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年が明けて学校が新学期が始まっところで、棚端は校長に呼ばれた。校長室で
「もう三学期だが、どうするつもりだ?」
と聞かれたので
「辞めます」
と棚端は即答した。校長は顔を顰めて少し間を置いてから
「もったいないぞ」
とだけ言い放った。おそらく将来を見据えての金銭的な意味合いについての言及だろうと推測した。本当にくだらない人間だな、と棚端は校長を軽蔑した。
棚端は経済的な見地をほぼ持ち合わせていなかったので、公務員の待遇に関しても無頓着だった。棚端は金を稼ぎたいとか、社外的な地位を確立したいとか、良い生活をしたいなどという単純な欲求がなかった。生きることとは何なのか?なぜ苦しい思いをして生きていかなければならないのか?などという答えの見つからない疑問は抱えていた。誰に話しても相手になってくれない話題だった。
夜、校長室でのやり取りを藤谷に伝えると、藤谷は少し寂しそうな顔をして、
「本当に辞めちゃうんだね」
と呟いた。何度も同じ話をしているのに、と棚端は思った。
「ねえ、結婚しようよ」
と藤谷が突如切り出した。棚端は無言で藤谷を見やった。6歳年上の藤谷との結婚は考えていなかったし、そもそも結婚については考えたこともなかったので棚端は正直驚いた。
藤谷の表情は弱々しく、笑っているようでもあり、泣き出す手前にも見えた。
なぜ突如こんな面倒な話題を出したのかが謎だった。ふざけているのかとも棚端は思った。とりあえず答えようもないので黙った。
「ねえ」
また何か言いそうだったので
「ちょっと考える」
と棚端はごまかした。
校長室に行った数日後、職員室で関優子に小さなビニール袋を渡された。口が青い紐で結ばれていた。
「元気出そうね」
と言って去っていった。おれは元気がないように思われているのかと自分を観察しようとしてやめた。確かに元気があったことはあまりなかった気がした。
ビニール袋の中身は美術の先生らしく、紙粘土で作った小さい徳利とおちょこだった。青と黄色で着色してあり徳利の中央に『 がんばれ』と書かれてあった。
ありがたい気もしたが、関は何か誤解してるんだなと棚端には感じられた。何か不具合が生じて元気がなくなり辞職する訳ではなく、来たくもないこの学校に赴任したことが嫌で辞めるのだ。ここにいたら元気は出ない。しかし、そんなどうでも良いことを伝える気にもならないのでそのままにしておくことにした。
体育の授業が終わり、外の体育倉庫に白線をひく道具を仕舞いに行くとサッカー好きの谷口がいた。渋い顔でいかにも女たらしな感じがする。なぜ若い子と不倫して逃げてきて、残念な感じのおばさんとまたもやこの学校で不倫しているのかが棚端にはさっぱり理解できないその谷口が声をかけてきた。
「あまり話をしなかったな。もっと君とは話をしたかったな」
その言葉があまりにも意外すぎて棚端は声が出せなかった。何を今更言っているのかこの男は?
「次に何をするか決めてるの?」
と問われて、
「まあ」
とだけ答えて倉庫を出た。頭の中に疑問符が湧いていた。
その数日後には若手イケメンの長谷川と同じ若手だがパッとしない田山に棚端は声をかけられて、
「なんか羨ましいですよ。僕らも辞めたいけど勇気が出ないな」
と言われた。一体なんなんだ?と棚端は不思議で仕方がなかった。人が辞めると決まるや話しかけてくることに何の意味があるのか?信用できるのは関優子だけだな、とは思ったが、特に何か働きかけようとも思わなかった。ここの人達と関わる気はなかった。そうすると問題は藤谷の存在だ。棚端は少し悩ましい状況に陥っている自分を認識した。