【第4話】記録官と亡霊(前編)
帝都中央図書院――
五百年の歴史を持つこの建物は、今や外装こそ美しいが、中身は腐敗と機械仕掛けの管理によって冷たく沈黙していた。
リタ・ヴァレンタインは、その巨大な扉の前で立ち止まった。
左手には銀の銃、右手には黒の銃。
どちらもまだ撃ってはいない。だが、これからそうなる。
「ここが記録官の居城か。ずいぶん静かなもんね」
「表向きはな」
カリド・フォールンが肩をすくめる。
「中には自動筆記ゴーレムが何十体も巡回してる。
下手に入れば、歴史に名を刻むどころか“記録ごと消される”ぞ」
「……それも悪くない。誰にも見つからず、誰にも語られず終わるなら」
「そういう冗談、今のお前が言うとシャレにならない」
カリドはポケットから小さな円盤を取り出した。
歯車とルーン文字が刻まれたそれは、図書院の結界を一時的に麻痺させる“鍵”だった。
「一分もたない。中に入ったら、迷うなよ」
「私はずっと、答えだけを探してる」
図書院の扉が音もなく開いた。
中は、思った以上に静かだった。
書架は天井までそびえ、宙に浮かぶ魔導ランプが空気をぼんやり照らす。
しかしその静寂を破ったのは――
「……来ると思っていたよ、リタ・ヴァレンタイン」
その声は、冷たくも丁寧だった。
皮の手袋、真紅のマント、銀縁の眼鏡。
リタの視線の先にいたのは、エルマー・クローヴ。
帝国記録官、王家の命令と歴史の編集を一手に担う“紙の処刑人”。
「君の妹は……まことに見事だった。
炎の中でも何一つ叫ばず、最後まで祈りを忘れなかった。
まさに、**理想的な“殉教者”**だったよ」
リタの指が、ゆっくりと銃の引き金に触れる。
「……彼女の名を、その口で言うな」
「ならば、撃てばいい。
だが一つだけ知っておいてほしい。
君の妹が死んだ夜――その“焚刑”は、本来予定になかった」
時間が止まったような沈黙が、図書院に落ちる。
「……どういうこと?」
「彼女を殺すよう命じたのは、“記録”には存在しない。
それは、君の“過去”と、君の“沈黙”が作った空白だ」
リタの銃が震えた。
引き金にかかる指に、かつてないほどの迷いが走る。
「あなたは、何を知ってるの……?」
エルマーは答えない。
ただ、リタの背後に向けて手をかざす。
その瞬間、宙から無数のペンと紙が舞い、魔術陣が描かれ始めた。
「さあ、“記録”を続けよう――君の死を記す新たな一頁を」