118話 葬儀の後には
フバーレク領の領都アルコムには、喪に服す半旗が掲げられていた。
故ドナシェル=ミル=フバーレクの葬儀は国葬で営まれたが、王都の霊廟で安置される間は故人との突然の別れを惜しむ弔問客も多く、遺体が領地に送り届けられたのはつい先日。
ここでも国葬として最上位の礼遇で扱われ、王都からは聖教会のトップが訪れて墓地を祝別したほどだ。
長くフバーレク辺境伯領を治めた領主は、良き指導者であり、良き夫であり、そして良き父だった。
「リコ。もう、落ち着きましたか?」
「ぐすっ、はぃ。でも、もう少しだけ」
代々のフバーレク家縁者が眠る領都の墓の前には、喪服を着た一団があった。
フバーレク家の家族、親類縁者が集まって行われた告別が理由だ。公式な告別の儀式が全て終わり、これが姿を見る最後となる、前フバーレク伯の見送り。
後継者として葬儀を取り仕切ったルーカスや、公爵家に嫁ぐことになっているペトラなどの姿も見える。
そして、先ほどから涙ぐみ、婚約者に慰められているリコリスの姿もそこにあった。
「良いお父さんだったんですね」
「優しかったです。私が作ったお菓子を嬉しそうに食べてくれて。美味しいよって笑ってくれて……うぅ、うああん」
「落ち着くまで傍に居ます。大丈夫ですよ」
娘にとっても急な別れ。最初は信じられず、現実味が無く、実家に帰ればすぐにもひょっこり顔を覗かせそうな気がしていた。それでも次第に実感し、お墓の前で思い出すのは父親との思い出。
思い出すたび、ふっと湧き上がってくる悲しみに涙があふれ、婚約者にぎゅっと抱きしめられる。
同じように涙するものも多い。親しかった者ばかりが集まるだけに、それぞれに別れを悲しむ。
「モルテールン卿、少しこの後ご相談したいことがあります。屋敷の方へお越し願えますか?」
「ルーカス殿。それは構いませんが、今は色々とお忙しいのではありませんか?」
「いえ、大丈夫です。それに、今は何か仕事をしていたい気分なのです。忙しくしていれば父のことも……いや、何でもありません」
「お察しいたします。お父君のことは返す返すも残念です。我々の力が及びませんでした。もう少し早く事態に気付けていればと悔しくもあります」
「モルテールン卿にご助力いただけていなければ、私もここには居なかった。感謝こそすれ、お嘆き頂くには及びません。私こそ、力不足であったと悔しいばかりです。当家が率先して役目を果たすべきだったのにと。私にもっと力があれば、もしかしたら父も死なずに済んだかもしれない」
「貴方がたは最後まで全力でことに当たられた。亡き辺境伯も、息子を誇らしく思う事でしょう」
「ありがとうございます。父の前でモルテールン卿と立ち話などしていては、英雄に対して失礼と叱られそうな気がします。馬車を用意しておりますので、どうぞご一緒に」
「それでは息子と一緒に……いえ、私だけで参りましょう」
未だに悲しみに暮れるリコリス。そしてそれを傍で慰めるペイス。この二人は今そっとしてやるべき。人が死んでこそ忙しくなる政治の世界は、自分の仕事とカセロールは思った。
父として、偶には親らしいことをしてやらねばならないと考えたカセロールだが、もしかしたら人生の先輩が先に旅立ったことに感傷的になっていたのかもしれない。
息子とその婚約者をその場に残し、カセロールは新しい辺境伯と共に屋敷に向かう。
墓場に残っている親族たちも、それぞれに別れを済ませたならば屋敷に向かうだろうが、ひとまず先に帰るのは、何やら理由があるらしい。
「まずはお掛けください」
屋敷に戻って早々、応接間に通されたモルテールン準男爵。いや、男爵と呼称すべきだろうか。
何やら深刻な顔で向かいに座るルーカスを見て、どうやら難しい話のようだとカセロールは察する。
「今、お茶を入れさせます」
「いや、お気遣いなく」
カセロールは気遣い不要と断ったが、客人を招いておきながら茶の一杯も出さないのもまた貴族的な礼儀に反する。御付きの侍女によってお茶の給仕があった。
茶葉はフバーレク産。要は自家製。南方の物に比べるとやや渋みが強く、アクがある感じが残るものだが、これはこれで刺激的な味。ルーカスはまだカセロールの好みを知らないので、ここは無難な選択をしたといえる。
お茶を飲み、一息ついたところで、カセロールはおもむろに会話を切り出した。
「それで、お話とは?」
いきなり切り出された会話であったが、ルーカスもまた気持ちを落ち着けて会話する。
「ご子息と私の妹についてです」
「ほう」
カセロールには息子は一人しかいない。稀代の悪童。厄介ごとの総合商社であるペイストリーだけ。むしろリコリスのように双子でなく、一人だけで助かったとさえ思っている。あれが二人も三人も居たらと考えるだけでも恐ろしい。
しかし、ルーカスの妹といえば先代の直系だけでも四人いる。一番下がリコリスであるが、彼女は四女。他の妹がまだ三人いるのだ。
「どの妹御のお話でしょうか?」
カセロールは、大よそ会話の本題を察したが、あえて聞く。そうでもしなければ話が進まないからだ。
「リコリスのことです。あれは御家にお預けしておりましたが、ご迷惑をお掛けしてはおりませんか?」
「迷惑などと、とんでもない。非常に上品で御淑やかなリコリス嬢が当家にご逗留されておりますと、うちの娘の教育上も大変によろしい。うちの娘などは年ごろになっても、とても他所にはやれん有様。片づけはしないし、嫁入り修行は嫌がるし、何かにつけて我儘ばかり。リコリス嬢を見習って欲しいと、常々思っております」
「はは、それはそれは。今も家に居るのは末のお嬢様だけでしたか? 噂によれば御家のお嬢様は器量よしの才色兼備と伺っております。引く手数多だとか」
「よく言われます。そうですな、見てくれは妻に似ておりますので絶世とまではいかずとも整っておる方でしょうが、中身の方はまだまだ子供でして。嫁に欲しいと言われることも最近は多いのですが、まだ早いと断っておるのです。上の娘たちは既に嫁に出しましたが、末の娘ぐらいはずっと家に居ても構わないと、最近は思っておりまして」
ぴくぴくと、ルーカスの頬がひきつったのは御愛嬌である。カセロールは一代の英雄。軍功は他に類を見ない豪傑であり、当代国王の元では屈指の功臣。内政にも秀でた功績があり、知勇兼備の名将としても名高い。
唯一欠点と笑われているのが、親馬鹿が過ぎることである。度が過ぎるぐらいの馬鹿親。もとい親馬鹿。
慣れた者ならばカセロールに子供の話題を振るような真似はしないのだが、ルーカスはその点まだ不慣れ。
「そ、そうですか。それでそのリコリスですが、父のこともありましたので、しばらくは実家に戻そうと思っております。何分、諸事多忙なモルテールン卿のお手を煩わせるのも心苦しい」
「そうですか。妻や娘とも仲が良いようでしたから、少し寂しいですな。息子もお嬢さんを好いているようですし、うちとしては別に迷惑でもないのですが」
「そう言っていただけるのはありがたいのですが、ご厚意に甘え続けるわけにも参りません」
リコリスは、前辺境伯の政治的思惑からモルテールン領に滞在していた。
一にモルテールン家との繋がりを深め、二に当人の身の安全を確保し、三にそれらを喧伝する狙いからだ。
それらを主導していた人物が亡くなった以上、人質を預けるとも取れる行為は一旦見直したいというのがルーカスの考え。
リコリスはモルテールン家に付けられた猫の鈴。いざという時にモルテールン家を引き寄せる手綱であるが、この手綱を上手く操れると己惚れるほど、ルーカスも恥知らずではない。経験不足は彼自身が一番自覚していた。
自分が扱いきれないことは手を広げないに限るわけで、前代の当主が広げたものを、自分の身代と実力に見合ったものまで縮小する必要に迫られたのだ。
それに、他の思惑もある。
「しかし、急なお話ですな。もう少し家の中が落ち着いてからでも良いでしょうに」
「……お恥ずかしい話、私の力不足でして」
「と、いいますと?」
「ここだけの話にしていただきたいのですが」
内緒の話だ、と前置きして、ルーカスは急にリコリスを引き取る決断に至った事情を説明しだした。
「そもそも当家の御役目はサイリ王国を含む外敵に備えること。それが為、陛下より諸々の恩沢を頂いておりました」
「それは当家とて同じこと。ご苦労がおありとお察しいたします」
四伯と呼ばれる東西南北の重鎮は、それぞれ面と向かって対立する敵国があった。
どの国にしても何度となく神王国に攻め込んできている油断ならない国ばかりであり、特に東部は小競り合いがしょっちゅう起きていたのだ。
これに備えるために軍権や関税権を始めとする諸特権を有し、色々と優遇されてきたのだ。フバーレク家もその一つ。
「しかし、先の戦いで当家の御役目の必要性に疑問を持つものが出てきました」
「御家の家中でですか?」
「いえ。東部派閥の領地貴族の中からです」
先だっての戦いで、イレギュラー因子の子供が居たことでサイリ王国の脅威は減った。具体的にはルトルート辺境伯の脅威がほぼ皆無になった。
外敵に備えるという辺境伯の役目が、少なくとも東部では意味を為さなくなったのではないか。そういう意見が出てきている。
この手の意見を主張するのは、先の戦いで我が身可愛さに日和見を決め込んでいた連中。自分たちが批判されるのを恐れて、批判の矛先を逸らそうとしているのだ。自分たちが無用の長物だと非難される前に、もっと酷い用無しが居ると言い訳を作っておく手。使い古された手法ではあるが、有用でもある。
また彼らに共通するのは、自分たちの領地が新たに増えた神王国領地の近くということ。同じ東部という立地から、新しい利権に食い込もうと画策する者も居る。遠方に居る人間より有利なのは確かだ。
彼らからすれば、美味しい料理にありつくのに、東部を取りまとめて仕切っているフバーレク辺境伯は目障り。目の上のたんこぶ。
辺境伯家の影響力を低下させ、その分だけ新しい餌に食いつこうとする政治的工作。
したたかな連中といえばそうだが、小狡いものである。
「彼らからすれば、先の戦で功績が極めて大きく、新領地の面々に強い影響力があるモルテールン卿には出来るだけ東部に関わって欲しくない。関わり合う一番大きな理由。妹を一旦家に戻すべきだ、という圧力は日に日に大きくなっているのです」
「なるほど。難儀な話だ」
東部が危険だった時には、モルテールン家が東部に強く介入できる理由を用意しておく必要があった。
しかし、安全になったなら余計な真似はして欲しくない。
身勝手な理由ではあっても、政治的状況とは常に変化するのだから仕方ないだろう。状況の変化に対応できてこそ、貴族政治の荒波を航海できるのだから。
「それと、その……」
ふと、お互いの会話が途切れた。
若者の方が、何かを言い難そうにしていたのだが、お茶を二口ほど飲む間に決心したような顔になる。
「モルテールン卿にはこの件で隠し事をするのは不誠実と思い、ここだけの話にしていただけると信じて打ち明けますが、実はリコリスを実家に引き取ることで、援助を約束する家もありました」
「ほう?」
裏取引の暴露。ことがことだけに、陰謀の匂いがプンプンする。
「主だったところでルーラー辺境伯、アスロウム子爵、ルンスバッジ男爵などが、リコリスの帰還に併せて、妹の衣装代名目の金銭援助を申し出てきました。また、それとは別口でレーテシュ伯なども一度実家に戻してはどうかと打診してきました。父が亡くなった傷心を、一度家族の元で癒しておいたほうが良いだろうと」
「なるほど。錚々たる面々ですな」
裏で何を考えているかまでははっきりしないが、彼らの建前はあくまで善意の申し出。
父を亡くして傷心であろう少女を一度家族の元で養生させてあげたいので、その為に必要なものがあれば援助するというレーテシュ伯の意見。これだけなら慈愛に満ちた聖女のような意見だ。
或いは、戦乱の上に代替わりでお金が入用であろうが、只で援助するわけにもいかないから、妹の帰参に関わる費用の援助を名目としてみてはどうか、というルーラー辺境伯らの申し出。これもまた、父親の縁を惜しむ好好爺が言いそうだ。
どれにしたところで額面だけ見れば、父を亡くして大変であろう若者を、年長者たちが助けようとしているだけに見える。
だが、狡猾で強かな彼ら、彼女らが、額面通りの内容しか考えていないとも思えない。
「……彼らの思惑としては、恐らく一つの目的があるのだろうと思うのですが、これについてモルテールン卿の意見を伺っておきたかったのです」
「目的。それは……もしかして?」
リコリスを実家に戻そうとする政治工作。
これの意味するところは一つ。
「ええ。当家とモルテールン家の、婚約破棄でしょう」
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