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温いみそ汁

きっかけは、些細な事だった。


「ねぇ、なんで味噌汁飲まなかったの?」


夕食を食べるためにリビングに来た僕は、母から言われたその言葉の真意を理解できないまま、「え?」とだけ答え、空気を読むような形でおかずを盛る母の元へ向かった。すると母は、こちらに鋭い視線を向ける。


「朝食の味噌汁!せっかく用意したのに…。」


母のため息が、鍋の中のソテーまで冷たくしていく気がした。キッチンに緊張が走る。


「いや、ほんと、置いてあるの気づかなくて…。」


やや吃らせた声を発する。慌てて返答したせいで嘘くさいが、これは事実だ。僕は今朝、久しぶりの休日だという事もあり、母が仕事へ出た後、呑気に起床した。そのまま誰もいないキッチンでバターパンを作って食べたのだが、いかんせんその風景しか思い出せない。味噌汁はIHコンロに鍋ごと置いてあったそうだ。どうして見逃してしまったのか。


「あのねぇ、私は忙しい中君のために朝ごはん作ってんの。食べないなら君が作ってよ」


それは無理だ、ともなんとも言えないまま、僕はそのまま盛り付け終わった皿を運んだ。


お陰で今日の夕食の母はすっかり険悪ムードだ。元々の仕事の疲れもあるのだろう。そして、やはり人は怒るとどんなことでも口に出す。生活に必要なお金は私が稼いでる、料理も作ってる、そんな話は無敵の矛であり、反論を許さない盾であった。


僕はそんな正論をただ受けることしかできない。きっとこのまま正論を浴び続けるのだろう、そう思った。が、母はいきなり矛を納め、少し間を開け、矛の代わりに手を差し伸べてきた。


「私はね、あなたが頑張ってるの知ってるから。ほら、直近のテストも順位良かったじゃない。頑張れる人なんだから、お互い頑張りましょう!」


口説き文句かと思うほどの甘い言葉に、僕の脳はヒートショックを起こす。その言葉は、露骨に優しさを直に届けるためだけの言葉で、僕にはまやかしにしか思えない。


母に目を向けると、少しにこやかに目を開けていた。その視線によって、僕はこの発言は僕を癒す目的で言った言葉だと確信させられる。僕から反撃されないように、どうか腹を立てないようにと、母は手を伸ばしてきていたのだ。


母の笑みを見ていると、優しさと無防備さが同じ線上にあるようで、思わず笑いそうになった。僕はすかさず、それを茶碗で隠す。ここまで分かりやすく表現されると、誰だって面白がってしまうものだろう。


腹を満たした僕は、食器をシンクに置き、皿を洗い出した。普段は言われないと洗おうなんて考えもしないが、今日は味噌汁の罪滅ぼしも兼ねている。


「洗わなくていいよ別に。ありがとう。」


優しい母の声が聞こえた。けれど散々怒られた後に辞めるわけにもいかない。黙って洗い続けた。


ああ、結局僕も、伸ばされた手を握ろうとしている。僕も、弱くて滑稽だ。


いつしかそんな甘い考えは、この家の温い大気に飽和していった。

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