107話 ナータ商会のお買い物
「くっそ~、あのタヌキ野郎、ぜってえ俺が捕まえてやる」
「ぷっ傑作だな。散々自慢しておいて盗み取られるとか。俺、タヌキと目が合った時に思わず笑っちまったぜ。こっち見て、ヤベッみたいに一瞬動きが止まってから逃げたのな。そん時のマルクの顔が。ぷぷっ」
「うるせえ。ちくしょう、俺の小遣いがぁ」
マルクが騒がしく落ち込む。
「まあまあ。折角手伝ってもらったので、僕から二人にお駄賃あげますから。仕事の給料ってことで」
「ホントか? うっしゃあ!! どうせならペイスもナータ商会に行こうぜ。お前と一緒ならおまけが貰えるかもしれないし」
現金なルミは、ペイスを利用する気満々でナータ商会に誘う。
このまま順調に育てば、男を手玉に取って利用し尽す悪女になること請け合いであり、その被害担当はマルクで決まりだ。
お色気要素も身に付ければ万全。その場合の被害担当もマルクに間違いない。
「そうですね、偶には視察もしておくべきでしょうし、他所の様子も聞きたい」
幼馴染三人は、連れ立って本村まで戻る。
流石に今度は、落ち込むマルクを走らせるようなことはせず、馬の手綱を曳きながら三人で歩いていた。
目的地はナータ商会。本村の広場から領主館に向かって伸びる道路に面していて、俗にいう一等地にある。
デココの立ち上げた商会の店舗は、工事も進んで立派な建物が出来上がっていた。
一階は石造り。馬車置きや商品の積み下ろし場として整備されていて、広々とした空間がある。馬車を直接乗り入れて、商品を積み下ろし出来るようになっているのだ。
二階からはレンガを積み上げて作られた四階建ての建物。本村では領主館に次ぐ大きさの建物で、今ではそれなりの賑わいを見せていた。
村の人間を雇い入れたこともあり、丁稚と思しき小僧が働く中、ペイス達は建物の四階に進む。
ナータ商会の人間からすれば、銀髪の少年が誰であるかなどは百も承知なので、奥に入っていくことを咎めることも無い。誰何する必要さえない。
最上階の奥の部屋の扉をノックし、中から女性の声がした後に子供三人が入る。
「サーニャ、頑張っていますか?」
「ペイストリー様、いらっしゃいませ。後ろの二人もいらっしゃい」
「うぃっすサーニャ」
部屋でペイス達を出迎えたのは、ナータ商会の事務を任され始めたサーニャだ。
何かと忙しい商会長デココに代わって面会者の調整を行い、商会長が留守の時には店番として客の前に立つこともある看板娘。
若い行商人の中には、サーニャに会いたいが為にわざとデココが居ないタイミングを見計らってやってくる者まで居るという。
ちょっとばかりキツい目つきではあるが、村娘の中でも優良物件と目される、今のザースデンではアイドル的な女性。
ペイスの紹介で務められたということもあり、他の村人の二割増しぐらいでペイスに好感を持っているわけで、訪ねてきた少年達に対しても嬉しそうに応対する。
「デココは留守ですか?」
「あいにくと、グラスさんから注文のあった建築資材を買い付けるとかで、出ています。丁度今日戻る予定ではあるのですが」
「そうですか」
「何か御用がおありですか?」
「後ろの二人に聞いて下さい。小遣いで買い物をするそうなので」
興味津々で部屋の中を見回す二人組を、サーニャは見つめつつ、軽く腕を組んで考え込んだ。
サーニャにある程度許されている裁量の範囲で、何が出来るかについて。
「そうですか。それなら倉庫に案内します。ちょっと待ってくださいね」
何か思いついたらしく、そう言って、サーニャはごそごそと木板を何枚か持ち出した。
木板には、細かく几帳面なデココの字でびっしりと書き込まれている。デココ謹製の従業員教育用商品価格早見表だ。
「ではこちらに」
美女の先導に付いていく三人。
ペイスやルミは普通に歩いているが、マルクだけはやや下に目線が行っているのは御愛嬌だ。具体的にはサーニャの腰の下あたりに目線がいっている。彼も思春期。
「ここです」
建物の裏口を出ると、直ぐ近くには大きな倉庫があった。これまたレンガ造りの上に漆喰が塗られていて、三階建てぐらいの高さがありながら吹き抜けになっている、文字通りの物流倉庫。ペイスなどは、学校の体育館のようだ、と感じた。
鉄の錠を外し、大き目の扉を開ければ、中には大量の袋や木箱が積み上げられている。
麦の収穫が始まっているモルテールン領だけに、既に倉庫には今年収穫された麦が置いてある。或いは、他領から仕入れてきた消耗品などが置いてあるのだ。
「すげえ」
これほど大量の物資を見たことが無かったルミやマルクは、素直に驚嘆を覚えた。見上げるほどに積まれた木箱の山。ついつい昇りたくなるほどに好奇心を刺激する。
「サーニャ、サーニャ、これ何だ?」
ルミが、目についたものについて尋ねる。土の塊のような、見慣れない謎の物体が麻袋に詰められて並んでいるもの。
「えっとそれは……十九番……サルグレット産のタロイモ、だそうよ。お芋さんね。一袋が三十ロブニ」
「一個だけってのは無理か?」
「う~ん、デココさんに聞かないと。値段が一袋で決められてるから」
「ふ~ん」
サーニャも、計算の出来るエリート。
値段が予め決められていれば、その値段の通りに売るぐらいは出来る為、留守を預かっているのだ。
しかし、それを更に小分けできるほどに、計算が出来るわけではない。割り算の出来る人間などは神王国では超希少である。
「芋とか麦とか、そんなんばっかだな」
「日持ちのするものが多いでしょうからね。生姜ならあそこにあるようですけど?」
「生で齧れないよな」
「乾燥生姜のようですから、そもそも生ではありませんよ」
マルクの疑問には、看板娘ではなく名物男が答えた。
銀髪の少年の言う通り、スーパーマーケットでも無い以上、廃棄のリスクは極力小さくしたいもの。商店としては長く保管しておけるものを商材とするのがセオリー。
生鮮食料品を扱うには、確実な生産地や出荷先、迅速な運搬手段、可能な限り近い消費地、信頼関係のある販売先というものが必要で、土着の商人に強みがある。デココではまだそこまでの販路が無い。
「ジャム加工する為に仕入れた果物なんかもありますよ。キルヒェンの村長さんの所で入用だとか。予備も含めて置いてあるので、幾つか小分けに販売しても良いと聞いてます」
「村長のところでジャム? 冬備えでもないのに?」
「最近、他所からの来客や泊まり客が多いから、上客のもてなし用に欲しいって話です。シイツさんには話が通ってて、購入の補助がでるとか? って話は聞いてます」
「なら、父様にも報告は行ってるのでしょうね。果物というなら僕も見てみたい」
「俺も見てみたい!!」
モルテールン領で採れる果物というのは、それほど数があるわけではない。瓜やベリーといったものぐらいだろう。それも、井戸の周りや各家の裏庭や内庭でちょっと作られている程度。フルーツの類は、育てるのに大量の水が要るため、モルテールン領では難しかったのだ。
特に種や苗からの成長に時間も掛かる、木に生る果実の類は中々無い。だから、ルミもマルクも、そしてペイスも気になるわけだ。
「え~っと……十一番が、ボンカ。一袋が七シロットで、一つなら四ロブニ。こっちが、十二番? じゃない十三番だからロイム。一袋が十八シロット……四分の三クラウン?って何だろ。まいっか、一個なら十五ロブニだって」
まだまだ不慣れなサーニャも、木板とにらめっこしながら一生懸命店員の仕事をこなす。
彼女の精いっぱいの説明を聞いていた子供三人だが、全員が全員、悪知恵の働くことには定評がある。
今回も、ルミがピンときたアイデアを口にした。
「ペイス、俺がボンカ買ったら、ボンカパイ作ってくれねえ?」
「お、それ良いじゃん。出来たの半分こで良いからさ、作ってくれよ」
ルミが大好きなボンカパイ。レシピは今のところモルテールン領ではペイスしか知らず、おまけに砂糖やハチミツを手に入れられるのも領主家のみのため、一般家庭では作れない幻のパイ。
それをちゃっかりおねだりするところがルミらしいし、一応は配慮として半分こにするも、深く物事を考えずに計算が苦手で、実は砂糖諸々含めると半分では足りないことに気付かないマルクもマルクらしい。
幼馴染たちの相変わらずの様子に苦笑いのペイスだが、職人として熱烈なリクエストがあるというのは嬉しいものだ。まあいいでしょうと、了承する。
「よっしゃ!!」
両腕にグッと力を込めて喜びの感情を露わにするルミ。既に期待でよだれを垂らさんばかり。
その様子に、何かを察したのだろう。年上の少女もまた、ボンカパイに興味を示した。
「あの、ペイストリー様、あたしもお給料から幾らか出せば、食べさせてもらえますか?」
「サーニャならば問題ないでしょう。一切れぐらいなら譲ります。値段は……どうしましょう?」
「えっと、月に六シロット貰ってるので、それぐらいまでなら」
「なら、原価度外視で一シロットで構いませんよ」
銀貨一枚でパイ一切れと考えれば割高な気がするが、砂糖は小さじ一杯でも銀貨が要ると思えば格安価格。
お菓子を欲しがる人間には寛容で、気前も良くなるのが菓子好き筆頭の少年だ。特別価格だと笑う。
「サーニャはそんなに小遣いもらってるのか?!」
「小遣いじゃなくて給料よ。働いて稼ぐお金。半分は家に入れてるの」
「残りの半分はどうしてるんだ?」
「結婚資金に貯めてるわ」
「すげえ……俺なんて、銅貨二十枚ぐらいでも喜んでるのに」
身近なお姉さんが、意外と高給取りだったことに驚く子供二人。鳩肉で銅貨が貰えれば狂喜乱舞する年ごろからすれば、自分の稼ぎだけでも家族を養えそうな自立した女性に驚きがあったのだ。
モルテールン領も、商人の往来が活発になるにつけ、商業活動も増えてきつつある。今までであれば月に一度程度だった商取引が、週に一度、ないしは二度ぐらいの頻度になってきたし、本村には商店まで出来たのだ。現金収入の方策を、各家でも模索中である。
繕い物の内職、賓客の持て成しでのチップ、井戸端で採れるハーブの加工品売却等々、小銭稼ぎ程度であっても馬鹿には出来なかったりする。どの家でも事情はさほど変わらない。
そんな中にあって、まとまった額を定期的に稼げるとなれば、一家の大黒柱だ。子供二人からすれば、サーニャがとてもすごい大人に見える。キラキラと輝く大人のお姉さんという奴だ。
「結婚資金って、相手は居るのか?」
「あたしぐらいになると、その気になれば幾らでも選べるのよ」
「ルミとは大違いだなっ痛ぇええ!!」
マルクのデリカシー皆無な質問にも余裕のサーニャと、余裕よりも先に手、もとい足が出るルミニートは好対照。
年下の男の子の質問に表情を変えないまま頬に手を添えるのがサーニャで、同い年の男の子の発言に表情を変えないまま綺麗なハイキックを決めるのがルミである。
「二人ともじゃれるのもその辺に……って、おや?」
「どうしたよペイス。あいてて」
「どうやら、デココが戻って来たらしいですね」
「何で分かるんだよ」
「外が騒がしくなってきましたし、商売っ気のある話が聞こえるじゃないですか。ルミもマルクも覚えておくといいですが、こうして、聞かれていると思っていない話の中にこそ、重要なことが隠れていたりするのです。“ついうっかり聞いてしまう“ことも、時には大事なことですよ?」
「ふ~んそんなもんか」
「それって盗み聞きって言わね?」
ルミのもっともな疑問には、あえて答えないペイス。
「マルク、お尻が痛そうなところ悪いのですが、デココを呼んできてください」
「何で俺が?」
「ルミがボンカを前にして動かないからですよ」
「食い意地だけは一人前っと危ねえ。だから、いきなり手をだすんじゃねえよ!! もう少し御淑やかにしろってんだ」
「出してんのは足だ」
「余計に悪いわ!!」
口の悪いマルクは、足癖の悪いルミから逃げるようにして、駆け足で倉庫を出て行った。
彼に呼ばれて、デココが倉庫に来たのはそのすぐ後だ。
「ペイストリー様、お待たせしたようで申し訳ございません」
「いえいえ。事前の連絡もなく来たのは我々ですし、今回は僕がおまけですよ。二人の買い物に付き合ってます」
「それはそれは。マルクさんにルミニートさん、お二人とも当商会をご利用いただきありがとうございます」
商人らしい柔和な笑顔を見せるデココ。年下の子供たちにも、お客様として接する姿勢が商売人である。
「デココに相談ですが、ここにある果物を二人に売って欲しいのです。お代は二人の小遣いで買えるぐらいで」
「勿論、わたくし共も商売ですから、売るのは構いません。ペイストリー様のお顔を立てまして、少しはサービスさせて頂きますよ」
「よっしゃ!! ちょっと待てよ、どうすりゃ一番良いか考えるから。欲しいのがいっぱいあんだよ。全部買えっかな? ……そうだマルク、お前の小遣いも俺にくれよ」
「ふざっけんな。何で俺に集るんだよ。ペイスに集れよ」
「僕は向こうでデココと商談がありますので、二人はじっくり喧嘩……話し合いをするといいですよ」
騒がしい子供二人をサーニャに任せ、広い倉庫内で、少し離れた位置に移動する成人男性二人。
「デココ、何か面白い話はありましたか?」
二人だけともなれば、どちらも真面目な顔になる。
商人は、スッと指を二本立てた。
「……今回は二レットで」
「金貨二枚? それほど大きなニュースがあったのですか?」
「ええ。安売りが出来ないぐらいは」
「デココのことは信用しましょう。それで、どんな内容ですか」
ペイスは自分の財布から、レーテシュ金貨を二枚出してデココに握らせる。
「冬の間は動きが鈍く分からなかったんですが、春になってから食料品と鉄製品の価格が大きく動きました。知り合いの商人にも聞きましたが、東部に近づくほど値が上がっているらしいです」
「鉄と食料? ……なるほど、戦争ですか?」
「その可能性が高いと、商人仲間は言っていました。私の独断で事後報告になりますが、情報収集の為にラミトさんを王都へ出向かせてます」
「英断です。僕も父様に相談しておきましょう」
戦乱の絶えない南大陸。
夏も近づくこの季節。戦争の季節であった。