67話 一抹の奇跡
リュウゼン達が部屋の中から退出した後、ミネルは未だベッドの上で横たわる自身の兄の手を握りしめた。その手から感じる温度でまだ兄が生きているのだと実感する。
もう助からないということで全身に装着されていた魔力補助装置などはすべて取り払われ、今はただ死にゆく時間を穏やかに過ごす時間となっている。
「お兄ちゃん。私あれから強くなったよ。今度は村の皆を、お兄ちゃんだって守れるくらいに」
話しかけながらミネルはこれまでの事を思い返していく。元々、質実剛健な兄に憧れて武道という物に触れた。そしていつしか通っていた道場ではレンオウとミネルの二人に敵う者は居なくなったのだ。
ミネルは兄に勝てたことが一度もなかった。それが悔しくて都でウォーロットの騎士団に入り、更なる研鑽を積みいつか兄に勝ちたいというのがミネルの夢であった。
そんなミネルの考えも最初は両親に反対されていた。なぜなら王都に行けば中々会う事が出来なくなるからである。それに救い舟を出してくれたのが兄のレンオウだったのだ。
『僕が村に残って村を守る。ミネルは安心して王都で修行してくれたら良いんだよ』
優しくそう送り出してくれた兄の姿を思い出し、我慢していた涙がつーっと頬を伝っていくのが分かる。兄はいつもミネルの味方であった。
あまりコミュニケーションがうまくできずに村の中に友達を作ることが出来なかったミネルを外に連れ出してくれたのも、迷子になり夜の森で泣いていたときに迎えに来てくれたのもすべて兄であった。
「でも、もう遅いんだよね」
今も体の変色が止まらない兄の顔に手を添えて肌のぬくもりを感じる。今の内でないと感じることのできないぬくもり。そう思うだけで胸が苦しくなってくる。
その苦しみに瞳をスッと閉じた瞬間、誰かが手を握りしめてくるのが分かる。当然この場にはミネルと兄のレンオウ以外居る筈もない。
そのあり得ない現象に急いで瞳を開け、目の前に広がる光景にミネルは目を疑う。
何とそこには起き上がり、優しい眼でミネルの方を見つめているレンオウの姿があったのだ。
「お、兄、ちゃん?」
「うん。お兄ちゃんだよ、ミネル」
その優しい声は何年も前に失われもう聞くことが出来ないと思い込んでいた声。体の大半が腐り、生きていること自体が不思議な状況だというのに目を覚まし、こちらを見つめている。
そんな光景に思わずミネルは飛び込んでしまう。
「お兄ちゃん!」
「おっとと。相変わらずミネルは元気だなぁ」
胸に飛び込んできたミネルを優しく抱きかかえるとレンオウは妹の頭を撫でる。それに耐えきれなくなってミネルは更に抱きしめる力を強くする。
「お兄ちゃん! 私、私……」
「うん、うん。苦労させちゃったね。ミネルの活躍はお兄ちゃんが一番わかっているよ」
魂狩りに魂も体も囚われている間、レンオウにはちゃんと意識があった。それが残酷か否か、少なくともそれが故にミネルの戦いぶりを目の前で見ることが出来た。
その一つ一つの所作にこれまでミネルがどれほど研鑽に研鑽を重ねてきたか、その重みをレンオウは感じ取っていたのだ。
「私、村が滅ぼされた時、絶対に誰にも負けないって誓ったのに、負けちゃって!」
「そうかそうか」
誰にも吐き出せなかった少女の思いの丈を優しく受け止める兄。それは天涯孤独となってしまっていた少女にとって唯一の存在であった。
「でもミネルは僕を助けてくれたんだ。それくらい強いんだよ」
「私だけじゃないの。私の力じゃ……」
「それで良いんだよ。自分だけの力じゃどうにもならないなら友達の力を借りる。それで良いじゃないか」
あくまで優しく諭す兄。その言葉は意固地になっていたミネルの心を一つずつ紐解いていく。
「ミネルは優しい子だ。少し意思表現が苦手だけれどね」
「お兄ちゃんに比べたら私なんて」
「いいや、そんなことないさ。ミネルは優しい。それはお兄ちゃんが保証してやる。現にあの子が魂狩りに人質として囚われた時、君は攻撃の手を緩めた。そんなの優しくなきゃ出来ない事だよ」
あの子、というのは今回魂狩りの被害に遭った、レオンの事である。
奇しくもレンオウと似た名前、そしてレンオウたちと似た雰囲気である彼らを助けることが出来たのはあの時のミネルの判断があったからであった。
「……ありがと」
「ふふっ、素直でよろしい」
そう言うとレンオウは窓の外を眺める。何かを悟るかのように一瞬瞳を閉じ、心の整理を付けてから自身の胸に顔を埋めているミネルを見つめる。
「ミネル。僕はもうあと少しで死んでしまう。それは分かるよね?」
「……」
受け入れたくはない。しかし、理解していたミネルは黙りこくる。それは最期になるであろう兄の言葉を一言一句聞き逃さないようにするためであった。
「正直怖いよ。でもそれは仕方がないことだ。だから最後にミネルにお願いがしたいんだ。お兄ちゃんのお願い、聞いてくれるかい?」
「……当り前よ」
「ありがとう。僕がミネルにお願いすること、それは『ミネルには幸せでいてほしい』。それを約束してほしいんだ。そうじゃないと僕は安心して父さんと母さんの所へ行けないからね」
泣き腫らした瞳をレンオウの方へ向けるミネル。その瞳を柔らかな眼差しで見つめるレンオウ。そうして差し出された小指。
ミネルは迷うことなく自身の小指を差し出された小指に伸ばす。
「うん、わかった。約束」
「うん。これで安心だ」
最後ににっこりと笑うと、不意にレンオウの全身の力が抜ける。そしてぐったりとベッドに倒れこむレンオウ。その顔はどこか安らかな表情を浮かべていた。
「……お兄ちゃん、今までお疲れ様。ゆっくり眠ってね」
最後に触れた小指の温かみを忘れないようにしながらミネルは暫しその場に座り込んでいたのであった。
♢
「皆、ありがと。もう良いわよ」
ミネルの言葉に全員が察したように哀しみの表情を浮かべる。助けられなかった、その意識はリュウゼン、クローネ、そしてディオスに共通してあったからだ。
「ミネルさん」
「ミネル、で良いわよ。オルカ」
最初にミネルに駆け寄ったオルカに対してそう言う。一瞬何と言われたのか分からなかったオルカであったが、その意図を察し、挑戦的な笑みを向ける。
「それではミネル。お兄さんの事が終わりましたら一勝負どうですか?」
「良いわね。受けて立ってやるわ!」
「いやいや、何でこうなるんだよ。心配してた俺がアホみたいじゃねえか」
「まあまあ、良いじゃないですか。こっちの方がミネルさんっぽいですし」
「オリベル! アンタも今後はミネルと呼びなさい! 後、アンタも後でしごいてやるんだからね!」
「え、ええ……」
思わぬ飛び火が飛んできたのに少し驚きながらもオリベルはそれを了解する。喧嘩を吹っ掛けられた驚きよりもそんなミネルの元気な姿を見られた嬉しさの方が大きかったのである。
その日、ミネルの兄の葬儀が粛々と行われた。不思議なことにレンオウが納められた棺が花畑を通り過ぎた時、風で花の綿毛が一斉に上空へ飛び上がり、天へと続く道を作り上げたという。
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