96話 脱出
厳かな雰囲気を纏った大きな部屋の真ん中で一人の初老の男と、その前には若き青年が跪いていた。
「……オーディ・フォン・ウォーロットよ。其方を王太子へと任ずる」
「ありがたき幸せ」
一大国家、ウォーロット王国において次期国王が実質的に決定した瞬間であった。それを見守った各大臣、および、騎士団の各部隊長らが拍手を送る。
そしてこれから開かれるであろう祝杯に向けて準備が始まるのだ。
そんな中、当人であるオーディは胸中でまた別の事を考えていた。
それはこの任命式が行われる二日前の事。
「おい、オリベル! 騎士団を抜けるってのはどういう事だ?」
その日、オリベルの告白に血相を変えたリュウゼンがそう尋ねた。
「抜けたいって訳じゃないんですけどね。結果的にそうなるというか」
「結果的にそうなるって……」
「リュウゼン」
徐々にヒートアップしていき、声が大きくなっているリュウゼンを窘めるようにオーディが名を呼ぶ。オーディの事件があってからというもの周囲には見張りの兵士が多い。
兵士は軍務大臣の配下であり、情報を聞かれると不利になるであろうことを理解していたのである。
オーディのその意思を汲み取ったリュウゼンはそのまま黙り込む。
「オリベル。結果的に騎士団を抜けることになるってのはつまり強行突破でここから抜け出すからって事か?」
「はい、そういう事です」
躊躇いもなく言い切るオリベル。オリベルにとって騎士団であること、というのはあくまでステラを助けるという目的に最も近いからだ。
しかし、軟禁生活を強いられるようになった今ではその肩書も寧ろ邪魔になってくる。
あれだけ苦労して入った騎士団も邪魔になるのであれば用はないという訳である。
「……まあ、最初に強硬手段で出してやるって言ったしな」
「殿下? まさかオリベルの意見に賛成ってことですかい?」
「否定する理由もないしな。それに元からオリベルをこの国に縛っておくの自体、俺は好ましく思ってなかったし」
最初に見たオリベルの未来。それが空白であったことから先の未来が見えていたオーディにとって希望の光にすら思えていたのだ。
そのため、国に縛っておくのはもったいないという発言。騎士団から抜けるというのはオーディからしても願ったり叶ったりであった。
「もう決意は固いのか?」
「はい。部隊の皆さんには申し訳ありませんが」
暫しの沈黙。
このままリュウゼンが反対しようとオリベルの心づもりは変わらないだろう。
「……分かった」
「オーディ、何をボーっとしておる?」
つい先日の事を思い出していたオーディの下へ国王が歩いてきてそう尋ねる。今は任命式が終わり、王太子誕生のパーティが開催されている最中なのだ。
「っと、すんません。俺としたことが」
「そうだぞ。この祝宴の主役なのだから」
すっかりと出来上がった様子の国王に対して愛想笑いを浮かべる。
「オーディ殿下。此度は王太子として任命された事、誠におめでとうございます」
そう言って現れるのはオーディも知らぬ顔である。貴族であることは分かるものの大した親交の無い者であった。
恐らく、次期国王に対し媚びることで見覚えを良くしておこうという魂胆なのだろう。
それが見え透いているからこそ、心の底からこのパーティを楽しむことは出来ないのだ。
それから何人となくひっきりなしに現れる貴族たちに愛想の笑みを返しながら、オーディの頭の中では別の事に思いを馳せているのであった。
♢
王太子の任命式があったその時、王城のとある一室で白髪の少年は制服を脱ぎ捨て、騎士団試験を受けに来た服に着替えていた。
「よし、準備は出来たな」
全ての荷物を肩から提げた鞄に詰め込むと、壁に立てかけてある大鎌に手をかける。思えば子の鎌さえ無ければこんなことにはならず、騎士団としてステラの手助けができたことだろう。
ただ、その代わり、死期から救い出すことはできなかっただろうが。
色々な思いを胸に秘めながら大鎌を背負い、窓を開ける。
現在、王太子となったオーディの祝宴のため、普段よりも見張りが少なくなっている。その隙を突いて脱出しようという訳である。
幸い、オリベルは罪人という訳ではないため、この程度の見張りの数であれば容易に逃げ出すことが出来る。
窓枠からだだっ広い庭へと飛び降りる。綺麗に整備された道を道路脇に植えられている低木を蓑に素早く出口の方へと駆けていく。
「誰も居ないな」
広い中庭を抜けると次に目に入ってくるのは大きな『神殺し』の訓練場である。
神殺しは既に前線へと出払っているため、ここがもぬけの殻であることを認識しているオリベルはそのまま警戒することなく通り過ぎようとする。
誰も居ないだろう、そう油断していたのが良くなかった。
「やはり来たか」
そんな声がオリベルの真後ろから聞こえてきたのである。まさかこんな所で見つかるとは思っていなかったオリベルが恐る恐る後ろを振り向くと、そこには黒髪の青年の姿があった。
「……セキ隊長」
「お前が逃げ出すとすれば見張りが薄くなるこの時だと父に言われて魔力感知をして張っていた。どれだけ身を隠そうともその強大な力を隠しきることは出来ないからな」
騎士団で神殺しを抜けば最強の男、セキ・ディアーノ。先のクラウスとの戦いでは仲間をかばいながら戦ったため、戦績が振るわなかったが、その実力は本物である。
おまけにオリベルを軟禁した張本人の息子でもある。まさに最悪の相手であった。
「このまま大人しく部屋に戻るなら前の件でチャラにしてやる。ただ、抵抗するというのなら」
そう言うとセキはスルリと腰に提げていた剣を抜き、構える。
「容赦はしない」
思わぬ強敵に一瞬、尻込みをするオリベル。いくら不死神の力を使えると言えど、セキに通用するかなど分からない。
だが、最初から選択肢などないのだ。ここまで来たらこのまま押しとおるのみである。
「お前の事を私は少々過大評価していたのかもしれないな」
大鎌をセキに向けたオリベルを見下すような目で見つめるとセキはサッと片手を上げる。
すると先程まで誰も居なかったはずの空間からぞろぞろと騎士団員が出てくる。その中には見覚えのある顔もあって。
「オリベル。まさかウォーロットを裏切るなんてな」
「僕はどうでも良いけど……」
「ガハハハッ! お前の境遇にゃあ同情するし、何なら手助けしてやりてえところだが俺もお尋ね者になるのはごめんだからな。許してくれよ」
ギゼル、カイザー、そしてダグラスの三人を含めた第一部隊の面々である。それだけではない。その周りには第一部隊のメンバーが勢ぞろいしていた。
その一人一人から途方もない程の魔力を感じる。
まさにウォーロットの精鋭たちがオリベルを囲んでいたのである。
「お前にこの壁が越えられるか?」
そう呟いたセキの口角は少しだけ上がっていた。それはまるでオリベルがこの困難を乗り越えることを期待しているかのように。
「このまま見つからずに逃げたかったんですけどね」
オリベルの周囲を白い魔力が包み込む。そして次の瞬間、目を見張るほどの高密度な魔力が放出される。
常人であれば立っているだけでも困難なその世界で眉一つ動かさずにその場に立っていられるのは流石精鋭部隊と言うべきか。
果たして二つの強大な力がぶつかり合おうとしたその時、オリベルとセキの間に大きな壁が突如発生する。
よく見れば土で出来たその大きな壁の出現に一瞬驚く表情を見せるオリベル。そして次の瞬間にはどこか安堵した表情を見せる。
「あらあら、オリベル君。中々大変なことになってるじゃない」
「こりゃ、俺達もまずいんじゃねえか?」
「何日和ってんのよ、ディオス。そんなんだから雑魚なのよ」
「ひでえ……」
呑気な口調でそう告げるのはオリベルと同じ部隊の面々であった。まさか駆け付けてくれているとは思わず驚きの表情を浮かべていたオリベルの肩に何者かの手が乗っかる。
「オリベル。正直俺達はお前には騎士団に残ってほしい。だがそれだとお前は軟禁されたままで、苦痛だろう。やりたいことがあんだよな? だったら俺達はそっちを応援するぜ」
「リュウゼン隊長……」
「ここは俺達に任せて行け。何、心配すんじゃねえ。これは次期国王であるオーディ王太子殿下の命令だ。俺達はただその命令を実行するだけさ」
ニカッと大きな笑みを見せてグーサインを出すリュウゼン。そして周りにはそれに同調してオリベルの方を見守る仲間たちが居る。
「皆さん……ありがとうございます。このご恩はいずれ」
「ああ。でっかくなって帰ってこい!」
そうしてオリベルは仲間からの厚い援護を受け、その場から走り去る。
「……リュウゼン。これは反逆に値するぞ。良いのか?」
「何を言ってやがる。俺達は王太子殿下の命令でここに来てんだ。お前達こそ次期国王に歯向かってる反逆者だぜ?」
両者の視線が交差する。互いが互いの意図を察したのか、その場から姿を消す。
須臾の時を置いて、凄まじい金属音と共にセキの剣とリュウゼンの剣が激突する。
「おっとぉ、オリベルの所へ行くんだったらまずは俺達を倒すんだな」
「面倒だがそのようだな」
かくして一人の少年を争って第一部隊と第二部隊の衝突が勃発するのであった。
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