102話 宣言高らかに
人にとって不幸なことは何か。
こう問いかけたとき、人によって不幸の意味が違うだけに、色々と変化が生まれる。
親しいものを突然亡くした不幸。自らは欠片も望まない婚姻を迫られる不幸。何年も片思いしていた相手が、自分の一番嫌いな人間に惚れた不幸。金が無くなる不幸。犬に噛まれる不幸。足の小指を角にぶつける不幸。
人生の中には、大小さまざまな不幸が溢れている。
今もまたその一つが、男の目の前にあった。
「嫌だ!! 何で俺ばっかりこんな苦労をしょい込まなくちゃいかんのだ!!」
「ダグラッドさん、往生際が悪いです。ジョゼフィーネ様の為じゃないですか。それに以前、もっと普通の仕事がしたいって言ってたでしょう。他家との婚姻外交の折衝なんて、極普通の仕事じゃないですか」
後輩たるラミトに、盛大に愚痴をこぼしているのはダグラッド。モルテールン家筆頭外務官として、辣腕を振るう人物。
実力はあるのだが、見た目が冴えないおっさんそのもので、ネガティブ思考の強いボヤキ屋だ。少なくとも今の様子からは、今を時めくモルテールン家の重職という雰囲気は感じられない。
「普通じゃない。若様が他所に喧嘩売りに行くなんて、絶対普通じゃない。俺はまだ嫁さんと子供の為にも、死ぬわけにはいかない!!」
ぎゃあぎゃあと五月蠅く騒ぎながらも、準備はしっかり進んでいるらしく、ある程度の資料などもまとまっている。
仕事だけはきっちりこなす辺りが、モルテールン家の従士として教育が行き届いていた。
「失礼なことを言いますね。喧嘩を売りに行くのではなく、あくまで穏便に話し合いに行くのです」
「そう言っておいて、危険に巻き込むつもりだ。俺は騙されない!!」
「いいから、さっさと荷物を纏める。もしかすれば向こうに軟禁されるかもしれないので、お泊りの準備もよろしく」
「絶対、絶対に穏便にしてくださいよ。頼みますよ!!」
「はいはい」
ダグラッド、ニコロ、ラミトの三人と、それを取りまとめる立場のペイスが揃う。
彼らの目的は、モルテールン家末娘ジョゼフィーネの、婚約無効の確認である。
「でもペイス様、相手も他の女と婚約してたわけでしょ?」
「そうらしいですね」
「なら、それを盾にとって、婚約破棄ってわけにはいかないんですか? ってか、十年以上前の話を今更蒸し返したなら、断る理由や名目なんていっぱいありそうですけど」
「それでは駄目なのです」
「なぜ?」
「姉様の為には、婚約の破棄ではなく、そもそも無効であることを相手に認めさせる必要があるのです。破棄するだけならうちだけの都合でも出来るでしょうが、それではこちらに傷がつく。こちらが悪者になる。父様も、破棄ではなく撤回をもぎ取れと言っていたでしょう?」
貴族の婚約はあてにならず、婚約破棄はありふれている。
しかし、だからと言って軽々しく行われるものでもない。
例えるなら宿泊や飲み会の予約のようなもので、都合でキャンセルというのは珍しくも無いが、だからと言ってキャンセルばかりと噂がたてば、そもそも予約を受け付けてもらえなくなる。
モルテールン家は敵が多く、足を引っ張りたいと考えている人間は多い。カドレチェク家やフバーレク家、或いはレーテシュ家といった友好的なところでも、モルテールン家を常に探っているし、何かあれば敵に回ることもある。友家でそれだ。ならば現時点で友好的でない家などは何をか況や。どんな小さなことでも、針小棒大に取り上げて貶してくる。
些細なキズであっても、塩を塗り込んでくる輩が居るかもしれないとおもえば、最善の手として“婚約破棄”ではなく“婚約無効の確認”を勝ち取りたい思惑があった。
「色々な所に声を掛けて、ずらっと軍勢を揃えるってのはどうです? 若様がひと声かければ、集まる家は多いでしょう」
「だから、喧嘩をしに行くのではないのです。まずは穏便な話し合いからです。もしかしたら、話し合いで穏やかに解決するかもしれないでしょう?」
旅支度を終え、荷物を持ったままペイス達は魔法で転移する。
転移先はフバーレク辺境伯領。ここの北端から馬車に乗って二日ほどで男爵領に入る。
フットワークの軽さこそ、モルテールン家の領主家の在り様であった。
◇◇◇◇◇
「父上、モルテールン家への対応はあれで良かったのですか?」
「良かったのか、とはどういう意味だ?」
簡素な木造りの家に、ダバン男爵は住んでいた。
質素倹約を美徳とする武家であるからとの理由が建前で、領地経営に余裕が無い為に豪華な家を建てられないというのが本音の理由。
元々が弱小の騎士爵家であったために先祖代々の貯えも無く、男爵家に陞爵した後も、ワインの出来に左右される不安定な領地経営からゆとりも作れていない。
それ故の素朴な家の一室に、親子が向かい合っていた。
ダバン男爵親子である。
「先日の王都の社交。どうも、モルテールン家では当家との縁組を承知していないような反応でしたが……」
「何? そんなわけは無いだろう。うちの親父が日記に残していたのは間違いないんだ。息子が知らされていないだけで、カセロール殿は間違いなく承知しておられるはずだ」
「そうでしょうか?」
前ダバン男爵は元々軍人。武勲を重ねて地位を上げただけに、やっかみもあれば妬みや嫉みもあった。だからこそ、息子の教育は厳しく行い、現ダバン男爵もいっぱしの武人としての評価を得ている。そう、武人としての評価、である。
次期領主となるべき嫡子アントニウスにも、武家としての英才教育を行ってきた。社交についても、金を積んで男爵家に相応しい立ち居振る舞いを学ばせたし、武術指導は父親直々に行ってきた。何かしら機会があれば、交流のある武家の人間に手ほどきもしてもらっている。
王に仕える騎士としては、どこに出しても恥ずかしくないと自負する息子。三代続けて武力こそ本分という単純明快な家柄。
ただし、前男爵にしろ現男爵にしろ、そして次期男爵にしろ、政務や謀略といった部分に極めて疎い。現代人から見れば不思議に思えるほどではあるが、これは情報の伝達が極めて限られる世界では当たり前であったりする。
例えば、テレビもネットも無い状態で、他社の経営状態や社内派閥を把握出来る経営者が居ないように、通信手段の無い中で、他領の情報を正確に把握する領地経営者は極めて少ないのだ。
金を積んで情報網を構築しない限り、他家のことなど全く分からないのが普通。
政略に疎い為に、押しが強く老獪なリハジック子爵に嫁を押し付けられた男爵。息子の婚約者までいつの間にか決められていたことに、腹立たしい思いもしていたが、最近になってようやくその軛が外れた。これはチャンスであると、男爵家の当主として息子には良い縁談を見つけてやると息巻く現状。
ただ、縁戚であるリハジック家の凋落の影響を回避することも出来ず、現在は苦境に立たされていた。
それだけに、都合のいいことしか見えずに目が曇っているのだと言われれば、そうなのかもしれない。
「うむ。婚約を知っている。それは間違いない。十二年前に、父とモルテールン卿が家同士の婚約を取り交わしていたのは、当時護衛としてついていた者たちにも確認したことだ」
「ええ。確かに。言っている内容はバラバラでしたが、だいたい日記に書かれていた内容と似たことを、皆言っていました」
「そうだろう。それにだ、モルテールン家といえば、英雄の家柄。本来なら婚約の話などは引く手あまただ」
「それは当たり前でしょう。魔法使いが縁戚になれば心強いですし」
「にもかかわらず、末娘の婚約を未だに決めていないのは何故だ? 他の娘や息子の婚約はさっさと決めたのに、だ。うちの婚約があったからだと考えれば、つじつまが合うだろう」
「確かに」
モルテールン家の陞爵は一時期話題になった。
大戦も終わり、取り潰しに遭う家はあっても、新しく取り立てられたり陞爵したりする家は珍しかった。そんな中で、久方ぶりのグッドニュースだったのだから、貴族であるなら誰もが注目した。
手柄を立てて立身出世を狙う人間からすれば、王家が未だに部下を取り立てる意思を持っているとアピールしたと見える。自分たちも頑張って大手柄を立てれば、モルテールン卿に倣うことも出来るはずだ、という希望を与えたのだ。
モルテールン家が目立たないわけが無ない。
故に、話題になった噂の家には縁組を望む声が殺到しているはずである。
ダバン男爵は、そう情報を整理した。
そして、婚約話が殺到しているのならば、末娘だけを婚約させずに家に置いている状況は極めて不自然。上の四人の娘は既に結婚までしているし、年下の嫡子にも婚約者が居る。
末っ子の嫡子に婚約者が居ないというのならまだ話は分かる。年齢的に適齢期でもないし、嫡子に良い婚約者を探すなら、時間を掛けることも有り得る。
だが、既に後継者もきっちり決まった中で、後継者でもない適齢期の娘を囲い続けるメリットは薄い。
そう思い至ったところで、自家の婚約が先約としてあることに気付いたのだ。
モルテールン家も武家。それも、騎士としても名高いカセロールが当主。自分たちの父親でもある前ダバン男爵との友誼も確かなものであり、互いに戦友と呼び合っていたのを息子である現男爵オーウェンは知る。
義理堅いカセロールの性格。前ダバン男爵との極めて篤い信頼関係。実際に記録として残る十二年前の婚約。今なお婚約していないジョゼフィーネ嬢の状況。
オーウェンは、これだけの状況証拠が揃ったことで、確信を持って“今尚モルテールン家との婚約は有効”と判断した。
「では何故息子が姉の婚約を知らなかったのでしょうか」
「息子……ペイストリーとか言ったか?」
「はい。大勢の中にあっても動じず、中々に胆力のある男でした。将来は立派な騎士になるでしょう」
「年はまだ十にもなっていない、だったな」
「それも間違いありません。当人を直に見ましたので」
「うむ。恐らくだが、嫡子と言えども幼い為に、重要なことは知らされていないのではないだろうか」
「なるほど」
神王国でも、十にもならない子供が、政務を行えると考える人間は居ない。例外を除いて。
幼くして家を継ぐ人間が居ないわけではないが、その場合は大抵が補佐役や参謀役を担う大人が付く。後見役として親族が付く場合も多い。
しかし、モルテールン家の嫡子はそうではない。
ならば、政務を任せているように見えるのは、経験を積ませるためのポーズに過ぎないのではないか。
ダバン男爵の想像は、常識的なものだった。
年齢一桁で老獪な大人たちを向こうに回して立ち回りを演じ、立派に一家の中心として動いているとは想像もしない。
「もうそろそろ山の雪も融けきる時期だ。暖かくなれば、一度モルテールン領を訪れてみるべきだろうな」
「そうですね。俺も将来の義父への挨拶もしたいですし、ジョゼフィーネ嬢とも会ってみたいです」
「美人らしいぞ。モルテールン家の娘は皆美人と評判だ。しかも賢いと聞いている。政が苦手な当家としては、是非とも欲しい人材だ」
「美人ですか。それは楽しみ」
ダバン男爵オーウェンは、期待を胸にする。
他所のゴタゴタのせいで落ち目ではあるが、優秀な人材を抱えられれば盛り返すことも出来るはずだ、と。
もしかすれば、あのモルテールン領を盛り立てた秘訣を聞けるかもしれない。お互いに協力し合い、共存共栄を図れれば言うことなし。
そうと決まれば、出来るだけ早く迎えに行くべきだろう。
「うむ、行くのは急いだほうが良いな。よし、直ぐに準備しよう。きっとモルテールン卿も歓迎してくださるだろう。十年も待たせてしまったが、我が父との約束を忘れないでいて下さるとは流石よ」
「騎士の鑑でありましょう」
お互いに頷き合っている男爵家親子の元に、一報が入ったのはこの後だった。
「失礼します」
部屋に入ってきた部下は、まじめな顔で報告を告げる。
「モルテールン卿のご子息が来られたと?」
「はい、先ぶれが今しがた。どうされますか?」
「応接室にお通しするのだ。きっとモルテールン家の御令嬢の件だろう。持参金でも持って来てくれたのなら、うちとしては助かるが……」
服装を整え、髪を撫でつけ、嫡子にもそれなりに見栄えのする格好をさせる。
男爵にとっては、モルテールン家の子と会うのは初めてなので、初対面は家長として威厳のある様子を見せねばならないと張り切る。
意気揚々と応接室に向かい、そこでご対面。
「お初にお目にかかる。ダバン男爵家当主オーウェン=ミル=ダバンだ」
「モルテールン家のペイストリーと申します。この度はお目通り適いましたこと光栄に存じます」
社交辞令のやり取り。
この時までは、まだ男爵の顔にも余裕と笑みがあった。
ただし、それはペイスの一言が発せられるまでのこと。
「では前置きも抜きにして本題から。当家としては、御家の御主張なさる当家ジョゼフィーネとの婚約について、一切の無効をここに宣言致します」
男爵の顔は、笑顔のままで固まった。
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