◆トラベラバーズ
なんと申しますか、それはある時落ちてきたのですよ。
そう、わたくしが丁度、そこの駅でメモを片手にコーヒーを飲んでいた時のことでした。
綺麗な流れ星だな、と思ったのですけどね。それはやがてどこかに『着陸』し、辺り一帯を明るく照らしていったのです。
実は、こんなことは初めてではありません。それは、ノーリアル・ワールドが誕生する時の現象なのですよ。
それでも近くに落ちるのは珍しいことだったので、当時のわたくしは驚いて、この三角帽子を落としてしまったのです。お気に入りで、二つとして同じものを作ることはできない――いけませんね、少し話がそれました。
改めまして、わたくし『監督』と申します。実はわたくし、現実世界とノーリアル・ワールドの相互監視・観察が主な仕事でして、現実世界にも多少なり関わることができます。と申しましても、当時の状況を見ることができる、その程度の能力ではあるのですが。
それに対して、ノーリアル・ワールドへの干渉を仕事とする調査君。彼とお仕事を二人でやっているのですよ。
さて、今回はこの能力を駆使してお話をさせていただきたいと思います。
本来ならばすぐに物語を語り出したい所ではあるのですが、その前にあなたも気になることがありますよね?
そうです、今回の物語における登場人物が、どんな人間なのかということですよ。
物語が始まってしまうと紹介という形ではご説明し難いですし、ひとまず先に彼らの様子を覗いてみませんか?
え? 気にならない? いやいや、そんなこと言わないでくださいよ。とっても個性に溢れた登場人物達なのですから。
よろしいですか?
よろしいですよね?
いやー、わたくしにはよろしいと聞こえましたよ。いやー、ありがとうございます。それでは、始めさせて頂きます。
えー、ゴホン。それでは、こちらの鏡をご覧ください。
舞台は物語の少し前、季節は夏真っ盛り。ひょいと鏡に広がりますのは、どこまで続いているのか最果てを追ってみたくなるような、果てしない青空。そして所々に浮かんでいる、白い雲。素晴らしい天気ですね。
とても庶民的な住宅街。それでも、普通よりは少しだけリッチな雰囲気のあるマンションの下に、一台のワゴンが停車しています。
もう、お分かりですね。今回の登場人物達は、ワゴンのそばで準備をしている彼らですよ。
それでは、今回の物語の主人公はというと……おや? 主人公がいませんね。そろそろ登場してもいい時間だとは思うのですが――……
道の向こう側を映してみましょうか。おお、走って来ますね。
「お――――い!!」
彼は、東野リョウ。太めの眉に、ストレートの黒髪。彫りの深い顔立ちが、爽やかな印象を受けますね。服装も赤いシャツに青いジーンズと、ラフなスタイルです。
今走っている彼、彼は今回の物語の主人公なのですよ。今日は彼の作った旅行団体『トラベラバーズ』の行事で、高校生活最後の旅行なのですよね。
それにしても、大きな声ですね。
「リョウ先輩、遅すぎ!!」
「悪いな、待ったか?」
「待ちました。お菓子を」
何だか見るからに口うるさそうな彼女は、鬼岩みもり。明るい金髪を緩やかにカールし、ミニスカートにハイソックス。小柄な体格も相まって、ナウい――すいません、古いですね。
やや我侭そうな印象を受けますね。実際、そうなのでしょうけど。
他のメンバーは卒業候補生ばかりですが、彼女はまだ高校二年生です。
「ちゃんと買って来ましたか?」
リョウが手に持っているお菓子の袋を渡すと――、すごい喜びようですね。
……あ、でも中身を見て、一瞬にして笑顔が消えましたね。一体、どうしたのでしょう。
「チョコレートプレッツェルは買わないでくださいって、あれほど言ったのに!」
「プレッツェル自体がそれしかなかったんだよ。仕方ないだろ」
「あのね、これからみもり達は車に乗るわけですよ。車に乗ると、お菓子が直射日光にさらされるわけですよ。分かるでしょ!? 熱でチョコレートはぐちゃあ、ってなるでしょ!? 溶けるでしょ!!」
お菓子の袋をばんばんと叩きながら、みもりは抗議をしています。
むしろ、彼女の気合いでチョコレートが溶けそうですが。
「ほんと理解が足りてないですよねバカなんですか?」
「手に持って日を避けりゃ良いだけの話じゃねえかめんどくせえな」
いや、本当にめんどくさそうな顔ですね。まあ、みもりはいつもうるさいですからね。
「じゃあリョウ先輩が持っててくださいよ」
「へいへい」
「あ、リョウ君。良かったね間に合って」
車の影から、長いダークブラウンの髪をストレートに降ろした女性が現れましたね。ほら、なんだかいかにも緊張感のなさそうな女性ですよ。
彼女は日高さつき。緑色のワンピースがよく似合っていますね。
見た目通りというか、なんだかこの人はテンポが悪いんですよね。
「ちーっす」
「……ああ、ちーっす」
ほら、この妙な間がね。
独特ですよね。
「ほら、荷物パス」
「おお、パス」
リョウが投げた荷物を、あっさりと落とすさつきです。両手で構えていたはずなのに。
いや、鈍臭いですね。何のために投げさせたんでしょうか。……リョウも呆れてますね。
「ごっ、ごめん! 何か大事なもの入ってた!?」
「いや……着替えだけだから別に良いけどよ」
「普通、落とさないですよね今のは」
みもりも思わずまずいものを見てしまったかのような表情をしていますね。
こう、露骨に顔に出すところがみもりらしいですよね。
「なによー」
自分が悪いので文句も言えず、リョウの荷物を再び持ち上げるさつき。……重そうですね。さっき、着替えしか入ってないってリョウが言ってましたけど。
車の影から、小柄な少年が現れましたよ。
「あ、リョウ、良かった。やっと来た」
「よう、トオル。今日はよろしく頼むな」
「割引の件なんだけど、到着した時に学生証と代表者のサインが欲しいって。一応リョウ名義で五人大部屋にしたけど、良いよね? 一応仕切りはあるし、二部屋みたいになるから」
「大丈夫だ、サンキューな」
あのいかにも温厚そうな彼は、丹沢トオル。男子の中では低めの背に加え、栗色の髪と少年を思わせる童顔。とても可愛らしい容姿をしています。水色のボタンシャツにカーゴパンツも、とても彼らしい。
そういえば、彼は今回初めて参加したメンバーで、実家が旅館とのことです。
彼の旅館へと旅立つようで、彼が割引をしてくれたお陰で今回の旅行が成立したのだとか。
「すまね、ちょっと遅れちまったよ」
「いいよ、これから出発するところだったし。電話か何かしてたんでしょ?」
トオルの言葉にリョウは何を言われているのか分からず、ぱちくりと瞬きをしました。
「へ?」
「いや、駅から走ってきたなら、もっと息上がってるよなと思って。急いで走ってきたにしては涼しい顔してるじゃん」
だから、歩きながら何かをしていたと考えたのでしょうか。
この観察力の鋭いところが、トオルのすごいところですよね。リョウも目を丸くして驚いていますね。
「どうでもいいが、さっさと乗ってくれ。こんな所で駐車違反切られたらたまらん」
リョウを発見していたにも関わらず、挨拶も何もない彼は矢美津ジン。
金属の沢山付いたシャツに金髪、ブラックのジーンズはどことなくロックバンドのシンガーを連想させますよね。
こう見えて、このメンバーの中では保護者のポジションなのですよ、彼は。車の免許を取ったのも、この旅行のためにわざわざ学校に確認したとかなんとか。リョウ達と同期の卒業候補生ですけどね。
「りんは一緒じゃないのか」
実はわたくし、誰が最初にその話題を出すのかなあ、とずっと思っていたのですが。最初はジンでしたね。
簡単にご紹介させていただくと、トラベラバーズにはもう一人、不藤りんというメンバーがいます。亜麻色の長髪をウエーブにしている女性で、ここにはいない最後のメンバーです。
リョウは腕を組んで、軽く頷きました。
「おう。分からないけど、多分来ないだろ」
「よし、全員乗ってくれ」
ジンの言葉を皮切りに、一同は車に乗り込み、ジンが車を発進させました。
さあ、わたくし達も今回の物語の舞台へと移動しましょう! ……あ、移動というのは表現ですよ。この鏡に映る内容を早送りするだけですからね。
ここからはわたくしも、いかにも本の地の文のように! 物語を語るように、お話させてください。
空は快晴。風は南風。五人の少年少女達は今、高校生活最後の旅行と銘打ち、新たな冒険へと旅立ったのであった!
『ノーリアル・ワールドの旅路』
あ、すいません。タイトルを映したのは、完全に自己満足でした。
「いただきます!!」
みもりが元気良く手を合わせた。リョウもまた、手渡された水を一気に飲み干すと箸を手に取った。
旅館の食堂は広い和室で、沢山の旅行客で賑わっていた。まだ新しい畳に並べられた赤い座布団、高級感を漂わせる黒いテーブル。結局、さつきが高速道路の途中で手洗いがどうだのと揉め、目的地とは程遠いパーキングエリアでみもりが土産物に目を輝かせた結果、到着は夕方過ぎになってしまっていた。トオルは特に気にした素振りもなかったが、時間に厳しいジンは終始苛立っていた。
トオルが用意したのはコース料理だった。量が足りないのではという懸念もあったが、その心配はないようだ。みもりが意気揚々と食事に箸をつけている。
「んー、やっぱり海の幸ですよねえ。トオル先輩、海沿いの旅館なんてリッチですよね!」
みもりが満足そうに箸を動かしながら、トオルに笑顔を振りまいた。悪気がなく笑う時だけはこいつも可愛いものだとリョウは思う。
「まあ、リッチかどうかと言われると。稼ぎは普通くらいだと思うけど」
「実家がこんな所にあるなんて、本当羨ましいです。一度は来たいですよね」
「来たいと言えば、りんちゃんは結局、今回は来ないんだ?」
そう言い出したのは、さつきだった。出発の時にリョウとジンが会話していた内容が気になったようだ。
「そうみたいだな。来られるようなら連絡する、とは言っていたけど。……これ、うめえな」
リョウが貝を頬張りながらそう言うと、さつきは少し残念そうな顔をした。
今回の旅行が始まる直前までは、りんは途中から参加するかもしれない、という話で進んでいたのだ。りんは身体が弱く、今までも参加できないかもしれないという話はあったものだが、直前で駄目になってしまったのは今回が初めてだった。
「え、じゃあ今回は本当に、りん先輩は一日も参加しないんですか?」
「そうなると思うよ」
先程まで料理を堪能していたみもりだったが、リョウとさつきの会話を聞くと箸を止めた。律儀なりんが欠席連絡をしないことなどこれまでなかったからなのか、さつきが眉根を寄せて腕を組んだ。
「そっかあ……。何かあったのかな、りんちゃん」
「結局、一度も会えてないんだよな」トオルが言った。「せっかくみんなで旅行するために参加したのに、最後まで顔も合わせない人が現れるとはね」
思えば、この旅行の打ち合わせのために前回集まった時も、りんは参加しなかった。何かがあったのだろうが、それは誰にも知らされていなかった。
「そういえば、病院の検査結果がどうこうとか言ってましたね」みもりは一転して、楽しくなさそうにしていた。
「まだ、結果出てないの?」
「いや。ひとまずは大丈夫だって、そう言われたらしい」
「りんちゃん、いつもひとりで抱え込むからなあ。不安だなあー」さつきが難しそうな顔をして、首を振った。
その時、僅かにリョウは意識が飛ぶような、不思議な感覚を覚えた。食事中に眠気を覚えることなど、余程疲れていなければ起こることではない。旅行に来ているということで、いつもより少しばかり神経を使ってしまったのだろうか。頭を振って、食事に集中する。
リョウは、朝の待ち合わせの時にりんと電話をしたことを思い出していた。
本来ならば、リョウはりんと二人でジンの家まで向かう予定だった。いつもと同じように時計台の下で、いつもと同じようにリョウは待っていた。だが、約束の時間になってもりんは現れなかった。リョウは携帯電話を何度か確認していた。普段、りんが遅刻をする時に連絡をしないことなどない。異例の事態だった。
リョウは電話をしたが、りんは電話に出なかった。仕方なくリョウが諦めてジンの所へと向かおうとした時、りんから着信があった。いつものはっきりとした通る声で、りんはリョウに言った。
『ごめんね、ちょっと電話に出られなくて』
『ああ、いいよ。旅行の件で電話したんだけどさ。お前、どうする?』
『やっぱ、今回は無理かなあ』
『どうした? 調子悪いのか?』
『ううん、大丈夫。こっちのことは良いから、旅行楽しんできなさいよ』
りんの声は、どことなく鼻が詰まっているように聞こえた。もしかすると、風邪を引いてしまったのかもしれない。リョウは少し不安になったが、言った。
『まあ、来られないなら大丈夫だよ。来られそうだったら来てくれ』
『奇跡が起きたら、行くかもねー』
『……なんだよ。そんなに調子悪いのか? 大丈夫か?』
その時、一瞬だけ間があった。
気にする程のことではなかったのかもしれないが、その妙な間が言外に「大丈夫ではない」と言っているような気がして、少しだけリョウは気になった。だが、りんは何事もなかったかのように元気な声音になると、こう言ったのだった。
『なんでもない、大丈夫。ちょっと色々あって、疲れてるだけ』
『……そうか』
奇跡が起きたら。りんはそう言っていた。不可解な言葉を残して、りんとの電話は切られた。リョウは携帯電話を眺めながら、もう一度だけ電話をしようかと考えたが――やめた。りんは身体が弱いので、おそらく体調を崩したのだろう。だとするならば、体調の悪い人間に何度も電話をするわけにもいかない。
風邪を引いてしまったとしたら。りんのことだ、拗らせなければいいが。いずれにしても、家で安静にしているべきなのだろう。リョウは少し残念だったが、時間を確認するとジンの車へと急いだのだった。
「考えても仕方のないことだ、リョウ」
リョウがその時のことを思い出していると、箸が止まっていることに気付いたのか、隣にいたジンがリョウの肩を軽く叩いた。
「……わーってるよ。ただ、調子悪いなら見舞いに行かなくて良かったのかな、と」
さつきがリョウの言葉に反応して、卓上に手を付いて身を乗り出した。さつきは味噌汁に手を突っ込もうとしていたが――すかさず味噌汁をジンは素早く移動した。さすがにさつきのことをよく知っている、とリョウは少し感心してしまった。
「えっ、りんちゃん、調子悪いの?」
「知らねーよ。そんな感じだったってだけだ」
さつきは不安そうにしながら、座敷に座り直した。ジンが味噌汁をすすりながら補足する。
「風邪引いてるなら、そっとしておいてやるのが一番だろ」
「そうかなあ、みんなでお見舞い行った方が良かったんじゃないかな。あたし、今から行こうかな」
「お前は空回りするだけだからここにいろ」
「なによー。あっ! あたしの味噌汁! 勝手に飲むなよお!」
「殴るぞ」
ジンが放っておいたなら取られるどころか飲めない状態になっていたことにも気付かず、さつきは不満そうな顔をしてジンを見た。ジンは何食わぬ顔で、さつきの味噌汁を飲んでいた。
「……リョウ先輩にも話さないとか、ほんとにバカ」
みもりがそう呟いた時、不意にリョウの視界がぶれた。先程から様子がおかしいとは思っていたが――……、リョウは強烈な眠気に襲われ、そのまま気を失った。
そこは、真っ白な空間だった。リョウは真っ白な空間の中に一人、立っていた。ふと、ここが夢であることに気付く。立っているのに立っている感覚がない。また、どうにもふわふわと浮いているようでもあった。右手を動かし、視線を向ける。そこに手は見えているのに、右手を動かした感覚がなかった。これだけはっきりと夢だと分かる瞬間も珍しいのではないだろうか。
暫らくすると、真っ白な空間だったものに輪郭が浮き出てくる。そして、それは映像になった。音はしない。ただ、その場所に音が鳴っていることは分かった。霧がかかったような、不安定な感覚だった。
正午、鳥の音、花の匂い。いつからそこにいたのだろうか。広がる畑は、住宅地として開発が行われる前のものだ。ぽつんと立つ大きな一軒家。これは遠い過去の出来事だと、リョウに感じさせる瞬間だった。
はるか遠い記憶の中で、リョウは自分自身を発見した。
固いアスファルトの上を、一台の自転車が通り過ぎていった。幼き日のリョウだった。小さな自転車には荷台があり、前には籠もある。お気に入りの自転車だった。走るよりもはるかに速く移動することができるし、お気に入りの玩具も籠に入れられるし、なんと走りながら鳴らすことのできるベルまで付いているのだ。それは、幼いリョウの心を強く揺さぶる乗り物だった。これに乗れるようになるだけで、どうにも三輪車は子供っぽく見えてしまうから不思議だ。
そんなことを考えていたと、今でもリョウは覚えている。
「ねえ」
不意に、声が掛けられた。音はしないが、そう聞こえたのだと感じることができた。その時、その声がどんな声音で、どう耳に届いたのか。音は鼓膜には届いていないのに、それさえはっきりと知覚できた。夢の中とは、全く不思議なものだ。
その日はジンとさつきに会う日だったから、遅れることは許されなかった。それでもリョウは一度自転車を止め、声の主を探した。だが、走ってきた道を見ても、これから走る予定の道を見ても、目的の人間を見つけることはできなかった。
「こっち」
リョウは声の方向を追い掛けて、僅かに上を向いた。小さな窓の向こうで、パジャマを来た少女がこちらを見ていた。どこの娘だろうか。リョウはその子供を見たことがない。癖のある、長い亜麻色の髪の少女だった。何故か、少しだけ儚げな印象もあった。その虚弱な様子は、今までにリョウが見たどの子供とも一致しない。
どうにも不思議な存在だった。まるで、その空間だけ別の時間が流れているようだった。
「何してるの?」
「これから、友達と遊ぶんだ」
リョウがそう言うと、少女は俯いた。少女には友達がいないのだろうか? あるいは、身体が悪いとか? そういえば、パジャマを着ている。虚弱体質というものに縁がなかったリョウには、少女の姿から状況を察することはできなかったのだ。
「お前、外出られないのか?」リョウは聞いた。
「激しく動いちゃダメだって、お医者様が言っていたの」少女は答えた。
リョウは驚いた。激しく動くとは、一体どのくらいを指すのだろうか。歩くのは大丈夫なのだろうか。走ることは?
あるいは、自転車を漕ぐこともだろうか? リョウが気にしている間にも、少女は羨ましそうにこちらを見ている。自転車に乗ったことがないのだろうか。こんなにも格好良い乗り物に?
「ねえ、友達と何するの?」
「みんなで、自転車で冒険するんだ。俺達、旅してるんだ」
「たび?」
少女は不思議そうな顔をして、首を傾げた。こんな時間にパジャマを着ているくらいだから、あまり外に出たことはないのでは。幼いリョウの直感だったが、それは正しかった。
リョウは世界の広さを表すように、両手を大きく広げた。少女の瞳が少し、広がったように見えた。
「あの道路の向こうには、何があるか知ってるか?」
「……駄菓子屋さん。あと、ちょっと歩くと大通りに出るわ」
「そこから先は?」
「……知らない」
小さな二階の窓から顔を覗かせる少女は、まるで妖精のよう。リョウは一緒に旅をする仲間を探していた。まるで巨大な世界の秘密を暴く英雄のように、リョウの毎日は期待と興味に満ちていた。
「俺達は、そこから先に行くんだ」
「先に?」
「そうさ。その先には公園があって、少し走ると駅に辿り着く。でも、俺達はもっと先に行くんだ。まだ見たことがない場所とか、見たことがないモノとか、そういうのを探しに行くんだ」
少女は目を輝かせた。リョウは自転車から一度離れ、少女の窓の下まで行った。
「そうだ、お前降りてこいよ。一緒に行こう」
「……でも、私は走ったりとか、できないし。自転車も持ってないし」
リョウは手を伸ばした。手を広げるのはなんだか格好悪いような気がして、つい拳を握ってしまった。手を伸ばすと、別世界のように思えた少女の時間が少しだけ近くに寄った気がした。
「俺が後ろに乗せてやるよ。だから、一緒に行こう」
「……ほんと? でも、置いていかれたら私、帰れないよ」
「大丈夫、絶対に置いていかない。一緒に旅する仲間ってのは、一人でも欠けたら駄目なんだ」
少女は長い亜麻色の髪を揺らした。
「そうなの?」
「そうだ。みんな、一緒なんだ」
少女は親に許可を取っているようだったが、暫くして外に出てきた。ピンク色のパジャマの代わりに可愛らしいプリントシャツと、自転車に乗るには相応しくないスカートを履いて、おずおずとリョウの前に顔を出した。リョウは自転車に跨ると、後ろを指差した。少女は少し乗り方に悩んでいるようだったが、横向きに座った。
「自転車ってのは、またがるんだよ」
「だって、またがれない」少女は長いスカートを触りながら、答えた。
「……まあ、いいけど」
小さな自転車は、ゆっくりと発進した。
その瞬間、リョウと少女の時間が繋がった。
「わあ……!!」
荷台に少女を乗せて、運転手は約束の場所へと向かった。少女はというと、その速さに最初は怯えているようだったが、速度に慣れると移りゆく景色に感動しているようだった。小さな自転車は小さな音を立てて、大人の感覚から考えるといくらか長い道のりを走っていく。
「お前、名前は?」
「……りん。不藤りん」
初めて、リョウがりんと出会った日のことだった。
「……リョウ」
それから、どれだけの時が経ったのだろうか。いつしか自転車で旅をしていたメンバーは車で旅をするようになり、『トラベラバーズ』などという愛称まで付いてしまった。トラベル・ラバーズ、略してトラベラバーズ。そんなことを話したのは、いつのことだっただろうか。無事りんの病気も回復に向かい、毎年旅行をするようになった。
「リョウ!!」
リョウは目を覚ました。どうやら、少し眠ってしまっていたらしい。起き上がると、広い和室だった。自分達が予約した部屋と比べても、はるかに広すぎるのではないか――などと考えていたが、この場所が食事処であることに気が付いた。目の前にジンの顔が現れた。心配そうな表情で、こちらを見ていた。
どういうわけか、頭がぐらぐらと揺れた。とても気分が悪い。
「……俺、寝てた?」
「まさか飯食ってる最中に倒れるとは思わなかったが。大丈夫か?」
ジンが心配そうな顔をして、リョウを見ていた。あまり記憶がない。一体自分はどうしてしまったのかと、リョウは多少不安になった。ジンはリョウの目の前でコップを揺らした。
「酒だった。店員が間違えたのか、誰かがお前の水を間違えて取って行ったのか」
「げっ……まじで?」
「お前、水だと思って一気飲みしただろ。倒れたんだ」
時計を見ると、既に零時を回っていた。辺りではまだ、好き放題飲んでいる中年のグループがいる。随分と騒がしい、とリョウは思った。おもむろにジンは立ち上がると、リョウに手を伸ばした。
「仕方ないな、あんなに飲んでる連中がいたら。今日は風呂入って、もう寝ようぜ」
「……ああ」
リョウとジンが大浴場に向かうと、大浴場は旅行客で溢れていた。適当な場所に陣取り、リョウとジンは身体を洗い、浴槽に浸かった。浴槽に浸かると、胃部に広がる不快感を洗い流したくなる。自分が酒を飲んで倒れたということが、強く実感できた。
「大丈夫か?」
「……ああ。まだちょっと気分悪いかもしれねー」
「しっかりしろよ、リーダー」
ふと、ジンは何かを思い出したようだった。リョウはジンの言葉が唐突に途切れたことに気が付いて、ジンの顔を見た。
「……りんの病気は、治ったんだろう?」
ジンもまた、りんから連絡が来なかったことを気にしているのかもしれない。リョウはふう、と息を吐いて、天井を見上げた。湯気のせいで天井はぼやけてしまう。今のリョウの心境を表しているようにも感じられた。
結局、りんの欠席の真実は分からない。真実を追究するにはリョウの立場は危うく、質問する状況でもなかった。そう、リョウが倒れる前、さつきが――りんは抱え込む性格だから――と言っていた。正にその通りで、一人でまとめられてしまうと手を出す隙もないのだ。
「ああ。それについてはもう心配ない、大丈夫だよ」
「そうか。ならいい」
ジンは口数は少ないが、誰よりもメンバーのことを気に掛けている。そんな存在だ。はっきりとしないことが大嫌いなリョウが曖昧な表現を使ったことが、印象に残ったのではないだろうか。
唐突に、浴槽に浸かっているリョウの頭に何かがぶつかった。小さなビート板のような、浴槽に沈めても浮き上がってくる玩具だ。子供が取りに来たので、リョウはそれを子供に渡した。
「不藤妹は、どうだ?」
りんには、不藤すずという妹がいる。ジンは妹のことを気に掛けているようだった。無理もない、とリョウは思った。
「すず? ……ああ、最後に会った時は元気だったよ」
「今日、初めて参加できるって、喜んでいたんだろう?」
そういえば。りんが来ないのだから、当然すずも来ないのだろう。目の前ではしゃいでいる子供のように、当時のすずは旅行に連れて行ってもらえることを喜んでいた。りんが来ないのに、すずが一人でここまで辿り着ける理由もない。
リョウはため息をついた。
「……まあ、仕方ねーよな」
「そうだな」
浴槽に、雫が落ちた。
リョウとジンが戻ると、既に人数分の布団が敷いてあった。旅館に到着したら皆で遊べるようにと、トオルは和室を提案した。それでも男女の境界を分ける必要はあるため、和室の中央は襖で仕切られていて、自由に仕切りを調整できるようにしてあった。部屋に入るなり、その変わった光景にリョウは驚いた。
「リョウ君ー……」
左腕に重みを感じて顔を向けると、そこにはさつきがいた。何故か涙で顔が酷いことになっていた。
「……どした、さつき」
「さー、次はみもりの番ですね!」
威勢の良いみもりの声が聞こえた。部屋の中央には小さな蝋燭が立っていて、みもりとトオルがそれを囲んでいた。冷蔵庫を開いてため息をついたジンがみもりに呼ばれ、蝋燭の周りに座った。リョウも意味が分からず、隣に腰掛ける。みもりは話し始めた。蝋燭の明かりに照らされて、濃淡が強調された顔はやたらと様になっている。
「私がその世界に旅立ったのは、いつのことだったでしょうか。……私は、トンネルの中を歩いていました。すると、ぽちゃん、ぽちゃん、と音がするのです。どうしてもその音が気になったので、暗いトンネルの中を確認してみようかと思ったのです。もちろんトンネルには明かりなどなく、私は携帯電話の明かりを点けて、辺りを確認しようとしました。……すると、どうでしょう。なんと携帯電話の日付が止まったまま、動かなくなっていたのです」
「ねえー……もう、やめようよー……」
なるほど、さつきの顔の理由はこれだったのか、とリョウは思わず笑ってしまった。部屋の隅の明かりも演出だろう。さつきが必要以上に怖がっているのが楽しいのか、みもりは不気味な空気を纏いながらさつきに迫った。
「私は驚いて、トンネルを抜けて携帯電話を確認しました。すると携帯電話から、電話をしていないのに聞こえてくる声があったのです。私が携帯電話を耳に付けると、謎の声はこう言いました――」
みもりはわざわざさつきの耳に口を近付けて、言った。
「マユゲツナガッテルゾ」
「ひっ!! ……え?」
みもりは腹を押さえて、けたけたと笑う。見ればトオルも笑っていて、ジンも僅かに口元が曲がっていた。リョウもついおかしくなってしまい、一緒になって笑った。
「さつき先輩、おもしろすぎます!! テレビ出れますよ」
「な、なによー。本当にあるんだってば、そういうこと」
「いや、なかなか繋がることはないと思いますよ」
「眉毛の話じゃないよ! もう、バカにして!」
さつきが必死になって抗議する様子が、再度その場に笑いを呼んだ。笑い声の中、ジンが立ち上がった。荷物の中から財布を取り出すと、浴衣を脱いでジーンズとシャツに着替えた。リョウは気になって、ジンに聞いた。
「どこ行くんだよ」
「ちょっと、コーヒー買ってくる」
「飲み物、買ってあるぞ?」
リョウが何気なくジンにそう言うと、ジンは目を細めてリョウを見た。何か悪いことをしたのかと思ったが、全く理由が分からない。
「お前、用意してるのが甘いのばっかりなんだよ。俺が甘いの駄目だっていつも忘れてるだろ」
「おお、そういやそうだったか。そいつはすまんかった」
「お前はいつもそう言う」ジンはため息をついた。
「あ、旅館にコーヒー売ってる自販機ないんだ。申し訳ないけど」トオルが外を指差した。「森の中に続く道があって、その道を抜けると商店街なんだ。コンビニもあるから、そこで」
「分かった、ありがとう。車で行く距離か?」
トオルは口をへの字に曲げて暫らく悩んでいたが、「歩いて行けるんじゃない?」と答えた。ジンはそれを聞いて頷くと、扉を開いた。
「ジン君、あたしも行く!」
ジンは意外そうな顔をして、さつきを見た。何時の間に着替えたのか、既に浴衣からワンピース姿になっていたさつきは、ジンのそばに走った。
「別に良いが、お前は甘いもの好きだろ?」
「もうここにいたくないの! みんなあたしのことからかうんだもん!」
「みんなって。みもりちゃんだけでしょ」トオルが苦笑いをした。
「ちょっと、みもりだけのせいにしないでくださいよ」だが、みもりは明らかに楽しんでいた。その様子を見て少しだけさつきは悔しそうな顔をしたが、みもりの怖い話には勝てないと判断したのか、諦めてジンに付いて行った。
扉は閉まり、一転して場は静かになった。その場に残ったのは、リョウ、みもり、トオルの三人だった。暫くの間、三人とも出て行った扉を何を考えることもなく眺めていた。それが意味のない行動だと気付くと、おもむろにそれぞれ、部屋の隅で照らされている明かりを片付け始めた。
「あーあ、今日はこれで終わりですか」
残念そうにしているみもりを見て、トオルが聞いた。
「なに、まだ続ける?」
「いいです。さつき先輩かりん先輩がいないと、怖い話なんて面白くないですから」
瞬間、みもりは自分自身の言葉に反応し、寂しそうな表情になった。りんが来ていないことを自覚してしまったのだろう。
「……それじゃあ、おやすみなさい」
みもりは持参の大きな縫いぐるみを鞄から出すと、暫く眺めていた。
「それ、マッドラビット? 好きなの?」トオルが聞いた。みもりが持っている縫いぐるみは、有名なアニメーションキャラクター『マッドラビット』の主人公だ。愛嬌のある出で立ちとアンマッチないかれた目玉がインパクトのある、うさぎの縫いぐるみだった。
「これですか? みもりは大っ嫌いです。キモいですよね、何でこんなキャラクターが流行っているのか理解に苦しみますよ」
「え? 嫌いなの?」
「第一、作者の趣味が悪いですよ。気が狂っていると思われているうさぎのマッドラビットが、友達を作るために気が狂ったとしか思えない悪戯をする、なんてコンセプトだし。虫を友達候補の口に詰めるっていう回があって、それが気持ち悪くてトラウマだし――可哀想だし、結局いつも報われないし」
「はは、なら――」
ならば何故持っているのか、とトオルは聞こうとしたのだろう。だが、トオルはみもりの様子を見て言葉を止めた。その様子はどことなく拗ねた子供のようだった。一体みもりが何故そんな顔をしているのか、トオルには理解できないようだった。
「なに、どうしたのさ」
「……トオル先輩には、全く関係のないことですから」
トオルには分からなかったのだろう。だがリョウはみもりの態度の変わりようから、ある程度の予想をすることができた。部屋の隅にある明かりを拾うと、確かではないがそのオブジェクトをみもりが持参して仕掛けたことが分かった。一体どこで買ってきたのか、こんなものをわざわざ用意するのはみもりくらいだろう。
りんはさつきに負けないくらいの怖がりだ。そして、怖がりなのに怖い話が好きだ。今日りんが来ることを、密かに楽しみにして準備していたのではないだろうか。そう考えると、普段はお世辞にも性格が良いとは言えないみもりにも、可愛気を感じることができる。
「みもりは、りんの妹みたいなもんだからな」
リョウがそう言うと、みもりは頬を膨らませた。ただでさえ子供っぽい顔立ちがますます幼く見えた。
「妹は別にいるでしょ。なんですか、人のことをまるでお子様みたいに」
「お子様だろ。鏡見てみろよ」
ぴくん、とみもりの何かが反応する。まずいことを言った、とリョウはすぐに後悔した。何か、みもりの中のスイッチを押してしまったような気がしたのだ。
「……まあ、みもりが仲良くすることで彼氏は置いてけぼりで、多少寂しいのかもしれませんけどね」
「彼氏じゃねえよ」
「どうだか。二人で密会なんかして、裏では何してるのか分かったもんじゃないですよ」
「密会って、お前な」
やはり、押してしまったらしい。それが爆弾よりもはるかに恐ろしいものだと知っていたリョウは、慌ててみもりを止めようとした。だが、既にスイッチの入ってしまったみもりは興奮した様子で、早口で捲くし立てるように話した。
「トオル先輩、知ってました? この人みもり達と会う以外にも、りん先輩と密かに二人で会っているんですよ。しかも、いつもバスでどっか行くんですよ。人目につかない場所に行って、一体何をしているんですかね」
告げ口をするかのように、みもりはリョウを指差して言った。トオルは巻き込まれたが故に苦笑いをしていた。また、誤解を招くことを。腹いせにその人間の誤解を招くような戯言をみもりが口にするのはいつものことだが、今回ばかりは少しだけ性質が悪い。
リョウはみもりに文句を言おうと思い口を開いたが、みもりは「おやすみなさい!」と言ってすぐに襖を閉めてしまった。こうなってしまっては、何を言っても明日まであのままだろう。リョウはため息をついた。
「ったくよ……」
ふと気付くと、トオルが怪訝な表情でこちらを見ていた。リョウが目を合わせるが、特に目をそらす素振りもない。どうやら、まだこの話は終わらないらしい。
「……違うからな?」
「いや、まあどっちでも良い話なんだけどさ」
曖昧な言い方をして、トオルは布団に寝転んだ。リョウは自分用の布団に腰を下ろした。無駄に多い口数のせいで見えにくいが、きっとみもりは寂しいのだろう、ということがリョウには分かっていた。あの様子だと、みもりに連絡はなかったのだろう。今まで集まりを休みにする時には、全員にメールを送るのがりんの習慣だった。
「りんさんとは仲が良いの?」
「ちげーって。みもりが変なこと言っただけだっての」
「そうじゃなくて。行きの車の中で、みもりちゃんが『リョウ先輩にも話さないとか』って言ってたから。少なくとも、リョウには今まで連絡がいってたのかなって」
リョウは苦い顔をした。別に嫌な訳ではないが、このトオルの記憶力と推理力は何もかも見透かされている気がして、ややプレッシャーになる。リョウはそう思ったので、トオルに言った。
「ジンもさつきもりんも、古い付き合いだよ。中学入ってからみもりが参加した。それだけの話だ」
「幼馴染から恋人へ」
「ならねーっての。しつこいぞ」
「あは、ごめんごめん」
まったく、みもりも妙なことを吹き込んでくれるものだ、と思う。いつも二人で出掛けているのは、遊びではないというのに。
「リョウ、さ」不意に、トオルがリョウに背を向けたまま、話しかけてきた。
「なんだよ?」
「本当に、高校生活最後の旅行にするの?」
それは、トオルがトラベラバーズに所属して、今回が初めての旅行だからだろうか。確かに、トオルにとってはこの団体の所属期間はかなり短かった、ということになる。リョウは座ったまま、何度か掛け布団の厚みを確認していた。
「……まあ、最後だろうな。冬休みはあるけど、センター試験の直前だぜ? さすがに無理だろ」
「それを言うと、今日来ている時点で結構ダメだけどね。もう夏休み終わるよ」
トオルは笑った。確かに、普通の学生ならば今頃は必死に勉強していることだろう。予め話しておいたこととはいえ、多少では済まない不安をリョウが持っていることも事実だ。ジンは心配いらないだろうが、さつきが進学できない可能性は少しだけ心配にもなる。だが、全員一致で旅行に頷いたのだから、リョウが言われることではない。
「そこはみんなで決めただろ。最後の一年に旅行できないっていうのも寂しいからね、って話になったじゃねーか」
「まあ、そうだよね。でも、全員参加できないなら見送るっていう手も」
暫らく考えたが、あったんじゃないかな、とトオルは呟いた。トオルがあまりに意外なことを言うので、リョウは笑った。
「部屋を用意してもらって、割引までされてるのに、一人来なかったからってキャンセルにはできないだろ」
「……そっか。ありがとね、旅館のこと気にしてくれて」
だが、トオルはりんのことを気にしているようにも見えた。
「まあ、学校変わってもこの集まりは続けるからよ。心配すんな」
布団に潜り、電気を消して目を閉じる。すると、時計の秒針の音がやけに大きく感じられた。不思議なもので、眠気は感じなかった。やはり、旅行だということで自分も舞い上がっているのだろうか、とリョウは思った。トオルからの返事がなかったのでもう寝たのかと思ったが、不意打ちのようにトオルはリョウに話し掛けてきた。
「リョウはさ。どうして、トラベラバーズを作ろうと思ったの?」
どうしてだろうか。確かに、この団体を作ったのはリョウだ。もしもリョウがこの団体を作らなければ、今頃このメンバーで旅行に来ることもなかっただろう。
初めは、さつきとジンと遊んでいるだけだった。そこにりんやみもりが加わった。それからこれまで、一度もメンバーが欠けたことはない。長く続く学生生活の中で、いくつもの出会いや別れはあった。だが、この『トラベラバーズ』のメンバーだけは、学校が変わることも、誰かが転校することもなかった。それはいつまでも続く、仲間のようなものだと――幼心に、リョウは思っていたのかもしれない。
「笑うなよ」リョウは聞いた。
「笑わないよ」トオルは答えた。
「みんなで、新しい何かを探したかったんだよ」
「みんなで?」
「もっと子供の頃、小学校に通っていたような時は、みんなで遊ぶことがすごく大事だったじゃないか。一人でも欠けたらいけなかった。でも、みんなでどこかに行くことが、すごく楽しかった。何でも良かった」
トオルは真剣な表情で、リョウの言葉を聞いていた。少しだけ恥ずかしくなったが、リョウは続けた。
「もしかしたら、ただの仲間意識なのかもしれないけどさ。でもみんなで冒険する、なんていうのはさ、幾つになったって面白いじゃないか」
リョウは昔を懐かしむように、トオルにそう話した。トオルはリョウの過去の記憶を辿るように、リョウの瞳を見た。
「……じゃあやっぱり、りんさんは重要だったんじゃ」
「昔の話だよ、大人になるごとにそういう訳にはいかなくなるってことは分かってる。これから先、卒業して進学したり、就職したりするからさ。でも、なるべくなら『みんなで』冒険できる機会を用意したい。旅行なんて、冒険じゃないかもしれないけど。子供の頃に感じたようなことを――忘れたくないのかもしれないな、俺は」
リョウは考えていることをそのまま、トオルに伝えた。その言葉には、一片の嘘もなかった。リョウからはトオルの表情は確認できなかったが、トオルはふう、と息を吐いてリョウの側に寝返りを打った。
ふと、襖の向こう側から物音がした。もしかして、まだ起きているのだろうか。それよりも、ジンとさつきはまだ戻ってこないのか――……。意外と遠くまで出掛けたのかもしれない。
「確かに、そういうのはあったかもね。でも、すごいな」
「すごい?」リョウは聞いた。トオルは微笑んだ。
「そういうのを、今でも追い掛けていられるっていうのは。……もう随分昔に、忘れてしまったことのような気がするよ」
トオルと何かが通じたような気がして、リョウはトオルに礼を言った。それきり、トオルはそのまま「おやすみ」と呟いて、目を閉じた。リョウはトオルに向けていた目線を天井へと向けて、頭の後ろで手を組んだ。すると、りんのことが頭をよぎった。
奇跡が起きたら、行くかもしれない。そんなこと、普通は言わないのではないだろうか。余程の出来事がなければ――りんの身に、何かがあったのだろうか? リョウは考えたが、答えなど出るはずもなかった。電話のりんは、どことなく追い詰められたような印象だった。できれば、協力してやりたいと思う――……。
だが、考えても仕方のないことだ。リョウはそう思うことにした。とにかく、旅行が終わってからりんに聞いてみよう。あえて理由を口にしなかったようにも思えるりん。ならばと自ら質問することを少しだけ決心して、リョウは静かに眠りについた。