114話 戦後の戦い
夏も近づく晩春の一日。
明るく爽やかな青空の下、瑞々しい新緑の映える中庭でお茶の香りを楽しむ人が居る。主賓は二人。片方は妙齢の女性で、しかも臨月間近な妊婦。もう片方は少年という、不釣り合い極まりない組み合わせだが、それを指摘する者は居ない。
お互いに護衛を後ろに置き、向かい合う形でお茶を手にしている。
一見すると上品でセレブなお茶会だが、そんなわけは無い。
「それで? 一つ目の砦を寡兵で奪還出来た後はどうなったの?」
「夜でしたから、布や板に兵士の絵を【転写】して衆兵に見せかけ、追い払いました。本物の兵士は、布の後ろで鎧や兜を引きずって、大勢居るような音を出させまして。鳥の目で音までは偵察出来ませんから」
「なるほどねえ。少数ならば、負傷した準男爵でも運べたというわけね。それとも貴方が運んだのかしら? 噂によると、血の繋がった魔法使いには【転移】が貸せるということらしいけど?」
「ほう、それは初耳ですね」
偽装情報として、カセロールの魔法は『血縁の魔法使い』にならば貸せるということになっている。当然この情報とて最重要機密として扱っているのだが、さすがにレーテシュ伯はその情報を掴んでいた。
確証が無い為カマ掛けで揺さぶってはいるが、元よりこの程度でペイスが情報を漏らすとも思っていない。あわよくば、といった努力だ。
「……まあいいわ。お父上か、それとも貴方がやったのか。地面の一部を転移させるようなこともしたらしいから、それぐらいは教えてくれないかしら? 御領地の貯水池もそれで作ったんでしょ?」
「そんなことが父様に出来たとは知りませんでした。きっと、怪我をして潜在能力が目覚めたのでしょう。あの時の父様は怪我のせいかテンションがおかしかったですから、普段以上に力が出た可能性もありますね。制約が強くなるほど力が強くなる性質があるのかもしれません」
「ケチね。教えてくれてもいいじゃない。私と貴方の仲なわけだし」
「妊婦が誤解されるような発言をするのはよろしくないとご忠言申し上げます」
徹底して情報を隠匿し、或いは攪乱させようとするペイス。
そして、それから出来るだけ多くの情報を引き出そうとする女領主。
この二人の腹の探り合いは、護衛として見ている人間の胃さえキリキリさせる緊張感がある。
「ふう、じゃあその話はまた今度。一つ目の砦を守った後はどうしたの?」
「全ての砦を同様に奪還して、敵の守備兵には同士討ちをけしかけました。更にはルトルート領の砦にも馬を走らせまして。これも奪取の手順は同じです。むしろルトルート領の砦の方が警戒心も薄く、同じ手に容易く引っかかってくれました」
「安全と思っていた所に、ボロボロになった味方が来て、危機を訴えて大至急の救援を求める。敵の焦りを誘い、冷静さを削いで判断の余地を減らし、時間制約を加えることで誤判断を誘発させる。よくもまあ、そこまで人の心を操るものだわ。それも魔法かしら?」
「さてどうでしょう。ああそうそう、この時ルトルート側の砦で敵方の手紙の類も入手できたので、サインを【転写】して偽手紙や偽密書を作り疑心暗鬼を煽りました。おかげで敵方は味方同士で反目する有様。僕も不眠不休で頑張りましたから、さすがに過労で倒れそうになりましたよ」
あははと笑う少年と、それを油断ない目つきで眺める女性の、主賓二人。
レーテシュ伯とて、普段から重要な判断を求められる地位にある。時間が無いと焦って下した判断が、後から間違いだったと気付くことは良くある。
焦りほど判断を間違える要素というのも中々ないが、それを狙って相手を引っ掛けるのだからたちが悪い。結婚詐欺師が誠実に思えるレベルだ。
さて、この二人が腹の探り合いをしながらもお茶を飲むのは、理由がある。
東部の戦況が落ち着いたこともあって、援軍助力への謝辞と経緯説明を述べにペイスがレーテシュ領に来ていたのだ。
フバーレク家から預かっていた全軍の指揮権は既に返還されている。
モルテールン家の援軍も既に引き上げており、ここに居るのはただの準男爵家当主代理としてだ。
ちなみに、伯爵家の婿セルジャンは今も東部で軍の指揮を執っている。
フバーレク家有利となったと見るや、お家の安泰を図って日和見を決め込んでいた神王国東部の諸家が、一斉に火事場泥棒よろしく兵を出し始めたからだ。おこぼれ狙いで勝手な動きをする連中を抑え込みつつ、意味のある戦力として反攻軍に編入していくには、レーテシュ家の威光が必要だったという事情もある。
「フバーレク領の村々はどうしたの? 砦が奪還されたと分かった時点で、向こうも必死で襲ってきたでしょう? 略奪は戦場の習いだそうだし」
「先に飛んで目ぼしい食糧だけは強制的に買い上げましたから。ついでに、死なない程度の毒入りパンも置き土産に残して」
「死なない程度? 何故?」
「毒で殺すより、病人を量産したほうが、相手にとっては負担になるからです。それに、致死性の毒なら毒入りとはっきりわかりますが、時間が経って起きる嘔吐や下痢なら食あたりや病気にも見える。一見するだけなら、食べられそうに思うでしょう? にもかかわらず、折角手に入れた食料を、自分たちで燃やすわけですよ。事情を知らない一般兵から見れば、自分たちは飢えているのに、食べられる物を燃やされるように見えるわけです。あれは毒入りなのだ、と上が説明しても、毒の死人も出てない状況なら説得力も小さい。不信感は募る」
「酷い話ね」
実は、ここでペイスは失策を犯している。
ペイスの本職は菓子職人。食べ物へ毒を入れることに躊躇したため、半端な効果になったという事情がある。
が、そんな付け込まれる隙を伯爵相手に見せるような男でもない。建前を押し通す。
「と、そういう状況なら、敵も大軍を養うものは手に入らないので、村々に長居も出来ず足早に立ち去りましたね……ああ、サイリ王国軍が引き上げた後で、買い上げた物を買い戻させる手配をしました。村人の被害は、敵の略奪以外では殆どありません。これを指揮したのはフバーレク家ですね」
「なるほど。でも、ルトルート領にも村や町があったでしょう。そこで物資を補給されては意味が無いのではないかしら?」
「それも先んじて手を打ちましたよ。手の者達に辺境伯やその部下のふりをさせてルトルート領軍を装い、民間人は領都まで避難させました。物資を残らず持たせて。向こうの目を掻い潜って隊を動かすのに苦労しましたが」
実際は、敵の動きを逐一監視できる“手段”を入手できたからこそ可能だったこと。
相手が何処でどうしているかを把握し、敵の監視や偵察の動きを空から逆監視し、時間を計算しながら、向かっているであろう村や町に先んじて一軍を差し向けて物資を移動させる。
敵が目的地に到着したころには、空っぽになっているという寸法だ。
詳細な情報を得られる手段と、移動を一部なりとも短縮できる手段と、統括できる指揮命令系統と、優秀な部下と、緻密な罠。全てが揃って出来るハメ手である。ペイスが指揮権を求めたのはこれも理由の一つ。
ルトルート軍もたまらないだろう。やることなすこと全て読まれていたような錯覚に陥ったはずだ。
実際は、相手の動きを察知してから先回りしているだけなのだが、相手からすれば、自分たちの行動を全て読み切った上で事前に手を打っていたように見える。
今頃はペイスの智謀に対して、過大で過剰な評価と、悪魔のような異名が着けられているはずだ。
「相手も急いでいたでしょうに……よくそんな時間があったわね」
「初期に馬を潰せましたから。あえて間に合いそうな雰囲気を見せることで、砦の奪還に足の速い騎兵を先行させるように仕向け、そこで馬を徹底的に潰しました。それに、食料の無い中での行軍。まず馬を潰して飢えをしのぐのは目に見えていました。徒歩を強制出来れば、こちらは馬も【転移】もあります。時間的な余裕は生まれる」
ペイスも、変装や偽報だけで全ての砦を奪還したわけではない。
例えばある砦などは、偽報で敵兵を追い払ったのち、あえて砦の外に自軍をおいて砦を攻めさせ、今まさに砦が落ちそうになっている、という風に装って敵を欺いた。
サイリ王国軍は、偵察に向く魔法もあるから状況を知る。そして、同士討ちを警戒するあまり、攻め手が間違いなくフバーレク家の兵と分かった時点で安心してしまう。まさか敵まで同士討ちをしているなどとは考えもしない。
人に毒を盛って高笑いしている悪人が、自分でも同じ毒を煽るとは、普通は考えないだろう。
そして、食料も無いサイリ王国軍は、砦を落とされては一大事とばかりに援軍をだす。急を要するとなれば騎兵を先行させる。が、ペイスの策を持った守備部隊が、それをことごとく潰した。それはもう、徹底的に。
小さな落とし穴や、偽装した小さい馬防柵を沢山用意しておき、その中を敵騎兵に全力疾走させるのだ。馬の多くが足を取られて骨折。落馬した人間は、味方だと信じていた砦の守備兵に矢玉を浴びせられるという悲惨な目に遭った。助けようとして命をかけた相手に殺されるのだ。精神的なショックは大きく、士気に与える影響は甚大だ。
虎の子の騎兵の多くを失ったサイリ王国軍は、更に打てる手が減った上に機動力も削がれた。のろまで空腹の大軍などは、ペイスでなくとも美味しいカモである。
疑心暗鬼に陥った軍は、本当の急報があっても対応が出来ない機能不全に嵌った。
そうなってから鴨狩りをしたのは、手柄を欲していたモルテールン家以外の面々である。飢えた弱兵が士気も最低で、命令系統も混乱中。これに負けるような人間は、軍家失格だ。
ペイスはその頃何をしていたかといえば、一足先にルトルート辺境伯領まで侵攻して、村々の扇動を行っていた。
敵が来るからとにかく急いで逃げろ、と煽るだけでいいのだ。楽な仕事である。後は、村人たちが勝手に食料を持ち出してくれる。
後から物資補給にやってくるサイリ王国軍。争った形跡も無いのに物資が空になっている状況を見て、絶望はどれほどであっただろうか。
「酷いことをするわね。それじゃあ彼らは、自領なのに焦土作戦をされたようなものじゃない」
「おかげで、傭兵は寝返らせることが容易になり、徴兵された者は次々と逃げ出し、限られた物資を味方同士で取り合うという状況に。僕らが何もしていないのに勝手に同士討ちし始めたのには笑うしかありませんでした。そうそう、ルトルート軍が自領の領都に帰った時には、百にも満たなかったと報告がありました。普通の戦死者よりも同士討ちでの死者の方が多かったらしいです。空腹で倒れて亡くなった兵士もかなりの数だったとか。こちらの被害はゼロ。軽傷者が何人か出た程度です。僕が指揮を執ってない追撃の時にはもうちょっと被害が出たそうですが、それでも大して影響はないでしょう」
「……相手に同情してしまいそう」
レーテシュ伯も馬と武芸をかじった身。騎士の気持ちだって多少なりとも分かる。
だからこそ、戦うことも出来ずに倒れていった人間の悲惨さを思って、顔を顰めた。名誉も無い犬死とは、騎士からすれば最低の死に方である。
「それで、セルジャンはどうだったかしら? とても急なお話だったから城に居た人間をかき集めてお送りしたのだけど。お役に立てた?」
「勿論です。セルジャン殿は、一隊を預けるのに不足は有りませんでしたから。今も、ルトルート辺境領の奪取に奔走しているのでは? 敵の戦力はボロボロですから、上手くすればフバーレク家がルトルート辺境領を併呑するかもしれません。いや、領都を攻略できればそうなるでしょう。その時の先陣は、経験と実績と地位から考えて、彼が適任です。成功すれば功績は大でしょう」
フバーレク領の領都陥落寸前から、逆侵攻してルトルート領の領都を攻略する。この手柄は他に類を見ない大手柄になるが、ペイスはその手柄の美味しいところを他人に譲っている。
何故か、とレーテシュ伯は不思議にも思ったが、彼の少年のことだから意味があるのだろうと思いなおす。
大方、自分が功績を独占することへの危惧があったのだろうと察しを付けた。
「当家としてはとてもありがたかったのだけれど……借りを作るのは後々怖そうね。御礼は何が良いかしら?」
「貸し一つでも良かったのですが」
「借りは返せるときに返しておかないと、どこで持ち出されるか分からないわ。特に、貴方のように油断ならない相手なら、尚更よ」
「ほう?」
ペイスの目つきが鋭くなった。
これが本題だったからだ。
「ならば、御家がアナンマナフ聖国から招聘しているという、治療に特化した魔法使いをご紹介いただきたい」
借りを返すのに、自家に囲っている魔法使いを見せろと言い出した。これにはレーテシュ伯も警戒し、しばらくの間考え込んだ。
そして、探りを入れる。
「それは、もしかしてお父君の治療のためかしら? それとも覗き屋の治療の為?」
「両方です。件の魔法使いへの仲介をお願いできれば、後の交渉は我々が行います」
レーテシュ伯爵家は四方に耳がある。カセロールが負傷し、シイツが重体であることなど真っ先に連絡が来た。なにせ、南部閥にとっては欠かすことのできないキーマンであるのだから。
彼の準男爵とその腹心。どちらにしても治療するだけの価値はあるだろう。
「そうね、良いでしょう」
「では、明日にでも父様が此方に出向いて、その魔法使いを当家の領地までご案内しましょう」
「それは駄目ね。準男爵の治療は当家にとってもメリットがあるけど、聖国の魔法使いは当家が責任をもって保護している対象。私の出産に備えてお越しいただいているわけだから、我が家から外に連れ出すことは許可出来ない」
「当家が信頼できない、ということですか?」
「信頼とは別問題よ。不測の事態が起きたとき、私の目の届くところでないと対応できないから」
「しかし、シイツは動かすのも大変な重体でして」
「それでも駄目。あくまで、うちに出向くなら治療を認める、というのが当家の判断です。それだって、聖国の人間を説得出来たらという話ですけどね」
レーテシュ伯も甘い人間ではない。むしろ、女狐だの腹黒女だの陰険ババアだの、口の悪い人間には散々に悪口を言われる程度には厳しい存在。
聖国の魔法使いは、自分の治療を目的に相当な金額を出費して、なんとか来てもらった賓客である。如何にモルテールン家といえども、その手に委ねるような判断をするはずがない。
紹介するだけでも破格の条件だ、と言い張る。
「仕方ありません。しかし、シイツは他人の手が無ければ動けないような状況です。僕が護衛……ゴホン、介添えに付くことは許可頂けますか?」
「それは仕方ないわね」
一瞬ペイスが護衛と言いかけたのを、聞き逃す伯爵ではない。
確かにペイスの立場ならば分からなくも無い。自分たちの腹心を他家に預ける形になるのだ。害意があれば、重傷のシイツ一人を“不幸な事故”に遭わせることはとても容易い。そうしておいて、治療の甲斐なく亡くなった、とでもいえば良い。
誰かが傍に付いて、この手の謀略を防ぐ必要性は納得のいくもの。
じっと考えていたレーテシュ伯。
介添えを建前に、護衛に付きたいという点は理解できたから、許可を出す。
別にシイツに含むところがあるわけでも無いのだ。ここはモルテールン家に恩を売って、信頼していることをアピールするのも悪くないと判断した。
次の日、早速とばかりにペイスとカセロール。そしてカセロールに背負われたシイツの三人がレーテシュ領にやってきた。怪我人二人と子供一人の来客。
しかし、昨日と違ってどうにもレーテシュ家の城の中が騒がしい。
「どうした?」
どたどたと走り回って、客だというのに見向きもしない使用人の一人を捕まえて、カセロールが尋ねる。
すると、使用人は居ても立ってもいられないといった様子で、慌ただしく答えた。
「伯爵様のお子が産まれるのです!!」
言うが早いか、また駆け出して行った使用人。
彼の人が言った重大事項。レーテシュ伯の出産。臨月より早い陣痛が来たとでもいうのだろうか。
慌ただしさの訳は、使用人の一言だけで十分に理解できるものだった。
11月10日に5巻発売です。
それを記念し、御礼の気持ちを込めて短編も投稿しています。
活動報告に載せた5巻表紙絵ともども、ご覧頂ければ幸いです。