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酔うて狂わす春の桜  作者: 秋豊
5/8

其の三

 三条川に架かっている橋を渡って手前の十字路を右に、二つ目の通りを左に曲がり、突き当たった所に旦那の家はある。

 旦那の家は木造二階建てで庭も縁側もある。こんな趣ある昔ながらの日本家屋はこの界隈では化け物屋敷として知られており、どんな悪ガキも恐れをなして近寄らない。

 それなのにこのオレ仁野士郎はひょんなことからこの家で居候をしつつ下働きをしている。

 オレは引き戸をガラリと開けて「ただいま」と言った。色々と常識外れな旦那だが、「ただいま」と「お帰り」を大事にする人だ。祖父ちゃんもそうだったのでオレも欠かすことなく言うことにしている。

 直接旦那に言う為に探すが、家のどこかにいる旦那を見つけ出すのも厄介だ。というのもこの家はかなり広くて、特に一階は部屋数が多い。

それでもしばらく歩き回ると旦那は書斎で何かを探しているところだった。その後ろ姿に声をかける。

「旦那~。今帰りました~」

「おう、お帰り。これ終わるまで待ってろ」

 旦那は振り返ることなく言って、「どこだったか」と呟きながら探し続けている。独り言も探し物も構わないが、無闇に散らかすのは勘弁して欲しい。書物の整理整頓や掃除はオレの仕事だ。

 だが言ったところでどうせ聞いていないのでオレはオレ達の憩いの場である縁側のある八畳間に行った。


 旦那は古屋(ふるや)(りゅう)(すけ)といって、まだ二十代前半のはずなのに思わず〝旦那〟って呼びたくなる程貫禄がある。いつも着流しで肩に羽織をかけていて、これで煙管でもくわえてりゃ様になるんだが、旦那は酒はやっても煙草はやらない。ただ博打はするから立派な遊び人だ。


 オレが茶と大福を用意して待っていると旦那が本を何冊か持ってやって来た。旦那は大福を見て少し驚いた顔をした。

旦那は美食家という程ではないが食べ物にはうるさい人だ。だから本当に美味しい店にしか立ち寄ったりすることはないし、美味しい物を知っている。

だからオレからすれば何の変哲もない大福が〝三島屋〟のものだとわかったんだろう。

そしてオレの小遣いでこんなに〝三島屋〟の大福を買えるわけもないし、訪れた先で手土産で持たされるわけもない。

「…それ、どうした?」

「雪藤さんにさっき会った時に貰いました」

 「そうか」と言うと旦那は大福を齧りながら本をパラパラと捲って何かを探し始めた。それを横目に茶を啜る。僅かに渋めに淹れた茶で口を湿らせてから大福を齧る。

この辺りで有名な〝三島屋〟の大福なだけあって、餅も餅米本来の甘さが触れた舌で感じられ、歯を立てると弾力がありながらもさして抵抗もなく噛み切れる。中から出てきた餡も甘さ控えめでかつ力強い風味だ。舌先でさらりと溶け、涼やかさを残す。オレは粒あん派だが、こしあんもいいものだと思った。

 また今度住職の所に行く時はここの最中でも買っていこうかなと思った。オレは最中は口の中の水分を奪われるようで嫌いだが、矍鑠に見えて歯が衰えた住職には餅菓子よりも最中の方がいいだろう。もちろん生菓子という手もあるし、オレも生菓子は好物だ。だが、〝三島屋〟の生菓子となるとオレの財布では賄いきれそうにない。

「で、どうだった?」

「は?」

 顔を向けると旦那は本に目を落としたまま続ける。

「挨拶だよ。全く。その年で挨拶回りとは殊勝だねぇ」

「…旦那が素っ気なさすぎるんですよ」

 何しろオレがここに住むようになってから二年の間、仕事の依頼以外でこの家を訪れた旦那の友人知人は一人もいない。

「…オレにも腐れ縁がいるし付き合いもあるが、必要に駆られないと会う気にならん」

「…いや、多分オレのと旦那のとは意味合いが違います」

 オレのが『久闊を叙する』ならば旦那のは『不義理を詫びる』ことから始まるだろう。

それすらもしないから先日の雪藤さんは用事を作って会おうとしたんだ。そこまでしても旦那は会おうとしなかったけど。

 その辺りを指摘すると旦那は「違いない」、とニヤリと愉快そうに笑ってからまた調べていく。

しばらくして旦那は本を閉じると茶を飲み干して立ち上がった。

「よっ、と」

「どっか行くんですか?」

 オレが見上げて聞くと、旦那はニヤリと笑った。今度のは悪戯を企む悪ガキの笑みだ。何となく嫌な予感がする。

「ついて来るか?」

「へ?」

 オレが間の抜けた顔をすると、旦那はニヤニヤ笑ってた。


 旦那は〝相談屋〟をしている。看板も掲げていないしそもそも名前だけでも怪しげだが、意外と浸透しているらしく、色々とワケありの人がワケありの物や用件を携えて旦那の所にやって来る。

 依頼人が来た時は一応オレも旦那の後ろに控えて様子を見ている。いつも旦那は頭を掻きながら判断する。

見るからに適当でいい加減だが、本当にいい加減な裁量をするから手に負えない。オレにやらせることがほとんどで、雪藤さんに会ったのもその時だ。

たまに旦那が手を下す時もあるが、そういう時は「留守番だ」と言って連れて行ってもらえない。


 それなのに今日はついて来るかと聞いてきた。オレは疑わしい目になったのを自覚する。

「…今度は何をやらせる気です?」

「お前も本当にしっかりしてきたなぁ~」

 旦那はニヤリと笑う。


 オレは旦那に頼まれてお使いに行くことがままある。

そして旦那のお使いはいつも変なことばかりだ。ある時は墓を掘り返して木の人形を回収したり、またある時は古い櫛を持って一日過ごせと言われたりと、とにかく枚挙にいとまが無い。だから今回も変なことを押し付けられるに違いない。


 身構えたオレに構わずに旦那は聞いてきた。

「時に士郎。お前の祖父さんと親父さんの名前は?」

「…祖父が達士(たつじ)に父が武郎(たけお)です」

 旦那は口元に手をやってしばし考え込む。

「…よし、祖父さんの方にしよう」

「…何がです?」

「今からオレと行く先で名を聞かれたら仁野達士と名乗れ。祖父さんの形見の品はあるか?」

「…万年筆と着物なら…」

「よし。祖父さんの着物を着てこい」

 妙だとは思ったが、自分の部屋に行って和箪笥の奥に畳紙に包んで仕舞いこんでいた祖父ちゃんの着物を取り出した。

 オレは普段こそシャツにサスペンダーなんて洋服を着ているが、祖父ちゃん達と暮らしていた時は和服だったから着られないことはない。

 ただ、祖父ちゃんは長身で古風な人だったのでその着物はオレにはあまり似合いそうもない。多分だが、こうした重厚な着物を着こなすには老成した雰囲気や積み重ねてきた風格が必要だと思う。

それでもどうにか着付けると旦那の元に戻った。


 行ってみると旦那はぼんやりと縁側から外を眺めていたが、心ここに在らずといった感じだった。

「旦那~」

 声をかけてやっと我に返ったのか旦那の目に光が戻った。振り返った旦那は少し驚いたような顔をした。

人の度肝を抜かせることはあってもそうそう驚くことのない旦那が見せた本日二度目の驚きの表情だ。だが、それを鑑賞する趣味もないし、さして感動もない。だからさっきとは違って予測もできないというのに、その理由を考えもしなかった。

 旦那は口元に手をやると感心したようにニヤリと笑った。

「…やっぱし血筋か…」

「何がですか?」

 こうして一緒に暮らしているが、旦那とオレには縁はあってもゆかりは無い。血の繋がりも無いし、接点も無かった。だからオレの家族の顔だとか、ましてや在りし日の姿を知るはずがない。なのに妙に確信を持っているようだった。

 後でよくよく考えればわかったはずだ。

旦那は煙に巻くことはあっても決して思わせぶりなことは言わない人だ。だからそう言ったのにもちゃんと理由があったはずだ。まぁ、その理由を聞いたところで本当だとは思わなかったろうが。

 結局旦那はその場ではその理由も根拠も示さずに話題を切り上げた。それはオレへの気遣いからだったろう。今でこそ平気だが、祖父ちゃんが死んでこの家に引き取られたばかりの時は祖父ちゃんのことを思い出して泣いてばかりだったんだから。

「いや、行くとしようか。くれぐれも仁野達士でいろよ。あと、誰とも口を利くんじゃないぞ」

 連れて行っておいてそれはないだろうと思ったが、黙って頷いた。


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