10.
「じゃ、おっつかれさまー。
来月もよろしくー」
椎行凪がウーロン茶のジョッキを高々と掲げて、打ち上げコンパが始まった。
大学の敷地の横に立つ、プレハブ小屋のお好み焼き屋の貸し切り。車やバイクで移動している人がほとんどなので、飲み物はウーロン茶とジュースばかり。
(これがコンパ?)
椎や水戸部たちは楽しそうにはしゃいで、お好み焼きや野菜を焼いている。
なにかが違う気がする。
コンパって、おしゃれな雰囲気のある店で、とりあえずお酒飲んで酔っ払って、王様ゲームとかしたり、女の子を酔わせてお持ち帰りしちゃったり、するんじゃないの。
とはいえ、都会の大学に三度も通っても、いちどもコンパに行ったことがなく、誘われたこともなかった桜樹は、いまひとつ、文句も言えない。
それに。
「おつかれー」
碧と柊がウーロン茶のジョッキを桜樹にカチンとあわせて、にっこりする。
(ま、いっか)
二人とも休みはなにしているの、趣味は、好きなタレントは、と聞こうとした時。
「志摩津くぅぅぅぅぅん」
椎行凪が背後から抱きついてきた。
「ホントに来てくれたんだ、オレ、嬉しい」
「いや、まあ、その」
「オレたち親友だよな」
柊と碧は特に気にした風もなく桜樹に背を向けると、水戸部と三人できゃぴきゃぴとはしゃいでいる。
(オレ、あっちがいい……)
柊たちに混ざりたいのに、ごろにゃーん、と椎が桜樹にもたれかかってくる。
ぬいぐるみやらコサージュがゴツゴツと身体にあたり、エライ迷惑だ。
「な、な。
お前、キスしたことある?」
「はあ?」
「オレ、決めてんの。
ファーストキスは絶対、年上の、カッコいい男性がいいって」
桜樹は口に含んだウーロン茶をジョッキに吐き戻した。
「うわっ、きったねえ。
志摩津くんて、ダメダメ系?」
コイツにだけは言われたくない。
聞こえたのか、柊が心配そうな顔で振り返り、おしぼりを差し出してくれる。
稲岡碧も店員を呼んで、ウーロン茶のジョッキを交換してくれた。
「なに? どうしたんだ」
水戸部が身体を乗り出した。
「椎が変なこと言うから」
「変なこと?」
『いつもの』
柊が苦笑いしながら、桜樹の代わりに身振りで答えた。
「あー、行凪、まだお子ちゃまだもんね」
碧がよしよしと、椎の頭を撫でている。
「そーゆー問題?」
「だって、小さい時って、カッコいい同性の年上に憧れるじゃない」
「いや、でも、なんか違う、と思う」
「たとえば、どの辺が」
桜樹は水戸部を引っ張って、「教授のパンツを売ってくれと言われた」と耳打ちした。
さすがに、女子ふたりには聞かせられない。
水戸部はぶっと吹き出し、腹を抱えて笑ってる。
「あー、そりゃあ、志摩津の気持ちも分かる。
椎、ちょっち、キツイぞ」
「なに言ってんだ。
オレ、ピンと来たんだ。
志摩津くんはオレの親友だ」
椎は両手を握りしめて、力説する。
勝手に決めないでほしい。
「そうだ、親友の証にコレ、志摩津にやる」
椎は自分の携帯ストラップを外すと、桜樹の携帯を出させ、勝手に取りつけた。
爪の先ほどのミニチュアのCDジャケットで、クルンとしたブタの尻尾がついている。
よくよく眼を凝らすと、ジャケットの人物のカッコは椎と同じ系統で、さらに派手で上をいっている。
「なに、これ」
「なにこれ、って、Pink Pig Scutの限定アイテム。これ貰うために、アルバム発売日にわざわざロンドンまで行ったんだから」
「てなに」
「今日、やっただろっ。
もう解散しちゃったけど、イギリスのフュージョンバンド、すごかったんだから。ii myuiiも参加してたんだぜ。教授の著書使ってさ」
「ごめん、話が全然見えない」
「こんなすごい日本人もいるんだ、ぜったい教授の大学に行くと英語勉強してたら、いつの間にか教授が帰国していて、桃城大に来てくれるなんて。
でも、はじめは教授は研究に専念するとかで、授業はもたなかったんだ。
だから親父に頼んで、なんども大学に交渉したんだよ。
すっげー、苦労した。
なのに、藤木のヤツなんかただ乗りして。おまけに教授のお気に入りで。
前はいいヤツだと思ってたのに。
裏切り者だ」
「ちょっと待って。大学に交渉って?」
「ウチの家は地元だから。大学の創立時に敷地提供したりして、いろいろ顔がきくんだ。
今でも寄付とか援助とかしているし、変な学校とかおなじ地区にできないようにしてるから。
ア、桃城大学の創立メンバーには教授のご先祖様もいる。
古文書で記録見つけた時は鳥肌たっちゃった。
これって、絶対、運命だよな。
だから決めたんだ、ファーストキスは教授とって」
「あー、そう……」
さすがに長谷部教授が気の毒に思える。
が、あれだけの大人なら、キスのひとつやふたつ、どうってことないかもしれない、と思い直した。
「教授に言ってみたら」
「言ったよ。
ノーベル賞とったら考えてもいいって。
だから、オレ、頑張って勉強しているんだ」
椎行凪は真顔できっぱりと言った。
(絶対……)
(騙されているぞ)
松芳ですら涼しい顔であしらっていた長谷部教授なら、椎なんか小指の先で扱えるだろう。
まじまじと椎を見る。
化粧は濃いが、目はつぶらだし、顔立ちもあどけない。
水戸部たちより年下なら、桜樹よりはひと回り近く、若い。
(まだ、子どもなんだ)
「分かった、オレにできることは何でもする」
「やったーっ。
じゃ、パンツ売って」
「それはちょっと……」
「じゃ、兄さん紹介して」
いや、それはやめた方が、なんだよ、ケチ、ふたりで言い合っているところに、水戸部が加わり、女子二人も加わり、とりとめのない会話で意味もなく盛り上がる。
楽しい。
すごく楽しい。
最後は店中でたわいもないゲームをしたり、知らない歌を歌ったり。
明け方まではしゃいで、水戸部の車で送ってもらい、そのままベッドに倒れ込んで、目覚めるまで藤木海のことは忘れていた。