其の五
おせきさん達に会ってからも依然呆けた女性は増え続けた。
以前頼みに来た親御さんも旦那の元に足繁く通い、事件の進展を聞き、まだ糸口が見つからないと言った旦那を激しく詰る。
オレはそれが見ていられなくて、何か手伝いたいと言っても旦那はただ首を振る。
旦那は家を空けるようになり、オレはほとんど一人で暮らしていた。
そんなある日、学校から帰ってぼんやりとしていると、ふとオレが旦那にお使いを頼まれるようになったきっかけを思い出した。
オレが旦那の家に引き取られてすぐの頃だったと思う。
その頃のオレはいつもぼんやりしていた。
「坊主、ちょっと出かけてくる」
そう言われてオレは鈍い動きで振り返った。旦那はクシャリとオレの頭を撫でてくれた。
「何か土産を買ってきてやるからな」
ポンポンと頭を軽く叩いてから背を向けた旦那の袖をグイと引くと、旦那は振り返った。「どうした?」というような優しい目だった。
「僕も連れてって」
「…だが、」
言いかけて旦那は口をつぐむ。オレが思い詰めたような寂しそうな目をしていたせいだろう。旦那は何だかんだ言ってもお人好しだ。だからそんなオレを無下にもできなかったんだろう。
オレはうつむいて絞り出すように言った。
「お願い、します」
旦那はため息をついてから観念したように言った。
「…わかった。ただ、オレから離れるなよ?」
それ以来、平穏無事が一番とかついて行けないとかのたまいながらも、オレは何だかんだで旦那のお使いをする。
結局オレは置いてかれるのも、独りにされるのも嫌なんだ。だから主義もあっさりと翻す。
だから今のこの状況はオレにはとても辛い。
祖父ちゃんはちょっと用事ができたと言って家を出て行った。
そして祖父ちゃんがいなくなって一月程してから、祖父ちゃんの知り合いという人から祖父ちゃんが死んだと連絡が来た。
唯一の救いは祖父ちゃんの時と違って嫌な予感がしないってことだ。
………けどな~……
オレはモヤモヤした気持ちを抱えて生活していた。意識してなかったが、心ここに在らず、といった風情だったんだろう。「そんな様子だと、付け入られるぞ」、と旦那なら冗談めかして指摘してくれたんだろうが、オレは自覚することも気をつけることもなかった。
学校からの帰り道にオレは三条川に沿った通りを歩いていた。
平日の午後だから花見客が騒いでいるわけでもないんだが、オレは坂を下った通りを通っていた。普段なら坂の上の通りを通ってから、三条川の橋に差し掛かる辺りで坂を下っていたのに、どうしてかここ最近は通学路をわざわざ変えていた。
後で思うと、もう誘い込まれていたんだろう。
通りを歩いているとまたもや猫の鳴き声が聞こえる。
気のせいか、聞こえるのはこの前雪藤さんと会った所でだ。このところこの辺りに差し掛かるといつも聞こえてくる。
連日聞き続けているせいでいい加減気になったので、オレは雪藤さんとの約束を忘れて三条川の中洲に目を向けてしまった。
すると、急に目の前が真っ白になった。
何を見たわけでもないのに、ただただ恐ろしい。
「……う……うあ……」
オレは目を見開いて声にならない呻きを漏らす。強ばった口を閉じることも、見開いた目を閉じることもできなかった。
そんなオレを救ったのは、オレの目を塞ぐ手だった。骨ばっている大きな手で、温かかった。誰とはわからないのに安心したし、どこか懐かしかった。
「……祖父ちゃん?」
安堵と懐かしさから力が抜けてオレは倒れた。倒れ伏していると、誰かが走ってくる足音がした。
「士郎君‼」
聞こえてきた住職の声はとても切羽詰まっていた。
オレの意識はそこで途絶えた。