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桜散る  作者: 夏野梨生
29/30

28.

 秋彦が桜樹について出て行くと、広大な津久見邸はしんと静まり返った。

 まるで巨大な棺桶。

 津久見夏惟は純白のひんやりとしたシーツにくるまり、目をつむる。

 昔の華やいだ光景が、断片的に浮かんでは消える。


 戻りたい。

 戻れない。


 微かに空気が揺れた。


 風だ。

 彼はいつも風をまとっている。


 しばらくその場でためらっていたが、志摩津吉鷹は音もたてずに歩み寄り、ベッドに腰をおろした。


 秋彦が来たよ、といった。


「大きくなったな、びっくりした」


 夏惟はシーツにくるまったまま、芋虫のようにもぞもぞと体を動かした。

 吉鷹のジーンズにあごをのせ、次に耳をのせ、しっくりこないので、ごろりと転がり、あおむけになった。


 大人になった志摩津吉鷹が夏惟を見下ろしている。


 変わらない視線。

 いつも夏惟を見守っていた。


 戻りたい。

 戻れない。


 あの頃。


 夏惟はシーツを口元まで引きあげた。


「秋のヤツ、ぶりっこしてたろ」

「そうなのか、オレは漏らししたり、涎垂らしてた記憶しかないからな。ああ、あと、あの騒ぎのときと。

 とりあえず、人間並みになっているのでおどろいた」


 くふっと、夏惟は笑った。


「秋、見え見えだから。桜樹の気をひきたくてか弱いふりして。

 吹き出しそうになっちゃった」


 吉鷹の長い、骨ばったゆびが夏惟のほおをたどった。

 シーツをはがしながら首すじをなぞり、胸をおり、またゆっくりとなであげる。

 夏惟はくびをねじり、吉鷹のおやゆびを咥えた。

 舌で味わい、歯を立ててがじがじとかじる。


「また大学に戻るのか?」

「うーん……、溝近さんしだい。アイツにばれちゃったからなあ、つきまとわれるとうざい」

「ホント、惚れられてるな」


 吉鷹は感心しているように、言う。


「シツコイよねえ。言ってよ、しつこい男は嫌われるってサ」

「なあ、お前が桃城大に行ったのって、碓氷……」


 夏惟は漆黒の瞳を瞬くと、がじっと吉鷹の指を噛んだ。

 吉鷹は微笑し、しばらく夏惟に指をかじらせていたが、


「今度こそ本気で津久見の当主の座、降りるんだな」


 夏惟は志摩津吉鷹を見上げた。


「志摩津はどう思う?」

「ま、別にいいんじゃない。

 お子ちゃまコンビでレベルは一緒だし、気があっているようだし。

 周囲は後始末がそうとう大変になりそうだけど」

「志摩津も、次期当主の座を降りる、の?

 いいの、桜樹に渡しちゃって?」


 吉鷹はびっくりしたように、夏惟の顔をのぞき込んだ。


「当たり前だろ。

 オレ、別に次期当主になりたかったわけじゃないし、夏惟のそばに居たかっただけだから。

 夏惟が津久見の当主から降りるなら、別に興味ない。

 て、ずっとそばに居て、そんなことも分からなかったのかよ」

「分からないよ、分かるわけないっ」


 夏惟は吉鷹の手をはねのけて、がばっと起き上がった。


「志摩津だって僕のこと全然分かってないじゃない。

 前だって僕が当主の座を降りたいっていうのに、絶対認めなくて」

「そりゃあ、やっぱり夏惟には夏惟にふさわしい地位に居てもらいたい。

 それは、正直、今でもそう思っている」


 夏惟は両手をシーツにくるんだまま、むーっと吉鷹を睨みつけた。


「自分が志摩津の当主になりたいから?」


 吉鷹はカチンとして、真顔で夏惟を睨み返した。


「怒るぞ」

「僕だって怒っている。

 志摩津はいつだって僕の話、聞いてない」

「オレがいつ」

「いつも、いつだって。

 ほら、車のことだって、ぜんぜん分かってなかったじゃない」


 あれは……。


 吉鷹は澄んだ切れ長の瞳をまたたくと、


「ゴメンナサイ」


 ぺこりと頭を下げた。

 うむ、と夏惟は重々しくうなずく。


 すぐに吉鷹は顔を上げ、


「で、でも、あのボロは勘弁してくれ。もすこし、小ぎれいなので……。ジャガーとかどう?

 アウディもいいじゃない。

 ほんとはフェラーリ・カリフォルニアがいいんだけど。

 そっちの方が絶対に夏惟に似合うって。そうだ、色なんだけど、やっぱ白よりも」


 すぐにでも車のパンフレットを取り寄せてきそうな勢いである。

 夏惟はとっとっとと重心を横に傾けて、ごろんとベッドに転がった。


「ダメだ、こりゃ」

残り1話となりました。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。


次作「ナルシスふたり(http://novel18.syosetu.com/n2607n/)」は8月31日21時から、約1ヶ月間掲載予定です。

かなり際どい話ですので、18禁指定BL、ムーンライトノベルズ掲載です。

苦手な方は次々作「10月の少年(http://ncode.syosetu.com/n3810n/)」を10月1日21時より掲載いたしますので、しばらくお待ちいただけるようお願い申しあげます。

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