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桜散る  作者: 夏野梨生
21/30

20.

 椎行凪のことを考えていて、気がついた。

 周囲の年上の男性にコメントしていた椎だったが、水戸部についてはなにも言っていなかった。


 水戸部も年上だし、わりと器用そうな、長身の、今風の男だ。そこそこ仲がよさそうに見えた。

 なのに椎の「いい男センサー」にはひっかかっていなかった。

 椎のセンサーを反応させないなにかが、コイツにはある。


 そこから逆算して考えていった。

 椎を教授のゼミ室に呼び出すことは、顔見知りの水戸部には簡単なこと。

 教授のパンツのことを桜樹が水戸部にしゃべったから、そんなエサで椎を呼び出したのかもしれない。

 桜樹と村上警部が、椎の葬儀の時に、ふたりでひそひそ話しているのも見ていた。


「何言ってんだ、コイツ」


 水戸部鉄士はわめくと稲岡碧の手首をつかみ、ひきずるようにして出て行った。あっけにとられて目をぱちりと開いた稲岡も、引っ張られるままについていく。


「どうしたの」


 遅れてカフェに入ってきた、藤木海はけげんそうに水戸部たちの後ろ姿をみていた。


「なんでもない」


 桜樹は保存パックを二重にくるみ、かばんにいれた。兄さん経由で茨城県警に提出して鑑識に調べてもらえれば、椎が殺された時に飲まされていた睡眠薬か何かと同じ成分が検出されるはず。

 運が良ければ、水戸部の指紋も紙コップから出るはずだ。


 柊まどかさっと何かを書いて藤木に見せた。

 藤木海の顔から表情が消えた。

 白いうなじを曝して、がくりとうなだれる。

 藤木は柊の手をくるむようにして握った。


「分かった。

 もう、終わりにしよう」

「藤木くん?」

「柊、水戸部を連れて来てくれ。

 桜樹と一緒に教授のところにいる」


 柊まどかはうなずいて、すらりと立ちあがった。


「行こう」


 藤木海はまっすぐに桜樹に手を伸ばした。


 教室では長谷部教授と守屋がくつろいでコーヒーを飲んでいた。

 香ばしいかおりが漂っている。


「どうしたんだ、ふたりとも。

 忘れものかい?」

「コーヒー飲んでく?」


 教授と守屋がにこやな顔で声をかけてくる。


 とても穏やかな光景。

 穏やかな午後。


「もういいんだ、教授。

 終わりにしよう」


 藤木海は窓際の席でデイパックを下ろして、トン、と椅子に座った。

 黒縁めがねも外して置く。

 漆黒の瞳がぱちりと開き、教室内を映した。


 開け放された窓から、春の風が流れ込み、白いカーテンがはためいていた。

 海の漆黒の髪も、風になびく。


「水戸部が桜樹を狙って、逃げた。

 いま、柊に追ってもらっている。

 ここで待たせて」


 教室に沈黙が落ちた。

 すこし間をあけて、教授はことりとマグカップをテーブルにおいた。


「これはあなたの責任ではない」

「でも、僕がここにいなければ、教授はもっと早くにカタをつけてられたよね」


 桜樹は藤木海を見下ろした。


 よく知っている小柄な少年。

 見なれた漆黒の髪と瞳。

 白い、透けるような皮膚。


 いや……。

 

 ぞわり、と、桜樹の中で得体のしれないものが目覚め、蠢く。


 もっと遠い昔から。

 オレはこいつを識っていた。


 がらりと引き戸が開き、緊張した顔の柊まどかが現れた。

 首すじに、銀光りするバタフライナイフがつきつけられている。

 水戸部鉄士が背後に立っていた。


『稲岡さんが階段で転落しました。

 重傷で、救急車を呼んでいます……で、水戸部鉄士をとりあえず、連れてきましたけど、どうしましょう?』


 柊が手話で告げた。

 連れて来たというより、人質に見えるけど。

 普通の女のコにしては、ずいぶんと落ち着いている。

 むしろ、ナイフをつきつけている水戸部の方が、テンパっているように見えた。


「志摩津、だせよ、さっきのコップ」

「もう兄さんに渡したよ」


 水戸部を睨みつけながら、嘘をつく。

 水戸部は忌々しげに舌打ちをした。


「こんなときだけ、素早い。

 まァ、いいさ、どうせ稲岡の指紋しか出て来ない」

「きみが彼女に入れさせたのか」

「まあね、ハバネロの粉飲ませて、からかってやろうって誘ったんだ。

 あいつ、面白いの好きだったし」


 たとえようもない嫌悪感がこみ上げてくる。

 あんな可愛い子。

 幼馴染でつきあってたんだろ。

 どうしてこんな酷いことができるんだろう。


「きみが突き落としたのか」

「しょうがないだろ、騒ぎだしたんだから」

「だからって!」

「お前が悪いんだっ」


 水戸部はいきなり叫んだ。


「志摩津の直系と言うからさぞかしすごいヤツと思いきや、まさか死体にビビって漏らしちまうなんて。

 誰もお前のことなんか、疑いやしない。

 馬鹿なフリをしてた、と通すんだって、無理がありすぎる。

 おかげでこちらの計画は狂いっぱなしだ」

「村上さんはなんで」

「お前の長所とか、隠されたすごい才能とか能力とか、なんかないかと聞いただけだ。

 しかし欠片もいいところが出て来なかった。

 ホント、どうしようもないヤツだな」


 すごい言われようだ。


 本当は緊迫したシーンだろうに、いまひとつ、教授や守屋もビミョーな顔をしているし、海にいたっては笑うのを必死にこらえて、無理やり澄ましている。


 柊がわずかに指先を動かした。


『人質のふり、まだ続けますか?』


「あ。

 もういいよ、お疲れさん」


 海が言うと同時に、柊はするりと水戸部のナイフをすり抜け、桜樹の傍らに立った。

 桜樹と目があうと、にこりと小首をかしげる。


「あ、おい、待て」


 慌ててナイフを振り回そうとした水戸部の手首を、いつの間にか桜樹のわきをすり抜けていた海が掴んだ。


 漆黒の瞳で水戸部を見すえて、水戸部の手首を握りしめる。

 みかけより、ずっと力があるらしい。

 水戸部の手からナイフが落ちた。

 海がそれを蹴ると、守屋が拾って刃をたたんだ。


「藤木……」


 水戸部はうめき声を上げながら、顔をしかめた。


「お前はいったい何なんだ。いつもいつも教授たちと一緒にいて。そのくせただのアルバイトだし。

 椎じゃないけど、どうにも気味悪い」


 藤木海は満面の笑みを浮かべた。


「ミゾチカさんの幼馴染、って言ったら?」


 水戸部の顔から表情が消えた。

 ポーカーフェイスを作ろうとしているような、警戒するような、奇妙な顔だ。


「なんのこと」


 かるい声で言うが、全身がこわばっている。


「うふ」


 海は肩をすくめて笑うと、水戸部の手首を勢いよく引いた。

 バランスを崩した水戸部がよろめくと、水戸部の顎をひとさしゆびですくった。顔をあおむかせキスをする。

 くちびるをゆっくりはなすと、漆黒の瞳を細め、


「ミゾチカさんに伝言。

 ちゃんと伝えてね、『カイからだよ』って。

 いいね」


 漆黒の瞳を細めて、笑う。

 感情の読めない、海らしくない顔だ。


「な、なに」

「じゃ、ね」


 海は落ち着いた声で言うと、水戸部を部屋の外につき出し、ぴしゃりとドアをしめた。


「桜樹」


 藤木海が振り返った。しなやかな指で桜樹を指す。


「志摩津に電話」

「え」

「志摩津吉鷹にかけて。ほら早く」


 吉鷹に意味もなくかけると怒鳴られるとも思ったが、海の声には有無を言わせない迫力があった。

 電話をかけると、すぐに海がひったくった。


「あ、志摩津? ぼく」


 一拍、間があいて、離れていてもわかるほどのわめき声が聞こえてきた。

 藤木海は片耳を押さえて顔をしかめ、携帯電話を耳からはなし、たっぷり十秒は待った。

 わめき声は止まらない。

 

「黙れ」


 海が電話口に向かって言うと、ぴたりと静まり返った。


「だから、説教はあと。

 今までの経緯、聞いてるでしょ。

 実行犯は水戸部鉄士だが、黒幕は紺野溝近だ。

 桜樹に罪を被せて終わらせる計画だったと思うが、くぎを刺した。アイツはバカだけど、さすがにここまで来たら手をひくよ。水戸部に遺書持たせて自殺させるだろうね。

 てなところで始末しといて。じゃね」


 また吉鷹のわめき声が聞こえたが海はあっさりと電話を切り、桜樹になげて返した。

 全開にした窓から風が流れ込み、カーテンが翼のようにはためいている。

 長谷部時宗も、守谷もじっと海の行動を見ていた。


「そうされるのですか」


 しずかな声で教授が言った。


 藤木海は両腕をくむと、とん……と本棚にもたれて、天井をにらみあげた。


「かーなーり不満はあるけどね。

 ここらが限界じゃない。アイツ、バカだし。ひつっこいし。

 すこしばかり譲歩しないと、下がらないモン。

 教授にもちょっと迷惑かけるね」


 長谷部時宗は彫の深い顔に、微笑を浮かべた。


「わたしのことなら、何とでも」


「え、えーと、藤木くん、どういうこと?」


 藤木海はちろりと桜樹をみると、ぷぅっ、とほおをふくらませた。


「どーゆーことって、正直、いいたいのはこっちの方だ。

 こっそり世を忍んでのんびり隠遁生活をしていたら、教授は現れるし、きみもやってくるし、あげくの果てに紺野溝近だなんて勘弁してほしい」

「こっそり?

 世を忍んで、って???」


 桜樹が茫然としていると、


「本当に気づいていなかったんだな」


 教授が呆れたのを通り越して、感心したようにつぶやいた。


「志摩津の直系なのに。志摩津本家の面目丸つぶれですねえ……」


 守谷もぼそっと言う。


「ななな、なに?」

「ここまで来るとうらやましいくらいだ」


 教授が天井をあおいで嘆息した。


「長谷部もだが、志摩津も数千年以上も前から津久見に代々仕える身。

 津久見の御当主を前にまったく、何も、気づかないなんて」

「津久見?

 御当主??? って」


 桜樹が恐る恐る横を見ると。


「津久見の御当主さま。本名は津久見夏惟」


 と、藤木海……もとい、津久見夏惟は自分をさしてにっこりとした。

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