モルテールン家とフバーレク家の取り決めなら、うちが何か口を挟むことは無いわね。ただ、同じ女としての忠告なのだけど、幾ら恋人の家とはいえ、他人の家に居るのは気を遣うわ。特に、恋人の親や兄弟には粗相も出来ないってね。只でさえ落ち込むことがあったのだから、気を遣わずに済むよう、故郷で過ごさせるのも良いことだと思うのよ? 見知った顔が多い方が、気も紛れるでしょう?」
「見知った顔が減っていれば追い打ちでしょう。一旦悲しみから目を離し、落ち着いてから目を向けるようにした方が良い。そうは思いませんか?」
「一度で済むことを、何度も経験させるのも酷だと思うけど」
「それも忠告ですか?」
「同じ経験をした先達からのアドバイスよ」
「なるほど。“年長者”のアドバイスは聞くべきだとおっしゃる」
「“お姉さん役”の務めでしょうから。これでも貴方のことは身内と思っているのよ?」
「“父が”聞けば喜ぶでしょう。」
何とかリコリスをペイスから引き離そうとするレーテシュ伯。負けじとやり合うペイス。
相も変わらず、この二人のやり取りは虚々実々。お互いに手を読み合ってけん制し合う、頭の痛くなるような会話。
二人の会話を口汚い本音調に訳すなら。ババアは黙ってろと言われたことに、誰がババアだこのガキ、と言い返した形。本音をオブラートに包み、糖衣で包み、綺麗に包装して取り繕ったら二人の会話になる。
貴族同士のやり取り。お互い一歩も引かない。
しかし、今回に関してはペイスに切り札がある。
「そうそう。言い忘れておりましたが、リコリスはつい先日、正式に僕と結婚しました。既にモルテールン家の娘ですから、家族の元に居るのが最善と言う言葉には、折角ですから同意いたしましょう」
「!? おめでとうと言うべきね。素敵な奥様でよろしいこと」
やってくれるわ、とレーテシュ伯は握りこぶしに力を入れた。
モルテールン家が何事も手を打つのが早いと分かっていたつもりだったが、まさかそこまでしていたとは思わなかった。離間策に対抗するには一番の最良手。
本来、貴族家の婚姻とは、家と家の繋がりを重視する政略結婚が当然。下位貴族たる男爵家のモルテールン家が、上位貴族たる辺境伯家の娘を貰うのだから、格のつり合いという意味では即決するに十分な理由となるのだろう。
それにしたって、東部で大手柄を立て、短期間に二度も陞爵する勢いを維持するモルテールン家ならば、影響力の落ちてきた家を選ばずとも、他に良い縁談話があったはずだ。レーテシュ家だって公式に打診している。それを迷いなく蹴り飛ばした形。
うちのことでも少しぐらい悩んでも良いだろう、と悔しい気持ち。やはり、もっと早くに手を打つべきだったかと今更ながらに思う。
やり取りを聞いていたセルジャンなどは、逆に称賛の気持ちを持つ。
婚約者との縁を大事にし、責任を背負った一人の男。駆け落ち紛いの結婚をした上に、妻一筋と公言するモルテールン男爵カセロールの息子なだけある、と感心しきり。
もっとも、レーテシュ家の人間としてそんなことは口に出せないのだが。
「喪に服す意味もあって披露宴やパーティーなどはしませんでしたが、閣下には常日頃からお気に掛けて頂いておりますので、ご報告するのが筋かと思いまして、今日伺ったのです」
「あら、ご丁寧にどうもありがとうございますわ。おほほほほ」
この根性悪め、と言いたいところをグッと堪える伯爵。自分の腹が同じぐらい黒いことは棚に上げて、対応策を考えていた。
結婚してしまった以上は、リコリスを実家に置いておいてもあまり意味が無い。
ならば、次に取るべき方策は二つ。側室として自分の娘を宛がうか、或いは離婚するように仕向ける。
離婚工作は下手をすると、教義上離婚を認めない教会権力を敵に回しかねないので、やるならば側室工作だろう。
「結婚するというのも大変でした。ああいうのは一度で十分ですね。これからも忙しくなりそうですし、リコリスが傍に居てくれればそれで十分」
「ごちそうさま。幸せそうで羨ましいわ」
「レーテシュ家のお二人には及びません。是非理想の夫婦として見習いたいものです」
「ありがとう」
だが、ペイスに先手を打たれて釘を刺された。
レーテシュ夫妻を理想にしたいとは、側室拒否の態の良い言い訳だ。
レーテシュ家は女性当主。伴侶であるセルジャンが側室を持てば、必ずお家騒動、揉め事の種になる。レーテシュ家以外の強力な外戚が、セルジャンを使ってレーテシュ家の乗っ取りを企む、などと言うことも有り得るのだ。
跡継ぎが既に生まれた今。レーテシュ家には側室を持つという選択肢など無い。
それを分かっていて、見習いたいとぬけぬけと言い放つ。相も変わらずの抜け目の無さである。
「ペイストリー=モルテールン卿ともなれば、活躍の噂は絶えない。リコリス嬢も、もしかしたら一人で支えるのは大変かもしれないわね」
それでも諦めないのがレーテシュ伯。
「彼女は既に僕の心の支えですよ」
「ああいう大人しい娘がタイプなのかしら?」
「モルテールン家にとっては彼女は相応しいと思っております」
「モルテールン家に相応しい? それはどういう意味かしら」
これはちょっとばかり非常の手段を使ってでも工作しなければならないか、などと伯爵が考えていると、少年がにやりと笑った。
嫌な予感がレーテシュ家の二人に走る。
「彼女は、お菓子作りが上手です。今もちょくちょく練習していまして。砂糖づくりを主産業にしようとする当家からすれば、率先して新商品を研究してくれるようなもの。僕としても、料理上手な女性が妻であることは誇らしいと思っております」
料理上手が嫁の条件、と言ってきた。
ここは引けないと、レーテシュ伯も言い募る。
「偶然ね。うちも娘には料理を教えようと思っていた所なの。今の世の中、何でもできるに越したことは無いものね」
「そうですね。しかし、失礼ながらレーテシュ家は当家の望むお菓子を作ることが出来るのですか?」
「勿論よ。当家はどんな人材も揃えられるわ。娘にお菓子作りを教えることだって、簡単なことよ」
出来ないと言ってしまえば、今後は料理が出来ない嫁は要らない、と言われて側室拒否の理由にされるだろう。
一つづつでも、理由を潰していく。そして最終的にはレーテシュ家の娘を娶ってもらう。十年単位の計画が要るかと、気合を込めた。
が、ペイスはいつも通りペイスだった。
「ならば、試しましょう」
「は?」
「審判を立てて料理勝負。デザート一品の一番勝負」
「……よく分からないのだけど」
いきなりの飛躍。何が何だか、レーテシュ伯は困惑した。
「ペイストリー=ミル=モルテールンの名において。レーテシュ家に対し、料理による決闘を申し込みます」
ペイスの顔には、素敵な笑顔が浮かんでいた。