幸せ
口にすれば、するほどに私の体は黒い汚い何かに侵食されていく気がする。これ以上汚れたくなくて、腐りたくなくて、必死だった。
「母は梅毒だったから、私を先天性梅毒をもたせて産んだ。どうにかそれは治ったけど、母の男たちにさんざん体を触られた。キスもされた。それでも処女だけは守っていたの。でも、その処女だって父に奪われた。あの時のことは今でも覚えてる。血で赤黒くなったシーツ。馬乗りになる父。目をつむれば私はそれを思い出してしまう」
目を細めて、ノアの顔が見えないように俯く。本当はこんなこと彼に話したくない。でも話さなければいけない。話さなければ、彼はきっと私のことをあきらめてはくれない。
好きだからこそ、ノアには美しい処女の女性と結婚してほしい。汚れていない純粋な女性と結婚してほしい。
「貴方は綺麗だから、私に汚されてはダメよ。純粋で心の美しい女性と結婚しなければいけないわ」
「僕は別にいいんだよ。君のことを愛してるから。汚れているなら、磨けばいい。君がいつか、自分が本当に綺麗で美しいと思えるようになるまで、僕は君から離れない」
骨ばった筋肉質な温かい手で、手を握られた。
「一種の精神疾患患者なのよ。本当に私で良いの?」
「うん。僕は君から一生離れないつもりだよ」
今までこんなことを真剣に言ってくれる人いたかしら。私を口説くために一生という言葉を軽くつかう男はいくらでもいた。でもノアなら、私を話さないで愛してくれるのではないのかしら。
「一生?」
「うん、一生」
彼にとってこれは軽口かもしれない。私の容姿に心酔して、ついている嘘かもしれない。本当に私を愛しているかもしれないけれど、彼は本当は妻がいるのかもしれない。でも、それでも今だけはこの人に甘えても良いんじゃないのかしら。
「絶対に離れないで、私を裏切らないで、いっぱい愛して。私も離れないし、裏切らないし、いっぱい愛すから」
「君が僕のことを愛してくれるの?」
床んだ視界の先で、ノアは優しく微笑んで首をかしげている。
「私は、貴方のことが大好きだから…いっぱい愛すわ」
「それじゃあ、僕はそれよりもっと君を愛すよ」
なんだかこんなに愛という言葉を連呼していると、だんだんと恥ずかしくなってくる。きっとこんなことを幸せと呼ぶんでしょうね。
「結婚しよう。君をあの家族から解放してあげるから」
「はい、もちろん」
いつの間にかはめられた左手薬指の指輪は、今までもらった宝石の何よりも輝いていた。