9.
「お前の恋人?」
椎行凪のいきなりの発言に、桜樹は飛び上がった。
「はあああ? なんで、そーなるんだよ。
いや、ふつーに、兄さん、なんだけど」
「うっそお、似てねー。カッコいい。
独身? 何している人」
「検事で、仕事一筋。すっげーイヤな性格」
「うわぁ、憧れる……」
椎はうっとりと言って、慌てて首を振った。
「いや、ま。
教授ほどじゃないけど。
そうだ、それより、オレ志摩津に話があったんだ。パンツ、見せて。
いや、売ってよ」
「はあああああ?」
いったい、コイツなんなんだ。
桜樹が股間を思わず抑えてたじろぐと、
「イヤ、だから、お前のじゃなくて。
長谷部教授の。もらったんだろ。
な、な、な、いくらでも払うから」
わけが分からん。
桜樹が絶句して、逃げ道を探していると。
いきなり紺色のタントエグゼが横づけされた。
「あ、椎だ。時間、いいの。
てか、志摩津くんもいるゥ」
ゼミのショートカットの可愛いコが助手席から降りてきて、よっ、とこめかみに手をあてて挨拶をした。ショートパンツからすらりとした足がのびていて、今日も可愛い。
柊まどかも後部座席、手足のひょろりとした男子生徒が運転席から出てくる。
なんだかやけに負けた気がする。
オレも車買わなきゃ、と、気が焦る。
その前に免許もいるんだっけ。
椎が飛び上がった。
「わ、時間、いけね、はじまっちまう。
あ、志摩津もきてよ」
「え?」
なにが、と桜樹が聞く前に、椎行凪はダッシュで走り去った。
どうにもこうにも、訳のわからない、賑やかなヤツだった。
「なに、今の」
「なにって、ライブがあるんだよ、椎の」
「なーんか、観客集まらないんだって。で、打ち上げコンパおごってくれるからって誘われて。ま、暇だし、いっかな、って」
くすくすと、ショートカットのコが笑いながら言った。
『志摩津くんも行く?』
柊まどかがはにかんだ笑顔を見せて、手話で尋ねた。
今日も三つ編み。つるんとしたむきだしのおでこが、ゆで卵のようで、可愛い。
柊はうってかわって、小さな花柄の、丈の長いワンピースだが、それはそれでよく似合っている。
ホント。
どっちも甲乙つけられないほど、可愛い。
「あ、そーか、志摩津くんは通じるんだっけ。いーよな、なかなかオレ覚えられなくて」
「なあに、水戸部、手話に興味あったんだ」
「つか、柊さんと話したいじゃん」
「なにそれ」
ショートカットのコがぷっとむくれて、少年の尻をつねった。
「てててて、何すんだよっ」
大げさな身振りで少年が痛がった。
くすくすと柊は、
『あのふたり』
つきあっている、と桜樹に告げた。
「ア……そう、なんだ」
『ショック?』
「いや、まあ、ええと、ウン」
柊まどかはふわりとスカートの裾を広げて身を翻し、するりとショートカットの少女に腕をからませ、身振り手振りでくすくすと密告している。
手話は分からなくても、意図は伝わっているよう。
顔を寄せ合って笑っている姿は、ふたりともすごく可愛くて、やっぱ女のコっていいなあと思う。
手足のひょろりとした少年は、桜樹の肩に手をかけ、ぽんぽんと叩いた。
「志摩津、お前には柊さんがいるだろ。
そうだ、お前らつきあっちゃえば」
「そうだ、つきあっちゃえ、つきあっちゃえ」
「え、そんな、簡単に」
ちろりと柊まどかをみると、くすくすと満更でもない顔で笑っているようにも、笑って流しているようにも見える。
『早く行かないとライブ始まっちゃうよ』
柊は少女の手を握ると、羽があるように軽々と歩いていく。
「オレたちも行こう」
なんとなくタイミングを外して、断りきれなくなった。歩きながら、少年は水戸部鉄士、ショートカットの少女は稲岡碧と名乗った。
地元出身の幼馴染どうし。腐れ縁だとぶーぶー、お互いに文句を言ってみせる。
椎行凪も地元の出身で、学年は二つ下だけれど、昔から顔なじみらしい。
変わっているけど、悪いヤツじゃないし、あれでいて頭はいいんだ、と水戸部は言った。
桜樹は家にいる時はずっと門限が夕方五時。
夜遊びしたこともなければ、ライブハウスとか行ったこともない。
少しばかりわくわくしながらついて行くと、ごちゃごちゃした機材を壁に寄せ、空いた空間に座布団をひいた部室が会場だった。
のどかな陽光が射しこんでいるし、窓の外には山並みが見えるし、テレビで見るライブハウスとはやけにちがう。
柊たちは慣れているようで、座布団の上にちょんと座っている。観客は十人もいないし、みな、友だちのよう。
現実の世界はこんなものなのか。おかしいと言うと、桜樹の方がおかしいと思われるかもしれない。
びくびくしながら、澄ました顔で柊に並んで座布団に座る。
ド派手な……いつもと同じ姿の椎や、似たような服装の少年たちが、ばたばたとコードをつないだり、音を出したりして、急げ、時間がないとかわめいているのを、観客は座布団に座ってぼけーっと待っている。
やはりなんか違うんじゃない、と思った時、大音量でライブが始まった。
聞いたこともなければ、日本語であるかどうかも分からない、鼓膜が裂けそうな音楽。
上手いか下手かもわからないが、とにかく喧しい。
やっぱり兄さんたちの言いつけを守っていればよかった。
後悔した。