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おかしな転生  作者: 古流 望
第11章 ホワイトナイト
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103話 忘れられた約束

 「どうすれば……私はどうすれば良いのだ。困った。なんてことだっ」


 ダバン男爵オーウェンは悩んでいた。

 恐らくこれほど悩んだのは息子の名前を決める時以来では無いかと思うほどに、悩んでいた。

 悩んでもいい考えが浮かばない。自分の出来の悪さぐらいは分かっているつもりだが、それでも悩む。懊悩(おうのう)する。呻吟(しんぎん)する。そして苦悩する。


 「父上……」

 「私はどうすればいい!! まさか、まさかモルテールン家があんなことを言い出すなんて!!」


 オーウェンの悩みとは、モルテールン家から無効を宣言された婚約について。

 自分では間違いないと思っていたことが、根こそぎひっくり返ってしまった状況に悩んでいたのだ。


 「まさか、親父が日記に重要な事柄を書きそびれていたとは……そんなことが想像できると思うか?」

 「思いませんが、このままモルテールン家とことを構えるわけにもいかないでしょう」

 「当たり前だ。親父が生前に言っていた。モルテールン家を侮るなと。背中を守らせるに足る数少ない戦友だと。騎士として、父の恩人とことを構えるわけにはいかん」


 モルテールン家ジョゼフィーネ。彼女の婚約を、モルテールン家の人間も承知していると思っていたからこそ、あちこちで吹聴してきた。派閥の重鎮に、規定事項のように言い張ったこともある。

 それを今更間違いでしたと認めることは、貴族家としては重大な失態になる。


 かといって、ごり押ししてモルテールン家と喧嘩するのも不味い。不正規戦の達人ともいえるカセロールと、真正面からぶつかって勝てるわけが無い。そもそも、向こうの確認も取らないうちから話を勝手に広めていた不手際も大きい。

 引くに引けず、進むに進めず。どうすれば良いのか分からない。


 こんな時こそ、英知に優れた参謀が欲しいと思うのだが、男爵家にはその手のことを得意とする層が薄いのだ。


 「困った……」


 リハジック子爵の没落以降、自分の家は災難続きだ、と恨みたくもなる。

 一体自分が何をしたというのかと、神を呪いたくもなる。


 「旦那様」


 だからこそ、部下の呼びかけにも気付かない。

 うんうんと唸りながら、部屋をうろつき、無駄な思考に没頭してしまう。右に左にうろつきまわり、まさに右往左往というに相応しい有様。


 「旦那様っ!!」

 「うぉお、何だ?!」

 「お客様が来られております。十歳ぐらいに見えるお客様でございましたので、応接室でお茶をお出ししています」

 「何と!! すぐに行く」


 部下からの報告を聞いて、詳細も聞かずにオーウェンはすぐにも応接室に向かう。

 元より来客など珍しい自分の家に尋ねて来る十歳児など、先だって会ったペイストリーぐらいしか心当たりがない。いやそうに違いない。

 いい知らせにしろ、悪い知らせにしろ、待たせてしまっては機嫌を損ねる。焦りにも似た感情でただ急ぐ。


 応接室に入る前に、一応は身嗜みの確認を行い、一呼吸おいて入室。


 「お待たせした」


 応接室に入るなり声を掛けるが、オーウェンの目に入ったのは黒みがかった緑髪。思わず、年甲斐も無くきょとんと呆けてしまった。

 確かに部下の言った通り、十歳程度に見えるが、初めて見る相手であると気付く。更に、少年の後ろには中年の男が立っていた。

 想像していた人物ではない。


 しばらく口を開けていたが、それでも男爵家当主としての責任感が背中を押す。

 見知らぬ少年の前に座れば、彼は(うやうや)しい態度で挨拶してきた。


 「お初にお目にかかりますダバン卿」

 「これはご丁寧に、アントニウス=リハジック=ミル=ダバンです。して、貴君は……」


 ダバン男爵の言葉に、一つ笑みを浮かべた少年。


 「ウランタ=ミル=ボンビーノと申します。ボンビーノ子爵領を陛下より預かっております身なれば、以後よろしくお見知りおきください」


 少年達による(はかりごと)が動き出した。



◇◇◇◇◇



 モルテールン領コッヒェンでは、少年が一人働いていた。

 青銀髪の凛々しい顔立ちで、キリリと口元を引き絞って自らが先頭に立って汗を流す。


 今行っているのは砂糖の試作。

 サトウモロコシから絞った汁に含まれる、不純物を除去する行程の次の段階。水分の除去過程。ジュースと呼ばれる糖分を含んだ搾汁から、結晶化した糖を取り出して水分を捨てる作業。

 これにはどうしても汁を熱する必要がある為、作業場になっている納屋の一部が非常に熱気の籠った状況になっていた。

 そこに(たたず)んでいれば、如何に春先と言えども汗が出て来る。


 一滴一滴を顎から垂らしながら、非常にまばゆい笑顔のペイストリー。体中で楽しさを表現するアーティスト。

 そんな彼に声を掛ける男が居た。


 「坊、ちょっと聞きたいんですが、良いですかい?」

 「おやシイツ。酒造りでなく、こちらに顔を出すとは珍しい」


 声を掛けたのはモルテールン家従士長シイツ。

 顎のあたりにやや不精髭があるところからも、忙しさにかまけて身嗜みに横着している様子が伺えた。

 酒好きの飲兵衛であるかのように言われたのが心外だと、肩をすくめるような態度でペイストリーに近づく。


 「俺もこれで立場ってもんが有るもんで」

 「シイツがわざわざ来るとなると、姉様のことですね?」

 「察しが良くて助かりまさあ。それで坊、ジョゼお嬢の件はどうなったんで?」

 「父様に報告した通りですよ」


 シイツが近づいてきたことで、ペイスは一旦砂糖づくりの手を止める。綺麗なタオルで汗を拭う。


 「じゃあ、本当に向こうさんから?」

 「ええ。無事、向こうから無効であったと言って貰いましたよ。何か不満でもありましたか?」


 先だって問題になったダバン男爵家との婚約騒動。

 モルテールン家の総力を挙げても構わないとの許可を得て動いたペイストリーの活動は、先方からの婚約無効の通達という最良の結果になった。

 発破をかけていたカセロール自身も、こうもあっさりと行くとは思っておらず、シイツも首を(かし)げた為に、こうして話を聞きに来たのだ。


 「結果としちゃ最良ですから、そこに不満なんぞねえです。ただ、疑問はありまさあ」

 「疑問、ねえ」

 「率直に聞きますぜ。何をやらかしたんです?」

 「やらかしたとは、酷い言いぐさです。僕は最善を尽くしただけですよ」


 シイツには予感があった。いや、確信というべきだろう。

 ダバン男爵からの親書を受け取り、ジョゼフィーネとの婚約は、お互いに無効であったと確認し合うとの結果に収まった。そこの裏には、必ず何かある。何せ、動いていたのがペイスなのだから。

 カセロールなどは、結果が良ければそれでよしとしていたが、何かと心配性な従士長としては裏までしっかり確認しておきたかった。

 いや、補佐する立場として、確認しておかねばならない。


 「で? まず聞きますが、ダバン男爵が前言を撤回したのは何故ですかい? あそこにもメンツがあるってもんですし、何よりタダで引き下がっては向こうが丸損するだけでしょう」

 「ジョゼ姉様の婚約の無効確認を条件に、大きな利益を与えたからです」

 「大きな利益?」

 「ええ。ボンビーノ子爵家による、ワインの一括買取。それも、出来不出来に関わらずの定額制。経営の安定を欲していた男爵家には、何よりも恵みとなる話です」


 いきなりのスケールの大きさ。困窮する男爵家に対して、救いとなる白馬の騎士(ホワイトナイト)を宛がう策。

 本来ならば驚いてしかるべきだが、流石にモルテールン家の従士長は驚かない。それぐらいならやりそうだと、溜息が出るぐらいで済む。


 「そりゃあ……よくそんな話をボンビーノ家が飲みましたね。ボンビーノ子爵家に利益はあるんですかい? ジョゼお嬢への恋慕を盾に無茶したってんなら、子爵家に借りが出来たことになりますぜ?」

 「ウランタ殿にもメリットのある取引ですよ。定額で長期間の買い取りであれば、出来の良い時と悪い時の平均化を図れる。当たり年のワインは時間が経つほどに価値が上がりますから、投資としても収益を見込めます」


 ワインの出来不出来を平均化するには、長い期間の継続した買い付けと、それを支える大金が必要になる。それこそ、男爵家を丸ごと抱え込めるぐらいの大金が、である。

 少なくとも、モルテールン家ではこれは不可能。出来るのは、神王国広しと言えども十指に満たない。

 王家の財務利権を持つ財務尚書や内務尚書、或いは軍事利権を持つ軍務尚書。或いは四伯。

 でなければ、南部街道の巨大な利権を持つに至ったボンビーノ子爵家。


 大きなお金というは、それだけで社会を揺るがしかねない。差配するには才覚が要る。

 ボンビーノ子爵家が突然手に入れた大金脈を持て余す可能性は社交会でも噂されていたし、有効に活かすには優良で確実な投資が必要。金をただ貯めて死蔵するのならば、如何に大きな利権を持っていても無いのと同じだ。

 軍事に投資して覇権を狙うか、内政に投資して富貴を極めるか、外交に投資して地位を買うか。

 使い道は色々と噂されていた。

 しかし、どれにしたところで必ず敵を作る。

 軍事力が増えれば恐れられ、豊かになれば虫が(たか)り、人付き合いが増えれば(しがらみ)が増える。

 しかし、ワイン投資は話が別だ。安定的な長期投資としては極めて優良。出来るものならば誰だって投資したがるだろう。

 投資の最低単位すらそんじょそこらの貴族では手が出せないことを除けば。


 敵を作ることなく金脈を活かす手段を得たとなれば、ボンビーノ子爵家は万々歳。投資の実る十年後二十年後の大躍進を確約されたに近い。


 「……そんな手があるとは、俺も思いつきませんでしたぜ」

 「折角ボンビーノ子爵家への優先交渉権があるのですから、有効に使いませんと。手段は問わずと父様からも言われてましたから」


 他家を巻き込んだ外交を、遠慮なくやらかしてくれた次期領主に対し、重鎮たるシイツはこめかみを押さえるしかない。


 「しかし、それだけ大掛かりに動いて、うちが手に入れたのはお嬢の独身状態ってなあ寂しいでしょうぜ。損をしないだけマシですがね」

 「シイツ、僕が目立つように動いたのは何故だと思います?」

 「……まだ何かあるんですかい?」


 今聞いている内容だけでも十分心労になるのだが、まだあるのかと驚く。


 「男爵家の目を僕に引き付けている間に、ダグラッドやニコロが動きました。上手くすれば、数か月も経たないうちに芽吹くと思いますよ?」

 「芽吹く?」

 「ええ。ワイン造りの工房に彼らをやって、職人の見習い達に噂を流しました」

 「それはどんな噂で?」

 「当家では、酒造りの心得がある人間を破格の待遇で雇う、と。実際、僕は砂糖づくりはまだしも酒造りは素人ですから、専門的な知識のある人間がどうしても欲しかったのです。ワイン造りで有名な男爵領の職人ならば、その見習いも鍛えがいが有る事でしょう。旅費も含めて金をばら撒いてきましたから、効果はあるはずです」

 「金をばら撒いた?!」

 「手段は問うなと言われましたので。ことによれば、向こうのワイン職人全員を引き抜く覚悟で工作してました。一応穏便に終わったので、見習いで勘弁しておきましょう」


 ペイスに曰く穏便であったとのことだが、シイツはもう溜息すら出ない。

 基幹産業の職人全員を引き抜く工作の、どこが穏便なのだと言いたいのだが、大人な態度でグッと堪えるシイツは苦労人である。


 「一体幾らばら撒いたんで?」

 「銀貨で五百枚ぐらいは景気よくばら撒いてきました。それで職人の知識が買えると思えば、安い買い物でしょう」


 おおよそ銀貨一枚で農民の一月の生活費に相当する。五百枚となれば、運搬するにも護衛が必要な程度には大金である。少なくとも、子供の思い付きにポンと出せるほど安い金額ではない。


 「俺には坊の金銭感覚が分からねえです。そうまでして職人を雇う必要があるんで?」

 「酒造りで難しいのは、温度管理や環境の整備。物がブドウの搾汁だろうが、サトウモロコシの搾汁だろうが、本質は変わらないですが、経験だけは買えません。折角の大義名分。普段買えない買い物に、金を惜しむのは愚かしいことです」

 「へいへい。どうせ俺は馬鹿ですんで」


 今度こそ降参とばかりにシイツは両手を上げた。

 次期領主の規格外に、まともに付き合うと馬鹿を見るのだから。


 「それで、そのジョゼお嬢なんですがね」

 「まだ何かあるんですか?」


 次はペイスが不思議がる番だった。

 ジョゼフィーネの婚約騒動はひと段落が付き、その説明についても十分にしたと思っているのだから、まだ何かあるのかと小首を(かし)げる。


 「いえね。朝から嬉しそうにお茶の準備をしてたって話でして。坊は朝からこうして砂糖づくりをしてるわけで、リコリス様も奥方も別の用事でしょう。誰とお茶会するつもりなんだって気になりまして。坊は心当たりありませんかね」

 「……あ゛!!」

 「なんすか、その妙な声。まさか坊」

 「……姉様との約束、すっかり忘れてました!!」


 ピシリと音を立てるように固まるペイス。

 砂糖づくりは前途多難であった。


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― 新着の感想 ―
これ見習いだけでなく職人まで抜き去ったら、買上げ契約したボンビーノはどう考えても丸損だよね。 ジョゼを餌にしてwin-winすら意識せずに全家丸ごと潰す気でやったと見て宜しいのかなこれは。何か追加情報…
[一言] なんだか男爵家が可哀想になってきたな。 リコリスとのお茶会もすっぽかすしジョゼとのお茶会もすっぽかすし学習能力が無いのかよ。
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