37話 カウントダウン
七色に光り輝く巨木の幹の真ん中から徐々に罅が入っていく。先程大量に二段階進化を果たした妖精蝶が生まれてきたのはその葉っぱからであった。そして幹からはそれ以上の個体が生まれ出る。
罅の隙間から徐々に新たな光が見えてくる。それは今までのどんな光よりも強く、美しいものであった。
「何この魔力量……」
「イルザ隊長! 退避しましょう!」
その光が発する絶大な魔力量を真っ先にイルザとオルカが勘付く。魔力感知がそれほど得意ではないオリベルですらそれがどれほどに強力な魔力なのかを悟っていた。
オルカの言葉で皆がその場から離れる。ここまでの間にかなりの時間が経過し、既に沈んでいる夜の空を七色の巨木から生れ出た謎の光が照らし出す。
「おう、二人とも。やっと見つけたぜ……そんな険しい顔してどうした?」
オリベル達が走っている先にちょうど第三部隊の他の団員と合流していたリュウゼンが声を掛けてくる。
「リュウゼン。今は説明している暇がないわ。とにかく森の外に向かって走りなさい。死ぬわよ」
「……あぁ、なるほどな。そういうことか、分かったぜ」
イルザの言葉と走ってきた方向から感じてきた体を焼き尽くすほどの強い魔力から状況を悟ると、走ってきた四人に追従して森の外に向かって走り出す。
そんな緊迫した状況でただ一人だけ違う反応を示す者が居た。
「なに? 楽しそうじゃない」
襲い来る強者の波動を感じ取ったミネルがそう言って闘志を漲らせていく。
「そんなこと言ってる暇じゃねえ!」
勢いづくミネルの首根っこを掴みながらリュウゼンが走る。それを見たクローネとディオスもため息を吐きながら後に続く。
そんな折、オリベルが走りながらふとオルカの顔が目に入る。顔の上に赤く刻まれた数字。それを見てオリベルは心臓の鼓動が跳ねる。
なぜなら既にオルカの死へのカウントダウンが始まっていたからであった。残り1時間。それが一秒ごとに少なくなっているのが見える。
何が原因なのか、それは確実にあの得体のしれない力を持つ妖精蝶の存在である。
「どうしたのですかオリベル? 私の顔に何かついてますか?」
「いや、何でもない」
激しくなる動悸を何とか耐え忍びながらオリベルは走る。このカウントダウンが発生した者は今まで確実に死んでいた。しかし、それを阻止するのがオリベルの役目である。
絶対に死なせまいと心に誓いながらオリベルはなるべくオルカとの距離が開かないようにしながら森の外へと走っていく。
全員が合流し、鍛え上げた脚力で駆けていく。しかし、それはただの人が為す業。本当の怪物の前では無に帰する。
次の瞬間、世界が揺れた。
文字通り、空間も大地もオリベルを取り囲んでいるすべての景色が揺れた。
それと共に背中から浴びせられる衝撃は想像を絶するほどに強力で凄惨な結果をオリベル達に提示する。
森の中心から放たれた魔力で生み出された暴風が木々をなぎ倒しながら十分遠くにまで逃げていたはずのオリベル達の体を無情にも吹き飛ばす。
「……!」
胸が圧迫され、声を出せないオリベルはしかし、その超常なる身体強化魔法と肉体を以てして何とか意識を保ったまま共に吹き飛ばされているオルカの方を見る。
森の中心から放たれた風の波動はオルカの強固な魔力障壁をいとも簡単に破壊したため、オルカの意識はすでにない。
このまま吹き飛ばされ、どこかへと打ち付けられ、当たり所が悪ければ死ぬだろう。何とかしてそれを食い止めたいオリベルが取る行動はただ一つである。
意識を失ったオルカの体を受け止め、そのまま風の流れに身を任せる。そして背中に途轍もない衝撃が走ったかと思うと地面へと落ちる。
岩にでもぶつけたらしく、激しい勢いで飛ばされたオリベルとオルカは運よく止まることに成功したようだ。
とはいえ、オリベルの身体強化が無ければ粉々に粉砕していたため、運よくと言うべきかオリベルのお陰と言うべきかは定かではない。
「カハッ……はぁはぁはぁ」
内臓に傷が入ったらしく、オリベルは口から血を吐き出す。横には先程岩にぶつかった衝撃で手元から離れたオルカの姿がある。
「結構飛ばされたな……ここはどこだ?」
周囲に他の団員たちは居ない。岩にぶつかって勢いが止まったオリベル達以外は全員、違う方向へ飛ばされたもしくはもっと遠くの方へ飛ばされたのだろう。
周囲を見渡すと一面が先程の暴風で荒野と化している。光り輝いていた森も跡形もなく根元から切り落とされ、その中心には元凶がゆっくりと上空へと浮上しているのが見える。
天へと舞い上がる巨大な妖精蝶の姿を見た瞬間、オリベルは恐怖を覚える。抗う事の出来ない圧倒的な強者。
オリベルの命などその者からすれば吹けば消える蝋燭の火のように儚い。
「逃げるぞオルカ」
倒れるオルカの体を背負い、オリベルは歩き出す。全身がズタズタになっているため走ろうにも走れないのだ。せめて遠くへ。その思いだけでオリベルは必死に動いていた。
しかしその思惑も空しく、その妖精蝶が光を発したかと思った次の瞬間、オリベルの体は上空へと吹き飛ばされていた。
「……くっ」
上空へと吹き飛ばされたオリベル。その背中にはまだオルカの姿がある。そして目の前にはあの巨大な妖精蝶の姿があった。
御伽噺で出てくる妖精の国の物語。そこで出てくる妖精の女王と酷似しているその妖精蝶は弱り切っているオリベルの体を容赦なく大地へと叩きつける。
そのあまりに強い膂力は周囲に轟く衝突音と共にオリベルの周囲にクレーターを生じさせる。
「オル……カ……」
オリベルの近くで倒れているオルカの方へと手を伸ばしながら地を這いずっていく。そのオルカの顔には死まで残り数分という非情なカウントダウンが表示されていた。
そしてオルカの近くに先程の妖精女王が降り立ち、見下ろしている。美しく光り輝いているその見た目はまさに神と見紛うほどに神々しい。
「させ……ない!」
オリベルは剣を抜き、最後の力を振り絞って妖精女王へ向けて駆け出す。
妖精女王の息遣い、そして微細な動きを感知し、完全なる隙を見つけるとそこへ大きく振った剣を叩き込む。
「嘘……だろ」
オリベルが放った渾身の一撃は空しくも妖精女王の体に傷をつけることはなく、半ばで真っ二つに折れてしまう。
それと同時に妖精女王が放った風の刃がオリベルの体を吹き飛ばす。
完全に立ち上がれなくなったオリベル。薄れゆく景色の中で妖精女王が上空で何かを作り出しているのが見える。風で作り上げた巨大な剣のような物であった。
そしてその真下に居るのはオルカである。
「や、やめてくれ!」
なぜ体を動かせないのかなぜ自分を狙わないのか。様々な思いがオリベルの中で交錯していく。その間にもオルカの顔に表示されている数字は残り十秒となっていた。
9、8、7、6、5……。
オリベルの感情を無視した無機質なカウントダウンがオルカの死期を知らせてくる。
「お願いだ! オルカは僕の大事な仲間なんだ!」
もはや立てなくなった体に鞭を打って無理やり立ち上がり、ふらふらとそちらへと近づこうとするも、半ばで倒れこんでしまう。
そうこうしている間にもオルカの上空で形成された風の剣が振り下ろされた。
「――――!!!!」
自分でも何を言っているのか分からない叫び。風の剣が生み出す轟音はその叫びをも消し去り、オルカの体へと降り注がれる。
3、2、1……。
涙でほとんど視界が無くなっているオリベルの目にくっきりと浮かび上がるオルカの死期。絶望と悔しさ。
五年かけて作り上げてきたオリベルの努力が一瞬にして崩れ去ったような気分であった。
誰か助けてくれ。
声にならないその叫びをオリベルが発した瞬間、オリベルの指から眩い程の銀色の光が発せられる。その原因はあの料理人グラゼルからもらった指輪であった。
「大丈夫さ、オリベル君。君の大事な人は死なせないよ」
「グラ……ゼルさん?」
銀色に輝く光の中から突然現れたグラゼルはオリベルに一言そう告げると、妖精女王の方へと駆けだし、手に持っている美しく頑強な剣を振り下ろされている風の剣に向けて振りかざす。
次の瞬間、あれ程までに強大な魔力を持っていた風の剣はオルカに直撃する直前でいとも容易く消え去る。
そしてオルカを抱えるとオリベルの方へと戻ってきて近くにあった木の根元に寄りかからせる。
オリベルは薄れゆく視界の中でオルカの顔を確認すると、そこには先程まであったはずの死期へのカウントダウンが消え、元の死期へと戻っている。
まさに死期という避けられないはずの運命を乗り越えた瞬間であった。
「ちょっとそこで待っててね。すぐに終わらせるから」
グラゼルのその姿はオリベルが見たことのある料理人の姿ではない。白い制服に白いマント。ウォーロット王国最強の部隊『神殺し』の制服を身に纏っている。
「あなたは一体」
オリベルとオルカを守るようにして立つ存在。ウォーロット王国『神殺し』ナンバー2のグラゼル・シルバーの姿がそこにはあった。




