No.10:『眼と鏡』
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眼鏡を掛けるというのは、勇気のいる行為。
最近、世界がぼやけて見える。
ビルの上の広告看板の電話番号が見えない。
信号機の光がうるさく目に入る。
まるで絵の具が滲んだようで、今までとは別世界だ。
理由は明確、電子機器の使いすぎだろう。
近年問題になっていると知りながら、私の視力が悪くなってしまうという、なんとも恥ずかしい状態である。
そしてもう、本来くっきり見えていた世界の姿など忘れてきてしまった。
輝かしい朝日も、空に浮かぶ三日月も、今では美しく捉えることができない。
こんなことなら、画面より外の世界に目を向けるべきだった。
でも、後悔しても、もう遅い。
私はもう、この目で生きていくしかないのだ。
……いや、本当は分かっている。
もう一度クリアな視界を手に入れる方法を。
そう、眼鏡だ。
あれは相当な代物だ、物凄い発明であると私は認めている。
ガラスで目のピントを調節するなんて、今の私では考えもしなかっただろうと思う。
けれど、掛けるとなると…話は変わってくる。
眼鏡はレンズを視界に入れる性質上、フレームが必要になる。
そしてそのフレームで、人間の見た目は最も簡単に変化してしまうのだ。
あんな物を装着してしまっては、周りの人間は私を見るや否や、"イメチェンした?"とか、"実は見えてなかったんだ、今まで大丈夫だったの?"とか余計な妄想を膨らませるに違いない。
そんなのは嫌だ……そう思っていたのだが。
「あんた、両目とも0.1って、前見えてんの?」
以前の身体検査の結果が返ってきたことにより、母親から視力のことを指摘されてしまった。
「見えてるよ!大丈夫だから!」
「大丈夫ってあなた、授業の板書とか見えてるの?」
「……見えない」
「じゃあ今度の日曜日、眼鏡買いに行きましょ」
そうして半ば強引に、眼鏡を買うことが決まってしまったのである。
日曜日、予定通り私たちは、近くの眼鏡屋に来た。
しかしやはり、私は眼鏡を掛けたくなかった。
そもそも、眼鏡を掛けるとオタクっぽい見た目になるのをどうにかして欲しい。
偏見かもしれないが、インテリを装った内気な奴にしか見えなくなると思うし、周りもきっとそう思っているだろう。
まあ、雑誌のモデルでつけこなす人もいるけれど……私じゃ無理だ、知らないけど。
「ほら何してんの、入るよ」
ああ、待って、心の準備が……。
視力を測った後、間髪入れず眼鏡のフレーム選びが始まった。
けれど、顔のパーツがどうとか胡散臭いことを言われ、私は内心苛立っていた。
お客様にはこの眼鏡が似合いますとか、本当に思ってんのか?
そう疑いたくなるほど、設置された子鏡に映る私は、街中を歩いていたら目を背けたくなるほどに、不気味としか言いようがない顔をしていた。
眼鏡も相待って、これが本当の私だとはとても思えない。
でも不気味なのは、私が普段眼鏡を掛けないせいかもしれない。
それどころか、鏡すら普段見ることはないし。
なぜなら、私の嫌な部分を丸裸にされたような気分になるからだ。
同じような理由で、幼少期のアルバムも見ないし、自撮りもしない。
私というものから、目を背けたくて仕方がないのだ。
でもこの場では、もうしっかりしたフレームを探す以外にすることはない。
私は、それに注力するしかなかった。
適当な物を見つけた後、私たちは家へ向かった。
母親が、慣れるために掛けておけと言うので、眼鏡は掛けっぱなしだ。
途中で誰かと会うリスクもあったが、家の近くなので特に何事もなく帰ることができた。
ただいま、とドアを開ける。
すると、玄関に父親がいた。
「え、眼鏡買ったの?」
しまった。
眼鏡を買うことを、すっかり伝えそびれていた。
「結構似合ってるじゃん」
「あなたもそう思うわよね。結構良いの買えたんじゃない?」
父親も、それに便乗して母親も、私を褒める。
別に嬉しくはなかった。
その日は、その後眼鏡を掛けることはなかった。
明日の学校の支度に、早々に準備したからである。
正直持っていくか迷ったが、板書のこともあるので、渋々入れたのである。
そして、そんなことも忘れて、私は眠りについた。
月曜日、朝。
あれ、アラーム鳴ってたっけ…。
時計を見ると、普段起きる時間から20分ほど遅れている。
「遅刻する!」
私は大慌てでリビングへ向かい、とりあえず食パンに食らいつく。
だが、電車の時間と着替えの時間からして、これ以上は食べられない。
私はパンを胃袋に押し込み、自室で素早く着替えると、そのまま玄関へ行って学校へ向かった。
そして、授業前。
なんとか学校には間に合った、忘れ物もない。
……眼鏡もちゃんとある。
しかし、いつ掛けようか。
いっそ潔く始めから掛けておけば良かったかもしれない。
じゃあ今つけるか?
いや…それはちょっと。
そう悩み躊躇っていると、いつの間にか授業開始のチャイムが鳴る。
壁掛け時計も見えないので、もう始まるのかと驚いてしまった。
一時間目は国語。
先生の板書が一番多く、それでいて字が小さいため、どうしても眼鏡が必要な授業である。
そして、授業スピードがとても早く、耳だけを頼りにしていては、理解できそうにない。
ぼやけた視界でなんとか文字を見ようとしたが、平仮名なのか漢字なのかさえも分からなかった。
ダメだ、やっぱり掛けよう。
私はカバンからケースを取り出す。
そして、こっそりと掛ける…。
やはり新鮮な程に、はっきりと見えるようになった。
板書も読点さえも分かるくらいには見える。
周りの人は気づいていないらしい。
良かった、ざわつかせるのが一番面倒だからな。
しかし、やっぱりソワソワしてしまう。
授業後に誰かにいじられるだろうか。
掛け方を間違えてないだろうか。
ていうか、先生は気づいているんじゃないだろうか。
そんな不安ばかりで、授業に集中できない。
なぜ私は、見えやすくなるよう眼鏡を買ったのに、周りからどう見られているかに目が向くのだろう。
そう冷静になろうとするが、それでも治まることはなかった。
そして授業後。
居ても立っても居られなくなって、私はすぐにトイレへ向かい、鏡で確認することにした。
廊下は人がたくさんいるのに、なぜか私は眼鏡をかけたまま歩く。
外せば良かったのだが、そんなことを考える余裕もなかった。
やっとの思いで進んでいき、そしてトイレの鏡を一目見た。
そこには私が写っていた。
朝手直しを忘れて、ボサボサの髪を引っ提げた、芋っぽい女が写っていた。
シワだらけのワイシャツ、荒れた額の肌。
いつから私はこんな姿だったのだろう。
眼鏡を掛けた自分の顔は、昨日と変わらず、不気味なままだった。
【あとがき】
久々の女主人公ですね。
面白かったら、絵文字を押していただけるとありがたいです。
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