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桜散る  作者: 夏野梨生
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4.

「椎くん、椎行凪(しい ゆきな)くん、いい加減なことを言わないように。

 野瀬さんは殺されたんです」


 守屋がぴしゃりと言った。

 椎はきつい視線で藤木海を睨みつけた。


「じゃ、藤木だ」


「ええええええええ?

 僕?」


 藤木海はびっくりしたように、自分をゆびさしてきょとんとした。

 いくらなんでもあり得ない。

 藤木海の様子からして、人殺しには程遠い。

 そのくらい、初対面の桜樹にでも分かる。

 だが、椎は椅子に座ったまま、


「だって野瀬にさんざん苛められていたじゃないか。アルバイトのくせして、教授のお気に入りって」


 心底怒っているように、藤木海を睨みつけている。


「椎くんいい加減にしなさい」

「椎、お前こそ野瀬を殺したんじゃないのか」


 守屋がぴしゃりと言うと、別の男子生徒が言うのが同時だった。

 手足がひょろりと長い、ごく普通のどこにでもいそうな男子生徒だ。

 上半身をかがめて身を乗り出し、


「お前の方が野瀬ともめてたし、藤木を苛めているのは椎も、だろ。

 次は藤木を殺したりして」


 僕、殺されるんだって、と藤木海が面白そうに呟いた。


「でも、ふつうに考えたら、教授がやったんじゃないの。

 だって教授はここに住んでいるだし、野瀬が押し掛けてトラブって、なんていちばんありがちなパターンじゃないか」


 気まじめそうな少年が、くいっと眼鏡をあげながら真顔で言った。


 それまでじっと話を聞いていた少女が身を乗り出して早口で何かを言った。

 日本語じゃない。

 別の男子生徒も口論に加わる。

 こちらも日本語じゃないし、また、別の外国語のようだ。


「ち、ちょっと……おい、なんなんだ、このクラス」


 刑事が守屋に言った時。


 バン……と大きな音が響いた。

 いまどき珍しい三つ編み眼鏡の、つるんとしたおでこの長身の女の子が両手で机を叩いていた。

 心底怒っているようで、きっとした眼で、教室中をぐるりと見まわし、胸元で指を動かす。

 手話だ。


『みんな、分かっているの。

 これはシミュレーションじゃない。

 野瀬さん、亡くなったんだよ』


 何人かは手話が分かり、分からない人間もおおよそ意図は伝わっているようで、しんと教室が静かになった。


 三つ編み少女は心底傷ついているように、がくりと肩を落としている。

 本当に。

 彼女だけはまともに悲しんでいるようだった。


『仲、良かったんだ』


 桜樹が手話で聞くと、少女は栗鼠のようにくるっとした瞳に、桜樹を映した。


『もっと、仲良くしておけば良かった』


「桜樹くん、手話できるの」


 守屋が驚いた顔で、桜樹にいった。


「え……と、まあ、昔、ボランティアサークルで」


 本当は中学の時にじゃんけんで負けて、福祉部に無理やり入れられたからだ。

 それを言うとたいてい馬鹿にされたような、同情されるような顔をされるので、ボランティアサークルと格好をつけている。


「便利ぃ~、かも」


 場にそぐわない、間の抜けた声で藤木海が言ったとき。


「一体、なんなんだ、このクラスは。

 イマドキの大学生は、みんなこんななのか」


 刑事が薄気味悪そうに、守屋に言った。


「教授の方針で、ゼミはつねに生徒同士の議論にて運営しているんです。テーマ選びから資料揃えもすべて生徒が自主的に行っています。

 言葉に頼って議論をしないためにも、中国や韓国の留学生、言葉の不自由な柊さんにも入ってもらっています。

 だからその癖が出てしまったのでしょう」


 あの娘。

 柊さんというのか、と、桜樹は心の中にメモをした。


「なんだ、要は教授の手抜きか。

 こんな田舎の三流大学だもんな」


 守屋がすっと険しい視線を上げた。

 先ほどまでの茫洋としていた姿とは別人。

 生徒たちも真顔になって、刑事を睨みつけている。


「な、なんだよ」


 まだ若く、にきびだらけの顔の刑事がたじろぐと、椎行凪がガタゴト椅子を揺らして笑った。


「やだやだ、これだから貧乏人ってさア。

 長谷部時宗教授が誰なのかまったく知らないなんて。

 上司からぶん殴られるぜ」

「椎クン、その指摘は的外れだ。

 資産の有無と教養のレベルに相関関係はない」


 先ほどの眼鏡男子が反論すると、柊がつかつかとふたりの間に立ち、パンとこぎみよい音で手を叩いた。

 きりりと二人をねめつける。


「はい……」

「すみません」


 意外にも、プライドの高そうな男子生徒ふたりが、しゅんとおとなしくなった。


「彼女、柊まどかさんがこのゼミのリーダーです。

 柊さんになんでも聞いてください」


 守屋が冷ややかに言った。

 柊まどかは若い刑事の前にすらりと立つ。

 顔つきからして、彼女も刑事に腹を立てているようだ。

 どうやら、ゼミの前では教授の悪口を言わない方がいいらしい。


「何でもって、唖じゃないか……」


 柊は白墨をとると美しい筆跡で、


 大丈夫です


 と黒板に書いた。


「筆談ホステスだっているのに、筆談のゼミリーダーのどこがいけないの」


 今まで黙っていた女の子が言った。

 ショートカットで小顔の、けっこうカワイイ系のコだ。

 頬杖をついて、ふくれっつらで刑事を睨んでいる顔も、なかなかイイ。


 若い刑事はちらちら、助けを求めるように守屋を見るが、守屋は素知らぬ顔をしている。


(あー、やっちまったな、コイツ)


 桜樹は、すこしばかりこの無知な刑事に同情した。

 椎のように貧乏人が、とまで荒く括らないけど、吉鷹や、他の志摩津の門下生ならこんなミスはしない。前情報を得るのに手を抜かないし、目の前に出ている情報だけで、相手をなめてかかることもない。

 この大学の場所からすると、茨城県警の巡査部長だろうか。

 茨城県警には志摩津の身内はいなかったよね、あ、そういえば水戸に分家が、、、と考えて、ぎくりとなった。


 どくどくと心臓が波打ちだす。


 殺された?

 って、ことは殺人事件だ。

 殺人事件なら、とうぜん検察が絡んでくる。水戸の検察? 


 松芳兄さん……。

 よりにもよって、松芳兄さん?

 父親や長兄より、松芳のほうが陰湿で陰険。

 桜樹が最も苦手な松芳に、すべてが筒抜けになる?


(ど、ど、ど、どうしよう……)


 背筋がすうっと冷たくなる。


 今から教授に口止めしよう、そうだ、藤木くんや守屋さんにも、と気づいた時。


 がっしりとした体つきの刑事が、


「小便漏らしたってどいつだ」


 と大声で教室に入ってきた。

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