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桜散る  作者: 夏野梨生
18/30

17.

「それはナイ」


 あっさりと吉鷹は言った。


「でも、紺良絡みなら」


 遥か昔より、志摩津や長谷部らの主家として君臨してきた津久見家。

 紺良は津久見に比べれば歴史は浅いが、現代社会では津久見よりも圧倒的に企業規模も大きく、莫大な権力を有する。

 だが、歴史も格も社会に対する影響度も、津久見が紺良を上回る。つねに、なにかにつけ紺良と津久見は反目し合っていた。否、津久見は紺良を相手にはしていない。一方的に、絡まれているのだ。


「津久見が絡んでいて、オレが知らないわけがない。

 だいたい、アイツはこんなヤマに」


 いちど言いかけて、吉鷹は口を閉じた。

 じっとホワイトボードを見つめる。

 紺良宇宙科学技術大学(仮称)から線をひき、碓氷(うすい)(とおる)と書き加えた。


「初代学長就任予定。……オレたちの同級生で、紺良から奨学金をもらって米国に留学したんだ。

 でも、まだ帰国していないと聞いたし」


 松芳に、というより自分に言い聞かせるようにつぶやき、すぐに、碓氷透の上に取り消し線を引いた。

 それだけでは気が済まないようで、ぐちゃぐちゃに塗りつぶしている。粘着質な性格だけあって、いちどはじめると今度は止められずに、きっちりと枠取り黒く塗りつぶし始めた。


(よっしい、結構、子どもっぽいんだよな)


 兄貴分の眼からすれば、時折、桜樹と同レベルかそれ以下の時もある。


「この件、どうするんだ」

「向こうの出方次第だな。

 オレが奴らなら、さっさと実行犯の学生を処理して手を引くし、それならこちらも深追いする必要はないが、アイツら馬鹿だから。

 しかし、先に潰すには奥が深すぎる」

「私としては実行犯だけでも逮捕、起訴したい」

「検事としてなら構わない」

「桜樹は大丈夫なんだろうな」


 吉鷹は塗りつぶすのを、ぴたりと止めた。

 キュッとマーカーのキャップを閉めると、振り返って真っ直ぐに松芳を見つめた。


「松ちゃん、いい加減にしろ。

 自分で自分の身を守ることができなければ、それまでだ」

「だって……アイツはまだ子どもだ」

「オレとふたつしか違わない」

「でも、桜樹だし」


 吉鷹は片手を腰にあて、じっと松芳をみていた。

 薄いくちびるが動く。


「志摩津家としては、ひとたび桜樹の身を時宗さまに預けた以上、手出しはしない」

「じゃあ、結香さんなんかにくれてやるのか。

 ドロンドロンのぐっちょんぐっちょんのゲチョゲチョにされるぞ」


 吉鷹は唖然としたように口をぱくりと開いた。


「松ちゃんって、結香さんのことどう思ってるんだ」

「どうって、見たまま」

「見たままァ?」


 吉鷹は腕を組むと、にぎった拳をあごにあてた。


「見たままだったら、ふつう、天女のようとか言われている、よな」

「どこがっ。

 人の弱点つくの上手いし、脅すし、口は達者だし、ワナにはめるし」


 過去に遭ったあんなことやこんなことがぞわぞわと脳裏をよぎり、身体を抱えて身震いした。


「うーん、それは半分李香さんも交じっていると思うが。まァ、それはそれでおいといて。


 そういや『フジキ』に会ったか? どこの資料にも名が出て来ないんだが。

 桜樹と同じアパートに住んでいて、図書館のアルバイト、教授のゼミに所属しているらしい」


 松芳はゴクリと唾を呑みこんだ。


「いや。

 そんなヤツがいたのか。そいつが実行犯なのか」

「ぜんぜん違う。

 桜樹の面倒をみてくれているようだ。時宗さまがつけてくれたのだろう、長谷部のテのものらしい。

 長谷部の家にそんな名を聞いたことはないから、偽名だろうな」


 吉鷹はくちびるの端に笑みを浮かべ、


「それにしても器用に身を隠す。座敷童みたいなヤツだな。

 顔を見てみたかったのに。

 まあ、だから大丈夫だろう。なんだかんだ言って、桜樹も勘はいいし、志摩津の直系だ」


 吉鷹はちらりと腕のブレゲを見た。

 もう二時を回っている。これから東京へ戻って仮眠をとるのだろう。

 吉鷹も松芳も、明日も激務を抱えている身だった。


 できればすぐに帰宅させてやりたかったが。


「水戸の分家は関係ないのか」


 ずっと心に引っかかっていたことを、言った。


 すうっと。

 吉鷹の表情が失せていった。

 いつもの無表情に戻る。


 仮面のような端正の顔立ち。

 自分の感情は見せないまま、松芳の深層を暴くように深く抉るように見据える。


「松ちゃんは志摩津の一族が裏切るとでも?」

「考えたくはない。

 だが桜樹は鴫那の息子を殺している」

「あれは訓練中の事故。

 しかも鴫那晄が望んでした真剣勝負だ」


 吉鷹は射抜くように松芳を見、背を向けた。


 ドアを開きかけて、手を止める。


「もし、鴫那が関わっているとしても、桜樹自身の問題。

 志摩津家としては関与しない」


 背中越しに言い捨てて、吉鷹は出ていった。


 松芳は重い身体を引きずるように立ち上がり、イレーザーを握った。

 いつか。

 吉鷹か桜樹か、選ばなくてはいけない時がくる。

 志摩津の名のもとに、ただひたすら自己研鑽につとめ、志摩津家につくしてきてくれた吉鷹を切り捨てるわけにはいかない。

 能力も人物も、圧倒的に吉鷹の方が上。

 松芳自身、吉鷹が好きだ。


 だから、桜樹を捨てるしかないのだ。

 いずれ消す身ならば、本人の好きに遊ばせてやればいいのに。


(なぜ、叔父貴はいまさら桜樹を世間に引きずり出すのだろう)


 まさか今になって血のつながった甥可愛さに、吉鷹を捨てる気か。

 あの叔父はそんな人物ではない。第一、それなら吉鷹に、桜樹の世話をさせるはずはない。


 ホワイトボードを消しかけた手を、松芳は止めた。


 夏惟


 細い線で、落書きされている。

 涙で目がにじむ。


 本当は。

 松芳自身が若さまに出てきてもらいたいのだ。

 あの時、吉鷹を救ったように。

 桜樹、吉鷹、どちらの人生も生かしてやってくれないかと、虫のよい期待を、まだ捨てきれずにいる。


 松芳はホワイトボードに一点の筆跡も残らぬよう、力を入れて消した。


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