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桜散る  作者: 夏野梨生
23/30

22.

 夏惟は足でパイプ椅子を引きよせると、両足を大きく開いてすわった。

 そろえた両手で座席をつかみ、上半身を前のめりに身を乗りだした。


「そ。問題はそこ。

 もともと、ぼくがこの大学にいたんだ。

 ぼくが一番先ね、一番なんだから、一番」


 夏惟は人差し指をつきたて、一番、一番、一番、とくどくどくり返す。


「うるせっ。続けろ」


 吉鷹が一喝すると、ぷうううっとフグのようにむくれながら先を続けた。


「ちっとは世間を勉強しないといけないかナってね。父さまにもナイショで、誰にも知らせずに、アルバイトしてたんだけど。

 そしたら教授がいきなり着任してサ、どうしたもんかと思っていたんだけど」


 教授が苦笑いしながら、話をひきついだ。


「日本に帰国してしばらくは政府の教育関連の仕事をしていたのだが、なにかにつけ前例がない、予算がない、人手がない、口先ばかりでなにひとつ変えようとしない。

 その一方で、日本の子どもたちの質は学力、精神力、気力、すさまじい勢いで劣化しているのに、指導すべき大人には誇りも気概もない。

 それで長谷部ゆかりの小さいけれど自由のきく大学に腰を落ち着けて、寺小屋みたいなものをはじめようと考えていたんだ。


 正直、私も構内ですれちがって驚いたというか、パニックになったというか。

 夏惟さまからは誰にも言うなとの指示だったが、わたしにも長谷部当主としての面子がある。万が一、なにかあったらわたしの命でも片付く問題ではない。

 その一方で、せっかく大学に居らっしゃるんだから、教育者としては授業に参加できる機会を作りたかった。

 それで、守谷と柊を呼び、ゼミを持つことにした。ちょうど地元の有力者からもゼミを持ってほしいと懇願されていたので、小規模で生徒も厳選して。


 ところがそれをどう知ったか、志摩津のご当主から甥を入れてくれと話がきてね。何度も理由をつけて断ったのだが、もともと志摩津家には弟たちも世話になっているし、むげにはできない。断り続けるのも不自然になって、夏惟さまに相談して、桜樹くんを受け入れることにしたんだ」


 夏惟は両手を組み合わせ、顔の下半分をおおった。


「志摩津と言っても本家じゃ頻繁に会っていたのは松芳サンくらい。桜樹とは小さい時会ったきりだし。

 のらりくらりと避けてやり過ごそうとしてたら、いきなり道路の真ん中で座り込んでてサ。

 アパートも同じで出来すぎ、っても思ったけど、よくよく考えりゃ、この辺じゃ、あそこしか条件を満たす物件がないんだ」

「条件?」

「住人全員の身元がはっきりしていて、二階でもベランダ側から侵入できない構造、表通りに面しており、管理会社もしっかりしていて、通学も生活も便利なところ。

 ぼくは目立ちたくなかったので、粘り強く二階の角部屋があくのまったけど、志摩津は前の住人を追い出したよね」


 吉鷹はチッと舌をならした。


「ご当主さまに頼まれたからナ。半端はできないだろ。

 前の住人にゃ、別の広い物件を手当てしたサ」


 桜樹はあっけにとられた。

 あんな変哲もなさそうなボロアパートに、吉鷹がそれだけ手間をかけてとは思わなかった。

 この大学のことにしても、時宗教授の人となりを知った今では、叔父の想いを強く感じる。


「まあ、だから志摩津家が夏惟さまのことに気づいているなら断ろう、そうでなければ、よほど飛翔くんが困っているのだから、私にできることはしようと決めたんだ。


 だが、桜樹くんの到着にあわせてここで死体が発見された」


 夏惟ははあと息を吐いた。


「アルコールの匂いが残ってたからね。

 酔ったところを一突きされた、ってのはすぐに分かった。んでもって、血痕の量からしても、移動させてきたのは分かったし。

 タイミングといい、やっていることといい、このアホさかげん、溝近さんの匂いがプンプンした。

 でもってゼミの顔ぶれみると、アイツのいちばん好みは水戸部だったし」

「そんなに早く分かっていたら、すぐに警察に言ってよ。

 そうすれば……」

 

 椎行凪は殺されずにすんだんじゃないか。


「被害者が広がるだけ。

 水戸部を切り捨てて、次の誰かを手先に仕立てるだろうね。それこそ、稲岡とかが次の暗殺者にさせられたかも。

 水戸部を泳がせておく方が、まだ手の内が読めたんだ。

 紺野溝近ってそーゆーヤツ。

 アイツに目をつけられたら、自分が何しているのか、何させられているのか、死ぬまで分かんなくなっちゃうんだ。


 僕もこの生活気に入ってたからもうちょっとばかり続けたかったし、桜樹も気に入ったし」


(気に……入られたんだ)


 夏惟が漆黒の瞳を細めてにこりとする。心臓がばくばく鼓動する。

 津久見のご当主さまとか別にして、単に『藤木海』でも、夏惟のことは好き。

 だけど、気に入られる根拠に、心当たりがない……というか、なさすぎ…………。


「どこが?」


 桜樹が言ったとたん、夏惟が腹を抱えて笑いだした。


「そ、そ、そーゆー、とこ……」


 震える人差し指を、桜樹に向けながら、ひーひー笑っている。

 さすがにむかっとくる。前までは蹴っ飛ばせたのに、さすがに、津久見の若さまに対してはできない。


 吉鷹が気の毒そうに桜樹を見た。


「要は笑いモノになってた、てか」


 長谷部時宗は日焼けた彫の深い顔に、微笑を浮かべた。


「津久見のご当主さまが笑っていてくれるなら、それで充分じゃないか?」


 吉鷹はちらりと時宗を見。


「あァ」


 と前髪をかきあげた。


 教室の固定電話が鳴った。

 桜樹以外の皆の顔が、引き締まった。

 守屋が受話器を取り上げた。

 大学の交換室からのようだ。


「はい、つないでください」


 と守屋が応じた。

 夏惟は『スピーカーフォンにして』と手話で伝えた。守屋はうなずき、設定を切り替えた。

 ボリュームを最大限にした。


 ざああっという音がスピーカーから流れている。


 夏惟は凄まじい笑みを浮かべて、片手を机についた。


 びりびりする沈黙が続く。


『よお、ちび』


 根負けしたか、ザラりとした甘ったるい声がスピーカーから流れてきた。


「ども」


 満面の笑みですかさず夏惟が応じる。


 吉鷹は本棚に軽く持たれたまま、腕組みをして横目で夏惟を見ている。

 教授は椅子に座ったまま、じっと夏惟の様子を見守り、守屋は教授の背後に立ち息を殺している。

 東祁鶯もぴんと背筋をのばし、静かな気を放っていた。


『素敵なことづけをありがとう』

「気に入ってもらえた?

 なら、良かった」

『近くまで来ている。

 会えないか』

「奇遇だね、僕も会いたいと思っていたとこ。

 今からそっちへ行く。

 待っててくれるかしら」

『今際の際までも』


 ブツリと野暮な音で回線が切れた。

 ツーツーツーと無機質な音が続く。


 津久見夏惟が身をひるがえした。

 今までとは別人のように引き締まった顔。

 一言も言わずに部屋から出ていく。

 当然のように志摩津吉鷹がつき従う。

 誰も。

 何も言わない。

 長谷部時宗ですら、無言で身動きせずにいる。


「オレも……。

 オレも行くっ」


 桜樹は立ち上がった。


 椎行凪の。

 仇を取りたい。

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