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桜散る  作者: 夏野梨生
7/30

6.

 長谷部教授は、あとは守屋に任せると言って、今からゼミ生徒たちの様子を見、刑事たちと学長室へ行き、野瀬の家族に会いにいくと告げ、慌ただしく出ていった。


 桜樹の大荷物を見て、守屋は吉鷹のメモにあったアパートまで、車で送ってくれた。

 大学から山道を降りてすぐのふもと、表通りに面して近くにコンビニも見える、二階建のアパートだった。


 オートロックでもなければ、鉄筋のマンションでもない。

 寿荘という名の、古臭い、いかにも昭和の時代のアパートだ。


 なぜか、藤木海も一緒に乗り、同じアパートで降りた。


「なんでついてくるの、引っ越し手伝ってくれるの」


 桜樹が言うと、藤木海はぷううっとほおを膨らませた。


「どうして僕が君の引っ越しを手伝うわけ?

 ここ、僕のアパート。僕もここに住んでるんだ」

「そうなんだ。じゃ、これ持ってって。

 二階。大変なんだ」


 桜樹は段ボール箱を海に突き出した。

 海はあんぐりと口を開けた。


「君さ、兄さんがいるんだっけ。すっげー過保護にされてきたろ」

「ま、さ、か。アイツら見たら、絶対そんなこと思わないって。すっげー悪魔で暴君なんだ。

 日々虐待されて、暴力に罵詈雑言。

 従兄もいるんだけど、コイツがまた、ちょー根性歪んでいて、性格悪くて。


 えーと、部屋は二階のいちばんはし……あー、西日がすっげー入りそう。

 ち、よっしぃ、どうせ適当に選んだんだ」


 錆びた鉄の階段を上り、一番奥の部屋の鍵を開けた。

 真新しい畳の匂いのする和室。

 すすけた磨りガラスの窓から西日が射しこんでいる。


 中には何もなかった。

 ベッドと卓袱台、机に本棚。

 シンプルな食器や調理道具、日常生活品、勉強道具があるだけ。


 テレビもなければPCもなく、ゲームもオーディオセットもマンガもない。


「なんだよっ、これっ」


 桜樹はあわてて段ボールをひっくり返し、スポーツバッグの中身もぶちまけた。

 やけに軽いと感じてはいたが、中身は着替えと、弁当にお茶っぱだけだった。


「ウソウソウソ、テレビもパソコンもゲームもないっ」


 ゲームのない生活なんて耐えられない。慌てて、吉鷹に電話をかける。すぐに回線がつながった。


「よっしー、ひどいじゃない、ゲームないじゃない、パソコンもテレビもないじゃない、なんだよ、これじゃあ……」


 最後までしゃべる前に回線が切れた。

 リダイヤルをするが、『お客様がおかけになった番号は……』とそっけなく流れてくる。二度、三度とかけなおしてもおなじだ。


「うそぉ……」


 ふんふんふん、と勝手に浴室をのぞいていたらしい海がもどってきた。


「部屋のつくりは同じだねえ、って、どうしたの」

「な、なにもない……」

「そお? ひととおりそろっているように見えるけど」


「ないんだよっ!」


 桜樹は地団駄踏んで叫んだ。


「ないんだってばっ。

 ないないないない。

 なんにも必要なものはないっ。

 こんなんで生きてけるわけないじゃん。

 あいつら、オレに死んでほしんだよっ」


 海は膝をかかえこんでしゃがみこみ、ぶちまけられた桜樹の荷物をひっくりかえして吟味していた。

 輪ゴムで止められた大きな平べったい紙の包みを開くと、ワンウェイの容器に詰められた弁当が出てきた。


「あ。

 お弁当、あるよ」


 これ見よがしの弁当は、いかにも母親の想いらしく、露骨で胸糞悪い。


「いらない」

「いたんじゃうよ。お茶っ葉も入ってる。

 狭山のいいヤツだよ、これ」


 桜樹は首を振った。


「じゃ、僕がもらう。

 お茶淹れよ」


 海が急須、急須と、広げられた荷物や台所を探すが、急須はなかった。


「ないよ、ないんだよ。

 ほら、やっぱり、あいつら、なにも用意してくれてないんだ。なんだよ、お茶っぱ入れて急須がないなんて。どうしろって言うんだ。

 結局、オレのことなんて、どうでもいいんだ。

 オレなんかいなくなればいいと思ってんだ。

 当面四年間、家に帰っちゃいけないって、オレに死ねって言ってんだよっ」


 ぱあん、と小気味の良い音がした。

 藤木海は両手を叩いて桜樹のしゃべりをやめさせると、


「なにぐたぐた言ってんのサ。急須なんて百円ショップでいくらでもあるじゃない。いいよ、もってくる」


 と早口でまくしたてた。

 去られると思うと、急激にさみしさが襲った。

 このままひとりきりになるかもしれない。

 怖い。

 怖い怖い怖い。

 桜樹は慌てて、海の足にすがりついた。


「オ、オレもついてっていい、お、お、お弁当あげるから」


 海は硬直し。

 心底呆れたように桜樹を見下ろした。


「いいけど、ね。

 君の兄さん、いつもどうしているのか、ホント見てみたいよ」


 とため息をついて、言った。


 おなじ二階の、東の端にある藤木海の部屋はみたところ間取りはいっしょだった。

 六畳一間の和室。小さな台所がつき、手洗いと風呂は別。

 部屋のいたるところに本が積み上げられている。難しそうな専門書だ。部屋の片隅にたたまれた布団とちゃぶ台があるだけの、桜樹の部屋よりもさらに何もない部屋だった。


「藤木くんのとこも文化的なものないんだね」


 ゲームさせてもらえるか、せめてもテレビが見れると思っていたのに。


「あるよ、携帯。ほら、こんなに薄くて、テレビ電話ができるんだ」


 海は嬉しそうに薄型の携帯をみせびらかすと、やかんを火にかけた。


 ちゃぶ台をひろげ、お弁当の包みをほどく。中は、おにぎりが十個。鶏のから揚げと、卵焼きがぎっしりと詰められていた。冷凍ミカンもついている。

 一人分にしては量が多い。吉鷹と一緒に食べることを考えていたのかもしれない。

 あの男が桜樹と一緒に食事するわけはないのに。


「おいしそう」


 海は指をぺろりとなめて、小さな口をあんぐりと広げて、おにぎりにかぶりつく。

 心底おいしそうに食べているのを見ていると、食欲が出てきた。


 ぐーっとおなかが鳴る。


「食べなよ」


 と海が弁当箱を押し出したので、桜樹は素直におにぎりをほおばった。

 懐かしい味がした。

 懐かしくて、遠い味だった。


 涙が零れた。


「人が……人が死んでたんだ」

「うん?」

「こ、こわ……。

 怖くて」

「うん」


 桜樹は声を上げてわんわん泣いた。

 泣きながら。

 なんで、みんな怖くないんだ、

 死んじゃうんだ、

 いつかは死んじゃうのに、なんで真面目に生きたりするんだ、

 とぐしゃぐしゃになりながら、訴えた。


 藤木海は眼鏡の奥の漆黒の瞳で、じっと話を聞いていたが、


「お茶淹れるね」


 抹茶の薫り高いお茶を、前に置いてくれた。

 鼻腔の奥に、抹茶の安らかな香りが広がる。


 すこし。

 気持ちが落ちついて。


 恥ずかしくなった。


 藤木海は片膝を立てて、片手で抱いた。

 黒い衣服から出た皮膚は、白くきめ細やか。

 大ぶりの、やぼったい黒縁メガネをかけているが、よくよく見ると、漆黒の吸い込まれそうな瞳と、小さなかわいらしい口元の、相当な美形だ。

 体つきも、華奢ではないが無駄な肉がなく、しなやかでバランスも整っている。


 海は、からかうように唇に微笑を浮かべた。


「さっきさ、キミのイトコ、ワンコールで出てたよね」

「ちがうよぉ。居留守電だよ。

 ぜんぜん出やしない」

「一回目の。

 ワンコールだったでしょ、待ってたんじゃない?」

「待ってた?」

「警察から身元照会があったんじゃないの。

 で、連絡を待ってたんでしょ。

 心配してんじゃない。

 もう一度、ちゃんとかけなよ」


 そんな筈、あの吉鷹に限ってあるわけない。

 くどくどと吉鷹の酷さを海に訴えたが、海は電話をかけろと譲らない。


「じゃあ、一度だけ」


 根負けして電話をすると、やはり留守番電話に接続される。

 生徒が殺されていたこと、でも、いちおう教授から合格をもらったこと、変な刑事がいたことなどを留守電に入れると、いきなり吉鷹が出た。


「大丈夫なのか」

「分かんない」

「じゃ、大丈夫なんだな」


 一方的に電話は切れた。


 やっぱり。

 桜樹のことなんか、ぜんぜん、心配してないじゃぁないか。


 藤木海に文句を言う。


「そんなもんでしょ」


 あっさり言って。

 ず。

 ずずずーっ、と、旨そうにお茶をすすった。

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