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桜散る  作者: 夏野梨生
12/30

11.

 目が覚めると、とうに昼を過ぎていた。


 明け方まで騒いだ高揚感が残っているから、ベッドの上でごろごろしているのはもったいない。

 昨日、ねぼけた藤木海をそのままにしてきたことを思い出し、部屋に押し掛けたが、鍵がかかっており、居る気配もない。


 やることも、することもない。

 桜樹の携帯には、吉鷹と守屋の番号しか登録されていない。

 守屋に電話をかけた。

 すぐにつながる。


『もしもし。どうしたの? なにかあった?』

「藤木くんいないし、することないんだ」


 桜樹が言うと、ちょっと間が空き。


『ええと、わたしは教授の部屋が解禁されたから、片付けに行くんだけど。

 一緒に来る?』

「うーん。片付け、イヤ」

『することないんでしょう。

 終わったら、食事おごるから、ね』


 守屋に車で迎えに来てもらい、大学に向かった。

 車の中で、昨日あったことを延々と話す。教授は椎をだましているんじゃないか、と文句をいうと、守屋は苦笑いをしながらハンドルを切った。


「でもさ、まだ、憧れに憧れているだけだから。

 もう少ししたら、変わるよ。

 そういう年頃なんだって」

「そっかなあ。

 そいや、守屋さん、なぜウチから出てったの。

 兄さんたちに苛められた?」

「まさか。

 そんなんじゃなくて。

 長谷部の人の強さって、志摩津の対極にあるじゃない。考えたこともない世界だったから、夢中になっちゃって」

「それって教授のこと?

 教授って強いの。叔父さんより?」

「難しいね、答えるの」


 守屋は、吉鷹とは違って泥道を車で上がり、妖怪学校のようなボロ校舎前に車を止めた。


「あ」


 といきなり守屋が声を上げた。

 華奢な人影が木造校舎に入っていくところだった。


「結香さんだ」


 守屋がいつになく慌てて車を降り、駆け足で校舎に向かう。

 桜樹もわけもわからないまま、追った。

 ノックの音がして、


「兄サァン、八重山上布ちょうだい」


 とのんびりした声と、引き戸を開く音がした。


「結香さん、教授は今日、東京ですけど……どうし」


 階段を駆け上がった守屋が言うのと、華奢な人物が振り返るのが同時だった。


 綺麗な人、ととっさに思った。涼しい切れ長の目に、遠目でもはっとする、抜けるような白肌。男性なのに、全身からやわらかな雰囲気が漂っている。

 ありふれた紺のスーツのジャケットを腕にかけた長谷部結香は、整った顔を守屋に向け、


「死体、まだ撤去してないの?」


 とのどかな声でいった。


「え、まさかそんな」


 教室を見た守屋が硬直する。

 桜樹も一緒に覗きこんだ。


 椎行凪が机に伏せ、死んでいた。

 背に大きな包丁が刺さり、血が飛び散っている。


 目を閉じた、すこし笑っているような安らかな顔を扉側に向け、背に包丁さえなければ、寝ているだけのよう。


「ウソ、ウソ、ウソ」


 桜樹は教室に駆け込んで椎を揺さぶった。


 信じられない。

 今朝まであんなに元気だったじゃないか。

 次に遊びに行く約束もしたじゃないか。


「ウソだろ。

 起きろよ。

 パンツ、売ってやるから、ううん、あんなのいくらでもあげるから。

 ねえってば」


 椎は片手には紙コップを握っていた。

 紙コップを取り上げ、匂いを嗅ぐ。


 なにやら奇妙な薬っぽいにおいがする。


「ちっくしょうっ」


 桜樹は紙コップを握りしめ、投げ捨てた。

 椎の背に刺さった、痛々しい包丁も抜き取る。


「ちょ、ちょっと、桜樹くん、まずいよ。

 こっちに来て」


 廊下から守屋が必死に呼ぶが無視した。


「ねえ、椎、椎ってば。

 目を覚ましてよ」


 椎の、ごてごてとぬいぐるみやらリボンやらがついた身体をなんども揺する。


 いきなり視界が真っ暗になった。

 やわらかな手で、眼の前を塞がれている。


 とっさのことに、身動きができない。


 甘い香の匂いが鼻腔に絡みつく。


「そう、そうのままじっとして」


 ひどく心地の良い声が、耳元で囁いた。 


「息、吐いて……吸って。吐いて、吸って。

 そう、ゆっくりでいい。

 いい子だね。

 きみはいい子だよ」


 優しい声でささやかれるままに身を起こし、気づくと教室の外に連れ出されていた。


 長谷部結香は美しい瞳でまっすぐに桜樹をみつめ、


「ごめんね」


 と心底、すまなそうに言った。


「う、ううん……」


 結香は守屋に顔を向けた。


「連絡は、警察、大学事務局、の順。あとで通話記録調べられるかもしれない。あと、松っくんにも連絡して。

 兄サンには僕から連絡する」


 守屋が携帯を取り出して、警察に連絡を入れるのを確認し、長谷部結香は電話を取り出した。


「あー、兄サン、今どこにいるの。八重山上布くれるっていったじゃない。こっちで公判があったから寄ったのに、ひどぉい……あ、ああ、そう、そうなんだ、じゃあ待ってるね。


 そう、それとね、また兄サンの部屋で生徒さんが亡くなって、そう、そうなの、あ、守屋さんがここにいて連絡している、……殺されてるね、包丁……たぶん、兄サンのものかな? で背からひと突き、いや、血痕の量からすると、いちど抜いて刺しなおしている、近づけばもっとよくわかるけど、見とく? あ、そう、分かった、そうだね、……椅子にすわってて紙コップがふたつあるなあ、知人とお茶してたっぽいけど……ううん、ボクらならいざしらず、素人が家庭用包丁でこんなにも綺麗に背後から心臓を突き刺せるものかしら……え、名前?」


 結香はいちど電話から口をはなすと、桜樹に椎の名前を尋ねた。


「シイユキナくんだって。

 それと、ここに志摩津桜樹くんがいて、ちょっと現場をいじくっちゃった。

 ボク、一部始終を見てたから、いざとなったらなんとかできると思うケド。

 うん、松っくんにも声かけた。そう? ……そう、分かった。そうする」


 結香は電話を切ると、ジャケットを着、ネクタイを締めると、ポケットから弁護士バッチを取り出し、襟元につけた。

 つややかな黒髪を背でひとまとめにして、ゴムで結ぶ。


「兄サン、もう駅まで来てるんだって。すぐにタクシーで来るって」

「松芳サンもすぐに来られるそうです」


 桜樹は教室のドアに立った。


 すぐそこで、椎が伏せている。

 桜樹よりずっと若いのに。

 やりたいことも、夢も、たくさんあったのに。


 かわいそう。

 すごく、かわいそう。


 ぼろぼろと涙が零れる。

 

「辛いね」


 長谷部結香が純白のハンカチで、桜樹の涙を押さえた。

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