101話 モルテールン家総動員令
「やっぱり、坊が出張ると厄介ごとが起きるってもんで」
「これは僕のせいでは無いでしょう」
モルテールン家の執務室では、良い大人たちが子供を前に騒いでいた。
いや、騒ぐというのは語弊がある。突如もたらされたトラブルに対して、活発な意見交換が行われている、というべきだろう。
そのトラブルとは、いきなり現れた自称ジョゼフィーネの婚約者のこと。
「ダバン男爵のところの長男か」
ダバン男爵は、カセロールとよく似た境遇の領地貴族。
先代の領主が先の大戦で武勲を挙げ、騎士爵から二位階上げての陞爵となった経緯がある。代々続く貴族家でありながら、大戦の活躍を評価されて取り立てられたという、新興貴族派と伝統貴族派の中間的立ち位置にある家。
「今の男爵とはあまり面識はないが、先代には世話になった。あの御仁は、背中を預けるに足る素晴らしい方だった」
カセロールがしみじみと呟いたように、かつて前男爵とカセロールは戦場で互いに馬を並べた。
彼の人は当時最下級の貴族であったが、騎士爵家従士のカセロールに対しても礼遇をもって接し、当人の武力はさほどでもなかったが、堅実な用兵には目を見張る物が有るという評価だった。事実、負け戦の中の遅滞戦闘や撤退戦というような難しい場面でも、彼の人率いる十名ほどは確実に自分の仕事をこなした。
敵前にあって突っ込んでいくことも勇気だが、じっと堪えながら敵前で辛抱し続けるというのもまた勇気である。蛮勇ではない、自分を押し殺す強さが無ければならない。
何年か前に亡くなったと聞いた時には、思わず最敬礼で身を正したほどの、偉大な先輩だった。とカセロールは回想した。
「ダバン男爵領といえば、確かあの山奥の?」
「そうだ。うちほどではないが、それでもかなり厳しいところだったはずだ」
ダバン男爵領は、大戦後に整理された領地の一つ。元はイラム、或いは主だった山の形から殻山と呼ばれた地域で、複数の小領地が混在していた所を統合し、男爵領として整備された。
畑一つを持つ騎士爵領や、村の十一分の七を飛び地で持つ準男爵領など、長い歴史の中で複雑かつ雑多になっていた貴族領の整理という面もあったらしい。同様のことは他でも行われており、神王国貴族の家名の多くが、分かりやすく領地名になっているのもこの為。
山あいの領地で、村が二つほどある男爵領。水清く、風光明媚な土地として名高いが、耕作可能地は狭く、斜面を利用したブドウ栽培と、ワイン造りが主産業。
反面、食料自給率は低く、ワインを売って物資を輸入する事情から、ワインの出来不出来が領地運営のみならず領民の生活を直撃するという、扱いづらい領地である。
手柄を立てた人間に面倒を押し付けるような、過去の政争の賜物。それでも、モルテールン領とは違って真っ当な領地である。
「あちらさんは何と?」
「間違いなく約束した、正当な婚約者だと……正直、戸惑いしかありませんでしたから、言質だけ取られないようにしてお茶を濁して逃げてきました。そのうち挨拶に来るそうです」
「さすが坊。逃げ時も引き際も、名将の采配でさあ」
「……シイツの皮肉が、今日ばかりは恨めしい」
涼しげな顔でペイスを弄り倒す従士長に、いつもならば反論の一つや二つ、三つや四つ、五つぐらいは返す少年も元気が無い。
下手に頭が回るだけに、突発的な出来事に色々と可能性を考えてしまい、頭脳労働をし過ぎたからだ。脳みそを酷使しすぎてオーバーヒートしそうになっている。
「こういう時こそお菓子が……」
「先にこの問題を議論してからだっ」
ふらふらと厨房に向かいそうになった危険人物を、父親が首根っこひっ捕まえて押しとどめ、問題の解決を図る。
「こんなことなら、例の噂をボンビーノ子爵から聞いたときに、本腰を入れて調べるべきでした」
「ジョゼに婚約者が出来たという噂か。事実無根だし、色ぼけた子爵の過敏な反応かと思っていたが、噂にも火元はあるものだな」
今、ダグラッドやラミト。果てはニコロやグラサージュまで動員して、全力で情報収集中。
ボンビーノ子爵がリハジック子爵領の脱走者から聞いていた噂の出どころに当たっている。
「何にせよ、まずは情報が揃ってからだ」
カセロールが締めくくった通り、情報が出そろうまで三日を要した。
領主や次期領主が魔法で文字通り飛び回った成果であり、この情報収集能力の確かさこそモルテールン家の強み。
三日後には、従士一同を始めとするモルテールン家の家人全てが執務室に揃っていた。
見習いも含めて集まっているだけに、春先だというのに熱気すら感じる。
「さて、皆に集まってもらったのは他でもない。ダバン男爵の嫡子から話があった、ジョゼの婚約についてだ。我らでも情報を整理したが、事情が事情だけにこうして皆を集めて、意思統一を図る必要性を感じた」
四十手前の偉丈夫が、一同を見回しながら言う。
胸を張って堂々たる姿勢は威厳すら感じる。
「まず、状況と前置きから。シイツ」
「うぃっす。んじゃあ俺から状況を話すってぇと、事の起こりは坊が王都に出向いてカドレチェク家の食事会に参加した時。ダバン男爵の嫡男から、自分はジョゼお嬢の婚約者だという名乗りを受けた。坊もそうだが俺らも初耳だってんで驚いて、色々と情報収集に動いた。こんなところですかい?」
「うむ。では情報収集の結果報告を。グラス」
「はい。情報を集めるために動いたところ、最低でも二月ぐらい前から、うちのお嬢様の婚約者が決まったという噂が、リハジック領近辺では流れていたことが分かりました。レーテシュ伯の部下や、ボンビーノ子爵領での聞き込みでも裏が取れました。そこでリハジック家近辺を洗ったところ、噂の出どころは前ダバン男爵と現ダバン男爵からであることが分かりました」
「前ダバン男爵ですか?」
新人の誰かが驚いた。
前ダバン男爵といえば武人として名高い。陰険な陰謀や、腹黒い政争からは縁が遠い人物であり、突拍子もないことをやらかす相手ではないという驚きだ。
第一既に亡くなっている人物。何がどういう事情で、騒動に関わっているというのか。
「ああ。彼らの言い分では、確かにカセロール様から直接婚約の了承を得ているという話だった。俺も違和感があって、ダグラッド達と調べたところ、どうやらその婚約とは十年以上前の話らしい」
「はぁ?!」
事情を初めて聞かされた連中から驚きの声が上がる。
「そこからは私が話そう」
カセロールがずいと進み出る。
「私も既に記憶はおぼろげになってしまっているが、ダバン男爵家が言うには、どうも十年以上前に私が社交の場で言った言葉があるそうだ」
「それはどんな?」
「当然の疑問だな。私が言ったというのが『うちには娘しかいない』という言葉だ。それに対して前ダバン男爵は『自分のところは男ばかりだ』と言ったらしい。さらに続けて『跡継ぎが居ないようなら、良ければ末娘とうちの孫とを縁付かせてみる気はないか』と聞かれた」
十年以上前となれば、まだペイスは産まれていない。女の子ばかりの為に、アニエスの腹は女腹であるなどと陰口を言われていた時期。
更には家自体も領地の経営が思わしくなく、貴族を下から数えていったなら十指もあればモルテールン家が含まれるぐらいの有様。実際、カセロールの出稼ぎが無ければ何時潰れてもおかしくなかった時期。
そんな中で息子を縁組させて良いというのは、相当にカセロールを気遣ってのことであったに違いない。
「それで、何と答えたのです?」
「この部分は私ははっきりと覚えているが、『次も娘であれば、是非お願いします』と答えた。実際、アニエスの年齢を考えても、また当時の状況から考えても、ジョゼの次の子が末っ子になる可能性は極めて高かった。向こうの提案は、当時の状況ならば望ましい」
神王国含め南大陸の常識では、十代が結婚適齢期で、妊娠も二十五も過ぎれば高齢出産と言われる。三十を越えてペイスを身籠ったアニエスは、相当にリスキーなことをしたのだ。子供に娘しか居ないとなれば、家を継がせるなら婿を取るしかない。
この世界の家というのは、領地や家職といった生産インフラを抱えた、現代で言うところの企業のようなもの。家長はさしずめ社長に当たる。
会社を簡単に倒産させて従業員を路頭に迷わせる行為が悪しき行為であるように、お家を潰してしまう行為は、貴族社会では何より嫌われる行為。カセロール一代でお家を潰すのは、幾ら新興の家とはいえ忌むべきものがあった。
かといって、娘の婿を選べるほど家格も序列も高くはないので、相手側から折角申し出てくれた話を、即答で断ることも出来なかったに違いない、と誰もが推察した。
実際、その選択自体は間違いではなかったと、モルテールン家のトップたちも考えた。
「さて、ここからが話のこじれるところだ。前ダバン男爵は、この時の私の返答を『次の子があれば、ぜひお願いしたい』という風に聞き間違えていたらしい。ニュアンスだけは大体合っているのが悩ましい。次の子、つまりはペイスが生まれたなら、ジョゼを婚約させたいという風に取れるわけだ。結論として、十年以上前の時点で、ジョゼの婚約が成立していた、というのが向こうの主張なわけだ」
「相手のでっち上げとすっとぼけるわけにはいかなかったのですか?」
「前ダバン男爵は几帳面にも日記を付けていて、向こうの主張通りの内容を記載していたらしい。もっとも、これは伝聞だがな。日記自体がねつ造の可能性も無いわけではないが、前ダバン男爵なら有っても不思議は無いので、有ったと仮定したほうが良い。そして当家の言い分が、私の記憶でしか根拠がない以上、向こうが記録している内容が正しいと言われれば、反論は難しい。日記を付けた当人に確認しようにも、数年前には既に精霊の招きで神の御許に向かっている。確認の取りようがない。仮に水掛け論になれば、類似の話を確かにしてしまっている以上、証人だって向こうは探せるはずだ。こちらは言っていないことを証明せねばならないのだから、明らかに不利になる」
「なるほど」
現ダバン男爵からしてみれば、父親とカセロールがお互いに了承し合っていた、ということが事実として残る。了承の内容はともかく、事実は事実。
カセロールからすれば、前提条件があったはずだと言いたくなる。
どちらが悪いわけでも無く、しいていうなら前ダバン男爵が不十分な日記を残していたせいだとなるのだろうが、個人的な日記の内容まで事細かに指定するわけにもいかない。
第一、ペイスが女の子だったら、という条件があったにせよ、婚約を承諾していたと取られてもおかしくない言質を与えたのはカセロールだ。当時はそれが最善な判断だっただけに、状況が変わった今となっては悔やまれることも多い。
「しかし、何でまた十年以上も経った今頃?」
「うむ。それも調べがついた。ダグラッド」
「へぇへぇ。さて、俺が調べたところじゃあ、十年以上前の婚約話を今更持ち出してきたのは、先ごろあった海賊騒動が遠因。当家も関わっていた例の事件。あれでリハジック子爵家が没落したのが始まり」
「ああ、あのボンビーノ子爵家の」
去年の秋、ボンビーノ子爵家からの要請でモルテールン家が海賊討伐の援軍に出向いた。
先の事件とはこの海賊騒動を指す。
「元々リハジック子爵家は新興貴族。野心もあった彼の人は、自分たちに無い権威と伝統を、婚姻政策で補おうとした。しかしまあ、新興貴族で、しかも革新的なリハジック子爵と縁付きたい伝統貴族ってのは極めて少ない。伝統貴族ってのは総じて保守的なもんで。そこで、リハジック子爵はダバン男爵家に娘を縁付かせた。現ダバン男爵の正妻がそれだ」
ダバン男爵は新興貴族と伝統貴族の、丁度中間の立ち位置。伝統貴族の力と影響力を取り込みたいリハジック子爵家としては、妥協できる家だったのだろうと推察された。
伝統の力というのは意外と侮れないし、金も権力もそれ相応に手に入れた成金が、権威を欲するのもまたよくある流れ。
「リハジック家は隆盛の中にあったし、その姻戚となったダバン男爵家も恩恵を受けた。その最たるものが、嫡男の嫁探し。宮廷貴族の子爵から嫁を貰う算段が付いていたそうで。さほど裕福でもない男爵家に嫁ぐってわけなんで、リハジック家の強力な後押しがあったのは間違いない。他にも有力な縁組の候補が幾つも用意されていたらしい」
「なるほど。その後リハジック家が……」
「そう。そこにきてリハジック家が没落した。当然、既存の婚約も解消された。貴族の婚約なんて当てにならん証拠だ。さて、そこでフリーになった長男の嫁探しをやり直す羽目になったダバン男爵家だが、既にある婚約話や潰れた婚約話を整理していたところで、例の日記がご登場。調べてみると、どうやら現在もモルテールン家との婚約は有効なようだ、と気付いた」
「それが数か月前の話だ。ダバン男爵としても、昔ならともかく、今のモルテールン家ならば自分たちとも釣り合うと考えたらしく、婚約を正式に発表するに至った……というわけだ」
話を纏めてみると、誰が悪いわけでも無い事情が見えて来る。
とことん原因を考えるなら、リハジック家没落の引き金を引いたペイスが悪いと言えなくもない。
「では、ジョゼフィーネ様の婚約を認めると?」
そう声を挙げたのはグラサージュ。自分の息子がジョゼにお熱なのを知るだけに、少し不快げな声だった。
「いや、かつての事情ならばともかく、今はダバン男爵家に嫁がせるメリットが極めて少ない。うちとの縁組を望む他家の不満も馬鹿に出来ない。第一、十年以上も見向きもしなかったジョゼに、今更婚約者面で近づく輩が気に食わん。それならまだ情熱的に口説きに来たボンビーノ家の方がマシだ。そこで……ペイス!!」
「はい?」
カセロールが、大勢の前で息子を呼ぶ。
「この件に関して、対策チームを組む。お前をリーダーに、ダグラッド、ニコロ、ラミトがメンバーだ」
「……チームの目的は?」
ペイスの問いかけに、カセロールは一度深呼吸をした。
キッと意思を込めた目つきで家人を見渡し、明確な意思を持って言う。
「ジョゼの婚約話の撤回をもぎ取れ。……手段は問わん。この話、全力で潰せ!!」
一同の気合がみなぎった。