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関はよく酒を飲むらしく、棚端にもすすめてきたが、棚端はそんなに飲めないと伝えていた。それでもビールを3杯飲んだ。
「最近仕事がうまくいかなくてつらいのよね」
などと関が心情を吐露するので、少し打ち解けたような気になった。
「柊磨くん大変でしょ」
関も他の人と同じようなことを言った。
「ああ、まあ」
といつも通りに言葉を濁すと、
「棚端さんは子どもの扱いがうまいよね」
と関が真面目な表情を見せた。
「そうですか?」
見たことあるんですか?と聞こうとしたが、売り言葉に聞こえるだろうと考えて飲み込んだ。
「先生が来るまでは、よく校庭を何人かで柊磨くんを引きずってるのを見たけど、全く見なくなったでしょ、凄いなと思って」
「引きずるのはよくあったんですか?」
「前の担任の吉本先生が柊磨くんの係を決めて連れ戻させるときにそうしてもいいって」
「へえ」
そういう事かと登校初日の出来事に棚端は初めて合点がいった。
「どうやって柊磨くんが外に出ないようにしてるの?」
関が興味がありそうな表情で言った。ほっぺたをひっぱたいて大人しくさせてるとも言えないので、
「うーん」
と誤魔化した。
「この学校どう?前の学校と比べて」
この店に来て関としか話をしていないが、まあいいかと棚端は勝手に納得した。
「前のとこは職員みんな会議では意見を言い合って、校長がつるし上げられるって感じでした」
「えっ?うちと全然違うじゃない。嫌な校長なの?」
関は本当にこの話に関心がある様子だ。棚端は意外だった。あれだけ長い間無駄に時間を潰している2年生の会合では誰にも聞かれたことがなかった話題だったからだ。
「いや、優しい校長でした」
関が大きく目を見開いた。
「なんでそれなのに文句を言うの?」
それには棚端も賛同する。
「ぼくも不思議で、なんか職員の結束が強い感じでしたね。あっ、でもみんな優しくていい人でしたよ。何も強制されなかったし、おれ5時前に帰ってましたし」
「ええ!」
関は驚き続けている。何人かがこっちを見ていた。
「ここと全然違うんだね」
「そうです」
棚端も肯定するしかない。
「ここの校長やだよね」
小声で関が囁いた。
「初めて会った時睨まれました。みんな怖がってますよね」
棚端も少し声のトーンを落として言った。
「ねっ、教頭も嫌でしょ」
関もなかなか言うなと棚端は感心した。
「何度か教頭から校長にゴマをすれと言われました」
「うわあ、言いそうだねえ」
そこで2人で声を出して笑った。また、数人がこちらを向いたのがわかった。
2時間ほどでおひらきとなった。帰りしな新任の男田山が声をかけてきた。
「実は熊井さんに棚端さんに負けるんじゃないぞ!とぼくと長谷川先生はハッパかけられてて、ちょっと話辛かったんです」
田山の話の内容はさすがに棚端には意味が不明で返答に困窮した。
「これからは仲良くやりましょうね」
と言い残して、田山はさっさと店を出ていった。
熊井という男は何なのだ?棚端は不快でもあり謎でもあった。ひと月前、運動会の数日前に校庭にテントを設営した。ところが運動会前日に台風が大雨と暴風を従えて来た。その夜中の2時に熊井が棚端を叩き起しに来た。
「台風が来てるから校庭に集合!」
何を言われたのか一瞬わからなかったが、とりあえず直ぐに靴を履いて校庭に向かった。確かに大雨と暴風だ。暗闇の中にでかい熊井を発見した。テントの骨組みを抑えているようだ。
「飛ばされないようにテント抑えて!」
えっ!?棚端は頭の中が!?の記号だらけになった。それでも仕方なくテントが飛ばされたいように鉄の棒を2つ掴んだ。その作業から解放されたのはおよそ1時間後。
「飛ばされなくてよかったな」
と熊井はそう言って徒歩数分の我が教員住宅に帰宅した。棚端は疲労で思考停止状態のまま後に従った。
この男に非礼を働いた覚えはないが、嫌われているのは間違いない。だからといってそれも棚端には興味関心がないのでどうでもよかったが、熊井という人間を好きになることは絶対にないことだけは確信した。
棚端にはこの職場ではそんな飲み会の思い出しかなかった。だから藤谷が言った飲みの誘いにも全く期待はできなかった。よって数日でその誘いのことはすっかり忘れていた。
藤谷が誘ってきたのは風呂上がりに話した日から10日後だった。いつものように風呂上がりに棚端が声をかけると、藤谷が顔をのぞかせて、
「明日の夜空いてる?」
と声をかけてきた。明日の土曜日の夜に用事はなかった。
「空いてます」
「じゃあ、お食事どうですか?」
食事か、助かるな、と棚端は思った。
「はい。どっか行くんですよね?」
「うん。わりと近くだから。一緒に行くと噂とかになるかもしれないから、後で地図渡すね」
なるほど、教師はそういうことに気を使うんだな、と棚端は学習した。
藤谷と入った店は食事が揃ってる居酒屋だった。とりあえずの瓶ビールは「どうぞ」と言って藤谷がコップについでくれた。面識はあるが、共通の話題は特にない2人は学校内の話をする他なかった。藤谷も校長や教頭をよく思っていない事やサッカー谷口と年増の奥田との噂の事などを話した。
棚端は藤谷の年齢が気にはなっていたが、女性に年齢を尋ねるのは礼節を欠くという知識があったので少しモヤモヤしていたら、藤谷自身から
「棚端先生は24歳?」
と年齢の話をふってきた。
「はい。浪人したんで」
「わたしはね、30歳。もうおばさんだよね」
藤谷はそう言って恥じ入るように笑った。
確かにな、と思ったが棚端は反応しなかった。
「普通さあ、そんなことないよとか言わない?」
と言って藤谷はまた笑った。棚端は本当にどう反応すればいいのかが分からなかった。ビールも少し飲みながら、焼き鳥を口に運んで誤魔化した。
「彼女いるの?」
彼女と言えるかよく分からない相手はここに来る時に、なし崩しでわかれて来たつもりだ。大学の3つ後輩の女子だった。ちょっと面白い子だから付き合っていたが、なにやらいろいろと拘りがある人のようなので距離を置く付き合いをしていた。
「えっ?いや、いないす」
藤谷はニコニコ笑っている。
「じゃあさ、わたしと付き合ってくれない?」
そういう流れか、と棚端は驚いた。6歳上と?という疑問が一瞬頭を支配した。
「ダメだよね。ごめんね。なんかひとりであんなところにいると寂しくなっちゃって」
藤谷はそう言うと俯いた。棚端は少し哀れに思えた。哀れというのも失礼だとは感じたが、一人相撲で落ち込むのはどうかとは思った。
「別にいいですよ」
棚端は、上からのもの言いで大分失礼だなと思いながらそう返した。
「いいの?」
棚端の言い草を意に介さないのか藤谷が表情をあからさまに明るくして棚端を見つめた。
「この前言いましたけど、職員室での子供に対する接し方は優しいなと思ってんで、いい人かなと思ってました」
藤谷にはそのことを除いたら何も印象がないのでそれを話題にする他なかった。
「ありがとう」
と藤谷。棚端は、まあこういうのもありかと思った。