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学年末が押し迫る頃、学級費の最終報告をしなければならないと赤坂に告げられた。学校で使う細々とした教材や文房具などの必要経費を各児童の家庭から時折少額徴収していた。その経理的な収支報告を各クラスごと家庭に配布するので作成せよということだった。
赤坂の助言でこの小学校が利用している近くの文具店に行くと、赤坂の言っていた通り店のスタンプと印の押された領収証の束をくれた。自由に金額を書き込めるから便利だと言われたが、少額とはいえ公務員がこんなあからさまな捏造をしても良いのかと棚端は少し驚いた。でもそれも束の間であり、辞める身分の棚端には預かり知らぬところと自分を誤魔化すことは容易だった。報告書を作成しながら棚端は本当に辞めたい気持ちが募った。
そんな棚橋も土曜や日曜を使って3つほど学習塾の面接を受けるに至って教員を庇いたくなるような出来事にも出くわした。
都内で幾つも校舎を構える大手の企業で棚端は場所が都内というただ1点を理由に行く気はなかったが、とりあえず有名だという理由で面接に行った。そこの棚端と歳も変わらぬような若い男に面接の後
「最近、教員を辞めて気軽にうちを受ける人が多いんだけど、そんなに甘くない世界だから。みなさんみたいなぬるま湯で仕事してないんで。ほんと気を引き締めて欲しいなと思いますよ」
と言われた。この若者は何を知っているのか、何をぬるま湯と言っているのか棚端にはよく分からなかった。毎日朝7時(なぜか小学校なのに部活がいくつかあり、棚端は陸上部の顧問にさせられ朝練に駆り出されていた)から夜10時、11時まで残業代も出ないのに働いているのがぬるま湯なのだろうか?加えて棚端は1年で2ヶ所の小学校で担任を任され、そのいずれにも本来特別学級にいるはずの児童を1人ずつ受け持っていた。控えめに言ってもぬるま湯とは表現しにくい気がした。
それでも憤慨するほどの思い入れは教員という職業に対して抱いていないので何とか怒りをおさめられた。
担任の子どもたちはそれぞれに問題は抱ええているだろうが、それなりに教室の仲間たちに適応して楽しそうに見えるくらいに変化していた。最大の問題児である柊磨は本当にすっかり落ち着いていた。
ただ1人だけ気がかりな児童がまだ一人だけいた。菱見涼子だ。この子は誰が見ても問題を抱えているようにしか映らないだろう。何しろものすごく痩せている上に体中に力を入れて全身がこわばっていた。発言もほぼしないし、休み時間も遊びに出なかった。むろん友だちらしき子も思い当たらないくらい孤独を貫いていた。
棚端はずっと気になっていたので、柊磨が落ち着きを見せ始めてから少しずつ折を見て菱見涼子に声をかけていた。だが、反応は薄く、拳や肩に異様に力を入れていた。
赤坂などから聞いたところによると、1年生の時に母親が毎日授業参観と称して教室内で菱見涼子を監視していたらしい。かなり異常な行動と言わざるを得ない。なぜそのような事態になったのかを知る人物はいなかった。棚端が家庭訪問した際は怖そうな人だなという印象は持ったものの、何ら涼子の教育に対して口出しのようなものを母親はしてこなかった。
棚端には使える時間は限られていたが、できる範囲で菱見の固い表情を少しでも崩したいと思い、手を替え品を替え授業中や休み時間にちょっとした遊びを持ちかけたり、くだらない話を少しだけ語りかけるようにしていた。
3学期になっても特に変化は見られなかったが、初めのうちの硬い感じが少し薄まってきたように棚端には思えた。
聞き齧ったいい加減な知識で呼吸法をさせようと思い立った棚端は、
「菱見さあ、ちょっと口尖らせてみて」
と頼んだ。菱見は言われるまま口を尖らせた。内心棚端はガッツポーズをしたい気分だった。
「で、ふうって息を吐いてくれる?」
そう言ってまず、自分がケーキのロウソクの火を消すように息を吹く動作を見せた。すると、菱見涼子も同じように息を吹き出した。
それを見ていた坊主頭の山田が
「何?おれもやりたい」
と言い、フーフー息を吹き出した。何事かと近くにいた数人が集まって来て、笑いながら山田を見て真似をした。すると、なんと驚いたことに菱見涼子がふっ、と微笑んだのだった。棚端は叫び出したいくらい嬉しくなったが抑えることに成功した。
それから数日後、菱見涼子が外で女の子たちとキャーキャー声を上げて鬼ごっこをしている姿が見られて棚端は喜びとともにここでの仕事はとりあえず終了したような気になった。
産休をとっている古橋の代わりに学年主任代理となってはりきっている赤坂から文集を作ったらどうかと提案があった。それがどんなものかは詳細を聞かなくとも何となくのイメージは出来たが、興味がわかなかった。研究授業で二学期に作文は大掛かりで書かせていたので、子どもたちが書きたくもない作文をまた書かせるのも忍びなかった。そもそも2年生から3年生になるときに文集を作る必然性が見えなかったし、めんどくさかった。
しかし、他のクラスが文集を作る以上なにかせねばならないわけで、考えた挙句コメントを記したノートをあげることにした。ちょうど学級費もノートを人数分購入する程度の余剰があったので好都合だった。
棚端は字を上手く書く能力はなかったが、それなりに丁寧を心がけて表紙にそれぞれの児童の名前を書いた。次に表紙をめくって初めのページにコメントを書いていった。一応教師らしく生徒一人一人のことを思い返して的なことをしてみた。それぞれの児童に思い出はあり、印象的な出来事や気になっていたこと、これからの期待などを読みやすい字を意識して書いた。
柊磨のノートには親へ宛てた謝罪の意を示した。柊磨はどうせ読めないので、他の子のように児童向けに書くわけにも行かなかったし、ほっぺたを何度もはたいたことは本当に申し訳ないと思っていたので、正直に罪を詫びた。