010話 魔法の威力
カセロール=ミル=モルテールン騎士爵とその腹心のシイツ。
彼ら二人には共通点が多い。
一つは、お互いにお互いを掛け替えのない親友と思っている点。
或いは、食うにも困る下っ端から戦場での武勲を重ね、多くの名誉と報奨を得て今の地位に居るという点。
そして、最大の類似点は、万人に一人と言われる才能。魔法を使えるということ。
カセロールの【瞬間移動】はつとに有名であるが、それに隠れるようにしてシイツの【遠見】の魔法も二つ名と共に知られている。
シイツがカセロールの部下となったのは、彼自身が、彼の魔法をサポートに向いたものであると自覚するが故である。自分はトップではなくNo.2が向いている、と。そして、自分の能力を最も活かせる主人はカセロールだ、と。
事実、幾多の戦場で、この二人のタッグは比類なき戦果を挙げてきた。
「大将、ちぃと不味い」
「何だ?」
彼らが二騎駆けで走る事二十分。
本村から、遠目に点であった盗賊らしきものが、近づいてくるのがはっきりと分かる距離にまで近づいていた彼らは、そこでどうにも良からぬものを見た。
土地勘のない賊などからすれば、どうあっても視認が出来ない距離であるにも関わらず、それを意に介せず見ることが出来るのがシイツの強みである。
「どうにもあいつら、騎士崩れが頭だ。馬が五頭。それも体格の良い馬だな。乗り手も相当手綱に慣れてらぁ。襲撃の準備でもしてるのかね」
「賊の数は何人だ?」
「十、二十…五十六。いや、七。うち数人は綱付き」
「五十越えは事前の予想通りだが、やはり多いな」
騎士崩れ、というのは戦場で厄介な敵として定義される、傭兵の騎兵に対する蔑称だ。
馬。それも人が乗れ、怯えを調教で克服した軍馬ともなれば、いざ戦場ともなると汎用性も高く、機動力や突破力は申し分のない兵科。所謂騎兵となる。
馬は、日頃人以上に大喰らいな分、走れば人以上に早くて力強く、敵前にあっては数百キロの質量の塊となる。
用途次第では、一騎でも十人や二十人の敵など蹴散らす強さがあるのだ。
軽自動車の突進に、人ごときが大した抵抗も出来ず弾き飛ばされるようなものと思えば間違いない。
馬の脚で踏まれただけでも死ねるのだから、敵からすればこれほど厄介な兵科も珍しい。
しかし本来、自分用の馬を養うというのは相当に経済力を持っていなければ難しい。食い物は人以上の量を食べる上に、軍馬として扱うならそこら辺の雑草で養うというわけにもいかず、専用の飼葉や飼料か、広い牧草地や放牧地が要る。
元来、草食動物の特性として臆病な動物である馬を、大きな音や激しいぶつかり合いにも動じないように調教し、それを維持する訓練も必要だ。
おおよそ、銀貨換算で一枚もあれば普通の農家一家がひと月程度は暮らせるが、軍馬は維持費として平均して月に三~四枚は銀貨が要る。
貴族が徴税権を与えられているのは、こういうものを養うためでもある。
戦力として申し分無いが、維持には金が飛ぶのが馬。
そして、そんな馬を自力で用意出来る傭兵を指して、騎士崩れと呼ぶ。
騎乗が技術であり、馬の維持に金が掛かる以上、自力で馬を用意できる騎兵傭兵はそれ相応の立場“だった”事が多い。
元々貴族であったものが没落したであるとか、傭兵として勇戦を重ねて武勲と報奨を稼いだであるとか、裕福な商家に高待遇で抱えられている腕利きであるとか。
或いは稼ぎの大きい、大規模な盗賊で幹部を務めている……とか。
どれにした所で、食い詰めて盗賊に落ちぶれた連中とは一線を画し、戦うことを本業とする連中であることは間違いが無い。早い話が手強い。
それが複数居る時点で、襲ってきている盗賊団が“普通”とは程遠い戦闘集団であることが分かる。
伯爵家が討伐に失敗した時点で分かってはいたが、相当に恐ろしい連中のようだ。
「しかし……食糧自体はあまり持っていないようですぜ」
「こちらとしてはこれも予想通りか」
「ありがたいこって」
シイツの見る限り、盗賊の中の数人は明らかに荷物持ち。
重たそうな荷物を持ち、紐のようなものでお互い同士が縛られている風を見れば、何処かで捕まえた村人を奴隷のように酷使しているのだろうと察しが付く。彼ら、彼女らの末路は疲れ果てて野垂れ死に、遅かれ早かれ野犬の餌になる。
碌な食事も取れず、力尽きた時が死ぬ時だ。
自分たちの家族や仲間を、あんな有様にしてなるものかと、シイツとカセロールはお互いに無言で頷きあう。
運ぶ荷物の量から推察して、食糧は精々二日分。賊が夜襲を決断するであろうには十分な困窮度。少なくとも、二~三日様子を見てくるような余裕は無いと断言できる。ここで上手く挑発できれば、このまま夜戦になるのはまず間違いがなかった。
そうなれば、短期決戦の上で、土地勘のあるモルテールン領軍が有利な、更には防衛戦という最高の状況になり、質と量で劣る農民徴兵と言えど勝ち目も見えてくる。
「シイツ、遅れるなよ」
「誰に言ってるんですかい。大将こそ、ケツに矢を射かけられねえように急いでくだせえ」
競うようにして駆けだす二つの馬影。
夕闇が一層暗くなり、既に夜の帳が降り始める頃合い。
街灯などはありえず、火が焚かれることもない荒野の中に、二つの影が溶けていった。
駆け来る馬蹄の音に、盗賊たちが気付いたのはそれからやや過ぎてからだった。
日も落ちた。これから夜陰に乗じて村を襲い、女食糧財貨を奪う。その手筈を整えていた途中。
即座に態勢を整え、錆の浮いた剣を構える者。或いはどこの戦場で拾ったかも分からない年代物の槍を構える者。
武器は様々ながら、対応の早さは下手な傭兵団より素早かった。
武侠を匂わせる、盗賊団らしからぬ姿勢を見せた集団の中に、飛び込んできた二騎の騎兵。
一騎が石つぶてを幾つか投げ、飛んだ礫から目や顔を庇った幾人かを二騎目が目ざとく切りつけた。格式ばった名乗りも無い荒っぽい奇襲に、賊は怯みを見せる。
鳥を地面に叩きつけた時のような、潰れた悲鳴を二つほど後に残し、馬は集団の中を駆け抜けていった。
賊の頭目などは、その鮮やかさを見て、さぞ練達の騎士であろうと察する。
無理にとどめを刺そうとせず、駆け抜けることを優先させた突進を見ても、騎乗技術や馬上戦術に秀でた者と分かる。
「手前ぇら、相手はたった二人だ。舐めた真似されてんじゃねえ。直ぐに次が来るぞ。槍持ってる奴らは構えろ。いいか、絶対に馬の前に出るな。跳ね飛ばされて死ぬぞ」
賊頭目の飛ばした指示。
それは騎馬突撃に対して、実に的確な指示だった。
馬頭を返し、再度の突撃を仕掛けようとしていたカセロールとシイツは、その手際の良さに突進を諦めざるを得なかった。
思っていた以上に手ごわい賊に歯噛みをしつつ、あえて聞こえるような声で二人は会話する。
「大将、駄目です。このままじゃ串刺しにされる。この数に敵いっこねぇ。偵察は止めて一旦村に引き返しましょう」
「そうするか。急いで逃げて、防備を整えるぞ。村人に賊が来たことを知らせねば!!」
たった二騎で集団の中に駆け込んだ勇士とは思えない弱気な発言を残し、遠ざかろうとする馬蹄。
盗賊たちは、なまじ訓練されているのが仇になる。
弱気な言葉を聞き、自分たちなら戦えると判断し、馬に乗った者は頭目が止めるのも聞かずに追いかけたのだ。釣られて、馬に乗っていない者も駆けだす。
賊共の頭の中では、今なら下手に防備を整えさせる前に夜襲を行えるとのそろばんがあった。
馬に乗れるのは身分の高い者だというのが相場。ましてここら辺のような貧村ばかりでは、馬を養うのも大変だろうことから、数も無いはず。
襲撃に二人も騎乗した人間が来たとなれば、村は指揮する者もおらず烏合の衆に違いない。
賊がそう考えるのも当然だった。
普通の田舎領主が相手であれば、或いは先だって襲われた騎士爵領のような所であれば、その判断は正解だった。
賊の誤算は、モルテールン領の連中が、背水の陣とも言える窮鼠ばかりであったこと。そして、留守にしているはずの村に、ある意味では一番手強い“指揮者”が居たことである。
「大将、火矢が飛んできたぞ」
「ペイスの仕業だな。わざわざ目立つ真似をしたという事は……誘いと言う事か」
「なら、西回りだな。東回りなら畑を荒らしちまう」
「何を企んでいるか知らんが、それっ」
足の速い馬二頭。
それを追う形になった賊は、否応なく戦いの剣を振り上げるしかなかった。
盗賊にしてみれば、既に準備万端整えているとは知らないわけで、ここで二騎を見送って準備を整えられるよりかは、追ってそのまま村になだれ込んだ方が、自分たちの被害は少なくて済むという常識に囚われている。
狼藉者たちが、準備も碌に整わないうちに突撃する羽目になったのは、賊の偵察が来る前に強襲を掛けたカセロール達の作戦勝ちと言えた。
逃げる二頭は、足の速さはそれなりに揃っている。息を合わせて、足並みも揃えている。
対し、追う騎兵は五頭。足の速さはバラバラで、しかもその後ろには村に向けて走る五十人弱の集団。勿論、それぞれに走る速度はバラバラだ。
村に近づくにつれ、知らずと賊は一列縦隊に近い隊列になっていた。
カセロールとシイツの二騎が、火矢を合図に方向転換した時。
暗闇で先がよく見えず、追いかけるものに釣られるように賊が動いたのは至極当然の事だった。
村に向けて一列に走っていた者達が、横方向に移動方向を変えた結果。彼らは“横”に村を見る形になってしまった。
「放て!!」
幼い一声と共に、無数の石礫の雨が降る。突然、堅い塊をぶつけられた盗賊は混乱した。
意識もしていなかった脇腹から、大量の投石。
しかも狙ったように頭や馬に飛んできた。
中には、火のついた布玉まで投げつけてくる。油が仕込んであるのか、ものに当たった瞬間辺りには火花が飛び散った。
「次、放て!!」
石礫と言っても、親指大のものから、こぶし大のものまで。
手前にころころと転がるものも多かったが、それ以上に数が多かった。
親指大といえども当たれば肌は切られるし、大きなものが頭にでも当たれば容易く意識を絶ち切る。火玉に関しては言わずもがな。
賊が咄嗟に立ち止まり、身を守ろうとしたのは防衛本能とも言えた。
続けざまに浴びせられた石の雨。数名が大きな石を頭に受けて昏倒している。顔に火が回ってのたうっている人間も居た。混乱に拍車を掛ける様に馬までが暴れ出し、踏みつぶされる重傷者まで出だす。
「ふざけんなっ!!」
「石くれ如きで舐めやがって!!」
だが、流石に盗賊たちも投石程度ならばと、持ち直すのも早かった。
暴れる馬を乗り捨て、村の方に突進を掛ける。
濠を越えようと空堀に入り、柵を乗り越えようとした所で村人の木槍との応酬となる。
投石の数から考えても、領軍大半の主力が目の前に居るのは間違いない。ならばここが踏ん張りどころだ、と賊は張り切る。
「うぎゃぁ!!」
「痛えよぉ!!」
あちらこちらで聞こえる悲鳴。残念なことにその割合は、どちらかと言えば柵の内側から上がるものの方が多い。
賊は人を殺すことを生業とするような連中。それに比べて村人は、土を耕すのが生業の農民ばかり。
武器の違い。躊躇いの無さ。人殺しへの慣れ。それらは全て村人にとって不利に繋がった。
徐々に、賊の中からも濠を乗り越える者が出始める。
その中の一人。
とりわけ体格の良い者が、村人の木槍を叩き切り、更には肩口を切りつけた上で柵まで乗り越えた。
「おらぁ、死にたい奴から掛かってこいや!!」
よく見れば、それは騎士崩れと呼ばれていた人間だった。
手に持った剣は、他の連中の錆が浮いたような物とは違い、良く手入れされている。
今でこそ血に染まっているが、さぞかし腕の立つ鍛冶師が打ったものなのだろう。
切れ味も中々に鋭い両手剣を振りまわす賊。
間違いなく頭目だろうと思われるその男は、周りの農民などは相手にもならない。
木端の如く飛ばされた一人の男が、傍で戦っていた領民を巻き込んで転がる。
主力を撃滅して、これで自分たちの好き放題に出来る。
柵も壊したし、そこから一気に陣形も何も崩してやった。
と、賊の連中には見えた。
だが、思ったほどに農民が慌てていない事。そして、思ったほどに人が居ない事に、賊の頭目は気付く。
それどころか、何故かとある地点を越えた所で、手下どもが急に転がり出すのだ。
「一体どうしたんだ、あぁ?」
剣をやや斜に構えて肩に置き、大胆不敵にも転がる連中の方に無造作に歩く頭目。
この程度のことでビビっていては、盗賊団の頭は務まらない。
何が起きているのか確認しようとした所で、男は図らずも原因を知る。
文字通り“その身を持って“理解してしまった。
「ぐぉぉ、痛え、熱い、くそっ何が起きてやがる!!」
顔中に走る、焼けるような熱と痛み。
思わず地面に転がってしまうが、そこには同じように転がって痛みを訴える手下が居た。
耐え難い痛みの中、頭目が目にしたのは、小さな少年の姿だった。
「マルク、ルミ、あと少し時間を稼ぐのに、もう一度投石いきます。打てっ!!」
可愛らしい、という言葉が似合うであろう銀髪の少年。
その少年と、頭目の目が合った時。賊の頭は、目の前の子供がこの苦しみを与えていると悟る。
それが分かるほどに、少年の目が冷静に自分を見ていたからだ。
「てめぇ、何しやがった……」
既に顔は焼け爛れたようになり、息をするにも激痛が襲う中で聞いた言葉。
返って来たのは冷ややかで、落ち着いた答えだった。
「大したことはしていませんよ。精々、お仲間さんの怪我を【転写】しただけです。良い塩梅の怪我人を探す方に苦労しましたがね」
「なっ、もしかして魔法使いか」
「はい。世間一般ではそう言うようです」
いやに冷静な言葉を最後に、振り回された大きな石を後頭部に受け、頭目は意識を手放した。
こんな辺境に、魔法使いが隠れているとは、自分はツキが無かった、と考えながら。
「頭がやられたっ!!」
「ちきしょう、退け、退け」
盗賊にしては統率がとれている。
頭目がやられたことで退きはじめる連中を見て、ペイスはそう思った。
「まっ、逃げられないわけですけどね」
少年の目の前には、父とその友人が、西側の手勢を引き連れて、混乱を極めた賊を討滅する光景があった。