109話 出陣
大戦の英雄を旗頭に集まったモルテールン家精鋭。彼らは、常日頃から隣国との闘いの最前線にいるという自負を持っていた。元よりいつ死ぬかも分からない世界で、モルテールン領は更に過酷な場所だったからだ。
一触即発の仮想敵国と向き合い、領地は水も乏しい貧困地域。人も寄り付かず、それでいて悪人共はこぞって逃げて来る。そんな環境で十余年。
ただでさえ厳しい環境で生き、苦労と忍耐を友とする彼らには、有事は常に身近な存在。いつだって、危険と隣り合わせで生きてきた。
東部への遠征という事態に際しても、一切怯えることなく、怯むことなく、奮うでもなく、勇むでもなく、ただ淡々と準備を整えていく。
この、命がけの戦いすら普段と変わらない日常の一部という有様こそ、精鋭を精鋭と呼ぶ所以である。並の人間とは、心構えが違う。
しかし、そんな精鋭の中にあっても、指揮を執るべき人間の不在は大きい。一頭の狼に率いられた羊の群れは、一頭の羊に率いられた狼の群れを駆逐するという。精鋭が精鋭として機能するには、トップもまた精鋭でなくてはならない。
にもかかわらず、今尚集まった人間を率いるべき人間だけが不在。
本村の広場に集まった彼らには、珍しく戸惑いがあった。
「坊はまだか?」
「まだです」
「こっちは準備出来たってのに、何やってんだ?」
従士長は胡乱げに屋敷の方を見やった。
いつもならば時間はきっちりと守る年若きリーダーが、今日に限って人を待たせている。珍しいこともあるものだと思わなくもないが、ことがことだけに気になるのだ。また、何か良からぬことが起きたのではないかと心配にもなる。
シイツがこれであるから、集まった人間達もまた不安そうにしていた。騎兵七名、歩兵四十五名の全員が、ざわざわと騒めいている。
「俺が見てきましょうか?」
「そうだな、頼む」
集まった者の中では若年のガラガンが手を上げて、様子見に立候補した。それに対してシイツが許可を出したので、若者は屋敷の方に馬を走らせる。フットワークの軽さはガラガンのみならず若者の専売特許という奴だ。
どういう状況にせよ、これで何がしか分かるはず。集まった皆もそう思った。
体感では皆それ相応に待った気がしたが、一体どれほどの時間であったか。しばらくすると、ガラガンだけが戻って来た。
顔色は悪い。というより、何かをぐっと堪えているような顔だった。唇を真一文字に引き絞り、眉間にはくっきりと立皺が彫り込まれている。
ペイスを伴っているわけでも無く、ただならぬ様子に、周りが騒めく。
「静かにしやがれ」
シイツの一喝で騒めきは収まるが、不安そうな様子は変わらない。むしろ、不安の度合いは増した気さえする。
「シイツ従士長」
「何だ?」
ガラガンの報告に、皆は一斉に注目する。
一体何があったのだろうかと。
「若様はもうすぐ来ます。先に行けと言われて、俺だけ戻って来たっす」
意外と普通の答えにほっとした。誰もが。
有事が起きた際、モルテールン家を味方にするのは大変心強い。それは裏を返して見たとき、敵からすればかなり邪魔な存在だという事。
カセロールが単独で領地を離れている今、カセロールの弱点ともなるペイスやジョゼといった家族を狙う可能性は存在していた。血なまぐさい世界に危険は常に付き物だが、敵国が戦争しているのなら弱点を攻める可能性はいつもより高い。
そういう事態では無かったことに、気の回し過ぎだったかと安堵したのだ。
「そうか。で、何があった?」
「それが……」
一瞬、苦しそうな顔をさらに歪めたガラガンだったが、やがて決壊する。
「ぶははは、駄目だ。ひ~おかしいぃ。ふへ、ふへはははは」
腹をよじらせ、大笑いしだした若者に、周りの年長者たちはポカンとした。
「おい、笑ってちゃ分からんだろう」
説明を促す声に、ヒーヒーと苦しそうな様子で説明するガラガン。
「いやそれが、俺が屋敷に戻ったら、若様がまだ執務室に居ましてね」
「それで?」
「妙だなって思って執務室に入ったら、リコリス様も居たんすよ」
「あん? あのお嬢様がか?」
察しの良いシイツは、この辺でガラガンが何を言いたいのか大よそ理解した。
本来居るはずの無い女性が居たとなれば、この遅延トラブルの原因はそれしかない。
「どうもリコリス様も今回の件を知ったっぽくてですね。故郷がどうなったのかとか、若様が危険な真似をするんじゃないかとか、実家に一度帰りたいとか、まあ散々に泣いてまして」
「それで、何でお前は笑ってるんだ?」
リコリスが泣いていたというなら、むしろバッドニュースだ。笑うというより、悲痛な共感を覚えてしかるべきではないか。笑うというのは、如何にもリコリスに対して配慮が欠けているのではないか。
そんな非難の目つきでシイツはガラガンを見たが、それでも若者の笑は止まらない。
「リコリス様を宥めるのに四苦八苦してる若様の顔が、珍しかったもんで。しどろもどろになってる若様なんて初めて見たもんすから、それがツボにはまったっす。ふはへへははは」
「あ~……つまり、特に問題ないと?」
「そうみたいっす。ぷひゃひゃふふひゃ」
ガラガンの話した、実に馬鹿馬鹿しい理由。
それを聞いて、全員肩の力が抜けてしまった。
いつの時代も、男の天敵は女性である。特に、惚れた弱みがあれば尚更。
「そうか。それなら全員整列だ。婚約者を泣かせた色男がもうすぐ来るぞ」
「はい」
全員が改めて綺麗に整列し終えた頃。
蹄鉄の四拍子を伴って、疲れた顔の美少年がやってきた。その様子を見て、多くは笑いを噛み堪えている。
代表して、シイツがニヤついた顔でペイスを迎えた。
「坊、お疲れの様子で。その様子なら、リコリス様も落ち着いたようで」
「……シイツ、編成と準備ご苦労様。皆楽にしてください。それと、トバイアム、一歩前へ」
「あん? 何だ?」
全員が握った右手を胸の前に当ててペイスを迎える中、迎えられた方は、早々に姿勢を崩してよいと許可をだした。堅苦しいのが苦手なのは、モルテールン領主親子の共通点。
そして、何故か厳つい男だけを一歩前に出す。そのまま、シイツに何事かを耳打ちした。
ごにょごにょと何事かを内緒話する二人。
ペイスから耳打ちされたシイツは、そのままトバイアムの後ろに回り、おもむろに右足を後ろに引き上げ、勢いづけてケツを蹴り上げた。恐ろしく容赦のない蹴りだった。
「痛ってえええ!!」
「リコから聞きましたが、口外無用と言ったにも関わらず、廊下で大声を出していたそうですね。それも委細漏らさずぺらぺらと。おかげでリコを安心させるのには時間が掛かりました」
「俺ぁ普通にしゃべってただけだって」
「それでなくとも貴方は声が大きい。無用な心配をさせたくなかったのですが、彼女を泣かせてしまいました。今のは僕の八つ当たりです」
「酷ぇえ!!」
いい具合に当たったらしく、大男はそのまま蹴られたところを押さえて蹲る。
トバイアムが調子に乗って不用心な真似をするのは良くあることだが、今回ばかりは御咎めなしというわけにもいかなかったようだ。
カセロールやペイスの気遣いがパーになってしまったのだから。
「全く……さて、予定よりも遅くなりましたが、全員聞いて下さい」
「はっ」
緩んだ空気が、一気に引き締まる。
「皆も既に知っていると思いますが、改めて状況を説明します。東部で戦争が起き、当家の友軍であるフバーレク家が敗れました。現在は領都まで軍を引いているとのことで、父様が既に先行して現地に行っています。敗軍があの父様を放っておくわけも無いので、今頃は正式に援軍要請を受けているでしょうし、それを断る選択肢など当家には無い。我々は、この援軍要請による行動となります。いいですか?」
「「はい」」
「作戦目標としては、東部を安定させることが第一義。敵軍が東部のみならず王国を蹂躙するであろう状況を、必ず阻止します。最低でも戦線を膠着させられれば、後は国軍の仕事でしょう。中央軍始め、我が国の主力の準備が整うまでおよそ一月。その間の敵軍の軍事行動を可能な限り阻止します」
「敵とは戦わねえんですかい?」
「父様と合流した後の状況次第でしょう。向こうが進軍を止め、睨み合いになれば我々は抑止力になります。交戦があるかも不明です」
「俺の勘じゃあ、戦いは避けられねえって感じなんですけどね」
モルテールン家は、国家安定の為の戦力を期待されて貴族位と領地を授かったことになっている。期待される役割も、それに準じる。
大軍は、準備にも行動にも時間が掛かる。フバーレク辺境伯とも親しいカドレチェク公爵あたりは、今回の事態に際して中央の国軍を動かすだろうが、それにしたってどうしても準備には相応の手間があるもの。
この、援軍が来るまでの時間稼ぎこそ、モルテールン家が得意とし、かつ期待されている役割。単独でも一個小隊に匹敵すると言われるカセロールが、嫌がらせのようにして時間を稼ぐことで、本体到着まで可能な限り不利を減らす。
ある意味で、米軍が来るまでの防衛を意図する自衛隊のような役割だ。
即応力は現地駐留の防衛部隊に匹敵し、最低でも一個小隊に匹敵する戦力。ゲリラ的な時間稼ぎには、これ以上都合のいいものも無い。四伯と呼ばれる重鎮たちにも、モルテールン家が一目置かれてきた所以だ。
しかし、これらの小規模戦力で撃退出来るほど敵も甘くない。それは当該領軍の仕事であり、或いは国軍の仕事。モルテールン家が決戦戦力となるようなときは、二十数年前の大戦の再来だ。
あくまで補助戦力がお家の役目と、ペイスは皆に言い含めた。
「現地に飛んだ時の行動を確認しておきます。シイツ」
「はいよ」
「現地では、誰が指揮官か不明です」
「フバーレク伯じゃねえんですかい?」
「その安否が不明だそうなのです。無用な混乱を避けるためにあえて教えていませんでした。それを念頭に置いて、シイツは現地の指揮官を確認してください。父様と合流するにせよ、現地指揮官と合流するにせよ、シイツの【遠見】が役立ちます」
「了解でさあ」
シイツは胸を張って答えた。
我らが頼もしき従士長は、世に知られた魔法使い。直接的な攻撃力こそ準騎士一人分の一人力だが、こと戦術的な情報収集と状況判断には百人力。
歴戦の古豪であり、切った張っただけではない大局的な判断の出来る指揮官として、モルテールン家の面々からも信頼は篤い。
「グラス」
「はい」
「補給物資の管理を任せます。辺境伯軍は物資を粗方捨てて逃げた可能性もあります。例え友軍が相手でも油断せずに、物資の確保を行ってください」
「分かりました。微力を尽くします」
グラサージュもまたモルテールン家の古株。父親の代からモルテールン家に仕えてきただけに領主家からは全幅の信頼を寄せられている。
万が一にも損害を受ければ全員が飢えかねない後方指揮を、任せられるだけの力量も確か。
彼は、与えられた任務に対して気合を込め、愛用の弓をぎゅっと握った。何度も自分の危ういところを救ってくれた相棒だけに、手に馴染む。
「そしてコアン」
次に声を掛けられたのは、シイツに並ぶ古株。古戦場の生え抜きコアントロー。
自分よりも遥かに年下の上司に対して、口数少なく頷くだけで答えた。
「前衛を預けます。先の作戦目標の通り、我々が最前線に出る可能性は低い。それでも、敵前で剣を交えるのは貴方がたが頼り。我々は小勢です。コアンが前線であると同時に、最終防衛線です。死ぬなとは言いませんが、その背中に我々全員の命があると思って下さい」
「うむ、任せていただこう」
それぞれの役割を言い渡したところで、改めてペイスが全員を見回す。
村人から選りすぐった腕利きの男たち四十五名。それ以上に腕に覚えのある従士七名。一個小隊強の戦力。これにペイスとカセロールが加わった、総勢五十四名がモルテールン家の総兵力。
「皆、準備は良いですね? それでは、出発」
ペイスの掛け声とともに、全員が【転移】していく。
魔法で飛ばされるのが初めての者は、急に景色が変わる感覚に思わず身体がぐらついた。いきなり見ていた光景が切り替わると、バランスが崩れた錯覚を起こすのだ。勿論、慣れたものは微動だにしない。
そんな銘々の中、いち早く状況を確認したシイツから、怒声のような大声が響く。全員の耳に良く通る声。
「坊!!」
「分かっています。総員、戦闘態勢!!」
シイツの声が届くと同時。ペイスも周りの状況を察した。
モルテールン領から一気に東部辺境のアルコムまで飛ぶのはカセロールでも不可能だが、ペイスの魔力量ならば可能。
時間を惜しんで領都まで一足飛びに移動したわけだが、それだけに飛んだ先の状況は不確かだった。
そして、現在の状況とやらは想定されるもののうちでも最悪に類するもの。
既に、あちこちで黒煙が上がっていた。