08.飛んでいくからつかまえて
事務所に入る前に耳をそばだてる。話し声がする。
「いいよその調子、もうちょっと流体を意識しようか」
「なかなか無理を言いなさる。こうですかねえ」
「こう、頭の中央をへこませて」
片方は澤井、もう片方は聞き覚えが無い。聞くに素直な性質のようで、澤井にいいようにされている相談者の姿が目に浮かぶ。
「入るぞ」
「どうぞ」
そこにいたのは、レジ袋の形を変えて遊ぶ澤井の姿だけであった。
何も言わず自分の机に座る。
「待ってください、誤解です!」
澤井が珍しく食い下がってくる。人の趣味に口を出す気はない。したいようにすればいい。
「この子は今回の相談者です!ほら、ご挨拶して」
「お兄さん、この度はよろしくお願いいたします」
「腹話術か?よくできてるぞ、良かったな」
レジ袋はごそごそと斉木に近寄る。澤井は両手を上げて無関係を主張した。
「わたくし、一反木綿と申します」
レジ袋は結び紐を手になぞらえて組み、丁寧にお辞儀をして自己紹介した。
一反木綿は夜に闇を裂いて飛ぶ白く細長い妖怪である。時に布切れ、風呂敷、布団と姿を変える。共通するのは白くて長い。顔を覆うと窒息させることもある。
「街中にいても大丈夫なようにしつらえてきたんですがねえ」
今日日、街中に木綿布もないだろうと一念発起してイメージチェンジをしてきたらしい。確かに都市部ならレジ袋のほうがありふれているだろう。顔に張り付いたら驚き、少し苦しむだろう。
「ここに来るってことは何か困りごとでもあるのか」
「はい、じつはわたくし…あいどる志望でして」
「あいどる」
アイドル。偶像。熱狂的なファンをもつタレント。
レジ袋を見る。控えめな礼からは昭和の女性歌手のような慎み深さは感じる。
しかしアイドルを志望する程度には自己顕示欲があるようだ。
「志望理由をお聞かせください」
澤井が面接官の芝居で声をかける。
「テレビで見た一反木綿さんに憧れて、わたくしも同じように輝きたいと思ったからです」
レジ袋は恥ずかしそうなしぐさをしながらもはっきり答えた。オーディションの準備は十分だ。
「どのようなアイドルを目指していますか?」
「みんなに親しみを持ってもらえるようなアイドルになりたいです」
「というわけで、ネコ形態の練習をしていたんです」
レジ袋はかがんで頭頂部をへこませる。袋の端がピンと立ち、猫の耳に見えなくもない。ご丁寧に結び紐を尻尾に見立てて左右に振っている。愛らしさはあるが、この愛らしさはアイドルではなくゆるキャラや動物駅長のそれだ。どうでもいい。それでいいことにする。
妖怪は人型で食事や睡眠を人と同じように必要とするものと、妖怪としての形を残しているものに分かれる。後者の場合は生命活動が必要ない代わりに、そういうもの、として誰かに知っていてもらう必要がある。それがアイデンティティとなり存在が確立する。偶像化という意味ではアイドル活動も現代的な妖怪活動なのかもしれない。
「どの層にどうやって売り込むかだな」
「できるだけ幅広いみなさんへとは思っているのですが」
「このご時世、広く浅く売れるなんて神話みたいなもんだ。無理だよ」
「こんな姿じゃあまともな事務所でテレビに出るってのも無理でしょう?」
レジ袋の全身の皺が心持ち深くなる。物理的に萎びれている。
「放送事故だな…」
レジ袋がわさわさと形態変化しながらうごめく画面を想像する。そんなものを放映したらディレクターの正気が疑われるだろう。乳幼児向けの知育番組なら一縷の望みがあるかもしれない。
「ありのままのわたくしを見てくださって、親しみを持っていただければそれだけでよろしいのですが…難儀なことなのですねえ」
「人間の形をしていないと大変なんだなあ。あまり力になってやれなくてすまない」
「そんなことありません!私は人間を信じていますよ、人間の適当の力を」
澤井が根拠なき自信を振りかざしている。それを証明するのはすべて斉木の仕事になる。
「まあ、地道にやっていくか」
とあるSNS上に一つのアカウントが誕生した。
一反木綿を名乗るそのアカウントは、日本のどこかでレジ袋を撮影する。器用に猫の形を取った画像や、ムササビの形で滑空する動画も上げられた。毎日1枚づつ几帳面に上げられるそれらを困惑して二度見するもの、たわいもないものとしてスクロールするもの、控えめで丁寧な添え文に好感を抱くもの、さまざまだった。
フォロワー数はまだ十人程度。
現代的アイドル志望一反木綿は、今日も「映え」を研究して自撮りを続けている。