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桜散る  作者: 夏野梨生
26/30

25.

 都心の広大な屋敷の勝手口で東祁鶯は車を止めて二人を降ろすと、去っていった。

 すでに日はおちて、心細い外灯の白い光がついている。

 色褪せた古い塀ではあるが、昔の、頑丈そうな作りだ。塀の上には尖った柵と有刺鉄線が張られている。


 勝手口には無骨な鍵が5つついていた。


「ええ、と、鍵、鍵、えと、めんどくさ。

 秋~っ」


 夏惟は鍵をとりだすのをやめて、握りこぶしでチャイムをガンガンと叩いた。

 しばらくして、ドアがひらいた。


(うわぁ)


 夜の光のなか現れたのは、目が覚めるような白人の少年だった。

 すらりと華奢な四肢をし、銀色のやわらかそうな髪をふわりと肩までのばしている。

 瞳の色はガラス細工のような灰色。

 古いスリムなジーンズと無地の白いTシャツ姿が、少年の清涼さを際立たせている。


 少年の透明な瞳が、ちろりと桜樹をみた。

 小動物のようにピリリと警戒した瞳だ。


「か、かわいい……」


 桜樹はうろたえて夏惟のシャツをつかんだ。

 体の芯がぐにゃりと蕩けそうに、可愛い。


「言ったじゃない、秋彦はかわいいって」


 夏惟はそっけなく桜樹の手をふりはらった。


「予想以上というか、似てない……」


 人としても。

 いきものとしても。

 こんな可愛らしい存在があるなんて、信じられない。


 鍵を開けると、少年はさっと華奢なからだをひるがえした。

 夏惟もつづく。

 桜樹はあわてて鍵をかけ、ふたりを追った。

 塀のなかは暗闇だった。

 志摩津の家も、都心の中心に道場を構えているが、この津久見邸はさらに大きな屋敷だ。

 

 夏惟を追って、洋館の裏口から入った。

 ひどく古いつくりの、やたらにひろい台所に出、食堂につづくドアは開け放されている。

 食堂に夏惟と少年はいた。


 二〇人ほどは座れるだろう、広いダイニングテーブルがあった。天井からぶるさがったシャンデリアもくすんだ鈍い光を放っている。

 食堂からは庭が眺められるようになっていた。

 暗くてよく見えないがとてつもなく、ひろい空間のようだ。


 なんだか、ものすごく懐かしい気がする。

 

 夏惟は桜樹の首をつかむと、どん、と前に押し出した。


「秋、これ、おみやげ」


 少年はびっくりしたようにうろたえて身を引いた。目をぱちくりさせて、桜樹をまじまじとみる。


「お土産って……オレ?」


 桜樹がリアクションを取れずにいると。


「あー、お肉、うまそーっ」


 夏惟がいきなり大きな声をあげた。

 大きなダイニングテーブルには一人分だけ、料理が並んでいた。

 広げられたナプキンの上に、ピカピカに磨かれたカトラリーが並び、一人分だけにしては不自然なほど、きれいにステーキとスープが盛り付けられている。


 夏惟は少年を押しのけてテーブルに着くと、ナイフとフォークをにぎって肉を切り始めた。


「ん、んま、秋、料理じょうずになったねー」


 美少年は口をあんぐりとあけ、胸元でゆびを一生懸命動かした。


 手話だ。


『夏惟、それ、オレの。

 オレのお肉だってっ』


 と訴えているが、夏惟は顔をあげないので、伝わらない。

 少年は両手でばんばん机を叩いて抗議をしたが、やがてあきらめて細い肩をおとし、がっくりとした。


 ガラス細工のような瞳をうるませて、恨めしそうに夏惟をにらんでいる。

 姿かたちだけなら、宗教画のようだ。


(オレ……なんか変)


 胸が苦しいほどに、どくどく波打っている。

 この銀髪の少年から、目が離せない。

 無条件に、甘やかしてやりたい。

 どんな無理欲求でも受け入れてやりたい。


「あ……、その、ひどいねえ、君の晩ごはんだったんだよね?」


 桜樹が話しかけると、少年は濡れた目で、桜樹を見た。

 警戒するように口をきゅっと結び、わずかに体をひく。


「ぼくは桜樹。志摩津桜樹」


 桜樹は話しながら、同じ言葉を手話で告げた。

 少年は顔を桜樹にちかづけ、くん、と匂いを嗅いだ。桜樹のほおに少年の吐息がかかり、しろい首すじから清潔な石鹸の香りがたちのぼる。


 体の芯がぞくぞくする。


『志摩津? 志摩津じゃないよ』


 透明な瞳が、じっと桜樹をみあげた。

 意識丸ごと、吸いこまれそうだ。


「えー、と」

「志摩津だよ、そいつも志摩津だって」


 もぐもぐと食べながら夏惟が言った。


「ぼくは津久見夏惟で、お前が津久見秋彦だろ。

 父さまだってそうだ。たくさん津久見がいるだろ。そういうこと」


 秋彦は驚いたように大きく目をひらいた。


『そうなの』


 とたずねる。

 年のころは十代半ばくらいだろう。

 あまりに天然だ。


「ごちそーさま、あ、洗濯物持ってきたから」


 夏惟は秋彦に紙袋を押しつけると、大きく欠伸をしてすたすたとどこかへ行ってしまった。

 ぐすん、と秋彦は涙をぬぐうと、食器の汚れを丁寧に拭い、隣接する厨房であらいはじめた。


「あ、手伝う、手伝わせて。

 お願い」


 秋彦は驚いた顔をしたが、嫌がりはしなかった。

 食器を片づけた後は、夏惟の洗濯物をもって、離れた洗濯室へ行った。


 信じられないほど広大な屋敷だ。

 石造りの、ひんやりとした空間に大型の古い洗濯機やら、いくつものアイロン台がならんでいる。

 秋彦は慣れた手つきで、洗濯物を洗濯機に押し込み洗剤を入れ、ボタンをセットする。


「えらいねえ」


 桜樹が本気で感心すると、秋彦は白いほおをピンクに染めた。


 そのはにかみ方も初々しくて、そのまま抱きしめたいような、どうにかしてしまいそうな、こちらがどうにかなってしまいそうな、なんともいえない気分だ。


「ひどいお兄さんだね、藤木くん、じゃなくて、夏惟、いつもこうなの?」


 秋彦はこっくりとうなずいた。


「シンデレラみたいだ」


 と思わずつぶやくと、


『シンデレラ?』


 秋彦がたずねた。


「ああ、ごめん、あれはお姫様の話だし、いぢわるな継母だもんね。ちょっと違うか」


『それ、なに』


 秋彦にせがまれ、桜樹は洗濯室の石の階段に腰を下ろし、うろおぼえのシンデレラの話をした。

 つっかえつっかえの危うい話だが、秋彦は桜樹の膝にひじをのせ、きらきら煌めく瞳で桜樹を見上げ、話をじっと聞いている。


『いいなあ、シンデレラ』


 と秋彦はしきりにうらやましがった。


「え、でも、シンデレラはお姫様だから」


『カボチャ。カボチャの馬車、食べたことない』


「あ、そっち……」


 ぐうううう、と、秋彦の腹が鳴った。


「お腹すいたんだ」


 と桜樹がきくと、ぐすぐす泣いて、涙をこすった。

 きゅん、と、胸がつよくしめつけられる。


「まって、まって、泣かないで。

 洗濯終わったら、何か食べにいこ。ね、ね、美味しいのあるよ」


 秋彦が濡れた目をあげた。


『カボチャ?』


「かぼちゃもいいけど、お肉食べ損ねたじゃない」


 肉、という言葉に、ぴくりと秋彦は体をうごかした。

 いちいち行動が素直でかわいいのだ。


 洗濯モノを一緒に干し終わると、桜樹は秋彦を連れて屋敷を出た。


 志摩津家の近くにあるステーキハウスへ行く。

 津久見邸からも、ぶらぶらと徒歩で行ける店だ。


 夜の外灯に照らされた街を、秋彦は軽い、羽のような足取りで歩いて行く。

 先に行っては桜樹を待つようにじっと止まり、手をのばすと、するりと逃げて嬉しそうに笑う。

 桜樹が本気になったふりをして追いかけると、すごく嬉しそうに駆け出しては、ついてきているか確認するように振り返って、桜樹を見ると笑顔になった。


 可愛い。

 本当に可愛い。


 現実とは思えない。

 これ。

 夢なんじゃないだろうか。


 本当は吉鷹に殺されちゃって、あの世で夢をみているとか。


 そうか。

 その方が納得できる。

 じゃ、もっと楽しまなきゃ。


 じゃれているうちに、あっという間にステーキハウスに到着した。


 二十席もない小さな店で、マスコミなどには出ないが、味とボリュームは志摩津家のお墨付き。

 物心ついたころからの行きつけの店だ。

 時間も、訓練を終えた道場生たちがよく行くから、夜遅くまでやっている。


 ドアを開いた瞬間、しまった、と思った。

 長兄の志摩津蓉一が道場生たちと食事中していた。


 気づかれる前に、ドアを閉めようとしたが、するりと秋彦が中に入ってしまった。目を丸くして店内を見渡し、カウンターで焼かれている分厚い牛肉を見て、ゴクリとつばを飲み込んでいる。


 秋彦はふりかえると嬉しそうに、桜樹の手を握り、ひっぱった。かわいい笑顔だ。


(ま、まあ、いっか……)


 どうせ、夢だし。


 秋彦は食い入るように、目の前で煙をあげて焼かれた肉をみている。

 薄紅色の、かわいらしいくちびるからだらーっと、よだれがこぼれるのを見て、桜樹はあわててナプキンで拭いた。


 年の割にはあどけない、というか、幼すぎる。だが、それがまた、桜樹の父性本能をむちゃくちゃにくすぐるのだ。


「それ、他のお客さんのだから。オーダーしようね。なにがいい? ヒレ? ロース? サーロイン?

 ええと三〇〇グラムくらい食べる……」


 秋彦がくびをかしげているので、好き嫌いがないかだけを聞いて、桜樹がオーダーした。

 目の前で焼かれた肉が皿にのせられほかの客に運ばれていくのを、秋彦は恨めしそうに見送ったが、すぐに自分の肉を見せられ、目を輝かす。


(純粋なんだなあ)


 しみじみとかわいいと思う。

 よくよく考えれば年上にばかり囲まれていて、年下の相手をしたことがない。


 桜樹の今までの人生、年下だったのは椎行凪ぐらいだ。


 年下の子の方が、自分には向いているのかもしれない。


 秋彦の肉が焼きあがって出されると、にこにこと肉にかぶりついた。

 繊細な指先でナイフとフォークを使用する。

 器用な少年だし、マナーも見とれるほど優雅だ。

 そのくせ天然ボケだし、ずれていて、純粋だ。

 気が狂いそうにかわいい。


「さっきの食事。秋彦が作っているの?

 ずいぶん綺麗に並んでいたけど」


『だってその方が美味しい』


「いつもそうしているの」


 秋彦はぱくりとフォークを咥えたまま、こっくりとうなずいた。


「えらいなあ」


 桜樹が感心すると、秋彦の頬がピンク色に染まる。


(オレ……ダメかも)


 気が狂いそうに、可愛い。

 人目がなければ抱きしめているところだ。


 秋彦はロース三百グラムをぺろりと平らげ、デザートのアイスクリームも食べると、両手でぽんぽんとお腹を叩いた。


 飽きてきたようで、きょろきょろと店内を見渡している。


「そろそろ行こうか」


 勘定をしようとすると、店長が「お兄さまが」と小声で告げる。

 思わず振り返った。

 夢にしては、妙にリアリティがある。

 ここまではだれも求めていないんだけど。


「いいよ、オレが」


 強引に払おうとすると、


「でも」


 と店長が困った顔をする。桜樹より、蓉一のメンツが大事なのだ。

 やはり現実だった。

 秋彦の前で、恥をかきたくない。


「いいってば」


 桜樹はつい声を荒げた。

 秋彦がおどろいた顔で立ちあがった。


『どうしたの?』


「あ、いや」


 秋彦はすっと目を細めた。顔つきが変わる。

 あごを突き上げ、ゆっくりと店内をねめまわす。

 店内が静まりかえった。

 

 巨漢の長兄が歩み出てきた。

 身長190センチ超、体重100キロ。

 威風堂々とした体躯で、防衛省のキャリア官僚でありながら、つねに現場の最前線で陣頭指揮を執っている珍しい存在だ。

 世界のどこの国、どこの文化圏へ行っても異様なほど男にもてるが、女にもてたことはない。

 先日の見合いで30回目のお断りをされたばかりである。


「申し訳ありませんでした」


 すっと頭を桜樹と秋彦に向かって下げる。

 ぎゅっと心臓がつかまれたようだ。

 こんな兄の姿、見たくない。

 これだったら、オレが惨めな思いしている方が、よほどいい。


『これでいい?』


 にこにこと秋彦が言う。


「もういい、行こう」


 桜樹は秋彦の手をひいて、店から出た。


(オレ、なにしたいんだろ)


 吉鷹みたいにかっこよくなりたかった。

 松芳兄さんみたいにしっかりしたかった。

 蓉一兄さんみたいに逞しくなりたかった。


 でもダメ。


 どんなに努力したって、ぜんぜん追いつけやしない。

 その努力ですら、アイツらは桁が違う。


 だったら苦しいしんどい思いするより、遊んで、楽している方がいいじゃないか。

 だって、誰も、桜樹に頼ろうとしないのだし。

 いつか死ぬんだし。


 秋彦が桜樹の手を振りほどいた。


 心の中の情けなさを見抜かれて嫌われたかと、ドキッとしたが、秋彦は透明な瞳で、志摩津の道場を見つめていた。

 津久見邸ではなく、志摩津の家に帰ってきてしまった。

 秋彦が首をかしげる。


「あー、ごめ……。

 つい、無意識で家に来ちゃった」


 津久見邸へ帰ろうとすると、秋彦はぴょんと跳ね、道場の中へ入って行った。


「えっ、秋彦、ダメだよ。

 すっげー怖いのがたくさんいるよ。

 化け物ばっかなんだから」


 あわてて捕まえようと追いかけるが、秋彦はじゃれているのと勘違いしているのか、笑顔で桜樹の手を逃れては、奥へ奥へと行く。


「ダメだってば」


 ぴたりと秋彦は止まった。

 廊下の壁へ、じっと向かい合う。


(? なんだ?)


 桜樹が口を開く前に、秋彦は壁のいっかくに手を触れた。


「え?」


 壁に見えていた場所が、音もせずに開く。

 なかはちいさな部屋だった。

 こぶりの道着や武具、漆塗りの脇息がきちんとならべられている。

 秋彦はきょろりとあたりを見、さらに奥の引き戸を開いた。

 桜樹は声を出しそうになって、あわてて両手でふさいだ。

 四畳ほどの畳敷きの向こうに御簾がかかっており、御簾の先は道場となっている。

 生々しい打ち合いの音が響いてくる。


(知らなかった)


 道場の一角に御簾がかかっているのは見慣れていたが、まさか、こんな隠し部屋から続いているとは思わなかった。

 秋彦は透明な瞳を御簾の向こうへむける。


 二十人近い道場生が汗だくで床にころがっているのが、透けて見える。


「誰だっ」


 殺気が放たれると同時に、御簾がまくりあげられた。


 吉鷹だった。

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