【第16話】ヴァレンタインの祈り(前編)
仮面が落ちた。
鉄の響きが塔の下に消えていき、長い沈黙が訪れた。
リタ・ヴァレンタインと、ミレイユ・ヴァレンタイン。
姉妹が、ようやく互いの名を口にして向き合った瞬間だった。
聖堂の鐘は、もう鳴っていない。
祝祭のざわめきすら、ここには届かない。
それでも、空には灯籠がひとつ、ふわりと舞っていた。
誰かの祈りを載せて――
「……私は、生きててよかったのかな」
ミレイユの声は、風の中に溶けるようにか細かった。
「本当は、死んだままでいた方が良かったんじゃないかって……今でも思うの」
「それでも私は、あんたに会えてよかったと思ってる」
リタは、まっすぐそう言った。
「私はずっと、自分のために銃を握ってた。
正義でも希望でもない。ただ“後悔”から逃げないために。
でも――いまは、あんたのために、祈りたいと思ってる」
ミレイユが顔を上げる。
その瞳に映る姉は、かつてのような冷たい影ではなかった。
過去と向き合い、誰のせいにもせず、自分の足でここまで来た人の顔だった。
「……姉さん、覚えてる?
昔、一緒に教会で祈ったときのこと」
「うん。
あなたは祈るのがとっても上手で、私はいつも途中で居眠りしてた」
ミレイユが笑う。
本当に久しぶりの、あのころの笑顔。
「また、一緒に祈ってくれる?」
「……ああ。今度こそ、最後まで」
リタとミレイユは、肩を並べて静かに目を閉じる。
祈りの言葉は、声にならなくても伝わる。
憎しみでも、後悔でもない。
ただ、“生きてよかった”と願う、その心が祈りになる。
名もなき灯籠が、空へ舞う。
それは誰かの願いではなく、誰かの罪を赦すための光。
“ヴァレンタインの祈り”。
それは、過去をなかったことにするものではない。
過去とともに歩き続けるための、小さな灯だった。




