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◆エピローグ

 一体、どれだけの時が経ったのだろうか。わたしはタブレット端末のディスプレイを消した。うんと伸びをすると、身体が疲れていることが良く分かる。随分と長い時間、話を聞いていたものだ。一体、どれだけの時間が経ったのだろう。相変わらず部屋には時計がないし、そもそも時間の概念がない可能性もあったので、今更になって何時か、などと聞く訳にもいかなかったが――わたしは席を立つと、部屋の中を見回した。


「すいません、そろそろ」


「ああ、もうじきお帰りの時間ですよね。ご安心ください、元の日付の元の時間に戻るようにしますので」


 その頃には、監督もいくらか話し疲れているようだった。暖炉は薪を追加していないのに延々と燃え続け、途中何度か光の感覚が変わったようにも感じられたが、何しろ窓がないので外の様子は分からなかった。


「ありがとうございました。とても助かりました」


「いえ、この程度のことであれば。……ただ、この物語を広めることが出来るかどうかまでは」


「もしもうまくことが運ばなかったとしても、気になさらないでください。無理なお願いをしているということは、重々承知の上でありますので」


 監督は三角帽子を取り、深くお辞儀をした。テーブルの上だったが、なんとも行儀の良いコオロギだと思う。ふと監督は何かに気が付いたのか、扉を見ると急いで鏡をどこかに収納した。収納したと表現するのが正しいのか、鏡が小さくなったと表現するのが正しいのか、吸い込まれるように鏡は監督の背中に入っていった。わたしは少し驚いたが、思えば取り出す時もいつの間にか手に持っていた。この世界では、質量の法則など通用しないのだろう。


「おっと、次の世界が始まるようですね。……調査君、またお願いできますか」


 監督がそう言うと、調査という名の白狐はひとつ頷いて、顎の下にある尻尾を揺らした。やはり、慣れない格好だった。とん、と床が叩かれる音がしたかと思うと、調査はバックジャンプをするように軽やかに――わたしが入ってきた扉とは違う、暖炉の隣の、もう一つの扉の前に着地した。ダンスをするように一回転すると、調査は音もなくその場から消え去った。


 そういえば、少年少女の物語の中でも、扉の前に立つシーンがあった。あの時は外側だった――あの扉は、もしかすると別のノーリアル・ワールドに通じているのかもしれない。


「彼の仕事は、ノーリアル・ワールドの原因調査なのですね」


 わたしがそう言うと、監督は頷いた。


「わたくし達も、どうしてこの世界が生まれたのか、いつ生まれるのか、はたまたいつ終わるのか、まったく想像もできない状態なのですよ。ですが、いつまでもそう言ってもいられませんので――少なくともわたくし達が今こうして存在している世界は、今のところ終わっていませんから。一体この世界が何なのか、まだ探りを入れている段階なのです」


 誰も知らない世界で、誰も知らない存在が、自分達の世界を知るために動いている。それは、なんとも不思議な光景だった。わたし達も人類として初めて誕生してから今まで、わたし達の生きている世界がどこから生まれて、いつ生まれ、そしてどうやって終わるのか、答えは出ていない。彼らもそうだろうか。そして、それは死に絶えるまで考え続けるのだろうか。


 その時、わたしは彼らもまた『生きている』のだと感じた。


「現実の世界を生きる、誰かの想いがノーリアル・ワールドを作っている」


 それは、唐突にわたしに投げかけられた。わたしが見ると話し終わったのか、老人は本を閉じてわたしに向かい合った。長い眉毛の下では、鋭い眼差しがわたしを見詰めていた。


「ということは、現実世界とノーリアル・ワールドは密接に関わっているのだ。ならば、どのように関わっているのか。それが、この世界を解き明かすために重要なことだと私は考えるよ」


 そうだ。物語の内容が本物ならば、この世界はわたし達、現実世界の人間が作り出すものだ。ならば、ノーリアル・ワールドと現実世界は無関係ではない。……そうだろうか。ノーリアル・ワールドの出現には、何かの法則があるのだろうか? ……秩序も常識もない、この世界で? それは、少し面白い想像だった。


 その時、わたしはこの語り口を物語のどこかで聞いたような気がした。


「……監督の物語に出てきた『師匠』というキャラクターは、あなたでしたか?」


 わたしが聞くと老人はゆっくりと頷いた。なるほど、少年少女が聞いた『扉の向こうの声』とは、彼の声だったということだ。監督や調査は人間ではないが、彼は夢のような物語の世界に登場している、数少ない人間だ。それが今まさに目の前にいるというのは、なんとも奇妙な気分だった。


 物語の世界では、彼は世界の謎を解くための重要人物だった。それは、この場所で研究を続けているからなのかもしれない。


「すべての世界には価値がある。現実を知っている世界なのだから、現実世界の出来事もいくつも出てくる。だが、現実の世界とはやはり違う。その中で、人が何を考え、何を感じているのか。それが現実の世界を生きていくことに、またノーリアル・ワールドの根拠にも、大きく関係しているとは思わないかね?」


 わたし達が生きていくためにノーリアル・ワールドがある、ということだろうか? 現実と同じようで違う世界。わたしは、この世界に紛れ込むことで何を考え、何を感じただろうか。


 だが、現実世界の人間がここに訪れ、何かを経験していくということは、きっと何かの役に立っているのだろう。


「思います」


 わたしがそう言うと、師匠は笑った。やはり連れて来るべきだったと言われ、わたしは少し嬉しくなってしまった。少し笑うと、彼の下で話を聞いていた少女がわたしの所に走ってきた。


「面白かった?」


「ああ、面白かったよ」わたしは頷いた。


「また、遊びに来て」


 ふと、わたしは彼女が一体どういう存在なのかが気になった。物語には、ここにいるメンバーはそれぞれ登場した――監督だけは登場しなかったが。彼女は少年少女の物語の中で、何をしていたのだろう。わたしがそんなことを考えていると、少女は老人――師匠に向かって、頭を下げた。


「それじゃあ、お世話になりました。ありがとうございました」


 少女は師匠に礼を言った。師匠がその頭を撫でると、少女は暖炉の火に向かっていった。わたしは危ない、と声を掛けたが、構わずに少女はその火の中へと入っていった。……そして、そのまま消えてしまった。今更ながら、わたしは見えているものに常識が存在していないことを痛感する。


「現実の世界で肉体を失ってしまい、最後にここに来た方がどこにも向かえず、残ってしまうことがあります。そのために、一度ノーリアル・ワールドの暖炉でその存在を焼き払うのですよ」


 監督はそう言った。ノーリアル・ワールドに残ってしまった存在を焼き払う? ……ということは。もしかしたら、彼女が物語に登場した『不藤すず』なのだろうか。わたしは世にも不思議な場所で、世にも不思議な物語を聞き、そしてその世界を作った人物に会った、ということだろうか。


 それは、言葉では表現できない満足感をわたしに与えた。


「おっと、驚きましたね。予想よりも早い――……。せっかくですから、見に行きませんか?」


 監督はそう言って、小さな手でわたしの袖を引いた。わたしは一体何のことかと首を傾げたが、監督は三角帽子を小さな手でくるくると回すと、帽子を被り直した。


「新しいノーリアル・ワールドが誕生するのですよ。さあ、外へ出ましょう」


 示されるままに、わたしは暖炉とは向かい側の、わたしが入ってきた扉に手を掛けた。それを開くと、入った時と同じ――宇宙空間のような世界が視界を覆いつくした。扉を閉め、駅のホームまで歩く。天体観測でもしているかのようだ。もっとも、天体観測であれば足元に宇宙空間が広がることなど絶対にあり得ないことなのだが。


「そろそろだと思うんですけどねえ、まだ時間ではありませんね」


 監督はそう言うと、三角帽子の中から時計を取り出した。時刻は――何時を指しているのかと思ったが、本来数字が示される場所はアルファベットになっている。目盛も通常の時計よりも多い。わたしには、それが一体何を示しているのかは分からなかった。


 監督は時計の針がある位置に来たことを確認し、時計をコツコツと軽く叩いた。


「お、来ましたね。調査君、そちらはどうですか?」


 監督がそう聞くと、時計の裏側から声がした。


『こっちも時刻通りだ。落ちてくるぞ』


 落ちてくるとは、一体どういうことなのだろうか。わたしはそう思ったが、すぐにその表現の意味に気が付いた。


 どこからか、宇宙空間のある部分が光りはじめたのだ。それはやがて強く光を放つようになり、宇宙空間を青く照らしていく。本来、大気がなければ明るくなることもないはずなのだが。それは隕石のように突如としてノーリアル・ワールドに『落ちてきた』。すると、落ちた場所を中心として、宇宙空間だったノーリアル・ワールドは明るくなっていく。


 それは、宇宙空間に舞い降りた夜明けのようだった。わたしは言葉もなくし、その美しさに見惚れていた。


「これを見られる現実世界の人間は、そう多くはありません。あなたは運が良い」


 わたし自身も、とても運が良いことだと思った。駅は青空になり、きらきらと光る星――星なのかどうかは定かではないが、それらは青い光に包まれると、見えなくなった。


 それは幻想的で、現実世界では決して見ることのできない光景。未知の体験だった。


「ありゃ、電車が来るのも予定より早いのですか? ……仕方ないですね、それでは、今回はこれでお別れということですか」


 監督はそう言った。わたしは正直な所、この世界の変化をもう少しだけ眺めていたいと思ったが――……。暫くすると、線路の向こうから煙をあげて、黒い蒸気機関車が走ってきた。蒸気機関車はゆっくりと、わたしの下へと近付いて来る。


 だから、これが最後なのだと思った。わたしは気になっていたことを、監督に聞いた。


「これから、新しい物語が始まるのですか?」


 わたしが問い掛けると、監督は頷いた。


「人の――心の数だけ、物語は存在します。わたくし達にも、すべてを把握することなどできない。だから、わたくし達は広めようと思うのですよ。もっと沢山の人々に、この荒唐無稽で美しい物語を。あなたも、そうでしょう?」


 監督は、あえてわたしを同じ仲間の一人だとでも言うかのようにそう話し、わたしの目を見た。わたしは、どうしてだか、それがたまらなく嬉しくなってしまった。


「もちろんです、監督。あなたに会えてよかった」


「わたくしもですよ。あなたなら、この物語をきっと沢山の人に広めてくれる。そう信じています」


「どこまでやれるか分かりませんが、努力を尽くします」


「ロビーにたどり着いたら、目を閉じて指を鳴らしてください。それが合図です」


 わたしは監督と、小さな握手をした。蒸気機関車はやがて駅に到着し、わたしはその蒸気機関車に乗った。暫くするとアナウンスが流れ――来る時にも流れた、まったく意味の分からないあれだ。そのアナウンスを聞き終わった頃、蒸気機関車はゆっくりと出発していく。


「また、機会があったらここに来てください。新しい物語をお話します」


 蒸気機関車の出発に合わせて、監督の小さな面影が遠ざかっていく。去り際に、監督はそんなことを言った。


 青空の中を、蒸気機関車が駆け抜けていく。わたしはその景色を眺めながら、今回の物語を思い出していた。よく見ると、蒸気機関車は地球へと向かっているように見えた。わたしは地球ではない、どこか他の場所で物語を聞いていたのかもしれない。


 線路はどこまでも続いていった。どこをどう走ったのかは分からないが、気が付くと空港のロビーまで戻ってきていた。ちっとも現実的ではないのに、何故か行って帰る場所だけが同じ辺りが不自然だ。わたしはそんなことを考えた。


 元の無人のロビーまで戻ってきた時、わたしは監督に言われたことを思い出した。改札口を抜け、誰もいないことを確認してから、わたしは目を閉じる。


 そして、静かに指を鳴らした。




 雑踏の音がする。ふと、わたしは自分が指を鳴らした時とまったく違う格好をしていることに気付いた。隣で聞こえるのは――……、ノーリアル・ワールドに辿り着く前に話し声の聞こえていた、あの家族ではないか? わたしが目を開けると、左手に携帯電話を握っていた。もしもし、繋がらないのか、と何度も話す仕事仲間の声に気が付く。


「あれ? ……ええ、はい。聞こえています。……ええ、少し電波の調子が悪かったようですね」


 わたしが時間を確認すると、なんと出る前とまったく変わらない時間だった。これにはしてやられた、あれだけの長い時を経たはずなのに、何度時計を確認しても時間はあの時を指していた。壊れてもいないようだ。確かに監督は元の日付の元の時間に戻るようにする、とわたしに話したが――……。多少時間が経っている方が、むしろ良心的だ。


 自分でも驚きを隠せなかったが、携帯電話の向こう側で話す仕事仲間にそれが伝わるはずもない。あの時の会話などさっぱり覚えていない、さて、わたしはどうしたものかと思ったものだ。


「……ええ、そうなんです。今回の企画について――……はい、すいません。ははは、少々話が飛んで行ってしまったようでして。申し訳ありません」


 わたしはふと、手に握っているタブレット端末を見て言った。


「……ですが、魅力ある商品については、新しいものが提案できるかもしれない、と考えております」


 わたしは少しだけ、その選択を取ってみたくなった。手に握られたタブレット端末には、監督が残していった不思議な世界――ノーリアル・ワールドの旅路の記録がある。それに、少しだけ。ほんの少しだけ――賭けてみたくなった。少なくとも、あの金切り声の女性よりは面白いだろう。


 長い人生の中で一度くらい、こういった夢のような出来事に挑戦してみるのも――などと、夢見がちなことを考えた。


 さて、わたしはそのような出来事があり、ノーリアル・ワールドから現実世界へと帰って来ることができた。一体どこから入り、どこから出てきたのか。それさえも分からないままに。その後どうにかしてもう一度ノーリアル・ワールドに入るために、空港を歩いて入口を探してみたが、二度とその世界に辿り着くことはできなかった。会う方法も分からないのに機会があったらとは、どういうことなのだろうか。せめて入るための方法くらい、教えてくれれば良かったのに。


 それを考えた時、わたしは少しだけ面白くなってしまった。おそらく、あのひょうきんな三角帽子のコオロギも、わたしが次に彼らに出会う時など予定していないに違いない。


 ならば、この物語は世界で唯一、わたしだけが手にしているものだ。


「ええ。物語なのですけどね――作家? はい、そうなんですよ。面白い作家に会ってしまいまして。……路線はまったく違います。新規の企画にはなるかもしれませんが」


 しかし、わたしが会社で企画部をやっていたことなど、監督には一度として伝えていない。だが、監督はあの時間・タイミングでは、わたしが一番都合が良かったと言った。もしかすると、監督は今もわたしのすぐそばで見ているのだろうか。これは気が抜けない。


 そこまで考えて、わたしは現実世界に帰って来たのだということを、今更ながら感じた。もう二度と監督に、調査に、師匠に出会えることはないのかもしれない。だが、どういうわけかわたしの胸の奥は希望に満ちていた。


 すべての世界には価値がある。その中で、わたしが何を考え、何を感じていくのか。『ノーリアル・ワールド』は知らずのうちに、わたしに大きな変化を与えたのかもしれない。


 ノーリアル・ワールドを旅した六人の少年少女は、存在しないはずの七月二十二日を体験したのだ。彼らは全員が、そのすべてを記憶していた――……。ならば、彼らは夢とも現実ともつかない世界の旅をしたのだ、ということになる。


 そして、わたしも、また。


 ならば、夢とはある意味では現実に、あるいはそうではない場所に『存在』しているのかもしれない。または、現実がいつか人々の居場所ではなくなる時が来るのかもしれない。その可能性を否定することなど、誰にもできないのではないか。


 まさに無益な、夢遊病にでも掛かってしまったのではないかと思えるような考えであることに気が付き、わたしは苦笑いをした。だが、二度と辿り着くことのできない小屋で書いた物語は、確かにこのタブレットに『存在』している。それは、たまらなくおかしいものだ。


 最後になるが、わたしはこの物語を世界に広めるために、公開しようと決めた。わたしは作家ではないが、この物語は沢山の人に知って頂く価値があると決意したため、こうしてこれを読んでいるあなたの手に渡っている。


 そして、この秩序のない世界の旅路を物語として公開できることを、わたしは嬉しく思う。


 もしもこの本を遠野リョウ、不藤りんをはじめ、ノーリアル・ワールドを旅したすべての人々に届けることができたら、それはなんと素晴らしいことだろう!


 そういった想いを届けるため、この物語を『ノーリアル・ワールドの旅路』と名付けよう。


 リョウ達は、ノーリアル・ワールドのスペルが『KnowReal』であることは、最後に忘れてしまったようだったが。きっと、このタイトルを見れば思い出してくれるはずだ。


「名前ですか……? ああ、はい。そうですね――コオ・ロギーという、元映画監督ですよ。あ、いえ、無名ですので調べても名前は出て来ないと思います。実は隠居しているとのことで、公に名前を公開する訳には……はい。作品だけがある状態です。ええ」




 ひょうきんな三角帽子のコオロギが言う『次の機会』というものが、本当にあることを願うばかりである。


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