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桜散る  作者: 夏野梨生
27/30

26.

 いつも外見第一。

 身だしなみ最優先の吉鷹にしては珍しく道着がはだけ、全身から汗が滴っている。


(てことは)


 よほど荒れ狂っていたのだ。

 吉鷹の背後に累々と横たわった道場生たちは被害者なのだろう。


 ふだん無感情無表情な吉鷹だが、それだけにキれた時は手のつけようがない。

 やけにステーキハウスに長っ尻していたけど、もしかしたら蓉一たちは避難していたのかもしれない。

 原因は容易に想像がつく。


 背筋がぞーっと冷えた。


「ごめーん、お邪魔しました。

 続けて続けて」


 桜樹はかるーく言って秋彦の手を引いて逃げ出そうとしたが。


『志摩津だ、志摩津』


 秋彦は嬉しそうに吉鷹に抱きついた。

 吉鷹は御簾をまくり上げたままの姿勢で、硬直していた。


「……あ、きひこ?」


 秋彦はこくんとうなずいた。

 吉鷹はばさりと御簾を落とし、中へはいってきた。秋彦の真正面に立つ。

 拳をあごにあて、まじまじと秋彦をみている。


「……大きくなったなあ」


 ひとりごとのようにつぶやくと、手を目線のたかさで動かし、秋彦の身長をはかっている。


 そういや秋彦のおむつを替えたとか何とか、言ってたっけ。いまですらこんなに可愛いのだから、ちっちゃい頃の秋彦は滅茶苦茶可愛いかっただろう。

 ずっと小さいころから吉鷹が秋彦を見てきたのかと思うと、なんだかやけにムカムカしてきた。


「いま、いくつ」


 秋彦が胸元でゆびをうごかした。


「あ。十五歳だって」


 桜樹が通訳をした。吉鷹が不思議そうに桜樹を見る。


「なんで分かるんだ」

「手話。ほら、おれ、福祉部にいたから、中学の時。じゃんけんで負けて」


 笑われると思ったが、吉鷹は、


「へぇ、人間、とりえがあるもんだな」


 とあごに手をあて、感心したようになんどもうなずいている。

 吉鷹が桜樹をほめる(?)のはこれがはじめて。

 ひどく気色悪い。

 吉鷹は瞳を左右に動かし、秋彦を見て、桜樹を見、また秋彦を見て、桜樹をみる。


「あァ、なる……そういうことか。

 ……それは、アリ、だろーな。ったく、言えよ」


 とぶつぶつと言いながら、頭をかいている。


「え?」

「かっこ悪ぃ」


 吉鷹はぼやくと、


「ま、頑張れよ」


 と桜樹の髪をぐしゃぐしゃにかきまぜた。


「な、なんだよ、いきなり」


 吉鷹は白い歯を見せると、ぱあんと拳を叩いた。


「よし。いっちょ、しごいてやる。

 お前ら、道着に着替えてこいよ」

「えー、いいよ。

 急に言われたって用意してないし」


 もう長いこと道場に顔を出してない桜樹は、自分の道着や武具などとっくにどこかへ失くしてしまった。


「お前はオレのを使え。洗って返せよ。

 秋彦のはあるだろう」


 吉鷹は先ほどの隠し部屋へ入った。

 棚にはきちんとたたまれた道着が重ねられて置いてある。


「津久見の嫡子の分はずっと置いてあるんだから」


 吉鷹は空気にとけそうな声で言うと、一着の道着に触れた。

 柔らかな、優しい眼の色をする。


 きゅっと口元に笑みを浮かべると、手を滑らせて横の棚から道着一式を取り出した。

 桜樹の手にしっかりと持たせる。


「着せてやれよ、ばあやさん」


 どうしよう、と聞く前に、秋彦はするりと服を脱いでいた。


 記憶をたどりながら道着を秋彦に着せて、自分も着替えると、おそるおそる道場に入った。


 しんと静まり返った夜の道場。

 吉鷹だけが背筋をのばし、坐していた。

 静謐な空気が、凛と張りつめている。


 ボロ雑巾のように転がされていた道場生たちは、解放してもらえたらしい。


 秋彦は透明な瞳でぐるりと周囲を見渡すと、すたすたと御簾の前でぺたりと座りこんだ。


 吉鷹が微笑を浮かべる。


 そこが、秋彦の座るべき場所。

 志摩津の道場での上座。

 幼いころの桜樹は「御簾の奥には神様がいらっしゃる」と教わった。


 志摩津の力と技は津久見のご当主を護す為のもの。善悪の判断も、是非の判断も、津久見ご当主の意志に基づく。


 だからこそ、志摩津の当主は津久見の当主と様々な意味で共に居られることが、いちばんの条件。

 能力や技術は次の条件で、志摩津当家においては血筋などにはなんの意味もなかった。


「どれからいく?」


 吉鷹が言った。


 志摩津式古武術十術。


 柔術、剣術、空手術、十手術、捕手術、舞術、野術、兵法術、心理術、薬術


 すべてを身につけているのは叔父貴や吉鷹、あとは各地の道場主のうちの幾名か。

 ふたつ、みっつで範士を取れれば上出来な部類である。


 いちおう桜樹も全てをやらされ、全てを忘れてしまった。

 頭を使うものや武具を使うものは完全に、抜け落ちていて無理だ。


 とすると、まだ体で覚えている、柔術か空手術だけど。


「いくか」


 見透かしたように吉鷹が言って、立ち上がり柔術の構えをとった。


 一点の隙も無駄もない構え。

 ピンと張りつめた気迫。

 一昔前の叔父貴のよう。


 組み合うまでもなく、勝てるわけがない。

 できれば、秋彦の前ではみっともないところを見せたくないのだけれど。


 吉鷹も察して桜樹に花を持たせてくれないだろうか。


 願望むなしく。

 あっさりと投げ技を食らった。

 倒れ込む間もなく引き起こされ、なんども道場の床にたたきつけられる。


 手加減など、全くしていない。

 意識が途切れると、水をかけられ、覚めさせられる。


 吉鷹の、冴えた刃のような眼だけが、脳裏に喰いこんでくる。


(コイツ……本気だ)


 今まで、散々、叔父貴や兄たちにしごかれていて、卒倒したのも一度や二度じゃないが、本気でかかってこられたことはない。


 また意識を失い、冷水を浴びせかけられた。

 すでに道場の床も水浸しである。


 動きたくても、力がない。

 もう指一本動かせやしない。

 こんなんじゃダメだ。

 オレ、もっと強くなりたい。

 強くならなきゃ。

 なんで今までだらけていたんだろう。


 こんなんじゃ。

 オレ、秋彦のそばに居られなくなっちゃうじゃないか。


 ぼやける視界のなかで、白い影が動いた。

 秋彦だ。

 秋彦が桜樹を背に、庇うように立った。

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