01.御厄介
山野をあてどなく進んだ。方向感覚は無い。同じところをぐるぐると回っていただけに過ぎないかもしれないし、県境を越えていたかもしれない。足元の斜面がなだらかになる。木々や草の丈が低くなってきていた。
唐突に平地に出た。
人工的な開発を受けて切り開かれた土地だ。
新品の家や集合住宅が並んでいる。整然として染み一つない壁。どこも明かりが灯っていない。歩く人もなく、街頭も役割を果たしていない。月光だけが注ぎ、白い壁を青白くしている。夜風が冷たく吹き、建物を抜ける音が遠吠えに聞こえる。計画の途中で放棄されたニュータウンだろうか。
遠くに一つだけ明かりを見つける。夜の森の焚火のように、そこだけ人間のにおいがする。目指して足を進めた。
戸建てであった。子どもをあやす声がした。門の前で踏みとどまる。なんと声をかけるつもりか。煤けた白衣をなぞる。踵を返した。忍びないが無人の家の小屋で夜風を凌ごう。
後ろで、ドアの開く音がする。
「ちょうどいいところに来てくださいましたね。人を探していたところです」
その声は自分を引き戻す。肩をがしりと掴まれて、否応なく従わせるような声音だった。振り返る。目の覚めるような美人だ。男か女かは分からない。どうでもいい。
「管理人をやっていただきたい」
提案の形をした命令であった。行く当てもない男を選んで、すべきことを放って寄越す。
どことなく嫌な予感がした。否をいうような立場も意思も残っていなかった。
分かった。
そう返事をしたこの日から、男は放棄された新興都市の管理人になった。
澤井と名乗った人物はここの所有者だった。ここ、と言いながら澤井は一帯の地図の端から端を指していた。この土地にあるものは大体私のもの。荒唐無稽な話だが、気負わずざっくばらんに話す姿が不思議と話に信ぴょう性を持たせていた。
「ここに住んでいる子の世話をしてほしいんですよ」
笑顔には陰りが無い。
家賃全額支給、完全週休2日制。残業代別。その他手当は要相談。この街に住み込み必須。
「あと、この子と一緒にいる権利もあげましょう!光栄に思いたまえ。はい、両手出してください」
両手を出す。柔らかな布の包みが手渡される。受け取る。ズシリと重い。布の端を捲る。
赤子だ。眠っている。
断る権利はない。しかし、赤子の世話などしたことがない。
「世話は無いですよ。今はね。ほら、息をしていないでしょう」
心の内を読んだように主が付け足した。確かに呼吸らしい胸の上下もない。肌に触れる。柔い。しかし、子ども特有の高い体温を感じない。
「まだ生まれていないんです。分からないかもしれないけど、そういうものだと思って」
そんなものか。疑問を切り捨てた。考えても仕方ない。今までしていた仕事のせいで心が麻痺している。
「いいですねえ、あなたのそのスルー力。それを見込んでの仕事です。頼みますね」
何をさせられるのかは聞かなかった。どうでもいい。
一応の職業名は管理人。この街の住民の世話をする。
事務所に通され、この街の施設や物件、出入りの業者の連絡先など様々なことを教わった。
どうもマンションなどの普通の管理人とは業務が違う。
どうでもいい。言われたことを言われたようにやればいい。野宿にならなかっただけいい。
男は何も考えず、その日は澤井の家の客間で新品の布団に包まって寝た。