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桜散る  作者: 夏野梨生
20/30

19.

 土曜日、午後三時。

 計九名の生徒が長谷部時宗教授の教室に勢ぞろいした。

 

 桜樹も海と並んで、口の字型の一角に座る。

 教授と守屋はすこし離れた場所で、黙ったまま生徒たちの様子を見ている。


「じ、じ、じゃあ、プリントを配るので」


 肩に力の入りまくった眼鏡男子がぎくしゃくとプリントを皆にまわしはじめた。


 A3で数十枚の力作。

 表面には、


 夜這の正当性について 榛名(はるな)雄一(ゆういち)

 

 と誇らしげに書かれている。


「よ、夜這……?」


 桜樹はどぎまぎと周囲の、とくに女の子たちの顔色をうかがった。

 こんなこと真昼間から、ゼミで、女の子たちの居る場所で話していいものなのだろうか。


 榛名はページをめくりながら、資料の説明をしていく。各地域ごとの特色や分類。歴史。出典資料などを丁寧に解説していく。


 資料そのものは真面目だ。


 けれど、性交とか強姦、輪姦といった言葉まで出てくる。

 ちらちらと柊たちの顔色を伺うが、気まじめな顔で、食い入るように資料を読んでいる。

 男子たちも真面目な顔だ。


 資料の解説が終わると、議論が始まった。


 多夫多妻制というのは、狭い共同体ではむしろ自然だったのでは。

 いや、やはり性悪説に基づくと、人としての本質に堕落があり得る。一夫一妻制で縛るべき、それはキリスト教的思想……

 と、ポンポン議論が進んでいく。


 女性の出産可能期間を考えると、効率的ではないのか。

 女性には生理的に受け入れられない男性もいる、いや、安心しないと男性を受け入れることは苦痛だ、と生々しい話を碧が言う。

 でも、女性側にも断る権利があって、青年団が取り仕切っているって、と柊が手話で言うと、中国人留学生女性が、取り仕切っているあたりが男女差別じゃないか、とたどたどしく言う。


 男からすると、自分の子が誰だかわからないじゃないか、むしろそのほうがいいのか、だから妻問い婚とか、女系家族が日本の文化には適しているのではないか。

 もてる男の場合は、もてない男の場合は、と話が急展開で進んでいく。


 桜樹がついていけずにくらくらしていると。


「志摩津くんはなにも言っていないけど、どう考える」


 榛名が桜樹にふった。


「え……と」


 桜樹が口を開いた時。


 バン


 教室のドアが開いて、鬼のような形相の松芳が立っていた。

 つかつかと入って来て、いきなり桜樹の腕を掴んで引っ張り上げる。


「桜樹、家に帰るぞ」

「ちょ、ちょっと、兄さん何言ってんだ。

 だいいち、オレ、家に帰れない……」


 松芳は桜樹の胸倉をつかみ、顔をよせた。


「村上警部が殺された」


 息を呑んだ。


「松芳くん、いまは授業中だ。

 外に出てくれ。桜樹くんも一緒に。

 守屋、ゼミをつづけてくれ」


 長谷部教授はすばやい身のこなしで、松芳の腕をつかみ、教室の外へ引きずり出した。

 桜樹もあわてて後を追う。


「兄さん、いったいどうしたって。

 村上さん、なんで殺されて」


 松芳は桜樹の両肩をつかんだ。


「村上は昔、志摩津分家の道場生で、鴫那晄とも親交があった。

 公式には発表しないが、村上には拷問を受けたあとがあった。茨城県警は今村上が担当している事件絡みの線で追っているが、違う。

 たぶん、お前のことだ」

「鴫那の知り合いだって、言ってた」


 桜樹が言うと、さっと松芳の顔が朱に染まった。


「お前、知っていたのか」

「ウン。椎の葬儀の時に会って、言われたけど……」


 馬鹿やろうっ、と松芳が声を張り上げた。


「どうしてすぐに言わないんだ。

 いつもいつもお前は、問題をややこしくしてから……!」


「見苦しい」


 長谷部時宗が強い口調で松芳を遮った。


「まったく、志摩津の頑迷さにはいつもながら腹の立つ。

 そんなことより、この一連の事件の処理を先にしたらどうなんだ。

 志摩津の最も得意なところだろう」


 松芳は気まずい顔になって、視線を伏せた。


「まさか、まだ、なにも分かっていない、なんて言うんじゃないだろうな。

 志摩津の当家本家が雁首そろえて」

「吉鷹は……紺良が絡んでいる、ゼミに実行犯がいるはずだと」

「志摩津の次期当主どのか。なかなか良い男だとの噂は聞いている。

 ならば、なぜ、動かない」


 松芳は沈黙した。

 目に見えて、時宗教授は苛々している。よほど、授業を邪魔されたのが嫌だったらしい。

 どうしよう。

 オレがなにが言った方がいいのだろうか。

 桜樹が口を開きかけたとき、先に、松芳が言った。


「吉鷹は、こちらから追うには奥が深すぎる。

 向こうが実行犯を始末して手を引くなら、深追いはしない、と」

「だがそうはならなかった」


 きっぱりと長谷部時宗は言った。


「さあ、行きたまえ。

 これは我が長谷部家に対する悪意だが、こちらが黙って傍観しているのは、志摩津のメンツを慮っているからだ。


 君の弟思いの情に免じ、授業の妨害をしたことは見逃してあげよう。

 桜樹くん、教室に戻りたまえ」


 松芳が声にならない声を上げた。


「桜樹を戻すんですか、あの教室に」


 手を伸ばして、桜樹の手首をつかんだ。

 力を入れて、握りしめる。

 まっすぐ。

 不安そうに桜樹を見つめる。


「大丈夫。

 兄さん、大丈夫だよ」

 

 桜樹はそれだけ言って、松芳の手を振り払った。

 教授の後を追う。


「長谷部時宗さま」


 松芳は崩れ落ちるように床に膝をついた。

 そのまま両手を揃え、深く頭を下げる。


「弟を……弟を、宜しくお願いします」

「いい加減にし給え」


 長谷部時宗は足を止めなかった。


「志摩津直系が自分の身を守れず、他家の当主に保護を求めるのか。

 志摩津の誇りと使命をなんだと思っている」


 背中越しに吐き捨てるように言うと、桜樹を教室の中に入れ、ぴしゃりとドアを閉めた。


 藤木海が漆黒の瞳で、不安そうに桜樹を見た。


(大丈夫)


 こそっとサインを送る。

 教室内では白熱した議論が続く。

 桜樹はそれを聞き流し、まったく別のことを考えていた。


 教授は授業終了後、榛名をまずねぎらい、ひとりひとりの発言内容や議論の進め方を丁寧に講評した。

 次回の発表者を決め、授業は終了した。

 生徒はみな、大きなイベントを終わらせたあとみたいに、高揚した、誇らしげな顔をしている。

 荷物を片づけ、がたごとと三々五々散っていく。


「桜樹」


 不安そうに藤木海が言うのと。


「藤木くん、ちょっといいかな。

 頼んでおきたい本があるんだ」


 教授が藤木海を呼ぶのが一緒だった。


「はい……」


 と返事をするものの、海は不安そうにちろちろ桜樹を見ている。


「下のカフェで待ってる」


 桜樹は安心させるように笑顔を見せると、柊、水戸部、稲岡と坂道を下って本校へ行き、カフェに入った。


 土曜日の夕方とあって、ほとんど人はいない。

 この時間に授業をやるのは、時宗教授くらいだった。


 今日の議論さー、榛名、真面目すぎーとあたりさわりのない会話につきあいながら、ジンジャーエールに口をつける。


 舌先に微かだがみょうな味を感じて、そのままコップに吐きだした。

 胸ポケットに幼いころから持ち歩かされている粉薬の包みをとりだし、喉に流し込む。

苦い。

 顔をしかめてせきこむと、水戸部と稲岡があっけにとられた顔をしていた。


「志摩津くん……?」

「あ、これ、毒消し」

「毒消しぃ?」


 碧が高い声で叫んだ。


 桜樹はハンカチで口を拭うと、保存袋をとりだし、コップと内容物を別々につめて封をした。


「きみだったんだね」


 水戸部鉄士に向かって言った。

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