7.
ぽかぽかした日差しの中で、桜樹はうとうとと目を覚ました。
小さな電子音が規則正しく鳴っている。
やけに身体があたたかいと思うと、桜樹の腕のしたに、色白の、密集したまつげを伏せた少年がぐっすりと眠っていた。
「うわああああああっ」
桜樹は飛び上がった。
ココハドコ
コイツハダレ
コノ音ハ
奇妙なまでに殺風景な部屋。
何も文化的なもののない部屋。
ずっと電話が鳴っている。
「ん? 電話?」
少年の枕元に、折りたたまれた黒ぶち眼鏡と、薄型の携帯があり、ずっと鳴り続けている。
表面のディスプレイに「守屋さん」とチカチカ表示されているので、目覚ましのアラームではなく、電話のようだ。
桜樹は慌てて藤木海を揺さぶった。
「ねえ、藤木くん、電話。
守屋さんからみたい。
ずっと鳴っているよ、大丈夫?」
うー、とか、あー、とか呻って、藤木海はもぞもぞと深く布団にもぐる。
すごい。
寝起きの悪さだ。
「ねえ、起きてよ。ずっと鳴っているよ、守屋さんからみたい」
強く海を揺さぶっても、くうくうと規則正しく寝息を立てて、起きる気配はない。
まだ、電話は鳴り続けている。
よほど重要なことなのか。
「もしもし、あのう、藤木くん、おきなくて」
とりあえず、桜樹が出ると、
『え、桜樹くん? 良かった、桜樹くんを探してたんだ、番号、聞き忘れてたし、家にもいないようだし』
「藤木くんのとこにいて」
『あー、こっちね』
言うと同時にドアがノックされた。
ドアを開けると、携帯電話を耳にあて、ビニル袋を下げた守屋が立っていた。
快晴の空をバックに、今朝も、にこやかな笑顔だ。
「あ、ありがとう……って、ずい分、仲良くなった、みたい、だね?」
六畳一間の和室は玄関から丸見え。
ひとつの布団の半分に、まだ藤木海がぐでっと寝ている。
誰にでも、桜樹と海が一緒に寝ていたことは、一目でわかる。
「あ、いや、これはその」
何もないアパートで、ひとりで寝るのも、ひとりで起きているのも怖くて、散々嫌みを言われながら藤木海の部屋に居ついてしまったのだ。
「藤木くんは……起きないよね」
「うん。ぜんぜん」
「藤木くん、朝は苦手だからね。
朝食、差し入れで持ってきたんだけど、置いとくね」
守屋が声をかけて、コンビニの袋を卓袱台に置いたが、海は布団を腕で抱えたまま、ピクリとも動かない。
「桜樹くんにはこっち」
「え、なになに。オレ、朝は甘いモノがいい」
桜樹が身を乗り出すと。
守屋はにっこりと取り出したロープで、ぐるぐる巻きに桜樹を縛り上げた。
「なになに、何すんだよっ」
桜樹は慌てて暴れるが、ますますロープは身体に喰い込んでいく。
「ごっめーん、松芳サンに頼まれちゃって。
それにしても、ホント、志摩津の直系なのに隙だらけだねえ。
それとアドレス交換させてね」
桜樹の携帯をポケットから抜き取ると、勝手に赤外線通信している。
「ウソっ、なんで、兄さんが。
って、なんで守屋さん、兄さんを知っているの。裏切りモノ、志摩津のスパイっ?」
むくっと藤木海が起き上がった。
ぱちりと開いた、漆黒の吸い込まれそうな瞳を守屋に向ける。
寝ぐせで髪はぐしゃぐしゃのまま。だが、瞳は鋭く冴えている。
「桜樹、どこに連れてっちゃうの」
「あ、教授のところだから大丈夫。
松芳サンが教授のところに挨拶に来るので、桜樹くんも連れて来いと頼まれて」
「なんで縛るの」
藤木海は色白のほおを張りつめたまま言った。
もっともな発言だ。
うんうんうんと桜樹は縛られたまま頷く。
「あー? そういや、なんでだろ。
松芳サンの趣味?」
「オニだからだよ、アクマ、サディスト。
そうだ、藤木くん、一緒に行こう。
兄さん、見たいって言ってたじゃない」
桜樹が身を乗り出して誘うと、
「こら」
守屋がぐいとロープを引っ張った。
「藤木くんは関係ないでしょう。
まあ、私も元志摩津の門下生で、長谷部の家に転門したクチだから、ちょっと松芳サンには立場が弱くて。
でも、松芳サンは優しくて、すっごく面倒見がイイから心配ないよ」
「うそつけ」
即座に桜樹は否定した。
優しい人がどうして、実の弟を縛り上げるんだ。
藤木海も布団を抱えたまま、じっと、心配そうに桜樹を見ている。
「松芳サンは超エリート検事だから、ちょっとキツイところはあるけど。在学中に司法試験通って、最短で検事になったクチ。
しかもすっごい美人なんだよね。
女性の有罪率100%だって」
ん? と海が小首をかしげた。
「美人と有罪率って関係ある?」
「すっごいイイ男に真正面から睨みつけられると、どんな悪女や魔女だってコロっとイってしまうんじゃない。
それだけイイ男ってこと。
心配ないから。寝てていいよ。ちゃんと鍵かけるんだよ」
守屋が言い終わる前に、藤木海はぽてっと布団に倒れこんだ。
すでに、熟睡しているようだ。
くうくうと寝息が聞こえてくる。
まったくもって、頼りにならない。
結局、守屋にロープを巻かれたまま、車に押し込められ、大学に連行された。
昨日の妖怪学校のような教室ではなく、通りをはさんで向かいの本校である。田舎の大学らしく、広い敷地に校舎が点在しており、日曜日だと言うのに生徒たちもけっこういて、なんだかみんな、生き生きと楽しそうにしている。
ロープでぐるぐる巻きにされ守屋に引きずられている桜樹は人目につくらしく、ものすごく、視線を感じる。
昨日に引き続き、なんでじぶんばかり、こんな目に会わなきゃいけないんだろう。
なんで、こんな大学にいつまでもいなきゃいけないんだ。
こんな生活しなきゃいけないんだ。
自分がどんどんかわいそうになってくる。
「行こう、行こ。
早く行こ」
桜樹が足を速めると、
「あー、なんだかんだ言って、やっぱり早くお兄さんに会いたいんだね。
いろいろ心細かったしね」
にこやかに、守屋が言った。
大学の本校の、教職員が使うらしい、立派な応接室に桜樹は連れられて行った。
革張りの重々しいソファーに、長谷部教授は昨日と同じラフなジーンズ姿でくつろいで座っていたが、松芳はグレーのストライプのスーツをきっちり着、背筋をぴんと伸ばしていた。
色白の鋭角の貌に、細い銀縁の眼鏡。
神経質な眼をぎっと桜樹に向ける。
「お前……」
松芳はすらりと立ちあがった。
日々鍛錬を怠らないだけあって、細い、抜き身の刀のような体形。
鋭い眼で射抜くように睨みつける。
女性じゃなくたって。
犯罪者じゃなくたって。
とりあえず謝ってしまうにきまっている。