110話 危機
「あちこちから火の手が上がってます」
「見りゃ分かるってんだよ。それより、状況の確認……っておいおい」
フバーレク辺境伯領の領都。
そこに転移したモルテールン家の面々は、早々に物々しい雰囲気の兵士たちに取り囲まれた。
囲んでいるのは数十人といったところ。もちろん精鋭ぞろいのモルテールン家、戦っても五分以上の勝ち目はあるが、モルテールン側も無事では済みそうにない。
もしや、既に領都が陥落していたのかと緊張が走る。
「我々はフバーレク家に助力せんと駆け付けたモルテールン領軍。万夫不当のモルテールンの名を聞いて、恐れぬものだけ前へ出なさい」
しかし、いざとなれば転移で逃げられるモルテールン家には恐れるほどのものでもない。
ペイストリーの口上に、怯んだのは囲っていた方だった。ここにカセロールは居ないのだが、そんなことは囲んでいる人間に分かるはずも無いだろう。
首狩り騎士と恐れられるカセロールの勇名を利用して、ペイスは早速策を講じたわけだ。
「まて、モルテールンと言ったか?」
そんな逃げ腰の兵士の中から、一人の男が進み出てきた。
見た目は二十代後半から三十代前半。傷と煤でくすんだ鎧を着た、指揮官らしき人物。
「囲みを解け。友軍だ」
その男の指示で、囲みが解かれる。
「失礼しました。私はフバーレク家従士コ-ンウォリス=ウーヴェンと申します。御家のカセロール様には、当家へのご協力を賜り、一同感謝しております。ご無礼をお許し願いたい」
「モルテールン家カセロールが嫡子ペイストリーです。ウーヴェン殿、早速ですが状況をお教え願いたい。見たところ火の手が上がっているようですが、敵軍の侵入を許したのですか?」
「いいえ。あれは敵の攻撃によるものですが、敵兵の侵入は阻止しております」
「敵兵の侵入を阻止したが、火計を受けた? 投石器のようなものがあったのですか?」
「不明です。空から油の入った壺のようなものを落とされ、街区の一部が延焼しました。現在防衛と同時に消火活動中でして、その最中にあなた方と遭遇したという状況です」
「そうですか。現状、指揮は誰が執っていますか?」
「正門の所で当家の者が」
「ならばそちらに我々も行きましょう。貴方達はそのまま消火を続けてください」
領都でもあるアルコムは、町全体が城壁で囲まれている。東部辺境の中心でもあり、それ相応に防備は整っていた。
そこに外部から火をつけるとなると、相当に入念な準備が必要なはずである。
転移早々のただならぬ状況に、モルテールン軍は一塊になって正門へ急ぐ。
「野戦でフバーレク伯に勝って、更には領都まで侵攻する。これほどの機動力を維持しながら、攻城戦まで準備万端というのも妙な話ですね」
「やってやれねえことはねえでしょうが、難しいでしょうぜ。攻城兵器ってのはどんなもんでも鈍足ってのが相場でしょうから。野戦の時にゃ壊されねえように後方に置いてるでしょうし」
「となると、敵方に強力な魔法使いでも居るのでしょうか?」
「そう考えた方が自然でさあ。物を運ぶ魔法なのか、遠くから火をつける魔法なのか、物を投げる魔法って可能性もありますぜ」
「現状では情報不足です。正門へ急ぎましょう」
正門に着くと、そこには頼もしい味方が居た。
「父様!!」
「ペイスか。よく来たな。皆もご苦労」
「はい」
城壁の上に立ち、戦場を眺めるカセロールの姿がそこにあった。
風景画の一枚を思わせるほどに自然に佇む様子に、場違いながらも芸術性すら感じる。
「父様、指揮権をお返しします」
モルテールン家の当主はカセロール。
先行していた領主と合流できた以上、指揮権は代行からカセロールに返されるのが当然。
息子の言葉に、父親は軽く頷くだけで答えた。
「そうか。ならばペイスはこれから援軍を呼んで来い」
「援軍ですか?」
「うむ。状況は切迫している」
カセロールの話によれば、今押し寄せている軍は間違いなくルトルート辺境伯軍だそうだ。辺境国境での野戦に勝利した余勢をかって、一気に領都までなだれ込んできたという。
しかも、攻城戦の準備もある程度あるらしい。というよりも、最初から攻城戦を目論んでいた節があるという。
野戦や、前線拠点攻略をあっという間に終わらせ、瞬く間に領都まで押し寄せたという話を聞き、ペイスは訝しがった。
「それほど急いできたのなら、補給線も伸びきっているのでは?」
「そこが妙な所でな。同じようにフバーレク家も考えて、領都まで撤退する際に補給線の分断を試みたそうだ。ところが……」
城壁の上は危ないので、安全な場所に避難しつつ会話を続ける。
「補給線の分断の為に軍を動かすと、それを狙いすましたように別動隊の攻撃を受けたそうだ。そもそもの最初から、偵察隊は徹底的に潰されて、野戦でも完全に後手後手だったらしい。その上、補給部隊への奇襲部隊を奇襲されるという有様。清々しいぐらいに此方の動きが見透かされていたらしいな。前線の放棄と撤退は妥当な判断だった」
「別動隊による奇襲……以前にスクヮーレ殿が襲われた時を思い出しますね」
「うむ。あの時も、妙にフバーレク家の動きを読み切っていた節がある。あの時はたまたまかと思っていたが、今回のように続けば、なにがしかのカラクリが有るのかもしれん」
「魔法、ですか?」
「それは分からん。可能性としては高いだろうが、内通者という線もあるし、本当に知恵比べでこちらの手を読み切ってくる切れ者が居るのかもしれん。どれにせよ、フバーレク家が初戦から連敗を重ねて、打つ手が全て裏目に出た結果、こうして領都に籠城することになったらしい」
カセロールの話は、ここまでが前置きだ。
現状の認識のすり合わせが終われば、そこから打開策を模索せねばならない。
「まず、援軍の無い籠城などは愚策なので、誰かが援軍を呼びに行くべきだ。私も既に近隣には飛んだが、彼らの腰は重い」
「すぐ傍にまでルトルート軍が来てるわけですからね」
東部の貴族家は、極論フバーレク家が滅びても問題ない。自分の家の安泰こそ一義であるから、辺境伯家が潰されたところで、例えば中央軍などが出張ってきて盛り返してから動いても構わないわけだ。
それを考えると、辺境伯家当主不在という先の見えない状況で援軍を出し、援軍にだした戦力が丸ごと負け、更にはルトルート家の矛先が自分たちに向く、というのが最悪の想定。
最悪を避けるために、まずは自領の守りを固めるという方針を執る家が多く、援軍には及び腰のところが多かった。
「となると、東部以外から援軍を呼ばねばならない、ってことですかい」
「そうなるな。中央軍は呼ばずとも来るだろうが、大軍だけに時間が掛かろう。敵の手の内がはっきりしない今となっては、実に心もとない。となれば、魔力の豊富なペイスが遠くから援軍を連れて来るのが良手となるだろう。相手の意表も突ける」
シイツの言葉に、カセロールは頷く。
現時点でも攻勢を受け、城内の街にまで火を付けられてしまっている。どれほど持ちこたえられるかは怪しいものだ。
出来る限り急いで援軍を呼ぼうと思えば、大軍を一気に運んでこられる、規格外の力量に期待するや切である。
「分かりました。早速行ってこようと思います。援軍の要請は何処に?」
「任せる。お前が説得できると思えるところから行ってこい。報酬は、フバーレク家に付けておけ」
「そんな空手形、いいんですかい?」
「構わん。どうせ今は当主不在だ。非常事態と開き直るさ。許可は事後承諾で取る」
カセロールの大胆な指示に、苦笑いのシイツ。
悪だくみに余念のない大人たちの後押しを受け、ペイスは何処かに【転移】する。
「さて、では私は私の仕事をするか」
「手伝いますぜ」
英雄には英雄の仕事というものがある。
正門で指揮を執るフバーレク家の面々の所まで行き、そのまま胸を張って言ってのけた。
遠くにある他の門まで聞こえるぐらいの大声で。
「フバーレク家の勇士諸君。私はカセロール=ミル=モルテールン。これより、我がモルテールン家が総力をもって諸君らを援護する。我々の後には、すぐにも頼もしき援軍がやってくる。必ずやってくる。私を信じ、今少し、耐えてくれ!!」
カセロールの声が聞こえたのだろう。そこかしこでおおという叫びが起こった。連敗続きで領都に逃げ込んだ者たちも、今ならば少しは気持ちを盛り返して戦える。
士気は戦場において重要な要素。
敵の手の内は不明だが、ペイスが援軍を連れて来るまで守り切ればまだ五分に盛り返すことも可能だし、押し返す可能性もある。
その為に、出来ることは全部やるのが指揮官の仕事。そして、名前だけで士気を鼓舞するのが英雄の役目である。
「正門は大丈夫か?」
勢いを盛り返したところで、カセロールがフバーレク家の一人に問いかけた。彼は、フバーレク家の嫡子、ルーカス=ミル=フバーレク。二十歳の青年である。
聞けば、留守を預かっていた留守役だという。当主不在という衝撃の中、逃げてくる軍を迎えつつも取り纏め、迎撃態勢を整えたという。それだけでも流石は東部重鎮の後継者というべき手腕だが、カセロールの助力で更に防衛について自信を深めた。
「こちらは大丈夫です。モルテールン卿、西に援護を頼みます。城壁に取りつかれて危険な状況です」
「承知した。行くぞ、お前達!!」
「合点でさあ大将」
モルテールン家は、やはりカセロールが率いると一味違う。
数十名の軍集団が、城壁の上に登ろうとする敵軍を、当たるを幸いとなぎ倒しながら西門に向かった。
時には、カセロールが城壁外に【転移】で奇襲するような真似も行いつつの防衛。モルテールン家は、獅子奮迅の活躍を見せた。
明るい間を戦い続け、夕闇が空を覆い始めた頃。夜戦を不利ととったのか、ルトルート軍は一旦兵を引いた。
「うちの被害状況は?」
「死者なし、重傷者なし、軽傷者が五名」
「軽傷の理由と度合いは?」
「敵の投石に当たって怪我したのが三名。交戦時に矢が掠ったのが一名。張り切り過ぎて足を捻ったのが一名」
シイツの報告に、カセロールは頷く。
敵が一旦引いたからだろうが、緊張が多少解れた感じの野次もとぶ。
「足を捻ったってのは誰だ?」
「本村の若い奴だな。ダグラッドの班だ」
「なんでえ、スラヴォミールがやらかしたんじゃねえのか」
「それは酷いっち」
はははと笑いが出る程度には解れた雰囲気。
何度も死線を越えてきた連中は、肝が図太く出来ている。
「明日も、恐らく総攻撃があるだろうな」
「大将の勘ですかい?」
「いや、予想だ。ルトルート家としても、フバーレク家がカドレチェク家の後援を得た情勢を承知している。中央の国軍が出張ってくるのは予想済みだろう。ならば、それが来るまでにここを落としたいはずだ。厚い城壁のこの町は、攻めるのに困難だが守るに容易い。ルトルート家が大軍で籠れば、中央軍でも取り返すのに難渋するに違いない」
「確かに」
「フバーレク家が明らかに劣勢となる状況を一気に作り上げ、睨みを利かせて近隣の神王国側増援を阻止し、孤立させて領都を包囲。ここまでの戦略は見事に敵方に嵌められた。このままならば此方が消耗する分だけ不利になる一方。いずれ領都も落ちる。フバーレク領が敵の手に落ちれば、我が国の情勢は一気に不安定化するだろう。諸外国の動き次第では、屈辱的な講和を飲まざるを得ないかもな」
「フバーレク家の一族の処罰ってのは要求に含まれるかもしれませんぜ」
「あり得る。そうなると、リコリス嬢を保護する我々も、ただでは済まん。ここは負けられないな」
「やっぱり、坊の働きで相手の裏をかくのが良いって話ですぜ」
「そうだ」
辺境伯領を落とせるほどの軍を、収容できる防衛施設など国内にも数えるほどしかない。
外交交渉を行うにせよ、或いは更なる軍事行動にせよ、拠点となるべき場所の確保は必須。相手の軍事行動の目的がフバーレク家の屈伏にあるとするならば、早期に領都を落としたいはず。
ならば、総攻撃が今後も続くと予想するのは自然。
明日も厳しい戦いになるだろう。そう考えて、モルテールン家の面々は見張りを残して休むことにした。
次の日は、朝から良い天気だった。
季節がらの陽気が広がり、見晴らしも良い。防衛側としては申し分のない天気。
一つ、モルテールン家に誤算があったとするならば、その日、従士長とカセロールが、敵の矢に倒れたことだけだった。