表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小さな椅子  作者: 珉砥
13/17

13


13



  井川柊磨には生徒会長をしている兄がいる。子どもたちがそう話していたし、棚端は体操着に大きく「井川」と書かれた6年生をその目で確認していた。しかし、家庭訪問のときに母親からはその話は出なかった。前の学校のダウン症の澄ちゃんの母親も強気だったが、この柊磨のお母さんも強気だなと棚端は感じた。

  息子が明らかに同年代の子と異なることを認識していながらも普通学級に通わせている。理由は澄ちゃんの時と全く同じで、柊磨のような子がいることでクラスの子どもたちも勉強になるという理屈だった。

  教師を辞める棚端にはどうでも良いことではあったが、随分と自分勝手な理屈だなとは思った。澄ちゃんや柊磨がいることで他の子たちは明らかに影響を受けている。むろん、いろいろな個性の子がいて迷惑をかける子は他にも大勢いる。でも、それとは話が異なることだ。

  まず、本人が授業や遊びについていけていない。しかも全く出来ないのだ。知能はあるのだから、本人が劣等感を抱くことは疑いようもない。そしてその子をサポートする子どもたちの肉体的精神的負担もとてつもなく大きい。

  全員がサポートする訳ではないが、サポートしない子も、しないことで負い目を感じているかもしれない。サポートしている子はそれぞれにさまざまな思いを抱きながら接していることだろう。

  もうひとつは教諭の資格の問題だ。棚端たち小学校教員養成課程を卒業した者たちは、障害を持つ子の対応を全く学んでいない。当たり前だがカリキュラムに入っていない。棚端が対応できたのは仕事を続ける気もなく、やたら子どもに受けがいいという特性がたまたま噛み合って、とりあえず事なきを得ているのであって、まかり間違えば問題が連続して発生してもおかしくはない状況だ。

  学校教育の現場がいかにいい加減なものかを棚端は痛感していた。

  柊磨の母親は兄が優秀なだけに諦めきれないのかもしれない。この子はまだ変われるんじゃないかと一縷の望みを抱いているのかもしれない。それは個人の願望としては当たり前に抱いて構わないが、他の多くの人に影響を与えることをどう考えているのか。棚端もふとそんなことを考えることもあった。

  目の前でノートに青と赤のクレヨンで丸を描いている柊磨を見るにつけ、なにか理不尽なものを感じた。

  柊磨の左頬はガサガサに荒れていた。寒いことも影響しているかもしれないが、原因は棚端が平手打ちをしているからだ。それに気づいた時、棚端はこの仕事が本当に嫌になった。柊磨を縛り付けておくために暴力で押さえつけている自分に嫌悪感を抱いた。

  棚端はしょっちゅう柊磨を抱きしめていた。殴った時も、そうでない時も、柊磨が近くに来ると抱きしめていた。意思の疎通が言葉で量れないためスキンシップしか他に方法が思いつかなかった。柊磨もへらへらにやけながらされるがままにしていた。他の子どもたちは見て見ぬふりを決めていた。

  棚端が柊磨を抱きしめても他の子たちはなんの反応もしない。子どもから棚端に抱きつくことがあっても、棚端からその子を抱き返すことは決してなかった。柊磨だけが特別だった。クラスメイトはそれを黙認している様子だった。

  そんな柊磨も年の瀬ともなると完全に落ち着いた。棚端と4ヶ月弱学校生活を過ごすうちに悪さやイタズラは全くしなくなっていた。かろうじて漏らしてパンツを棚端に替えさせるくらいで棚端の手をわずらわせることは本当になくなった。授業中はひたすら何かをノートに書いていた。何を書いているのかは本人にしか分からない。とにかく授業の妨害は皆無になった。成績表を校長に提出した際に、柊磨が騒いでないことに校長が少し触れたが、棚端はいい加減な返答を返したのみだ。

  おそらく新任教師が普通クラスの中に1人知的障害の児童がいる状態で教室運営をすることは問題であるはずだか、それに関して特に誰も何も触れないのが棚端は不気味だった。こんなところに長居するつもりは毛頭なかった。当初の予定通り後3ヶ月で辞めてやる。棚端は強く決意を新たにした。

  そんな気持ちとは裏腹に藤谷とは深い関係になっていた。毎晩どちらかの部屋で夜を過ごしていた。棚端の隣の3号室は音楽教師の西野が楽器部屋に使っており、反対隣の5号室の室井はほぼ不在だったので、割と気兼ねなく互いの部屋を行き来出来た。また、他のカップルのように噂になることもなかった。あの小うるさい赤坂がなんら疑っていないのだから気づかれていない可能性が高い、と棚端は勝手に思っていた。

藤谷は棚端に頻繁に、本当に辞めちゃうの?と聞いてきた。棚端はその度にそれを肯定し続けた。居座る気持ちは微塵もなかったからだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ