142話 シュテンの記憶
(ここはどこだ? 俺はどうなった?)
何もない空間でただ沈んでゆく自身の体。ボンヤリと何かを考えては止め、また何かを考えては止めていた。
頭の中では常に鳴り響く何者かの声。それに導かれるが如くシュテンはゆっくりと暗闇の中へと意識を落とそうとしていた。
『シュテン』
そんな何もない筈の空間で誰かも分からぬ、しかして懐かしいような声がシュテンへと語りかけてくる。
(誰だ? こんなとこで俺の名前を呼ぶ奴は)
『お前の父だよ、シュテン』
シュテンの目の前に現れたのは1人の獅子の獣人。もはや衰えている筈のその肉体からは確かに若かりし頃の遺産が残っていることが分かるほどに鍛え上げられている。
そしてその顔を見た時、シュテンは思わず息を呑んだ。
(……お、や、じ? 本当に親父なのか?)
『ああそうだ』
その獅子の獣人は紛れもなくシュテンの父親、そしてクラーク獣王国で伝説の獣人として今も崇められているバウラスであった。
突然の遭遇にシュテンは驚きに目を見張るが、それと同時にどこか敵意のこもった視線をバウラスへと向けていた。
(どうして……どうして俺を捨てた?)
シュテンの問いかけにバウラスはゆっくりと目を閉じる。そして再度ゆっくりと目を開くと、口を開く。
『お前からはそう見えてしまっただろうな』
(見えたじゃねえ! お前は捨てたんだ! 俺が鬼だったから!)
激しい剣幕で怒鳴るシュテン。彼は父と二人でひっそりと森の奥地で暮らしていた。
最初はこの世界に父と自分以外の人種は居ないものだと錯覚するほどに他者とは断絶された世界で過ごしていた。
しかしその生活はある日を境に終わりを迎えた。
それはシュテンがまだ幼かった頃の話である。バウラスが食事を購入するために町へと降りていた時、その日はひどく雨が降っていた。
そんな時に二人の家を訪ねた獣人の一行が居たのである。
『すみません。今夜一晩、泊めていただけないでしょうか?』
その時にはシュテンは1人だけ。更に初めて自分たち以外の人種を見た。
普通ならば恐怖し、家の中から出ようとはしないだろう。しかし、シュテンはその逆であった。
むしろ初めての他人に興味を抱き、嬉々として扉を開けたのである。
しかし、獣人たちの反応はシュテンが思ってもいないものであった。
『ひいっ、鬼だ! 鬼が出たぞ!』
『逃げろー! 魔獣になるぞ!』
シュテンの姿を見るや否や獣人の一行はすぐに逃げていってしまったのである。この出来事はシュテンの心に暗い翳りを落とした。
そしてなぜ父がいつも出掛ける際に付いてきてはならないと厳しく言っていたのかを理解したのである。
(そしてあの日、お前が帰ってくることはなかった。お前も結局俺の事を嫌ってたんだ。中途半端に産まれちまったから罪悪感で育ててたんだろうが本当は俺の事が煩わしかったんだろ!)
言葉が己の感情からどんどん遠ざかっていく感覚。止めたくとも止められない溢れてくる言葉がシュテンの胸中を満たしていく。
『違う』
(違くねえ! じゃあなんであの時、帰ってこなかったんだ!)
『おいシュテン、みっともねえな。俺のダチは父親にそんなガキみてえな事を言う奴だったか?』
またもや別の声がシュテンの耳に届く。その声もまたシュテンにとって聞き馴染みのあるものであった。
(お前は! ゴウルじゃねえか! 生きてたのかよ、焦らせやがって)
『馬鹿。死んでっからお前の精神世界に干渉できてんだよ。てかお前、何やってんだよ。あのスルトとかいう神に良いように操られて? そんで親父には悪態吐いて。お前ってそんなみっともねえ奴だったのか?』
(お前には関係ねえだろ。どうせこのまま俺の意識は滅んでお前らと同じとこに行くんだよ)
『関係大アリだ馬鹿野郎。お前が捨てたって言ってたちょうどその日に俺は爺さんに世話になったんだ。バウラスの爺さんはな、お前の下に帰らなかったんじゃなくて帰れなかったんだよ』
ゴウルの言葉にシュテンは目を見開いて驚き、バウラスははぁとため息を吐く。
『ゴウル。そこから先は俺がシュテンに説明する。あの日、何があったのかを』
♢
ゴウルがまだ闘技士を目指す前。まだまだ幼い彼の眼前には悍ましい光景が広がっていた。
「と、父さん……母さん?」
幼いゴウルの目の前で横たわっている二人の存在にゴウルは震えながら恐る恐る近づこうとする。
「ゴウル、来るな! 早く逃げ……」
そのうちの一方が言い切る前にその身体へと剣が突き立てられる。
「ダメダメ。動いちゃダメって言ったじゃないかー」
「父……さん?」
目の前で肉親が息を引き取る瞬間を見るには幼過ぎる。
ゴウルは息を荒くしながら覚えたての魔法を発動させようとする。
「はあ、はあ、はあ!」
「あれー? 一丁前に魔法発動させようとしてないー? 聖騎士様に勝てると思ってんの?」
無邪気な笑顔を浮かべながらゴウルの眼前に迫る髪の長い男。
手に握るはこれまでに生贄となってきた血潮が塗りたくられた聖騎士というには禍々しい剣。
「死ねよ」
剣がゴウルに振り翳される、まさにその瞬間、その剣を素手で受け止める者がいた。
「その辺にしておけ」
誰よりも堂々と、そして威圧感を伴って発せられたその言葉はその場にいる全ての者に呼吸を忘れさせる程であった。
獅子の獣人から放たれる凄まじい殺気。しかして幼きゴウルは何故だか暖かく感じていた。
武を極めた者は殺気を当てる相手を選べるという。それがまさに目の前の傑物であったのだ。
「聖騎士ともあろう者がこんな事をしても良いのか?」
「世界の敵を探すためです。仕方のない事でしょう」
聖騎士、というのは世界調整機関所属の騎士の事である。聖騎士はウォーロットの騎士団と双肩をなす人類の正義。
そう聖騎士は味方であるはずなのである。にもかかわらず、何の罪もない一つの村がその聖騎士によって滅ぼされているのである。
「バウラスさん、どうやらここが最後のようです」
そんな時であった。もう一人の人物がその場に顔を出す。その顔を見た聖騎士は直後に顔をしかめる。
「お前、裏切ったのか? セイン」
「うん。だってやってる事全然正義の味方じゃないもん」
まだ若い聖騎士いや元聖騎士のセインはかつての上司に軽くそう返すと、今度はバウラスと呼ばれた獅子の獣人の隣に立つ。
「バウラスさん、こいつは今までの奴とレベルが違います。僕も助太刀しますので」
「いや、必要ない」
その瞬間、バウラスの姿がその場から消える。そして次に姿を現したときには既に相手の聖騎士の目の前にいた。
「なっ速すぎ……」
「せい!」
振るわれた剛腕は正確に聖騎士の顔面を貫く。そして勢いよくその場から吹き飛ぶと聖騎士は壁に強く体を打ち付けられる。
「凄すぎですな」
「他の追手が来たら面倒だ。逃げるぞ」
「了解です」
隙を作ったバウラスはすぐさま戻ってくると幼いゴウルを背負い、セインと共にその場から立ち去るのであった。
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