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07.空腹の使い道



 今日の相談者です。事務所で澤井に紹介されたのは頭に頭巾を被った作務衣の男。首回りにはタオルを巻いている。やせ型で手足が骨ばっている男。



「私はヒダル神の裔でして。日樽尊といいます」


 ヒダル神っていうのは山道なんぞで急に空腹を覚えさす厄介な憑き物で。腹が減って身動き取れなくなっちまって、悪くすると死んじまう。何かしらを口に含むと動けるようになるって道理です。

私くらいになると死ぬまではいかねえ。せいぜいが腹が減って仕方ねえってくらいのもので。でも会う人会う人がそんなもんだから、いい気はしなくてね。料理を振る舞うことにしたんです。それでちょっとでも、笑ってくれりゃあいい。

 しかしね、どうもうまくいかない。私は口も回らねえし来てもらった方が早いと思います。ウチにおいでください。


 ようは飲食店の経営がうまくいかないといった相談のようだ。


「それにしてはオレも澤井も何ともないみたいだが」


「私はこの程度じゃ何ともないよ。貴方は樹のおかげ」


「樹?」


「その子の名前。悪いものからあなたを守ってくれます」


 死んでいるのか生きているのか分からない赤子。その効果で強制的な飢餓から守られている。どうやって。どうでもいい。ただ、その説明はこの子を預けるときにしてほしかった。


見た方が早いと言う店主の言に従う。麵屋日樽。店は昼からの営業というから、11時には店に向かった。


店に近づくと独特の臭みが漂ってきた。骨髄のアンモニア臭。


 そのラーメン屋は盛況であった。客から厨房が全て見えるほど小さな店。店内は数個の卓が置いてある。全ての席が相席で埋まっているようだ。


 店内に入る。




店は凄惨を極めていた。


料理でちょっとでも笑ってくれりゃあいい。店主の奉仕の心から生み出された光景とは思えない。客は飢餓に任せて注文を行い、受け取った料理を夢中になって貪っている。トイレからは嘔吐するうめき声が聞こえた。トイレから席に戻った客はまた空腹を感じて食事を注文する。


 古代ローマ人は飽食を洗練された風習とし、より多くの食事を楽しむために嘔吐を行った。食べ過ぎを防ぐための健康法でさえあった。


 一方、この食堂でも似たようなことが行われている。飢餓に任せて飲み食いし、胃腸を守るために嘔吐する。しかしローマ人の優雅さと決定的に違うのは。背油が大量に浮き野菜が山と積まれているラーメンのせいだろうか。油をまき散らして食物を掻き込む客の無頓着な必死さがそれを加速する。吐いて食べてを永遠に繰り返す。そこには一種の地獄が形成されていた。


「毎日こんなありさまで。胃腸を壊して病院通いになっちまうからリピーターもほとんどつかずでして。なにより、腹を満たして笑ってもらおうってのがこんなんになっちまうのがやりきれねえ」


 店主はすっかりとしょげかえっている。貧相な頬骨が気落ちによりますます削げてしまって、実に哀れっぽい。


「腹が減るってのは、何か条件はあるのか?」


「私に近づくと誰でもそうなります。何かしらを食べて歩いて行っちまえばすっかりと元通りでさ」


「食べて一定の距離を置く、か」


 まずは店内にいる飽食の徒を片付けるべきだろう。この食堂では、満腹になったとしても店主との距離がおけない。それによって飢餓が再発し注文、のサイクルが出来上がってしまっている。しかも配膳も店主が行うためサイクルは促進される。


「まずは店主さんは厨房のできるだけ奥で調理をしてください。俺が配膳と接客、今いる客にはある程度のところで品切れと言って追い出します。新しい客はチャーハンのおにぎりでも渡してお断りします」


 今日の目標は、病院送りの客を出さない。

 食中毒を出さないレベルの小さな目標だが、この阿鼻叫喚ではどこから手を付けていけばいいか分からない。まずは達成できる小目標を設定した。


 店主はひたすら仕込みと盛り付け、斉木は客の世話をする。もちろんトイレから戻る敗残兵のケアや店内の掃除も含まれる。斉木は赤子を抱えながらの作業である。目の回る忙しさであった。営業時間外の札をかけるころには15時を過ぎていた。体が重い。


「作戦会議と行きましょう」


 腹の奥から何とか絞り出した。


「この調子じゃあ店もお客さんも身が持たない。何かを変えなくちゃいけないのは分かりました。店主さんはどうしたいですか?」


「いい気がしないってので始めた商いですが、人にものを食べてもらうのは好きで。であれば目の前の人に食いもんを振る舞うのは続けてえ。でも俺がやるとどうあれこうなっちまう」


「日樽さんとして譲れないのは食べ物を振る舞う、食べてもらうこと。ヒダル神として必要なのは人と距離を置くか、すぐに立ち去ってもらうこと。以上ですね?」


「へえ」


「それが満たせればこの店にはこだわらない、ですね」


「正直心残りはありますが、ご迷惑になっちゃあ仕方ねえ」


「業態を検討しましょう」


 まず飲食業であること。客となるべく接触しない。したとしても短時間で、場合によって自分から客と距離を取れるのが望ましい。フードトラック。店ならテイクアウトか配達専門店であれば可能か。配達は他のスタッフが行えば完全に接触を断つことができる。しかし、店主の動機が気がかりになる。ちょっとでも、笑ってくれりゃあいい。料理を食べた人の顔が見える仕事。


 結局、その日は悩むだけで終わってしまった。


 斉木は近くの商店街に入る。めったに料理はしない。総菜を購入する。家に帰って食う。



「あ」









 その商店街の試食コーナーには神がいる。


 その場で簡単な調理をするので、いい臭いが満ちて無性に腹が減る。手渡されるものだからちょっと摘まんでみる。神の勧める総菜は旬やこだわりの品で間違いがない。びっくりするくらいうまい。試食へは次から次へと客が列をなす。いつの間にか人ごみの端へ追いやられているが、いつの間にか客の手には購入した総菜が握られているという。主に自炊をあまりしない独身や、おかずに迷う主婦の信仰を得ているということだった。




低栄養の人間へランダムに即死付与してしまうため、街の外には出られません

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