15.
三人兄弟の次男ほど、損な立場はない。
志摩津松芳はたった一人で執務室で残業しながら、今日何度目かのため息をついた。
長谷部時宗教授の拘留を報告した松芳は、長兄にこっぴどく怒られた。いくら教授自ら、と言ったところで、父のレプリカのような兄には通用しなかった。
カロリーメイトをかじりながら、県警からもらってきた資料をもういちど見直す。
悪運の強い男だな、というのが正直な感想だ。
ふたつの事件、予定通りに長谷部時宗が研究室の横の住居に宿泊していれば、事実がどうあれ、あっさりと逮捕、起訴されても不思議はない。
だが、突発的な用事でちょうど東京に帰り、目撃者も多く、確かなアリバイがある。
(だが、いったい何を考えている)
すすんで警察署へ連行されたものの、事情聴取にはのらりくらりと応じ、否定も肯定もしていないという。
本気で冤罪になりたがっている、とも思えない。
(とりあえず、真犯人を見つけないと)
桜樹の大学到着にあわせてはじまった、連続殺人事件。
ひどく、嫌な気分である。
何者かが、時宗教授を犯人に仕立てようとしているのは、ミエミエだった。
ノックの音がした。
「時宗さまが拘留されたって」
志摩津吉鷹が入ってきた。
もう深夜だというのにスーツには皺もなく、端正な顔には疲れもない。
松芳が冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、
「車で来たから」
そっけなく言う。ビールどころか、ウォッカがぶ飲みしても、運転には支障はおこさないくせに、松芳と飲む程度のためにリスクを冒す気はないのだ。
あてつけのためプルトップを開けて、一気に飲み干し、もう一缶もあけて口をつけた。
吉鷹は指を四本立てた。
「いち、時宗さま拘留の件。
に、連続殺人事件について。
さん、桜樹のダメさ加減。
よん、蓉一さんへの復讐。
どれからいく?」
「蓉一兄さん?」
「電話で散々やられたようだから道場内なら復讐をゆるす、とご当主さまが言われていた。
また見合いで失敗したからヤツあたりだろうと。
二人がかりで行くか?」
「いいよ、桜樹じゃあるまいし。アニキにも言い分がある。
かわりに桜樹のヨメとりの件、相談に乗ってくれ。ゼミに気になるコがいるらしい」
ふだん感情のみせない吉鷹にはめずらしく、びっくりとした顔を松芳に向けた。
「桜樹のヨメ?
ずい分色気づいてるな。パンツ売ったり、学生生活満喫してんな」
「パンツを売る……?」
援交、ブルセラ、少年愛犯罪、変質者といったキーワードがざぁっと松芳の頭を駆け巡った。
やはりあんな世間知らずのバカ、家から出すべきじゃなかった。
家名に傷がつく。世間体。後始末。県警刑事のバカにするような眼。
なんで自分ばかりこんな眼に。
「あいつ、何やってんだ。
カネ、ないのか。やっぱり学生生活なんて無理だったんだ。これ以上、妙な事件に巻き込まれる前にやっぱり……」
「ストップ」
吉鷹が手のひらを松芳に向けた。
「松ちゃん、冷静になれ。
桜樹のパンツなんか買うヤツいないだろ。正確には、時宗さまのパンツを売ってほしいって頼まれたらしい。
それならまだ納得できるだろう」
「……私だったら、どちらにしろ買わないが」
「いちおう、松ちゃんに言われたから、桜樹にはパンツ1か月分届けたけど」
吉鷹はブリーフ30枚分の領収書を松芳に突き出した。
祇園で豪遊しているくせに、セコイ男である。
一円単位まできっちり出しておくと領収書と交換に受け取り、松芳の机の上の資料をちらりと見た。
「ゼミに今いる女子は三名か」
松芳はうなずいた。
死んだ野瀬もだったが、なかなかの美人ぞろいである。
いかにもキャリアウーマンっぽい、ワンレンの凛とした顔立ちの中国人女性に、可愛らしいショートカットの女の子、素朴そうな三つ編みの少女である。
兄からすれば、どのコでも悪くはない。
吉鷹は松芳のデスクに腰をおろし、三つ編み少女の資料をとりあげた。
「ん?」
奇妙な顔をして、マジマジと見なおしている。
「そのコな。地味だけど、しっかりしてそうだな。桜樹にはちょうど」
「松ちゃん、諦めろ。
この話はどうやったってダメだ」
「どうしてだ、桜樹だって志摩津の一員だ。いざとなれば名義だけでも相応の役職を与えて」
「そういう問題じゃない。
まァ、見とけって。面白いことになるから」
吉鷹はすらりと伸ばした長い足を交差させて、くちびるの端に微笑を浮かべた。
気心知れた松芳と二人きりだから、気が緩んでいるのかもしれない。
もともと、吉鷹は喜怒哀楽のはっきりした、一途な気質で、周囲の一挙手一投足にいちいち過敏に反応するようなタイプだった。
感情を押し殺すようになったのは、志摩津の次期当主の役目として、津久見の若君の執人としてお仕えするようになってから。
松芳は傍らで、吉鷹が若さまの執人として命と人生を賭す意志を固めていくのを見続けていた。
寂しくもあったが、それが吉鷹の望みならば仕方ないと思っていた。
だが、若さまが吉鷹を拒絶し、捨てた。
その時から、吉鷹の感情も、世界も、ぽっかりと消えてしまっている。
(言えないよなあ……)
――津久見の若さま絡み。
長谷部結香はそう松芳に告げた。
今一つ、松芳は納得しかねている。
確かに。
何千年にもわたり、志摩津、長谷部両家の主君筋として君臨してきた津久見家の若さまに対しては、両家当主ともどんな無理難題にも盲従するはずだろう。
(だが、どうやってあの若さまがこの件に絡みようあるのか)
本音を言うなら、吉鷹がどう傷つこうが、最後の最後で吉鷹を道具ではなく、人として扱ってくれた若さまに、松芳は感謝している。
代われるものなら松芳自身が執人となりたいところだが、それではダメなのだ。吉鷹でなければ、桜樹、もしくはまったく別の人物を育成するか……。
(やはり、桜樹の存在が絡んでいるじゃないか)
そもそも、少しばかり年上だからと、頭脳明晰ではしっこい結香、李香の双子には幼い時よりさんざんおちょくられたトラウマもあり、素直に信じられることができない。
やはり、不用意に吉鷹の心を乱すことはない。
松芳が決心した時、吉鷹は指をいっぽん突き立てた。
「いち、時宗さま拘留の件。時宗さまには出てきていただく。
松ちゃん、頼めるか」