其の一
春休みも終わりに近いある日、オレは斉福寺を訪れた。
オレが境内に足を運ぶと、見知った僧侶が竹箒を掃く手を止めて微笑みかける。
一見簡素な墨染めの作務衣にごま塩頭の好々爺だが、ここの住職だったりする。
「やぁ、士郎君よく来ましたね」
「お久し振りです」
「立ち話もなんですから上がってください」
斉福寺は小規模な寺で、境内を散策するには三十分もかからないだろう。手入れの行き届いた石庭と敷地の一角の竹林は見ものだが、面積の問題で三十分足らずで事足りてしまう。
その歴史を紐解けば百有余年と由緒正しき寺なんだが、時代の流れで檀家も代を重ねるごとに減ってきている。はっきり言ってしまえば寂れた寺だ。
そんないつ潰れてもおかしくない寺だが、祭りなどで檀家に限らず近隣住人とは密接に関わっている。
それにしたって寺の住人の住まう庫裏にまで通される人間は限られてくる。しかし目下のところオレは庫裏の縁側で住職と並んで座っている。かつてとは少し違うものの、春になるとこうして縁側に面した中庭の桜を眺めるのは昔からの習慣だ。
住職はいつも穏やかな笑みを浮かべている温厚な人なんだが、目元を更に和ませる。
「今年も見事ですね」
「はい」
それきり二人共黙りこんでも、気まずさや困惑から来る焦りは皆無だ。オレと住職は気心知れた仲特有の安らぎに包まれている。
喜寿を迎えた住職と今度から中学二年生になる男子中学生。中々に珍しい組み合わせだ。
親戚でもないのにこうして知り合いになるのは、共通の知人や出来事を介した時だ。オレ達の場合は前者だ。
「お祖父さんも側で私達と一緒に見ているかもしれませんね」
「…それは…祖父にはきちんと成仏していて欲しいですね」
祖父ちゃんがまだ現世に留まっているのは嬉しいような困るような複雑な気持ちだ。
何とも形容し難い感情を抱いて戸惑うオレに住職はきっぱりと言ってくれた。
「大丈夫ですよ。お祖父さんはきちんと私がお送りしましたから」
二年前に祖父が亡くなった時、通夜、葬式はここ斉福寺で執り行った。ウチには菩提寺が他にあるのだけど、遠く離れた土地にあったので特別にお願いして住職に弔ってもらった。
オレは両親を早くに亡くし、父方の祖父母に育てられていた。二人共オレを可愛がってくれたが、オレはお祖父ちゃんっ子だった。それで祖父ちゃんの行く先にはどこでもついて行った。
祖父ちゃんは真面目で敬虔な人だったせいかよく各地の寺社仏閣を訪ね歩いていた。それで神職・仏門関係なく知己が多い。
そんな祖父ちゃんは住職とも懇意にしていた。それでオレも幼い時からここに出入りし、住職に可愛がってもらっている。
オレの不安を払拭した直後に住職は冗談交じりに続ける。
「ですが士郎君が成人しても死んでも死にきれないとおっしゃっておいででしたから、案外側で見守っておいでかもしれませんね」
生真面目だった祖父ちゃんだからありえなくもないなと思った。
「まぁ、士郎君にはしっかりした後見人の方がついていますから、お祖父さんも安心しておいででしょうが」
途端にオレは思わず遠い目をしてしまった。フッと笑ったが、それは諦観からだ。我ながら年に似合わない表情だろうし、今のオレはさぞ哀愁を漂わせていると思うが、住職は微笑んでいる。
「〝人生何事も勉強だ〟、ですよ?」
祖父ちゃんは祖母ちゃんが呆れるくらいオレを溺愛していたが、オレの教育についてはこれ以上ない程熱心だった。何たってオレに話す言葉全てが格言と言っても差し支えない程含蓄があり、機知に富んでいた。
住職は僧侶でありながら決して説教めいたことは言わない人だから、さっき言った言葉はそれに倣ったんだろう。そうしたところでオレの気が晴れることもないが。
「……本当に……あの人は……」
オレが頭を抱えていても住職はただにこにこしていた。




